オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

潮田神社祭り&チンジャオロースー

2015-06-08 | Weblog

6/8(月) 一昨日の土曜日、鶴見の「潮田神社」の夏祭りを見に行った。というのは、人形町安酒場NO1の「ちょっぷく」の店長YAMAちゃんが此処に住まっており「賑やかだから見に来いよ」と、何度かの誘いがあった由。

YAMAちゃんらの町会、本町通り一丁目までは鶴見駅から歩いて十数分を要したか。潮見橋を越えると直ぐに商店街がつづき、そこからが本町通りで一丁目から三丁目まであるようだ。その通りを車両通行止めにして屋台が軒を連ねていた。

長女と孫娘の〝そら〟が一緒だったので、屋台をみて大喜び。それはいいのだが、あれが欲しいこれが欲しい、ヨーヨーだ金魚すくいだと果て無し。こっちは、美味くもない唐揚げを齧りながら生ビールを飲むぐらいだ。土曜日の午後、未だ人出は少なく祭りの熱気は伝わってこなかった。

暫くすると、宮入をしていた神輿が戻ってきた。町内練り歩き前の、お宮から町会事務所まで戻る間の景気づけの巡航があった。YAMAちゃんや、店の助っ人隊の面々の姿も在った。

                    

                 真ん中YAMAちゃん                   YAMAちゃんとその孫

日曜日もあると言われたが、流石に行く気にはなれず、自宅の朝顔の植え替えなどをした。こんなことで、土・日は会社に出なかった。

僕らが子供の頃、地域の神祭ともなれば、各家庭はご馳走を作り酒肴を用意して、親戚や知人を呼んで酒盛り(土佐風にいえば、お客)で祝った。大人は酒を飲んで談論風発、若者は祭りで血肉をたぎらし、子供らはそれを眩しげに見ている。そんな光景を目にしなくなって久しい。すっかり生活・風習が変わった。

これが、進化なのか文明と云うやつの結果なのか。でも、あゝ云う習慣・・・・、皆で氏神を奉り寿ぐ風習は残したいものだ思う。貧しかった時代。人々は肩を寄せ合い、力を合わせて生きていた。お金というやつが、其々にそれなりに廻っていく時代になった結果か?

 

今朝は六時過ぎの目覚めだった。昨晩眠りについたのは25時頃か、深夜に束の間の目覚めがあり遅い起床となったようだ。

今日は「チンジャオロースー」がメイン。さりとて出来合のパック品だ、ピーマンと筍を細切にして炒めるだけのこと。

                      

これと「春雨と野菜(オクラ・人参・キャベツ)のサラダ」「小ジャガイモの煮っ転がし」「卵焼き」以上であった。

                    

弁当の方も十年一日の如く、進化も変化もない。神祭の風習の変わり様の年月からすれば、今しばらくはこのままで、良しとするか・・・。

                       

 

 

 

 

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