オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

雨の日に・・・

2019-10-29 | 弁当

10/29(火) 朝からの雨となった。雨だが今日の午後、老人ホームに居るはずの伯父を二年ぶりに訪ねることにしていた。前々から訪ねねばと思いながらも延び延びにしていた。我が杜撰さ故に・・・。

降る雨の中、富士見台駅に降りた。ホームはここからほど近いところに在る。以前は毎月のように訪ねた道である。短い時間ながらどんな様子かと思いめぐらし・・・、前より元気になっているはずもないが私のことを覚えているだろうか?目は見えているか、耳は聞こえるかなどと。

通いなれたとも云える老人ホームの妙に静かな玄関でスリッパに履き替えて二階の居室に向かった。二階のステーションでスタッフに声を掛け、伯父の名を伝えた。

と、その名前の方は居ませんとの返事が返ってきた。何時からかと訊くと、下の事務所で聞いてくれと言う。事務所の窓口で来訪の訳を言い、伯父のことを聞いた。2~3年前に退所しましたとの応えが・・・。

退所したとの応えばかりで詳しいことは教えてくれない。亡くなっての退所か、転院なのかはっきりしない。こう云う施設は個人情報管理が徹底しており、電話の問い合わせは勿論、訪問しても詳しいことは教えないと承知はしていたが・・・。

伯父には私より一つ下の息子がいる。三大新聞社の一つで常務執行役員まで勤めたが、その後のことは知らない。何かあれば連絡があると思うが・・・?。伯父が生きていれば白寿に近い年齢である。これからは、安否不明ながら安らかにと願うばかり。

 

そんな今朝の弁当は、焼肉&生姜焼きなどであった。小松菜の煮浸し、粕漬焼き、卵焼きであった。

         

小さな弁当箱に収めるのは骨が折れる量である。牛カルビの焼肉はご飯の上に載せて焼肉丼にせざるを得なかった。

            

焼肉が美味しかった!、との報告は長女からである。

明日の夜は、サラリーマン時代の東京支社広報宣伝部で席を同じくしたメンバー四人と歓談する。店をどこにしようかとAJIRO氏から連絡をもらい、馴染の人形町にした。「うまし」で合流することにした。

明日のメンバーとは、三十年前からの付き合いである。どんな話になるのやら・・・。

 

 

 

 

 

 

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曲げわっぱ弁当箱・・・

2019-10-28 | 弁当

10/28(月) 今日の弁当は一つだけであった。と云うのも、家人が看護学校時代の同窓会で昨日から泊まりで横浜に出掛けており今夕まで帰宅しない。近所に住む長女の弁当一つを作ることになった。

食材は在庫品が殆どで、弁当用に昨日買ったのは「メカジキ」一切れである。早く消費しなければならないありものでメニューを構成した。

「メカジキ」はバターソテーし、同じくソテーしたホウレン草を添えた。モヤシが残っているので、これは茹でてゴマ油で和えた。胡瓜は揉んで紫蘇・針生姜を加えた酢物に。肉系がないので豚スライスを、人参・インゲンを巻いてソテー。魚は粕漬をフライパンで焼いたものに。そして定番の卵焼きである。

         

ご飯は鮭を焼いてまぶした「鮭飯」と云う次第。昨夜の一人飯で作った「掻揚&野菜天」が残っているのでこれも少し加えたくなる。何しろ、今日の弁当は一つだけだから・・・、丁寧に見栄えよく、かつ豪華風に?。

               

そんなことを思いながら弁当を作っていると、学校に向かう途中の孫娘SORAが寄った。「ニイサン、今日は家に居るの?」と訊く。『今日は用があるので夕方から居ないよ!』と応えると、なんで居ないのよ!と、怒って学校に向かった。今夕は「奈加野」で高校時代からの友人KATO&MATUMOTOに会う約束なのだ。

そんなSORAを見送り、弁当の仕上げになった。品数が多いので何時もの弁当箱には収まり切らない。久々にとっておきの我が弁当箱、曲げわっぱの二段重ねを使うことにした次第。問題は、長女は減量作戦続行中なのだが・・・。ながら、我が遊び事を優先した次第。

朝の遊びごとの後は朝食タイム、何時ものように缶ビールを取り出して一人飯である。TVで今朝まで順延のゴルフ中継を見ながら。Oh!優雅なる朝の一コマさ・・・。

弁当を取りに寄った長女に『冷蔵庫に土曜に打った蕎麦があるから食べてよ。茹でる時にまぜちゃだめだよ』と伝える。

 

そうなんだよ、土曜日は日本橋粉の会が主催する蕎麦打ち会に参加したのだ。多分、これで蕎麦打ち会も最後になろうと思いつつ・・・。

            

蕎麦打ちを教わり(手順などは直ぐに忘れるが)、その外の試食会と称する飲み会が珍しく遅くまでつづいた。ビールから差し入れの日本酒・焼酎と次々にでてきた。五時に「うまし」に顔を出す予定が六時前になった。

            

「うまし」で一人酒をしながら、日曜日の競馬「天皇賞」の話をしていると・・・。「高松」の女将がバイトのTAGOちゃんと姿を見せた。二週間ほど前、同じようなシチュエーションで旦那に会っている。

そして、程なく「中華三浦」の店主夫妻が現れた。蕎麦と中華の両隣から、日本酒を注がれる。蕎麦打ち会からの酒に加えての攻勢であった。すっかり酩酊!勘定を忘れたように思うが・・・。

これで真っすぐに帰ればいいのだが・・・、店仕舞いを終えた「ちょっぷく」に寄ってしまった。

この夜、どうにか帰宅したがリビングの椅子で夜中まで眠り込んでまった。翌朝の体調が優れないのは云うまでもないが、朝のビールだけは欠かさなかった。

斯様な日曜、午後、同窓会に出掛ける家人を見送り渋谷へと出た。ハローウィンの仮想に行ったわけじゃないよ。場外馬券売り場までさ。天皇賞の馬券を買ったが・・・結果は如何に!。

夜は一人飯ながら前日に打った蕎麦がある。正真正銘の手打ちそばである!。蕎麦には天婦羅が似合う!。一人飯ながら「掻揚と野菜天プラ」を揚げることにした。茄子・オクラ・椎茸・大葉・サツマイモの野菜天になった。

弁当の菜を買うために寄った魚屋の店先に、旨そうな生ニシンがあったので焼くことにした。

かくして、てんこ盛りの揚げ物が出来上がった。一人前の蕎麦を茹で、静かなる夕餉となった次第。

             

 

 

 

 

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カツ煮&秋鮭バターソテー

2019-10-25 | 弁当

10/25(金) 早朝に昨日のBLOGの仕上げをしたが、今日の弁当も朝飯も済ませた今、家人から頼まれた宅配便を待ちながら今朝の弁当をアップすることにした。

今日の弁当は「カツ煮」がメインだが、トンカツは昨夜の帰宅時に駅脇に在るサボテンのカツである。これに秋鮭と、昨日島根館で買った肉厚の椎茸(高いんだよ!)&ホウレン草のバターソテー。これだけではちょっと淋しいと、卵焼きとタラコを加えた。

             

弁当を詰め終えて、味見がてらの朝ごはんタイムに突入。相変わらずビールを飲みながら・・・。

              

カツ煮のカツが豆腐を噛むような柔らかさ。これって合成肉じゃないか?、旨味なし。菜は全部、味付けが濃い。少々濃すぎるが、ビールの摘みには丁度かも。だから毎朝ビールか!。

 

昨夜の帰路から降り出した雨が、今はひとしきり強くなった。こんな日は部屋に垂れこめて本でも読んで過ごすのが一番。稼ぎのない素浪人の特権だが・・・。午後にメガネを注文に外出予定が、そして人形町でHOYA兄いと一杯?で済むわけはないが「三貴」なる店で落ち合うことになっている。

今夜も元気に飲まねばならぬ、現役の連中に負けぬように!。明日の土曜日、多分最後になるであろう日本橋粉の会が主催する「蕎麦打ち会」に参加する。そして飲む、終わった後も「うまし」あたりで飲むことになろう・・・・。

 

 

 

 

 

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日々、之あり!

2019-10-24 | 弁当

10/24(木) 今朝も弁当を作り終えた後の朝食は残り物と缶ビールが一つであった。何時もと変わらぬ朝の習慣。然し斯様な日々も余すところ二週間ばかりとなった・・・。

昨日の昼、佐賀から上京しているNAKAMIZOさんにお会いし、恵比寿駅アトレの六階でランチをご一緒した。普段は摂らぬ昼食だが、ご相伴しなければ。白ワインを一杯だけ頂きながら、佐賀のことなどを聞く。

ビッグニュースは、インドに駐在している子息のDAISUKE君が結婚するとのことだ。彼の地で知り合った日本女性だと、一時帰国して一緒に里帰りした折に撮ったスマホの写真を見せてくれた。

「よかったですね」と、その写真を見ながらDAISUKEも立派になったと思った。「NPO地球市民の会」との関りから、ガッツ溢れる彼を学生時代から知っている。故古賀武夫さんの英語・空手の愛弟子であり師を敬愛していた。

二時間程ランチタイムを楽しみ、一旦帰宅後、準備を整えて渋谷「奈加野」に向かった。夕刻から取引先であった香川の印刷会社の社長や前東京営業所長さんとの懇談のため。前所長のSUNAYAMAさんとはAD時代に後輩の紹介で知った。かれこれ三十年前のことになる。

そんなことから、SUNAYAMAさんが所長を定年退任して香川の本社に戻ったと聞き、機会があれば慰労したいと思っていた。今回、社長と一緒に上京するとのことで昨夜の小宴となった次第。

二代目の若社長がプライベートから仕事のことと大いに喋り、賑やかな宴となった。電信電話記念日のOB懇談会にも参加しない10月23日は斯様に過ぎていった。

 ここまで書いて外出時間となった。続きは、翌早朝(10/25)に書き始めた。この日は昼から池袋で飲み始めて、人形町で締めくくった。長が、時間の酒場で飲み疲れ!。

 この日、12:30分に待ち合わせの池袋でKIYOTAさん、TAKAHASHI君、USUI老と合流。小生の帰郷送別会を口実に居酒屋で昼酒が始まったのだ。

KIYOTAさんはAD時代の我らの上司、過ぎ去りし日の失敗やドジッた話で盛り上がり笑いっぱなしの二時間を過ごした。仕上げはギネスを飲むために店探して流離うも時間が早くて空いていない。とうとう西武デパートの8階レストラン街まで流れたが・・・。

どの店もギネスを置いてない。諦めかけたころ・・・。八階の店内案内所にいたスタッフが追いかけてきて、屋上のガーデン屋台に置いている店があると知らせてくれた。そして、わざわざ一階上の店まで案内下さった。

野球はおろか、ゴルフでもやれそうなだだっ広い屋上に客の姿はなく、風が吹き抜ける曇り空の下で寒々としていた。それでも漸く探し求めたギネスの瓶ビールに辿り着き、寒空の下で乾杯!。

        

KIYOTAさんと飲むと必ずギネスとなる。かくして目的を達し、三時半に散会となった。

散会した後、USUI老が「人形町へ行こうよ」と誘うのであった・・・。老は先のベッタラ市期間は風邪を引いて寝込んでいた。その反動で馴染みの街に顔出ししたがったのだ。

誘われればノーと云えない。店店が開く五時前、三越前に着いた。店が開くまでの時間つぶしに界隈に在る「島根館」から新潟、富山とアンテナショップを覗いて少々の買い物をした。そして口切は「高松」へ、そこから初めての「おばんざい 三貴」なる店に寄った。最後は「ちょっぷく」で締めとなった。

帰宅は22時と早かったが、昼酒から始まったので些か草臥れたと云うのが実態。

 

この日の弁当は、茄子味噌炒め、豚バラのインゲン巻き焼き、粕漬焼き、ホウレン草の胡麻和えなど。

           

 

 

 

 

 

 

 

 

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鮎甘露煮

2019-10-23 | 弁当

10/23(水) カーテンを開けると昨日の天候がウソのように朝日が射す一日になっていた。要はそんな時間に目覚めたと云うことでもある。

前夜も深夜の一時ごろに目覚め、暫くは眠れずに布団に横たわっているだけであった。漸く眠りについた頃に夢、夢・夢の合間合間に目覚め、見ていた夢を反芻したりその意味を朧な頭の中で作り変えながら時が過ぎて、弁当作りに入る時間となっていた。家人に声を掛けられて目覚めた次第。

昨夕の食事に長女と次女の一家が来た。家人が「伊勢海老があるからおいで」と、大袈裟にも声を掛けた所為である。たった二匹の伊勢海老を一体何人で食べようというのだ?。

伊勢海老は田舎から帰京するときに私が送ったものである。家人は新聞紙にくるまれて冷凍で届いた中を確認もせずに四匹あると思い込んでいたのだ。バカやろ~メ。

姪の旦那RYOUが釣った伊勢海老である。田舎でも妹夫妻らと食したが、持って帰れと勧められて、今年最後の鮎と一緒に送ったのだ。

大小二匹の伊勢エビはオーブンで焼いた。他にトンカツやエビ・野菜フライ、餃子、鯖味噌煮と鮎を八匹焼いた。これで夕食となったが、鮎が四匹と鯖味噌煮が残ったので、今朝の弁当に使うことにした。

鯖味噌煮は温めて小骨を取って入れるだけだが、鮎の方は一手間かけて甘露煮にした次第である。醤油砂糖にハチミツを使った甘露煮である。頭と尻尾を落として弁当に入れたが・・・。

                           

弁当には定番の卵焼きと蒲鉾、しゃぶしゃぶ用豚をモヤシ&レタスで茹で、ゴマタレを掛けた。

             

以上が今朝の弁当である。

 

余談だが、東京を去る日が近くなり日々が慌ただしくなってきた。無呼吸症候群治療の受診の変更や、歯科受診。新しいメガネの購入etc。

何といっても忙しいのは夜の部だが・・・。親しい友人たちとの懇談、ご無沙汰続きの方へのアポイントと夜の付き合い。東京暮らしが長くなったことで、義理を果たすことが尽きない。最後は割り切るしかないが。

とかなんとか言っても、二~三か月に一度は東京に来る、来ざるを得ない用件がある。半ば永久に東京を去るわけにはいかないのだ。二~三年もしたら実家の整理もでき、所在ない田舎暮らしに飽きて東京に戻らざるを得ないだろう。その時は、これまでとは違う暮らしになるであろう。

 

 

 

 

 

 

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祭りの後・・・

2019-10-21 | 弁当

10/21(月) 10月19・20日の日本橋べったら市は、今年は土・日となり勤め人の姿は少なくて家族連れが目立った。その分、酒の売れ行きは落ちる。ナチュラル社のベッタラ市出店は、土日となった所為なのか有志でやることになっていた。

何時もどおりに猪と鹿肉の準備をしていたが、土日のこともあり肉も酒も量を減らしてくれとのリクエストだった。こっちはその他大勢、傍観者なので意見は挟まない。彼らの要望に応えるだけであるが・・・。

両日とも昼に現場に行ったが、小間数も一コマになり売り物も限定していた。会社の支援がないだけにご苦労である。手伝いもせずに訪れた知人や酒場仲間と昼酒を飲んで過ごした。

              

土曜日は「高松」が店を開けていたので四時間近く居座り友人・知人を相手に飲み続けたが・・・。次々に現れる知り合いを十人以上相手にしたが、八時になって眠くなり先に失礼した。前日から風邪ひきになり鼻水にクシャミが酷かったので風邪薬を飲んだ所為か?。

そう云えば、風邪ぴっきながら前夜は五反田から人形町と飲み歩いたのだ。今となっては、何処の店に入ったかも定かでないが・・・。五反田は覚えている、高知からの客人を交えて六人で「蔵や」で焼酎ソーダの金魚割だった。人形町に来てから何処で何を飲んだか?記憶なし。そんな日々が今暫く続く・・・。

祭りの終わった昨夜はラクビーを見ると云うので、店が休みの「うまし」にお邪魔してスタッフ三人と、うまし夫妻でTVを見たのだ。前半戦が終わった時点で「お先に!」をしたが。最寄り駅に着いて、弁当用の食材だけは忘れずに買ってから帰宅した。

傍観者である祭りは面白味にかけるのは致し方ないか。そんな二日間の祭りが終わった今朝、五時前に目覚めた。そして六時から台所に入った。

今日のメニューは、前夜に買った黒毛和牛の切り落としで「スキ焼煮」と、イワシが美味そうだったのでこいつを生姜醤油に浸して胡麻を振りフライパンで焼いた。これを大葉に包んで食すようにした。

そしてベッタラ市で買った魚久の粕漬切り落としをフライパンで焼く。卵焼きに竹輪胡瓜で今朝の弁当作りを締めた。

              

弁当箱二つに無理に詰め込んでも菜は残る。と云うことで我が朝飯にするに如かず。こってり系の菜となればビールが必然。今朝もそんなことであった。

           

 

今夜も人形町まで出掛けなくてはならぬのだ。会社のT君と会い、我が去りし後のご苦労を労い、懇談することになっている。店は「うまし」さんである。

 

 

 

 

 

 

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池袋の「野武士」なる夜!

2019-10-18 | 弁当

10/18(金)昨夜は池袋へ!。西口の飲み屋街を抜けた先に在る「野武士」でKISHIMOTO大兄にご馳走になった。帰りに飲み屋街にあるショットBARでギムレットとハイボールで仕上げとなった。

池袋の夜なら、青江三奈の「夜の池袋」と云うことになるが、その歌は野武士のカラオケでは誰も唄わなかった。大兄の友人、かつての仕事&酒場仲間である、お二人も現れてカラオケで盛り上がった。大兄は田舎暮らしを始める小生のためにケーキまで用意してくれていた!。焼酎から日本酒、ワインまで頂いて楽しく一夜を過ごした次第。感謝、深謝しかない。

           

心地よく飲んだ後は帰還であるが・・・。学芸大学駅まで直通があるメトロの副都心線に乗車し座った、そして眠り込んでいた。気が付くと、なんと綱島駅。学芸大学を遥か過ぎていた。

戻りの電車に乗ったが・・・、次に気が付くとなんと!池袋駅。メトロの終電であったのだ。JR池袋駅までとぼとぼと行くと、終電の大崎行がありホッとしたが・・・。何たる体たらくか。恵比寿駅で降りてタクシーでの帰還したが25時半を過ぎていた。

以上ながら、これはこれで致し方ない。悪いのは・・今朝、目覚めるとクシャミと鼻水が止まらない!。昨日が寒かった所為か風邪を引いてしまった。だらしないオヤジだぜ。

斯様にもだらしない男ながら、朝の弁当作りだけは忘れない。前日に買い物を済ませていた挽肉や魚の切り身で菜を作り始めたのは六時半前。ピーマンの肉詰め、カジキのバターソテー、オクラ&四方竹の天婦羅などである。

           

昨日と同様に二つの弁当を仕上げた。何気に旨そうな弁当じゃないか?。弁当を作り終えてから「イチジクの赤ワイン煮」作ってみた!。

                

 

帰京した翌日の昨日、弁当はタラコ&鮭焼き、オクラ&シメジの豚巻き、茄子味噌炒め、四方竹と鶏肉の煮物などであった。

           

弁当作りだけは欠かさずに続いているが、これも後、ひと月足らずのことである。

 

 

 

 

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帰京前夜

2019-10-15 | 弁当

10/15(火)明日の午後便で帰京する。帰京前日の今日、高知市内にある古い貸家を訪問した。今月初旬の台風で市内は強風と豪雨に見舞われた。その所為で屋根瓦が割れて雨漏りをしたとのことで修繕をすることになった。被害の状況確認などの為であった。貸家にせよ、実家にせよ、持家に伴う面倒事は尽きない・・・。

そんな前夜は妹夫妻、姪夫妻との食事を我が家で摂った。栗ご飯を炊き、豚肉の栗を入れた角や酢の物、刺身や煮物を用意した。姪の旦那が獲った伊勢海老なども並んで賑やかな食卓となった。

                

 

そして今夕、帰宅して暫くすると後輩のYから連絡を貰った。何かと思いきや、剣道部の大先輩である橋本武雄さんの訃報であった。橋本さんとの付き合いは、サリーマンになって二年目に再開した剣道場であった。当時、橋本さんは本社の係長で入社して間もない私からすると雲の上の存在であった。が、剣道と云う共通の場を通してフランクな交流ができた。

その後、橋本さんは地方で部長職や局長を務められて本社に戻られた。地方勤務の間も剣道大会を通じて交流が途絶えることはなかった。数年前、橋本さんは癌に侵されて闘病を続けながら大会の時は欠かさず顔を出されていた。一方私は、防具を付けないものが先輩面をする面映ゆさから足が遠のいた。

折に触れ、手紙や電話で顔出しするように誘われてきた。またご自身の病の様子を写真入りで知らせながら病と共存する旨を語っておられた。

ご無沙汰がつづいており、その後の様子が気がかかりであった。先日も如何されているかと思っていたのだが・・・。

明日が通夜だとのことで、帰京後、通夜式の開始には遅れるであろうが参列できるであろう・・・。我孫子駅にほど近いセレモニーホールとのことである。先輩であり兄貴のような存在に思っていた橋本武雄さんとのお別れに参ります。

 

かくして、先生方や先輩方との別れがつづく年齢になったと云うことであろう。合唱。

 

 

 

 

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田舎にて・・・

2019-10-14 | 弁当

10/13(日) 深夜に目覚めた。窓を開けると冷気が忍び込み体を冷やしてくれた。池に面した小さなベランダに出た。天空を見上げると、水面に乳白の絵の具を垂らしたような群雲の間に満月が・・・。

夕食を終えた後の夜空も、昼間の快晴とは変わりに薄雲が広がり西空に星一つ見えるだけであった。

先月には鳴り聞こえた庭先に虫の音はなく、遠くから聞こえてくる。そんな音にも秋の深まりを感じる。

一年前の今頃、東京からの後輩たちを迎えていた。今年は一人、つかの間を田舎で過ごしている。会社を離れたが、人形町恒例の「べったら市」(10月19・20日)で使うと云う猪や鹿の肉、清酒「南」を手配して送ってやるために。

今年のベッタラ市への出店は有志でやることになったとのこと。小間も一コマに縮小してやると云う。淋しい限りだが去った者としては如何ともしがたい。せめて食材と酒の協力をするだけである。

 

さて、この連休は台風19号襲来で列島中部から東は大きな被害が出たが、我が故郷はなんの影響もなかった。こんな非常時、何時も遠くにいるのが私である。彼の大震災の折も郷里に帰った日であった。とは言いながらも、家族や友人たちはその渦中にいる。非常事態を己だけ逃れて共有しないと云うのは如何なものかと思う次第である。

斯様なことを思いつつも、穏やかな川の流れに思いをはせ、栗を煮、舎弟が獲った鮎を食し、従兄に貰った川カニを味噌汁に仕立て食しビールを飲む日々である。なんと罰当たりのノー天気な日々よ・・・。

             

今日、といってももう日付は変わったが、朝から庭の手入れをした。気になっていた庭木の剪定を始めたのだ。一向にはかどらなかったが、幸いにも午後から妹夫妻が応援してくれて、三時過ぎはに終えることができた。草臥れた!。

シャワーの後、栗を二時間近くも剥いた。連休最後の今夕、妹夫妻に姪夫妻と夕食を摂ることになったので、栗ご飯と豚角煮に栗を入れたものを作るつもりで。栗の皮むき、なんでこんなに時間がかかるのか!と思いつつ。

 

たまさかに戻る田舎は結構にやることがあるのだ。庭は済んだが、未だ野菜を植えるつもりの畑の整理も、市内ある古家の貸し家の雨漏りの件も始末しなければ・・・。

一月後には本格的に田舎暮らしが始まっているはずだ。そうなれば計画的に事を運べるかな?。

 

 

 

 

 

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故郷は青し・・・

2019-10-11 | 弁当

10/11(金)帰郷三日目の朝を迎えた。今朝は薄曇りの空だが、これまでの二日間は青空が広がり秋の気配と一緒に、名残の夏であった。

昨日は、帰郷した夕に拾って来た栗を茹で、時間がかかった渋皮煮を作り、剥き栗と処理に追われた。更に畑に広がっていた栗イガを焼いた。栗に追われた一日となった。

          

          

 

秋の恵み、昨年と違い栗は沢山採れたが文旦も小夏もほんの少ししか実っていない。柚子は去年よりも稔が多いようだ。柿が全くダメ!甘柿は毎年のことながら渋柿も殆ど無くなっている。今年の干し柿は・・・。

台風の行方が心配される。四国への直撃は避けられそうだが、列島への影響が大きいとのことだ。大したことがないように願うばかりである。

さて、今日はどう過ごそうか・・・。

 

 

 

 

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