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原発事故で全村が避難、福島市飯野に移転していた役場が、昨日の1日村内の庁舎に戻り一人でも多くの避難者が戻れるようにと業務再開した。合わせて住民の長期宿泊も始まった。
原発事故後浪江町の中心住民はまずはと津島に避難したが、木村さんがもっと遠くへ避難をアドバイス、その北に飯館村の長泥、北西に山木屋がある。屋内待避で馬場浪江町長はスピーデイが黙殺されて、知らされないことへの怒りを後日ぶっつけた。
昨年解除した楢葉の帰還は7%、歯科医院が再開した様子が放映されていたが・・・また、三春に避難していた葛尾村での木村食堂を別の村内場所で再開、注文の弁当作り、大盛のチャーハン、そして震災前の祖父が建て増ししながら営業したがらんと何もない昔の家が映し出された。食べる事が優先と戻りへの抱負を語っていた。
「躍、感謝、心、までいの村に陽はまた昇る」の揮毫した書を前にして、再出発の記念撮影。うれしい反面何人戻るかの不安が付きまとう。テレビでも放映されていたが写真の笑顔が頼もしい。福島民報より。
方言の「までい」は福島県北部、宮城県南部で、ていねいにすることを「までに」すると使っている。までは丁寧の意味。
原発事故後浪江町の中心住民はまずはと津島に避難したが、木村さんがもっと遠くへ避難をアドバイス、その北に飯館村の長泥、北西に山木屋がある。屋内待避で馬場浪江町長はスピーデイが黙殺されて、知らされないことへの怒りを後日ぶっつけた。
昨年解除した楢葉の帰還は7%、歯科医院が再開した様子が放映されていたが・・・また、三春に避難していた葛尾村での木村食堂を別の村内場所で再開、注文の弁当作り、大盛のチャーハン、そして震災前の祖父が建て増ししながら営業したがらんと何もない昔の家が映し出された。食べる事が優先と戻りへの抱負を語っていた。
「躍、感謝、心、までいの村に陽はまた昇る」の揮毫した書を前にして、再出発の記念撮影。うれしい反面何人戻るかの不安が付きまとう。テレビでも放映されていたが写真の笑顔が頼もしい。福島民報より。
方言の「までい」は福島県北部、宮城県南部で、ていねいにすることを「までに」すると使っている。までは丁寧の意味。
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