オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

深夜ラジオを聴きながら・・・

2020-09-30 | 弁当

9/30(水)日付も変わった深夜三時半に目覚める。何時もの習慣になっているが、前夜の消灯が十一時と早かったので頭も体もすっきりとした目覚めである。

目覚める前、しょうもない夢を見ていたがそれで現実に戻り目覚めたのかも?。このまま朝を迎えて、朝食を済ませてから帰京するKISHIMOTO大兄を安田駅に送ることになろう。

昨日は小雨が降ったり止んだりであったが、大兄を室戸岬に案内し弘法大師所縁の場所や岬の上の灯台、八十八ケ所巡礼の24番札所となる最御崎寺から室津港の直ぐ上に在る津照寺(25番札所)の長い石段を上って参拝した。

         

大師修行の場と伝えられる洞窟は落石注意となり今は入ることが出来ない。日光のいろは坂(行ったことはないが)のように曲がりくねった坂道の先端に在る灯台は先日の激雨ですぐ手前の道が崩れて通行止めになっていた。

                

灯台の一部が僅かに見える位置から写真を撮ってから、灯台への入り口にあたる手前に在る「最御崎寺」に参拝したのである。

             

帰路、室津港の直ぐ上に建つ25番札所とな津照寺の急な石段を登って参拝した次第。参拝して何を祈るでもないが、我が家の旦那寺「北寺」と同じ真言宗智山派の寺寺である。父母や祖父母の浄土での安寧を願うばかり。

                

津照寺の急な石段で掻いた汗を、帰路になる「たのたの温泉」でサッパリと流し、安田川沿いの「豆電球」に立ち寄ってコーヒー。一昨日に頂いた手長エビの礼を兼ねての立ち寄りであったが、初見の店主に大兄も丁重な礼を言っていた。

大兄は今朝、9:03分安田駅発の電車で帰る。次回、顔を合わせるのは何時のことになろうか・・・。せめて旅発つ日の朝飯ぐらいは簡素であっても丁重に作りたい。時間は十分にあるのだから。

 

 

 

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深まる秋の夜更けに・・・

2020-09-29 | 弁当

9/28(月)深夜の三時、もう日付は変わって29日になっているが気分は28日の月曜日のままにいる。ベランダから深夜の夜空を見上げたが、雲が広がり星々も月も見せてくれない。

日曜日はK大兄を高知駅で迎えて夕餉は部屋で、昨夕は庭先で早い時間からBBQをしながらの歓談。声もなくノロノロと移動する蛙の姿とは裏腹に、姿は見せぬが秋虫の鳴く声、夜の帳とともに忍びよる冷気に深まりゆく秋を身に纏った。

日曜日の正午過ぎ、高知駅で迎えた大兄と駅前に建つ幕末「土佐三有志」(中岡・坂本・武市)の像を尻目に、「日曜市」からひろめ市場へと案内した。

             

日曜市は出店も人出も少なく寂しい限り。ひろめ市場も入場数を少なくしているので往時の活況がない。

帰宅してからの夕餉は「安田川の幸」と名付けた、「鮎塩焼き・手長エビの煮つけ&唐揚げ・ミミなしの煮付け・モクズカニ汁」を供した。

          

鮎は妹から、手長エビは豆電球の店主、ミミナシは従姉の旦那、カニは従兄からと、全て他人様任せの食材ながら調理は小生である。

遅い夕餉となったが土佐の田舎寿司(巻き寿司)に、お酒は「南大吟醸」と、全て地元・安田町の物である。

             

夕餉の後は大兄のリクエストで「正弘橋」の上から夜空の星を眺めた次第。

一夜明けた今日(28日)は、老と大兄をミカン畑での焚火&焼芋に先に送り出してから「鮎寿司」と「猪鍋」を仕込んだ。前夜から塩抜きした「イタドリ」は、BBQを早くからスタートしたので従姉に煮てもらぅことになったが。

              

遅れて畑に行くと焼芋は生焼け!、持って行ったあんこ餅を焼と焦がしながらも美味いと喜んだ。

栗が小さいながらも落ちていたが、例年より早い。例年であれば十月の初旬からだが・・・今年は秋の深まりが早いようだ。柿も色付き初めていたので味見をした。この様子なら冬も駆け足でやって来そうだ。

焚火の傍ら、大兄にスモーク用に桜の枝をチップにしてもらった。

           

家に戻り、秋の夕は鶴瓶落としと早い時間からBBQを始めることにした。午前中に仕込んだ猪鍋・鮎寿司に新米のオムスビなどである。従姉に頼んだ「イタドリ煮」も届きビールに焼酎ハイとやっていると、妹が獲れたての鮎をバケツに入れたまま届けてくれた。

           

庭先から部屋に戻り、土佐鶴の原酒を大兄と飲み酔いがまわった。二十二時過ぎに眠った結果、深夜に目覚めることとなったのだ。

 

余談だが、今年の朝顔の種を試しに播いてあった。その種から短いながら蔓になって花が咲いた。これには驚き!。もっと早くに播けば面白かったのだが・・・。

                 

 

 

 

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天気予報が・・・

2020-09-26 | 弁当

9/26(土)木曜日の深夜に目覚めると、雨音がしていた。その雨音が激しくなるばかりでTVを点けると室戸地方に洪水・集中豪雨の警報が出ていた。記録的な豪雨と!。

この日の夕前にミカン畑で残った草刈りを済ませておいてよかった。

明けた金曜日は晴れの予報と前日に出ていたのが一転して雨と曇り。は降らなかっ午前中は降らなかったので川の様子を見に行くと増水して濁っている。思いがけない雨と増水であった。

            

川岸や田圃の周りには彼岸花が咲き誇り秋の深まりを実感する。何時のまにや我が家の庭にも数輪の彼岸花が・・・。

          

季節の巡りは足早で朝晩は肌寒くなっている。蛙は鳴くことを止め、山里に響くのは虫の声だけになった。

 

土曜日の今日は昼前から掃除!。明日、KISHIMOTO大兄が横浜から遊びに来てくれる。布団も干したかったが、今日も一日曇り空である。

大兄は新幹線で早朝に横浜を出て、高知駅着は正午過ぎの予定。駅で合流し、日曜市などを見てもらい「ひろめ市場」でビールでも飲る予定だ。

高知で自慢できるのは「日曜市」がベストと思っているで、高知駅に直接来てもらい、そこから案内することにした次第。

 

掃除を終えてから「いなかじかん」でコーヒーを飲んでから食品の買い出しに安芸市まで。

夕餉は冷蔵庫で眠っていた豚で「トンカツ&オクラ・椎茸フライ」、買ってきた塩秋刀魚に刺身。飲み物は「栗焼酎」にした。ご飯は、妹の処の美味い新米を昨日から頂いている。

             

大兄を迎える明日からは何を食すか?田舎故にろくな食材がない。田舎らしい食材で、田舎暮らしを味わって頂くに如かずか?。

 

 

 

 

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秋の夜は更け・・・

2020-09-24 | 弁当

9/24(木) 今夜もまた深夜に目覚めている。暇人故に、何時寝ようが起きようがいいのだが・・・。昼夜は転倒していないが、深夜の目覚めが習慣になってしまった。

五時のサイレンを聞いて暫くすると眠れりが訪れ、七時頃に目覚めるはずだ。

昨日は午後に姪の店「いなかじかん」でアイスコーヒーを飲み、夕方になって一昨日に刈り残したミカン畑の草刈りを済ませた。これで今週予定の作業は一応終わったが、野菜を植える準備はこれからである。

         

秋の気配とともに雨がつづいたので、川遊びの方はすっかりご無沙汰してしまった。この四連休、安田川は釣り師たちが跋扈していた。不漁の鮎が更に減ったことであろう。

一昨日、従姉の旦那が出漁すると云うので無免許所返納した旦那を九時過ぎに漁場に送り、午後三時半に迎えに行った。獲物を全て置いて帰ったが、十三匹。名人の旦那がこの程度しか獲っていないのだ。

鮎形は大きくなっているが、漁獲は例年の半分だろう。そんな次第で私に届く鮎も例年の十分の一と云う処。これから来高する諸兄用に若干の備蓄も必要なので、在京の友人たちにお裾分けできないでいる。

とかなんとか言いながら、獲れたての鮎は美味い!。で、五一昨日は塩焼きにして老と一匹づつ夕餉で頂いた。子持ちになり脂ものってきて旨い!。

               

眠くなるまで未だ時間がある。朝食のメニューでも考えることにしよう。

栗ご飯を少々炊いて、胡瓜と茗荷の酢物に鮭切り身を焼いて味噌汁。他には卵焼き?それともベーコンエッグ?野菜サラダ。フルーツは止めてミルクセーキ?かな。

夜更けと云うよりは既に夜明け前、こんなことを考えている私はやっぱ暇人である・・・。

 

 

 

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秋空高く!

2020-09-21 | 弁当

9/21(月) BLOGを記すのも数日ぶりなら、今日の抜けるような青空も久しぶりに思える。爽やかに一日を過ごした夕は庭先でビールでした。冷え冷えのビールが美味かった。

                 

と、云うのも昼前から伸びに伸びた畑の草を取り家の周りの草も引いて、終わったのは16時前でした。如何にノンビリと草取りを楽しんだことであろうか。

草取りを終えた畝に残っているのは分葱、オクラ、落花生にバジル、いずれもほんの少しであるが。オクラの葉には虫が葉を食べているし、雨蛙が乗っている。虫は退治するの如かず、蛙はムシすることにした。

          

草を取りながら思ったこと一つ、昔の爺婆の腰の曲っていたのを思い出した。前から悪い右膝に加えて左膝まで痛くなりしゃがむのが辛い。そんな姿で草取りをすると腰を曲げるしかないのだ。

そこで、昔のお年寄りが腰曲がりになるわけを理解したのであります。腰曲がりは働き者の結果であると!。私は働き者でないので腰曲がりにはなりませんよ。気質と同様に膝は曲がっても・・・!

 

大した作業はしていないが予定通りのことが出来ると気持ちがいい。で、早々と庭先でビールとなり、未だが暮れない西空の三日月を愛でる。

すっかり暮れた今、満天の星空になっている。星を、天の川を見たいというK大兄に見せたいね・・・。山間の狭い空ながらも、星々の輝きに心洗われす。星を眺めたい、焚火をしたい、BBQしたい、草刈りをして汗をかきたい、田舎の食い物を食したい、川遊びしたい、なんでもなんでもしてみたい方はいらっしゃい 

安田川の流れは今日も穏やか、投網を打つ老爺もいれば鮎友掛けの太公望も竿を出しています。釣果の程はしらないが・・・・。

              

 

明日はミカン畑の草刈りをしたいと思っているが、今日の疲れが残ってなければだネ!。

 

 

 

 

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道の駅「大山」

2020-09-17 | 弁当

9/17(木)朝から降ったり止んだりしていた雨が、昼前になって激しくなった。明日に掛けて相当の雨量になるとの予報であるが?。

秋雨前線の影響で外での作業はしない、やる気も起きない・・・。こんな日は寝転んで本のページを捲るか、ボートレース遊びに興じるかである。

 

昨日はUSUI老を町の歯医者まで送り、豆電球でコーヒーを飲みながら治療の終りを待った。そしてボートレース遊びに行ったが惨敗!。こんな日もあるさ、じゃなくて、こんなことの繰り返し。負けようが勝とうがサバサバしたもんである。

帰りに、道の駅「大山」 -ここは安芸市内から我が家への中間地点になるーで、アイスクリン(アイスクリームとはちょっと味が異なる)を食べて眼下の小さな漁港まで下りた。品物はほとんどないに等しい道の駅だが、こうして時々立寄る。が、港まで下りたのは初めてであった。

            

     

元の道路はこの池のような漁港の直ぐそばを通っていた。波が荒いと道路に掛るような難所だったが、上の方に国道が出来て更に上にトンネルまでできたので道の駅は寂れた。

            

余談ながら・・・

何時だったか、父が亡くなってからのことだが、母がポツリと言った言葉。「お父さんが予科練に行くというので、大山岬でお別れをした」と云う言葉を、この小さな岬を通るたびに思い出すのである。

河野池と呼んだ当時とは港は小さいながらも整備されて整っている。江戸時代初期の藩家老「野中兼山」の事跡と聞いている。兼山は数多の事跡を残したがその後失脚、一家は四十年に渡り幽閉される。四歳で幽閉の身となったその娘、婉を高知出身の作家・大原冨枝さんが「婉という女」のタイトルで文芸小説を書いている。

この岬を通るたびに父母のこと、兼山、そして婉のことが脳裏を巡るのである。

雨の日はこんなしょうもないことが思い出される。

庭の花は、朝顔は粗終わり木槿とサンパラソルと、百日紅がほのかに見えている。秋の気配が濃厚な朝であったが、金魚たちは餌を求めて寄ってきた。

          

昨夕は、鯖塩焼き&ソテーと生姜焼きの夕餉であった。今夜はなにを食すべきか・・・。

           

 

今月下旬、横浜からKISHIMOTO大兄が「川で釣り竿をだし、ミカン畑の焚火、星空を眺める」を目的に山里を訪ねてくれる予定。十月十二日に佐賀・地球市民の会副理事長ONO氏が来高、下旬二十四~二十五日と人形町から二人が見える予定であるが?である。

自粛要請の鍵が開いたようなので千客万来。奈加野のオヤジなんぞはそのうちに夜逃げしてくると言っている。大いに結構である。

 

 

 

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晴れた日は・・・

2020-09-14 | 弁当

9/14(月)朝から陽ざしあり、久々にすっきりとした一日であった。そんな日は庭先で夕餉である。

             

天気が回復した今日は、庭の草取りと野菜畑の草取りを済ませたいと思っていたが・・・。先ずは近場からと花壇のある庭の手入れから始めることにした。

11時頃から始めて三時までに庭も野菜の畝も草取りを済ませるつもりであった・・・。庭の草取りと掃除、僅かな剪定で三時になっていた。なんというノロマであろうか。

シャワーを浴びて、四時に出る郵便に間に合わせるために徳島の先輩への礼状(すだち)認めた。

 

朝夕がめっきりと秋めいてきた。山里ゆえに季節の移ろいを肌身が早くに感じる。今朝の六時写真と夕の六時と六時半の写真を比べると夕の方が暗く感じる。釣瓶落としの秋が日々濃くなっている。

           

  

夕餉の支度前に正弘橋の上から川の様子を見てきた。昨日の朝は薄濁りで川底が見えなかった川が、今日は川底の石が見えるまでに回復していた。夕から曇が広がったこともあり爽やかであった!。 

             

 

かくして今日も、山里の一日が過ぎて行くのです・・・。

 

 

 

 

 

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日々変化なし

2020-09-13 | 弁当

9/13(日) 気が付けば今日は日曜日!、日々が休日の私にとっては何曜日であろうが関係なきに等しいが・・・。

嫌になるくらい日々変わりなく暇、暇暇のオンパレードである。畑や庭の手入れや掃除・洗濯に飯つくりとやるべきことはあるが、そんなもんは何時でもできるし、その気になった時にやればいい。こんなものは生産活動ではない。遊びである。

されど、斯様な日々が果てしなく続きそうである。もう焦りのようなものはないが、さりとて割り切れるものでもない。未だ、我が行く末や如何にの思ひ断てず・・・。

年内の帰京は難しそうだし、帰っても家に籠って過ごすようでは意味がない。どうせ意味がないならどこで暮らそうが同じこと。と云うことでこの、この山里で来春までは暮らします。諸氏の来高を歓迎します。

 

で、面白くもないがここ数日の夕餉など写真で紹介します。

       

鰻は一昨日、老がボートレースで儲かったので魚屋で白焼を買って、家で焼きなおして自家製タレで食した。

            

昨夜は目先を変えてパスタをメインにした。そして、今夕は「秋刀魚」であった。「すだち」を先輩方から沢山届いたので、焼魚である。

          

外食は好まない、それ故に家飯が圧倒的に多いのだ。反省は生ごみが多すぎること。食材の無駄が多すぎる!。

昼食は摂らないが、朝食の量が多いので十分である。朝はパン又はご飯だが、3~4品の菜にスープか味噌汁、生野菜と生ジュースが付く。過食だねぇ~。

週に2~3回は外でコーヒーを飲むが、姪の店「いなかじかん」か「豆電球」である。

           

 

明日は天気が良さそうなので、ミカン畑の草刈り?野菜畑で草取り?。どうするかは夜が明けてから決めよう・・・。

 

 

 

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秋の長雨に浮かぶことは・・・

2020-09-10 | 弁当

9/10(木)昨日の午前中も雨であったが、今日も深夜から朝方まで雨であった。大雨ではないが秋の雨特有の季節の変わり目が予見される長雨である。

今日は昼前の今になって気温が上がってきたが、昨日一日と今朝がたまでは涼しさを通り越して肌寒い思いをしていた。

そんな肌寒さ故か、起床前に思い出されたのはナチュラル時代に席を置いて若干のアルバイト代を出していた川本君のことである。

ナチュラルと云う会社が消滅し、人形町に在ったそれまでの事務所もなくなった。スタッフは統合された会社のある東京駅前の事務所に移ったが、川本君は継続雇用されていないはずだから・・・。

一時、ナチュラルの正規のスタッフであったことから辞めたあとも彼の要望で席とPCの環境は残していた。そして朝晩の雑用で最低限の暮らしだけはできるようにしてあったが。

一日を100円~200円の食費で賄い、昔からの古アパートの三畳間辺りに暮らしている彼は、今も夏冬をYシャツ一枚で過ごしていることであろう。

昼間は住まいに近い法政大学の情報系研究室に通っているとのことだったが、今となっては定かでない。十年も前のことか、その授業料が払えないとのことで、私とHIROさんで貸したことがあるので大学には行っていた。

偶に聞くと「研究成果でナチュラルのためになることを、成果をだします」と、独特の笑顔?で応える年齢不詳の変な男であった。勿論、私は年齢を承知していたが・・・五十半ばになろうか。

暮らしは彼の問題であって立ちいることはしなかったが、貧乏であることは確かだ。その彼が今どうしているのかと気掛かりになった。

そんなことで朝食後、YOSHIOに電話した。YOSHIOは彼と話をする唯一の人間であった。

案の定か、事務所移転を契機に川本君の居場所はなくなり姿が見えなくなったので、消息は不明とのことであった。

「神楽坂のアパートで骨になってるんじゃないか?住所は分るはずだから折を見て訪ねてくれないか」と言ってはみたが、YOSHIOも我が身のことで多忙である。

斯様に余計なことが浮かぶのも、田舎暮らしの暇人故であろう。探してみても詮無いことであるのに・・・。

 

昨日の雨が上がった午後、部屋掃除を終えてから姪が始めた「いなかじかん」なる週二日のランチタイム営業の店にてコーヒーを飲んだ。丁度客足が途絶えた時間帯である。

これまではアイスコーヒーばかりであったが久々にホットにした。川を眺めるカウンター席で独りコーヒー。老は鼾をかいて寝ていたので声を掛けなかった。

              

 

今日も予定なし、長雨が終われば秋に植える野菜の準備をするが。来週あたりにはミカン畑の端にある秋茗荷が採れるかな!。

 

 

 

 

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秋の気配が・・・

2020-09-08 | 弁当

9/8(火)朝、五時過ぎに目覚めて六時前にすぐそばの安田川に架かる正弘橋へと行く。道を見ると夜中に雨が降ったようだが気付かなかった。

橋の上から川を、そして朝靄の中に浮かぶ山並みを空を眺めてひと時を過ごした。秋の気配が濃厚で気持ちのいい朝、今日の晴朗な天気を予見さした。

川の水は予想より遥かに少なく、30~40センチの増水であった。数日前からの天気予報で大洪水を予想していたのだが・・・。

            

午後、安田の町まで出掛けて支払いを済ませた帰り、途中の「豆電球」に立ち寄り煙草の吸える外の席でアイスコーヒーを飲みながら川を眺める。

ここから眺める流れがたおやかで好きなのだ。上流下流、そして目前の流れを楽しみながらひと時を過ごした。

          

店主のSHUUKICHI君と半世紀以上も前の山里の記憶を辿りながら懐かしむ。十八歳でこの里を離れた私にはそれ以降の記憶はないに等しいので、どうしても古い思い出を辿ることになる。

正弘橋が未だ吊り橋だった頃のこと。今ではとても無理だが(浅くなり)、吊り橋から川に飛び込んでいたこと。大心劇場の前身である中山映劇は橋の袂に在りSHUUKICHI君の父が経営していた。その当時のことなど飽きもしないで語りあうのであった。

 

そんな一日の夕餉は秋の気配がする庭先で摂ることにした。今日のメニューは当初の予定を変更して「鮎姿すし&塩焼き」「掻揚&野菜天婦羅」に茄子&胡瓜の酢の物、茄子&オクラ・椎茸煮物になった。

午後に鮎を従姉から貰ったので、当初予定していたアフィージョやパスタを変更した次第。

         

従姉たちが夕食に来ることも想定し、掻揚や野菜天はをてんこ盛りに用意したが・・・。一人は腹具合が不調、鮎の従姉は車が来たのでと帰った。

 

 

 

 

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