20年前の1995年1月17日、5時46分に起きた兵庫県南部地震は、当初毎日が阪神大震災、朝日が関西大震災、読売が関西大地震、2/14政府閣議で阪神淡路大震災とした。
震源地、北緯34°35.9′、東経135°2.1′丁度淡路IC東北3㎞、垂水4㎞南の明石海峡海底16㎞の浅い所で起きていた。M7.3で神戸市中心に震度7を多く観測した。
特に、東灘区、灘区、兵庫区、長田区、垂水区の被害が甚大で、死者6,434人、不明3人けが4.4万人で全半壊25万棟46万世態が被災した。また、火災による被災全焼7000棟、損傷7,500棟で、焼死は558人に上った。県外の死亡者32人と神戸に集中していたことが分かる。
長田区の火災の様子、高速道路の崩壊、今にも落ちそうなバスの映像が蘇える。が、20年たち知らなかった人たちが4割と、孤独死が問題になっている。
2011.3.11、午後2時46分に起きた東北地方太平洋沖地震は、当初朝日や時事通信が東日本大震災、東北大震災、東北関東大震災など10の呼び名で報道されていたが、4/1政府は東日本大震災に統一した。
震源地は宮城牡鹿半島東南東沖130㎞、仙台市東方沖70㎞であるが北は岩手~南茨城まで500㎞、東西200㎞の日本海溝の広範囲で、M9.0と国内最大の大きさ、宮城栗原で震度7が観測された。多くは6強か6弱で、全半壊家屋は40万戸と多いが、倒壊火災の犠牲者よりも津波被害がより多く、死者1.6万人、行方不明2,594人と過去最大の犠牲者となった。特に宮城健石巻などの津波犠牲者が多く出たことである。
そして、福島第一原発が津波被害、水素爆発で25万人が避難、現在も10万人が避難生活を続けている。広野町は~0.23と低い線量値を毎日テレビなどで報道しているが帰還者3割という。局所的に高い所があるからと仮設生活を続けている。いわき市の仮設で帰還への説明会があったが、反応は今一であった。
震源地、北緯34°35.9′、東経135°2.1′丁度淡路IC東北3㎞、垂水4㎞南の明石海峡海底16㎞の浅い所で起きていた。M7.3で神戸市中心に震度7を多く観測した。
特に、東灘区、灘区、兵庫区、長田区、垂水区の被害が甚大で、死者6,434人、不明3人けが4.4万人で全半壊25万棟46万世態が被災した。また、火災による被災全焼7000棟、損傷7,500棟で、焼死は558人に上った。県外の死亡者32人と神戸に集中していたことが分かる。
長田区の火災の様子、高速道路の崩壊、今にも落ちそうなバスの映像が蘇える。が、20年たち知らなかった人たちが4割と、孤独死が問題になっている。
2011.3.11、午後2時46分に起きた東北地方太平洋沖地震は、当初朝日や時事通信が東日本大震災、東北大震災、東北関東大震災など10の呼び名で報道されていたが、4/1政府は東日本大震災に統一した。
震源地は宮城牡鹿半島東南東沖130㎞、仙台市東方沖70㎞であるが北は岩手~南茨城まで500㎞、東西200㎞の日本海溝の広範囲で、M9.0と国内最大の大きさ、宮城栗原で震度7が観測された。多くは6強か6弱で、全半壊家屋は40万戸と多いが、倒壊火災の犠牲者よりも津波被害がより多く、死者1.6万人、行方不明2,594人と過去最大の犠牲者となった。特に宮城健石巻などの津波犠牲者が多く出たことである。
そして、福島第一原発が津波被害、水素爆発で25万人が避難、現在も10万人が避難生活を続けている。広野町は~0.23と低い線量値を毎日テレビなどで報道しているが帰還者3割という。局所的に高い所があるからと仮設生活を続けている。いわき市の仮設で帰還への説明会があったが、反応は今一であった。
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