5/14(水) 昼間に眠くなる、今週になって顕著だ。尤も夜中に咳き込んで眠れないとか、明け方に目覚めているとか、それらを考えると、昼間に眠くなるのも頷けるが・・・。原因は、それではなくて薬の所為じゃないか?風邪薬を生真面目に服用しているので、その所為だろうと思いあたった。
ついては、今朝から風邪薬を服むのは止した・・・。が、依然として眠気は去らない。今朝の電車の中でも、途中から本を広げたままで居眠りだった。昨夜も四時前に目覚め、再度眠れたのが6時前では致し方ないか。
然し、6時に寝ちゃったんでは拙いよ、弁当はどうなるんだ?これが何とかなる、なせば成るのである。次に目覚めたのは7時前、大急ぎで台所へ。幸いにも飯は昨晩のものがたっぷりとある。菜の方は、昨夜の帰りしなに駅前のスーパーで買ってきた。メニューも既に決めてある。と云うことでサクサクと30分で仕上げた。
と云うことで、今朝は「牛煮」とズッキーニとピーマンのオリーブ炒め、焼き鮭に卵焼き、冷凍物で出来合のチキンカツを一切れ、以上である。
弁当を仕上げた後、妙に空腹感を覚え、残った菜でご飯を軽く一杯掻き込んだ。次いで、スムージを作る。那覇空港で買った「グァバ」が色付いたのでこれと、小夏のスムージーとなった。レタスと水菜も少し入った。さて、どんな味になったんだ?
グァバが二個、小夏が一個であるが・・・・。グァバに付いていた説明書では「甘い香りと甘酸っぱさ」とあるが・・・。処が・・・あまずっぱさもなければ、芳香も感じない。ピンク色のドロドロだけであった。不味いと言わないにしても、美味しくなかったのは確かである。
沖縄・北海道と何を喰っても、飲んでも美味いと思わなかったのは風邪の所為だろうが、これが未だ尾を引いているのかな・・・。そんな朝であった。
-苫小牧にて-
さて先週の土曜日、取材のため札幌から苫小牧へと向かった。札幌在住の友人、或いは同志と云うべき、T女史が同行してくれた。流石に札幌、肌寒かったがコートなし、寒がる小生を見かねたか、女史がウィンドブレーカを貸してくれた。北国ではおさおさ怠りがないようだ。
苫小牧~札幌間は、あの優秀なJRで一時間弱の行程であった。車窓から眺めるとピンク色の桜がちらほらと見えた。札幌の桜は終わったそうだが、寒い苫小牧では丁度の頃合いだとか。それにしても色いあが濃い、ソメイヨシノとは大違い、枝振りは山桜のようだ。
道中、苫小牧時代のことなど訊かせてもらう。「子供の頃、カレーライスといえば、具はホッキ貝だっよ。苫小牧はホッキが沢山採れ、大風が吹いた翌日は、浜に行ってバケッ一杯拾った」と云う。肉の代わりにホッキ貝か?カレーライスが嫌いだった私には想像もつかん話だだ。
女史は、子供時代、青春、仕事と、向かいつつある苫小牧で過ごしてきたのだ。彼女の少女時代や可憐?だったであろう娘時代のことは浮かびようもない。窓越しに見える街も随分変わったという。
「はすかっの実の話を教えてもらったが、朦朧とした頭では把握しきれてなかった。なんでも、小さな木の実だという、熟すと甘酸っぱくなりジャムにしたり、生でも食べると云う。また、酸っぱいので梅干しの代用としても使うと言った。ひょっとすると子供時代、オムスビの具にハスカップの実が入っていることも・・・これは訊けなかった。
苫小牧に着いて分かったのは、ここは王子製紙の町だと云うことを認識した。私の印象では西部劇に出てくる町、広い原野にぽつりと或る町、そんな感じを受けた。現実の苫小牧はそんな町と違うのは勿論だが、広大な大地と密度を感じない街並みからそう思ったか。
途中、桜並木の街路を通ると満開と思える桜が、折からの強い風に揺れていた。寒さの所為か、幹は大きくない。枝は上方に伸びて、広がりを感じない。南の桜、沖縄の桜と色あいもよく似ている。「えぞ山桜」と、標識に記されている。
北国の蒼空に・・・
11時、NTTの建物からもほど近い「苫小牧市文化会館ホール」に入った。13:30分開演の「第14回ふれあいコンサート」に出演する障がい者バンド『スマイル4Beat」をサポートしている「夢(ドリーム212」の代表、TAKAHASHI ・MARIKOさんの取材である。尤も今回はライターとして、函館からK・HASHIMOTO君を呼んでいるので気楽ではあった。
T女史の紹介でTAKAHASHIさんに挨拶、今日の予定や取材・撮影の許可の件などを確認する。スマイル4Beatとの出会い、応援団結成に至る経緯などを聞く。そしてリハーサルの様子や、開演後の演奏とサポートぶりを見せて貰う。この辺りのことは、HASHIMOTO君の原稿を待とう・・・。
「スマイル4Beat」は、勇払郡安平町早来にある社会福祉法人富門華会(ふもんけかい)に入所している障がい者四人のバンドである。全盲と知的障害の重複障がいを持っ四人。現役で仕事していた十数年前、彼らの演奏を聴いたTAKAHAHSIさんは、物凄く感動し、心を動かされる。それがきっかけとなり、有志により演奏活動の支援チーム、「夢ドリーム212」が結成され、その代表となった。
212とは、当時全道に在った市町村数だそうだ。“全道を演奏活動で制覇”の夢を描いて名付けた。それから13年、現在80弱の市町村に呼ばれたが、未だ夢は実現に至ってない。市町村の合併、メンバーの体調・資金、それに加えてメンバーの加齢もあるとか。始めて演奏を聴いてから16年、今やメンバーも四十代二人、五十代二人となった。
施設に新人が入るのは稀なこと、一旦入所した障がい者が退寮するのは仏になる時なのだ。音楽と云う才能を持った者が、同じ場で出会うのは奇跡的なこと。その奇跡が今はある、その今を大事にして育てるしかないのであろう。残された、限定された時間の中で精一杯に”羽ばたけ”と願うしかない。
ふれあいコンサートは、女子高生の吹奏楽、シニア(オバサン・オバアサン)のフォークダンス、社協メンバーの演劇・合唱が演じられたがが、メインは目の見えない四人の力強い演奏と唄であった。フィナーレは出演者全員で「愛は勝つ」の大合唱であった。
TAKAHAHIさんの笑顔がとても素敵だった。そして終演後のバンドの四人は、とても清々しい顔を見せてくれた。
王子製紙のホテルでお茶をしながら、暫しTさんの話が聞けた。
同期入社のお二人
「夢 ドリーム 212 の活動を始めてから一年後に、長男が交通事故で障がい者になりました。その時は何故?私のせいでは?と、いろいろと悩みました。そんなことがありましたが、この人たち(スマイル4Beat)との交流があり、生き方を知っていたことが助けになりました。現実を受け入れて前向きに生きる、親子ともどもそれができうようになりました」
「息子も娘も自分の人生を開いて生きています。三月で郵便局を退職した主人と畑で野菜を作り、そしてバンドのサポートをつづけます」と、幸せな表情。その穏やかな姿に、国指定重要無形文化財(所謂、人間国宝)の指定をしたいぐらいだ。取り敢えずこの場では「OYAJI指定重要無形文化財(笑顔部門)でご容赦を頂く。
未だ西の空に光を放つ陽を気にしつつ、胃のないライターと風邪ぴっきの編集者は北国の酒場へと向かった。案内役は勿論、地元に顔の女史である。落ち着いた店構え、確かなものを喰わせる腕と目利きの料理人、中々のお店でした。残念は、未だ風邪のために味覚音痴、酒量はガタ落ち・・・。
今一度、機会を作ってリベンジだな~。そんな思いで苫小牧を後にし、とうとう札幌駅前で薬屋を探した。ホテルに戻り薬を飲んだ、深夜寝汗でびっしょりは、前夜と同様に酷かった。
日曜日の翌朝、千歳空港ではラーメンを喰う元気はなかったが、女史ご推奨の「はすかっぷ」は生ジュースで、ホッキ貝は「ホッキ貝煮込み弁当」で食すことができた。何れも上々の味わいを感じたのは、女史への強い感謝の念からか?いやあ~、ホンマに美味かった、旨かった。
四月上旬から始まった取材行は、これにてお仕舞となった。行く先々、方々でお世話になり、ご迷惑をおかけした。心中より御礼を申し上げます。