オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

一回目のワクチン接種・・・

2021-05-31 | 弁当

5/31(月)夜も明けやらぬ四時前に前覚める!。夢見が悪かったのだ、こういう夢は記憶がないが・・・。目覚めてから夢を反芻してその対応策を思案し、解を出した。夢に反応する必要もないが、そこは万象への対応策に繋がるかも?。

枕元に置いてあった文庫本を読みながら時間をうっちゃり、起床するタイミングを計ったのである。

頃合いを見計らって台所へと・・・。今日の午後はコロナワクチンの接種だが、先ずは弁当作りである。

豚ヒレ肉をトンカツにし、この半分をカツ煮にした。ソーセージ・ズッキーニ・ピーマン・アスパラを少しながらソテー。鮭を一切れ焼く。

             

以上の他に、作り置いた「小鯵の南蛮漬け」と昨夜の「黒筍の煮物」がスタンバイしている。とてもじやないが全部は小さなん弁当箱に収まらない。

              

家人と長女の好みに合わせて弁当を用意した次第。

           

弁当の用意は整い、後に残った菜で朝食となるのだが・・・。たっぷりのおかずをみていたら、それだけで胃もたれが・・・。手を付ける気が起きず、トーストとフルーツで朝食を摂った。

 

友人のJUNKO女史が、今日の昼前に同じところでワクチン接種を受けるとのことであった。昼前にメールして状況を問い合わすと「早く行ったら、早く終わり、自宅に戻っています」との返事があった。

その情報を知り、私も早めに出掛けることにした。予定時間より二時間程も早く行った・・・。受付には行列ができていたが、スムースに進行する。

三密にならぬようにと、大勢の係員がスタンバイして指示をする。先ずは入り口で消毒、検温、書類のチェックを済ませ、整然と並べられた椅子に座って次の指示を待つ。このステップが接種後までつづいて円滑に進む。

接種会場は大手町合同庁舎三号館、その前に受付の仮設場がある。ここから順番に建物に入り、十階の接種場に行くが混雑しないように乱れないように、と工夫がされていた。

受付で渡されたクリアファイルが色違いになっており、その色分けで導線が引かれ、係員がファイルの色ごとに順番と席を指示するので混乱がない。

私はクリアファイルの色をみて浮かんだのがボートレース(競艇)のボートの色と同じか?であった。ボートレースでは一号艇が白、次が黒、赤、青、黄、最後が緑の六号艇と並ぶのだ。差し詰め、私の持ったファイルは三号艇に該当した。

そんなことを浮かべていると待ち時間も楽しいじゃないか・・・。当たり外れはないが。

で、肝心の注射は全く痛くなかった(鈍いのか?)し、副反応もない。今のところだが・・・。これで死ぬと、国から4千万円でると家族は期待しているようだが!。

受付に並んでから接種が終わり、二回目の予約と接種後のスタンバイ時間十五分も入れて一時間ばかりで終わつたことになる。スムースな運営と云える。

以上が、今日のワクチン接種の報告です。二回目は、6月30日となったのでこれが少し不満であるが、致しかたないか・・・。写真を少し撮ったが、後からよくよくパンフレット見ると撮影禁止とあった。で、写真の掲載はしません。

 

 

 

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愈々、ワクチン接種!

2021-05-30 | 弁当

5/30(日)土・日曜日は弁当作りがない。その分、朝はゆっくりと過ごす。といっても、気分だけのことで朝食の用意は何時もの時間に始める。

日曜日の今朝は、トーストに生野菜サラダ、キャベツとソーセージのソテー、たったそれだけのことであるが。コーヒーを淹れ、ミルクを温めて朝食を済ませた。

 

明日の16時30分~、愈々新型コロナワクチンの接種を受ける予定である。当初は区役所が開設している接種場所を予約したが、これが6月19日と云うことで遅かった。

次の帰郷予定との関係もあり、早く済ませたいので自衛隊が大手町に開設した大規模会場を検索すると、明日、31日に予約が取れたので切り替えた次第。

大手町界隈もすっかり様変わりしており、かつて勤務した当時とは様子が違う。特に地下通路が変わっているはずだ。浦島太郎さんだから迷子になっても間に合うよう、早めにに行くことにしよう。

と云うことで、明日新型コロナのワクチン接種をします。その様子や結果は、改めてリポートします。

 

 

 

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屋根裏部屋で・・・

2021-05-27 | 弁当

5/27(木)夜明けて新聞を取りに出た時刻は五時過ぎであった。ポツリポツリと雨が落ちている。メダカを入れた鉢の水面に小さな波紋が・・・

予報通りに雨である。どおりで、昨夜のスーパームーンも月食も目にすることが出来なかったはずだ。

何の予定もない上に、こんな天気だ。今日は一日中部屋に籠って本でも捲って過ごすことになろう・・・。

朝食の準備をし、弁当を用意したら自分の食事。何処にも行くこともないこんな日は・・・朝からビールに如かず。弁当と同じ菜を肴に飲むのであった。

           

本は二日前にAMAZONから届いた「公益資本主義」と「新しい資本主義」の二冊。著者の「原 丈人」の本は十数年前になるか「21世紀の国富論」を読んで以来だが、この人の論には100%賛同でしている。素晴らしい先駆者・経済人である。

本を読むのにも疲れた・・・。途中で終わっている屋根裏部屋の片づけをすることにした。私の私物である手紙類や写真、ガラクタが残っているので。

埃っぽい狭いや屋根裏で五箱ほど残っている中身を確認しながら、ゴミ袋に入れる。昭和45年に自裁した三島由紀夫さん関連の新聞・雑誌の記事が束になって残っていた。

そして学生時代から就職して数年までの手紙類が夥しい。一番多いのは卒業間際の高校生~大学時代まで付き合いがあった女性から届いた手紙。次いで母からの書簡、現金封筒。よくまあ~取っておいたものだ。それだけで段ボール箱一つ。

大学の卒業記念の小旅行(信州)を共にした山本君からのハガキ数通は、就職したばかりの若者の悩みと葛藤、仕事をとうしての発見と成長が窺えて感慨深い。卒業間際のあの時、旅を灯した舘上君、気仙沼に帰った尾形君のことが浮かぶ。あの頃のままの姿で・・・。

名前をすっかり失念していた数人の方からの手紙もあり、懐かしく思い出す。

写真は卒業アルバムや中学・高校時代のスナップ、就職してからの社内旅行、ブラジル・ボリビア・ペルーに出張した折のもの、ハワイでの伊藤佳子プロ(ゴルフ)の番組撮影に立ち会った抜けるような青空の下のゴルフ。ゲスト出演の井上順さん、堀内孝雄さんとの写真なども・・・。

お宝は記念硬貨の五百円だが六枚、そしてすっかり忘れていたパイプとタバコが在った。パイプ煙草葉がポットの中に残っていた。パイプに葉を詰めて吸ってみたが、妙にいがらっぽい上に苦かった。二十年以上経つているんだも・・・。

捨てずに残したローソク、オレンジ色の大ぶりのローソクを今宵灯した。その淡い灯に、昼間整理した数々の手紙や写真に宿っていた青春の残像を浮かべる・・・。

              

ありきたりであるが、少年老い易く学成り難し。この言葉とおり、未だなにものにもなり得ず、時のみが過ぎゆく・・・。

 

 

 

 

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風前の灯・・・

2021-05-26 | 弁当

5/26(水)ニュースによると、緊急事態宣言が延長されそうである。致し方ないと思う反面・・・。

先週、金曜日の昼に郷里の先輩が経営する渋谷の飲食店へ。そして、月曜日に秋葉原の銀行に行った帰り、人形町の馴染みの店に顔を出した。二店ともランチ営業のみで、一様に店主の表情は暗い。

それやぁそうだろう、稼ぎに ならない上に頼みとなる協力金なるものが一向に入ってこないと云う。死ねと云うに等しいのだから。かといって、何の力にもなれぬ悲しさよ!。ひと時を過ごして、何とか凌いでよと言うのが精一杯であった。

飲食店が酒を出せない、出さないとあっては人の集いはない。長いサラリーマン生活、その後の零細会社の運営時代、ことある毎にというよりほぼ毎日、夜毎夜毎に酒場に行く日常であった。

サラリーマン生活に入った若輩の頃は、居酒屋に行くのは嫌だった。酒がなくても話ができる、うだうだと飲むのは嫌いだった。が、何時のまにかそんな日常に浸るようになっていた。

酒の席で要らぬことを言って失敗したこともある、酔っぱらって狼藉に至ったこともある。それら全部を含めても、酒場の効用の方が大きいと思うし、大きかった。

一日の疲れや不満を酒に溶かし、訊けなかったこと、云えなかったことを赤裸々に語り、悩みを聴いてはけ口になってやれる。それぞれの思いをぶっけあい、共有と共感が生まれる。そんな場、それが酒場であった。

日本の伝統文化の一翼をになっているのが「酒場」だと思う。それが、すっかり様変わりしようとしている。触れ合いの場が、習慣が様変わりして廃れようとしている。酒場文化は「風前の灯」である。

ポストコロナの時代、一体どんな時代になるのであろうか・・・。

 

そんなことを思いながら、今朝も弁当を作るのであった。

         

ギンダラの粕漬、春巻き、豚肉のキノコ巻き、小エビ&ソーセージとピーマン・マッシュルームのオリーブ油ソテー。定番の卵焼き。以上です。

 

 

 

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非日常・・・

2021-05-23 | 弁当

5/23(日)帰京してから一週間が経過した昨日、暇な午後のひと時に未整理なままに在る写真を取り出した。これまで一度も整理したことがない・・・。

自身を撮られることは好まないが、それでも旅行や何かの記念日・会に参加して写ったものだけでも夥しい。書棚の引き出し、大判の封筒に入れたままの写真を取り出して時系列に追おうとしたが・・・。写真が多すぎてとても整理する気も起きず眺めるだけで二時間も過ごすことになった。

サラリーマン時代の二十代の後半から、三年前に会社をリタイアした時に撮ったものまで・・・、見返せば懐かしく甦る。が、そんな写真の中に、既に故人となられた人たちの姿を見る数も多くなった。

そんな中に晩年の母が寄こした幼い頃の私と、妹が写っている古くて小さな一枚を見つけた。拙く弱弱しい字で短い便りが添えてあった。妹の生後百日とあるが?確かでない。その一文に「・・・一月末の出産予定が、師走に入りお腹が痛くなって早く生むことになった・・・」。私は相当な早産で小さかった。

「小さく生んで大きく育ての諺がある。大きく育てと願い、毎朝神仏に祈ってきた。世の柱になれと願ってきた」などと。書いてあった。

母の願いは叶ったのか?、無事に父母を見送っただけで勘弁してもらうしかないが・・・。

散らかした古い写真を眺めながらこれまでの日々を、放埓・いい加減・でくの坊・能無し・出鱈目・酔っ払い、無責任、こんな言葉で尽くしきれないこれまでの人生。そして、これからもそうでしかない吾である。

それでも生きて行くしかない、生かされている以上は。我が人生に幸?あるとすれば大成を願い続けてくれた母の存在であろか・・・。否、それだけじゃないな!。歳の差を越えた好き友人たちとの出会いが支えであった。かつても、今も。

比較的新しいもの、数十年を経た古い写真を眺めながら夕暮れ近くのひと時を過ごした。これも、非日常の日々がなせるが故であろう。

 

それにしても人と会えない、飲みにも行けない。酒場が酒を出せない、自由に行来ができない、こんな理不尽があるとは・・・。人々の交流が絶えた社会とは、どんな社会、世界になるのか?。未だ生身(これまでの日常に生きたいと云う)のつもりでいる私とっては、存在する意味がない世界でなかろうか・・・。

 

なにやら訳の分らんことを記してしまったが、これも非日常の所為とご容赦を。

 

 

 

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コロナワクチン予約!

2021-05-21 | 弁当

5/21(金)今日からコロナワクチン接種の予約開始の案内が区役所から届いていたので、昨夜の午前零時から指定されているLINEで申し込むことにしたが・・・。

久しぶりに飲んだニッカのフロム ザ バレルウイスキー(51度)のソーダ割の酔いも覚めやらぬままにスマホを開いた次第。

          

中々繋がらずに延々と続け、漸く予約が取れたのは一時間も経過してからであった。早い日程は埋まり、6/19(日)の夕方の時間で予約ができた。六月初旬に一回目を済ませて、下旬には一旦帰郷のつもりであったが・・・。

が、これだと帰郷するスケジュールを変えなくてはならなくなった。郷里で手入れを待っている野菜たちのことが・・・。然し、泣く子と御上のやることには逆らえぬ、泣き寝入りだ。

と云うことで、深夜二時過ぎに眠りに就いたのである。

そして、六時ころに起床。弁当作りとなった。今日は「チンジャオロース」に「茄子とミョウガの味噌炒め」を中心にして、昨夜の刺身の残りヒラマサをソテー、蒲鉾と煮卵を添えた。   

         

 

家人を送り出してから食後の洗い物を済ませ、朝風呂に入る。東京に居る時は専ら朝湯の習慣である。されど、セットになっていたビールを飲むぬのは止めている。

今日は渋谷「奈加野」で、友人のT物産社長OKAZAKI氏とランチと云うことになっている。先日、帰京した旨を伝えたら「奈加野」で会おうということになった次第である。

かつて、氏と奈加野社長の三人でよくゴルフを一緒した。バンコクまで遠征したのは二度か三度か?。OKAZAKI氏はコロナの関係もあり店にご無沙汰しているとのことである。

昼前に店に入る。既に氏は来ておりNAKANOさんと話をしていた。ランチといっても私は昼飯は食さないのでビールを飲みながら一年半ぶりの再会を祝した。

OKAZAKI氏は今期(六月決算)で社長退任することにしたと云う。前々から大政奉還(創業者の女婿で大学教授に)すると言っていたが、愈々決断したのであった。私も後任となるTARUMI氏とは旧知の間柄で、その人柄も承知している。新風を吹き込んで、さらに活力のある会社にしてくれることを期待したい。

先ずは「お疲れ様でした」と云う。社に就いて十数年になるが、当初は随分ご苦労があった。月に数回は顔を合わせて、諸々のことを聴き、話した間柄である。

コロナ下で大変であろうが、こんな時期だからこそ社長交代にはいいかもしれないね、なんてことや経営の諸々について河岸を変えた「椿屋」でコーヒーを飲みながら語り合った。

八月が株主総会だそうだ。社会環境が落ち着いたら氏の慰労をしよう。ゴルフが一番いいのだが、残念なのは私がすっかりゴルフから足を洗ったことだ。

思い返せばOKAZAKIさんとの付き合いは三十数年になるか・・・。彼は未だ三十半ばであったはず。T物産の営業として私が勤めていた会社を担当していた。

私が転勤してからも交流がつづき、その後も機会があれば一緒に仕事をしてきた。仕事を離れて、家庭、家族のことなどもことある毎に聞いてきた中である。これからも良き人生を歩まれることであろうが、願ってやまない。

 

 

 

 

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豚と豆・・・

2021-05-20 | 弁当

5/20(木)今日の弁当は豚肉をメインにした。ご飯はグリンピースの豆ご飯と云う次第です。

豚肉はバラ肉の塊を角煮にしたが、これは昨夕に三時間近くを要して作ったものだ。コトコトと煮ては冷まし、また煮るを繰り返したので時間が掛った。それに見合う味になっていればいいのだが?。

使った赤い鍋はずっしと重いSTUB!、この鍋は私が仕事を辞めた時の記念に人形町の酒場「ちょっぷく」の店主や飲み仲間が贈ってくれたものである。

   

ずっしりと重い豚肉の塊を大きめに切ってこの重厚な鍋でコトコト煮たのである。鍋をくれた面々に感謝し、それぞれの顔を思い浮かべながら・・・。

   

で、今日の弁当にも加経た次第。豚肉はもう一品、生姜焼き用が残っていたので、これを細きりにして味付けし片栗粉の衣で揚げたものを加えた。

そして、絹厚揚げと小松菜の煮浸し。粕漬の鮭に竹輪胡瓜と云う次第。

 

ご飯の方は、これもまた残っていたグリンピースの始末に困り「豆ご飯」と相成ったのである。

               

問題は弁当箱の小さなことである。長女は脂身が苦手(この旨味タップリが嫌だとは?)というので皮の方は削いだ。

かくして暇・暇のOYAJIが作った詰め込み弁当が出来上がった!。

               

家人からはコッテリ過ぎとか、弁当箱の蓋が閉まらないとか・・・。弁当OYAJIも辛いねぇ~。栄養たっぷり摂って、大いに働いてもらおうじゃないか!・・・。

 

 

 

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演歌を聴きながら・・・

2021-05-19 | 弁当

5/19(水)天気予報と裏腹に昼前から雨が・・・、未だ小雨であるがこれじゃ散歩に出る気もおきない。

そんなことで、部屋に垂れこめてCDから流れる歌を聴きながらボートレースの必勝法はないかとPC画面でレース映像を見ているが・・・。一向に我が予想は当たらない、ボートレース協会?に預けるばかりで引き出しができないのが悔しい!。されど、日本財団を通じて世の役に立っていると思えば腹も立たぬか?。

三つ子の魂百までも、サラリーマン時代に社会貢献推進室に勤務した影響で何時までも社会貢献魂が抜けないのかな?。

流れてくる演歌は、都はるみの「北の宿から」が終わり、島倉千代子の「この世の花」に変わった。昭和と云う良き時代?の、哀愁と憂いに富んでいる。アナログ世代そのものの私にはマッチしている。

さて、今朝の弁当になるが、今日の肉料理は「牛肉のソテー」がメインだが、これは昨夜のスキ焼で残った肉だ。煮物は「破竹筍&グリンピースの炊き合わせ」、魚は、出来合いの粕漬の素を使った「ギンダラ」であるが、これが想定外に旨い!。蒲鉾と定番の卵焼きを添えてお仕舞いである。

          

破竹筍はそろそろ終わるが、次は黒竹の筍がでるはずだが・・・。従姉が送ってくれるのを待つしかない。北国と違い、根曲がり筍が採れないのは残念だが、十月に出る四方竹の筍は美味しい。

四季折々、季節の食材を、それも自然界からの贈りものを食せるのは田舎暮らしだからできることだ。都会でも勿論入可能だが、ややもするとハウス栽培なんてのが出回るから・・・。

帰京前に植えたり種を播いた野菜たちのことが気掛かりだが致し方ない、自然の法則に任せるしかない。

と云うことで、完成写真を紹介して今日の弁当レポートを終わります。

          

家人と長女の弁当は若干仕様が異なるが、これは各人の好みの所為である。

 

 

 

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弁当作りの日々に・・・

2021-05-18 | 弁当

5/18(火)昨日から弁当作りの日々を再開した。先週末の金曜日に帰京してから、四夜続けて近所に住む長女一家が夕食に来て賑やかであった。長女から「お弁当、また作ってくれるんでしょう」と念押しをされた。

云われなくても暇人であるに加えて、弁当作るくらいの能力しかないのだから・・・。

街に出たいのだが、この状況ゆえにじっと耐えているが何時まで我慢できるか?。帰京したのは友人たちに会うこと、そして故人となった山田正明氏、田辺ケイジ・土屋マサオ君たちの墓参、向後の生き方を定めることに加えて、コロナワクチンを打っておくことである。

墓参の方は緊急事態宣言解除後にするしかないし、ワクチンの方は今週末からの予約開始とかで何時のことになるやら・・・。斯様なことで暇人はさらに暇なり!。弁当作りと、古い演歌をCDで流しなら心を静めるのみである。

 

弁当の方は月曜日から再開したが、朝夕の飯つくりも余念なし。家人は労働者なので、居候気分の小生がそれくらいは担わなくてはと・・・。

              

上は月曜日の弁当、次は今日の弁当であるが何れも簡単なものばかりである。卵焼きの腕は衰えてなくて綺麗に仕上がる。メニューはこれから徐々に広がるだろう。

         

今夕は、末娘が来て「スキ焼」を食べたいと云うので、肉買って来い!と応えたが・・・。長女一家も来るだろうからさぞや賑やかになろうが、三密?知ったこっちゃねぇや!なんて云うと家人は怒るか!。

その家人は日曜日の夕、遅ればせながら医療関係者ということで一回目のワクチンを打ってきたが、少し腕が痛いくらいであったようだ。

 

吾が向後、入院中の義母のこれから等と課題はあるが、なるようになるしかない。最後は雨露凌げて生きられたらいいじゃないか、どうせゴミのような人生さ・・・。

そのゴミのような男にも得難い友人たちがある。今日は沼津在住のMIWA君から電話を貰い、歳若の友人OKAZAKI君と電話話をし、在京の高校同級生MASAO君からメールが届いた。気掛かりは、TUGAWAさんの術後であるが・・・、会えるのは先になろう。

 

 

 

 

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一年半ぶりに・・・

2021-05-15 | 弁当

51/15(土)昨日の午後早くに東京の自宅に帰った。凡そ一年半ぶりの帰宅である。

昼前に着いた羽田空港からは、何時もの京急電車を使わずにモノレールに乗った。地上遥か?から東京の景色を眺めたいと。浜松町から山の手線に乗り換えたが、新駅の高輪ゲートウェイの駅前に広がる広大な工事中の様子に驚いた!。

乗換駅の渋谷で下車して「奈加野」に顔を出した。ランチ営業だけはしているので。店主のボヤキを聞きグラスビールを馳走になって自宅に向かった。街や車内ではさほど人出が変わっているように感じなかった。気怠い午後の空気だけを感じたが・・・。

学芸大学駅周辺も変わりないように思えたが、家に向かうガード下に在った小さな商店群は全て無くなり工事中の張紙だけが通路の入り口にあった。どうしたんだ?。

誰も居ない家に帰り、先ずは自室の掃除であった。すっかり埃っぽくなっていたが・・・。部屋を整えてから小机に山積みになっているレター類の整理・確認をすることになった。幾つかの所属する会や、自治体からの案内と区分けしながら・・・。

NGO等の会費・寄付要請、はたまた田舎の固定資産税の納付と期限が迫ったものが数点!。家人が見誤って田舎に送ってこなかったものである。幸いにも五月末のものが殆どで助かった。

アンケート類を記入し、返信を記し、振込用紙に記載して月曜日に処理を済ますようにした。

こうしてみると、まだまだ世間とは縁が切れていないようだ、が・・・。

そんな時間を過ごしてから夕食の用意に入った。久々に立った自宅の台所、どうも勝手が違う!。一年半のブランクを実感しながら、孫娘SORAのリクエストによる鶏唐揚げの下準備。破竹筍の煮物等に「豆ご飯」を用意した。

夕餉は家人に長女夫妻を交えて、団欒のひと時を過ごした次第。

今夕、家人は遅ればせながらも医療系従事者としてコロナワクチンの一回目を打つと云う。遅いねぇ~!。私の方には来週の金曜日から予約開始の通知が今日届いたが・・・。順調に行くのか、どうなるのかな?。

持論としては職業からや若い人(現役世代)、要職にある人達等を優先すべきと思っているのだが・・・。

 

斯様な次第で帰京の一夜が明けて、隠忍自重の都会暮らしがスタートしました。何時になれば山里に戻れるのか、戻るかは今後次第である。そんなことで、来週から弁当オヤジに復帰します。

 

 

 

 

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