ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

4年たって新天地でのつながりの悩み

2015-03-07 09:48:48 | エッセイ
6日昨夜はまなかあいづTodayで、浪江、双葉からの避難者と受け入れて頂いた新天地でのつながりについて考えるものであった。

まず、浪江・双葉・大熊・富岡の4町村5000人にアンケートした結果、2割超の1,154人から回答、まとまって暮らす必要性34.4%、ない16%、どちらともいえないが41.5%で、若者がいない町でまとまって暮せないと。

浪江の模型図に、ここに窯元があったと旗を立てながら、4年もあくと忘れてしまい、何かきっかけがあると思い出すという女性。

双葉町で接骨院をやっていた谷口守夫(60)さんはいわきで営業、患者さんへの問いかけで、仮設には半分いなくなったが、若い人から離れてまた戻ってくるという。また、矢口さんはいわきのゴルフ場跡地に役場や医療機関などインフラ整備した構想が地元から受け入れられず白紙になった。

浪江で花屋をやっていた神長舎豊隆(67)さんは避難先の二本松で、衣料を経営している仲間を訪問して聞くと、長年かけたお客さんが少ないから厳しいと。受け入れてくれた町で花屋をやりたいが地域とのコミュニテイで、いままでの流れを変え恩をあだで返すことになり商売をやることに踏ん切りがつかないと。

まとまりたい住民が分散型の災害公営住宅に入居する結果となっている。将来を背負う戻らない若者の町の住民のつながりはますます薄れるばかりで、新しい病に悩み関連死が増える結果となっている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿