8/23(水) 昨夜は早くに帰宅した。その訳は後で記す。先ずは、高知の弥次喜多道中三人組の動向から・・・・。
日曜日の朝、朝食の準備を始めたのは七時前であったか。朝飯の準備前に、神様と仏様に日課の水とお茶を供える。
老母用にカボチャと茄子を煮る。こうしておけば、不在しても飢えることはなかろう。加えて、食材を用意していた挽肉でハンバーグを作る。更に、タイカレーまで作り置いた。妹に電話をし『菜があるから、喰ってくれ』と、伝える。
三人用の味噌汁を用意する。味噌汁は、盛りを過ぎたながらも沢山取れる畑の茄子。これをFに採ってきて貰い、茗荷とリュウキュウを具にする。
ウルメイワシを焼き、サラダと海苔、冷奴で朝飯となる。先ずは腹ごしらえだが、オイラは大量のハンバーグ&タイカレーまで作り疲れてしまった。
この日は、安芸市内に在る岩崎弥太郎の生家跡を見物し、高知市内へと向かう。日曜市を散策し、お城の天守から市内を一望してから「ひろめ市場」で昼食。そこから、月の名所と歌われた「桂浜&竜馬像」を見る。そして、YOSHIOの最大の関心事「よさこい競馬」を開催中の、高知競馬場に向かうのだ。この日の帰宅は七時半と想定した。
九時過ぎに実家を後にし、安芸市内まで二十分走る。国道から山の手に入る道を二キロほどで岩崎弥太郎の生家跡が保存されている。NHKの大河ドラマ「竜馬伝」のお蔭で、周囲や駐車場が整備されている。時間が早いので、観光客やガイドの姿もなかったが屋敷内に入って勝手に見学する。蔵があり立派な佇まいだが、海運で成功した後に建ったものだ。
安芸の見所は、他には城跡、武家屋敷跡、野良時計などだが省略して話だけで終える。安芸市街を抜けて高知市内に向かう。途中の坂を上りきると、矢流と云う古戦場跡がる。ここで安芸国虎と長宗我部勢が闘い、安芸氏は負ける。我が一族は、国虎の家老だったそうで、その末裔と謂われる。なんて真偽不明なことを話したが、誰も覚えちゃねえだろう・・・・。
矢流から暫く行くと、琴が浜という景勝を望む処がある。駐車場と展望所があり、車を停めた。高知の道路端名物のアイスクリンを齧りながら、海・砂浜・松林の織りなす景観を楽しむ。ここは何時見ても、奇麗だ!。今日もメチャ暑くなってきた・・・。東京に雹?雷雨?なんて、遠い他所の世界のことだった。
そして、手結港の跳ね橋、ヤッシーパークなどを車中から案内し、一路、市内へと走る。順調な行程であった。日本三大がっかり名所とも云われる「はりまや橋」交差点を案内しながら曲り、大手筋の「日曜市」へ。城下から一キロに渡って、毎日曜ごとに市が立つ。それを見物しながら、お城方向へと歩く。
真夏の所為か、露店数が少ないようだ。ここの露店は、すべて近在の農家や商店が店を並べる。と云うことは、同じようなものが沢山ある。私は、鮎捌き用に、小出刃のような包丁を買うことにした。実家には数種の包丁が何丁もあるが、自宅に手頃な小魚を捌くのがないのだ。土佐打ち刃物として、土佐では有名だが、江戸ではその名声を聞かない?
刃物屋も十軒ほどでているが、銘が違うし値段も違う。それこそ、ピンキリだが、こっちはど素人だ。結局、値段の安いものを選ぶとは・・・、貧乏人らしくていいか。小包丁を二丁贖った。
暑さに負けた所為ではないが、U老とオイラは城に上がらずランチ予定の「ひろめ市場」で待つことにした。F&Yは汗を拭き拭き、お城に向かう。オレラは、ひろめ市場という、飯や飲み処が所狭しと櫛比する中に入り、座る場所を探すが、中ほどは観光客で大混雑。入り口近くに在る狭いスペースをみつけ、先ずは生ビールだ。此処からの車の運転はFと云うことになっているのだ。
串カツと、老が騒いでいた土佐和牛ステーキがあったのでそれを頼む。生ビールから、ハイボールへと進む。店外は灼熱、中はよく冷えたビールに摘みと天国。
ひろ市場は、どこの店で買ったものであろうが、何処の店に持ち込んで飲んでも喰ってもOK。下膳は、運営会社が一括でしている。小一時間程で、汗だくの二人が戻った。城の中は暑くて、階段が急で参ったと喘ぎ声。先ずはビールを・・・、Fはノンアルコールだがジョッキで出た。漸く、ひと息ついたようだ。
市内の中心地から桂浜まで二十分ほどか。道路は空いている、海岸周りで桂浜へ。駐車場に入れた後、またしても、F&Yの二人を「行ってらっしゃい」と送り出した。オイラと老は、涼しい土産物店の喫茶コーナーで二人を待つのであった・・・・。老は、高知は三度目だから・・・、観光はいいらしい。じゃぁ、何しに来たの?かな。
またしても汗だくの二人。Yは浜で五色石を探したといい、十個ほどの小石をペットボトルに入れていた。HOYA兄いから「拾ってきてよ」と云われ、健気にも探したそうだ。俺んとこの庭に敷いてある石も持っているようだが、止めてくれよ!。
愈々最後のスポット「高知競馬場」に向かう時間がきた。三レース~五レースまでの、三レースだけやることになっている。桂浜から、十分ほどで競馬場に着いた。小高い山に囲まれて、隔離されたというか、静かな場所にある。日曜日と云うに、正門前の駐車場に車を留めることができた。
なんとも長閑な競馬場だ・・・・。と云いながら、競馬場に入ったの今回が初めて。Fもそうだと言う。中に入ると、パドックに次のレースの馬がいた。幼稚園の庭園ぐらいの小さなパドック。馬もやせ馬ばかりが目につき、覇気が感じられないのだ。
レース場の観覧席も、人の姿はまばらだ。馬券売り場のあるところでは、銭を持っていそうに思えない面々が、余所の競馬場のレースの行方を真剣にみていた。全国のレースが買えるのだ。便利な時代さ。
俺たちの結果は、揃い揃って討死。まぁ~こんなものだろうと帰路に着いた。安田の海岸に着いた頃、丁度夕日が海に沈む時間だった。三人は海岸を走る国道の際に立ったが、雲が薄く海まで下りてきた。心掛けが良ければ、真っ赤なダルマ夕日を拝めたであろうに。残念!またおいで。
室戸岬方向を見ても室戸の岬は見えない。紀貫之が、羽根があったら飛んで都に帰りたいと歌った、羽根岬が手前にあるのだ。されど、この岬の姿を私は好む。
夕暮れ迫る中を帰宅。これから夕食の準備だ。三人には風呂に入ってもらい、その間に車の中で宣言したとおりに「ソーメン」だ。芋天・茄子・カボチャ・オクラにエビ掻揚げを作る。ビールと焼酎を飲みながら、短い滞在を振り帰るのであった・・・・。
帰京の月曜日、予定時間を一時間早めた面々を安田駅に送る。9:01分発の「ごめん~なはり線」の車中の人となった彼らと、トンネルの中に吸いこまれて行く電車を見送った。
この日の午後、私はANAにて高知空港を発ち帰京したが、私の東京着が彼等より早い。人形町に辿りついて、久々に江戸の酒で郷里の垢を落とした。
退社時間後に会社に立ち寄ったが、十一日ぶりに目にするメダカの成長に驚く。更に、大きなキュウリ一つなっていた。あっと云う間の十一日、時間の経つは早いねぇ~。メダカも胡瓜も大きくなるはずさ・・・・。その分、こっちはボケが進んでいる。
帰京の翌日となる、昨日。YOSHIOとFUJIKURAでランチタイムを一緒にした。田舎から会社宛に送った鮎を『お土産に持って行け』と言うと。「開きの方がいいね」なんてことを言いやがった。バカヤロ~手前で作れと言ってはみたが・・・・。冒頭の早い帰宅とはこのことさ、鮎を開き、干した。
日曜市で贖った包丁を鮎と一緒に送ってあった。捌き初めとばかりに、二十枚ほど開いて塩水に浸けた。肩が凝ってしまった・・・・・。