8/25(火) 窓を開けて寝た。明け方から涼しくなり、体が冷えた。すっかり体調不良となるが、冷えた所為か昨夜の酒の所為か、それともダブルか~。
昨夕、かって勤務した横須賀の研究所を訪問。ここの現在のトップを訪ねた次第。最近の研究の動向等を聞かせてもらい、早々に汐入の店を目指したが、何と店が判らん。
諦めて、ドブ板通りから海軍カレーですっかり有名になった「魚藍亭」に向かう。ドブ板通りが、水兵さんであろう米国人で賑わっている。艦が入港したのか、珍しく人出であった。
魚藍亭の女将も何年か前、急逝された聞く。横須賀に勤務した頃はよく使った店で、女将さんとも親しく話をしたし、此処のご主人とは幾つかの会で一緒だった。
そう云えば、街に向う車の中、顔見知りの運転手が仲間の「勝っちゃん」が三年ほど前に肺癌で逝ったと聞かせてくれた。「勝っちゃん」は、気の良い男で、私は彼の運転する車になるべく乗るようにしていた。私が、転勤する時「もう行っちゃうんですか、残念ですね」等と云い、久里浜駅前の立ち飲みに一緒に行く約束は果たせず終いとなった。
色んな人たちが、何時の間にか居なくなってしまう。
魚藍亭で一杯やった後、横須賀中央の駅前にある店「かすみ」を訪ねた。(駅前と云っても、薄暗く入組んだ路地の片隅に在る)横須賀に来る度、立ち寄る店。
「かすみ」とは儚げで、憂いを感じる美しい名前であるが、間口三間、奥行き一間半ばかりのカウンターだけの狭い店である。
この店、やはり数年前に癌で亡くなった横塚さんが連れて行ってくれた店である。横塚さんのことを話す、偲ぶために立ち寄る。
ましてや、今夜は魚藍亭の女将や、運転手の勝っちゃんが亡くなったことを聞いた後のこと。若しや、「かすみ」のカウンターを一人で取り仕切っている婆さんがポックリ逝った後、なんてことがあるかもしれない。
「婆さん達者でいたかい」と伝法な口を利きながら戸を引くと、すっかり大婆さんになって、かなり耄碌をしたようだが、しっかり生きていた。
酔っ払いの客が一人、カウンターにうつ伏せになっている。婆さんは、腰が痛いと座り込んでいる。歳も九十に近いんじゃないかと思うが、中々本当のことは云わん。
安酒を飲みながら、何時もの話。横さんがどうしたの、俺の後輩で四国に帰ったKが、隣のキャバレーに料金の交渉に行ってどうしたの・・・死んだ亭主が禄でもない、息子がどうした、ひ孫が出来たの・・・。ああ~もう帰る時間だ。
焼酎で痺れた頭を振りフリ、電車に乗ったはいいが、やっぱり乗り過ごす・・・。
今朝の寝覚めがよくないのも、無理もない。とは云え、弁当つくりが待っている。
三色弁当にしたかったが、一色の食材が決まらない。諦めてふつ~の弁当にする。
米三合半を炊き、お菜はミニハンバーグ、豚肉と野菜の炒め物、ペンネと人参・パプリカの温サラダ。
ハンバーグは、日曜日に10数個作り冷凍した。先週末のハンバーガー用の失敗を省み、敢えて日曜日にチャレンジした。(暇だね~、この他にオカラ煮もやってみたが・・・)
豚三枚肉と玉葱・椎茸を焼肉のタレで炒める。ペンネと人参・パプリカを茹で、オリーブ油と酢・塩胡椒、マヨネーズ少々の味付け。
今日の弁当は、四人前。私は、オニギリとお菜にした。(会社に弁当箱が溜まり、持ち帰り荷物が堪らん)
不調にしては、よく頑張った