9/19(月・祝日)ここ数日のことと、今日のタイトルを入れたが、昨日の日曜日は雨で一日中部屋に垂れ込めて過ごした。今日も台風の影響で悪天候の様相。昨日同様に過ごすことになりそうだ。
先ほどAJIRO氏から電話があり、27日の懇談は人形町「うまし」ということにした。田舎の妹に電話をし、台風の様相を訊いたが大したことはないとのこと。ながら、停電が続いているとのことである。
熊本・佐賀や福岡、山口、広島の友人知人のことも気になるが・・・。安泰・無事を願うしかない。
で、ここ数日のこととは木曜・金曜・土曜日のことである。
木曜日の夕、五時過ぎから人形町「うまし」にてAOKI&NUMATA氏との懇談。AOKI氏は九月七日から高知に来たいとのことであったが、私が八日に帰京するので日を改めることになった。その際に「帰京したら一杯やりましょう」ということに。
歳も近く仕事の面でも交流を密した方が良かろうと、新規事業助成金申請の件で縁が出来ていたNUMATA君にスケジュール調整などを頼んだ次第。話好きのAOKI氏はよく喋り、私はほゞ聞き役に徹した。
TAKAHASHI氏の区長選が縁で結婚し、尻に敷かれている?と云う、奥さんの話になり「それじゃ呼んだら」とけし掛けて、愛妻も登場となった。「こいつ、猫被ってる」と愛妻をさしながらも、ひときわ元気になっていた。それを聞きながら、奥さんはニコニコと笑っている・・・。
焼酎・ハイボールとそれぞれに俺のボトルで賑わい、二次会は「中華・三浦」へとなった。以前に紹介してから馴染となった様子。ラストオーダーぎりぎりに三浦に着いた。三組ほど客が残っていたので、繁盛の様子!。
「三浦」では、人気の餃子・叉焼を摘まみながら焼酎ソーダ割、私は辛ラーメンを頼んだが、AOKI夫妻は普通のラーメン。前回の案内で青唐辛子ラーメンを進め、余りの辛さに参ったとのことである。此処でも賑やかさは変わらない・・・。飲めば飲むほど元気になる楽しい人である。
そんな時間を過ごし、客の姿も絶えたのでお開きにした。三浦の店主とハグをして店を離れ、AOKI夫妻ともサヨナラした。人形町駅に向かうが、NUMATA君の誘いでもう一軒となった。以前、NAKAMURAさんが階段で尻餅をついて、尾てい骨を痛めたマッスル系が集まると云う店に入り、席の後ろにぶら下がっていたサンドバッグにエンビを打ちながらハイボール。一時間弱で店を出たが・・・。
処が、目の前にあるスナックに入ろうと、「カラオケ」もあるからとNUMATA君が離さないのだ。確かに、話があるのは分かるが・・・。既に酔ってるからね・・・。とは云いながら、酔いにまかせてもう一軒となった次第である。
店のアルバイトの姉さん、と云うよりは小ネエさんにいい加減なことを喋りながら時間を過ごす。懐メロを二曲ばかり歌って(ガナって)、時間を見ると零時前だった。店を後にして、ようよう駅に辿り着き終電に間に合った。ここまでは良かった。
日比谷線中目黒行きの終電に乗って目が覚めると(起こされると)中目黒駅、ここで東急・東横線に乗り換えて二駅目が我が学芸大学駅。ホームにぞろぞろと終電客が降りる。が、ホーム反対側に入るはずの東横線を待つ気配なし?。一様に改札へと向かう階段を下りて行くではないか・・・。
ハタと思い出したのは、JRや私鉄の終電時間の切り上げをニュースで見た記憶である。メトロと東横線が連携してなかったのだ。最後の一人になって階段を下りた、痛む膝を気にしながら・・・。以前は、深夜の一時前が東横線の最終であったし、メトロの最終の後に入ってきたが・・・。田舎者になった俺、浦島太郎の俺様だった。
これじゃタクシーも捕まらない、路地を抜けて駒沢通りに出てから下り方面へとトボトボ、ヨタヨタと歩く。しかないのだ、膝の痛みに耐えながら・・・。空車の赤ランプ車はすべて上り、下りは青いランプの終列車ならぬ客を乗せた車ばかり!。
以前は朝晩の通勤時、学芸大学~中目黒間はスタスタと歩いた。行き帰り、どちらか必ず歩いた道だったのに。そんなことを思いながら、後ろを振り返り振り返りする。タクシー来ないかな?・・・。
僥倖には祐天寺近くまで(道程の半部くらい)来た処で遭遇した。なんと、すぐ目の前でタクシーが止まり、客が支払いを始めたのだ。助かったねぇ~、乗り込んでそう言うと、運転手も「私も助かりましたよ、すぐにお客さんがあって」と応じてくれた。と、云う次第で、帰宅は深夜一時半になっていた。
翌金曜日、弁当は作ったものの体調は今一つ、体が重い。この日の弁当、家人は忙しいのでオムスビ一個にしてと云う。長女の弁当は何時もと同じだが、一つ弁当じゃ力が入らないねぇ~。てなことで、味付き焼き肉、冷凍餃子を水餃子にし、インゲン・小松菜の煮浸し、卵焼きに銀鱈の粕漬焼き。残った菜を肴に、缶ビールを頂いて前夜の渇きを癒した。
金曜日の夕は「高松」にJINパパ、HOYA兄、NAKAMURAの各氏との懇談。五時過ぎに店に入ったが、前夜が災いしてかお酒の引きが悪い。悪いながらも、何時もの金魚割に、兄いが頼んだ燗酒を頂く。「これから酒が旨くなるね~」などと云いながら。
一時間ほどしてNUMATA君が知人を連れて姿を見せた。処が席がない、空いてないのだ。高松は人気店だからネ。前夜に誰か(会わせたいと)連れ来ると言ってはいたが・・・。後ほど「こま吉」で合流することになった。
頃合いとなり、皆でこま吉へと流れて合流。NUMATA君の同業で今度一緒に仕事をする予定という方を紹介される。この人は明日からロンドンの展示会に仕事で出かけるとのことであった。ワイワイと話が飛び交うも酒を美味く感じない。そんなこともあり、九時前にお開きにした。HOYA兄いとNAKAさんはガレージ、NUMAちゃんたちはガタゴトへと流れ、私とJINパパはメトロ駅となった。
― 数年ぶり、渡邊一雄さんに会う ―
そして土曜日、都営大江戸線「勝どき駅」へと向かうため、十時半過ぎに外出。日比谷線六本木駅で大江戸線に乗り換えた。11時23分「勝どき駅」着。A1出口にあると云うドトールコーヒー店へと。
ドトールの前に着くと、向こうからTUGAWAさんが何時ものカートを引いてやってきた。間を置かずWATANABEさん(ナベさんと呼ばせて頂く)が、信号を渡って手を振りながら杖を片手にして見えた・・・。
以前より一回り以上小さくなっていたが、声と顔の艶は変わっていない。挨拶もそこそこに「何を召し上がりますか?焼肉と蕎麦の旨い店がありますが、どちらにしますか?」と訊き。話は店に入ってからゆっくりとしましょうという。
駅ビルとも云える二階の蕎麦店に向かうことになった。未だ準備中の札が出ていたが、馴染の店らしく「電話してありますから大丈夫」と店に入る。席に腰を落ち着け、改めて久しぶりです。お元気なご様子でなによりですと挨拶をした。
渡邊一雄氏(通称ナベさん)、1990年代の初頭に企業&人の社会貢献活動の大切さを説き始めたのはこの方が最初ではなかろか。バブルが弾け始めた頃、私は企業の社会貢献推進室に勤務した。そして、大手電機会社の企業人でありながら社会貢献活動の旗を先駆者として振っておられたナベさんにお会いした。
ナベさんの講演、セミナー、著書やビデオにも幾度となく触れ啓発された。あれから三十年となるが、そんな古いことと思えない。初めてお会いして以来、サラリーマンを辞めてからのナチュラル社時代も何かにと厚誼に与ってきたからであろう。
ナベさんは会社人から大学教授、福祉施設の理事・施設長、講演活動等々幅広く活躍されてきた。一緒に仕事ができればと思っていたが、その機会がないままであった。
ナベさんからのお誘いで幾度も酒席を同じくしてきたが、数年前に奥様を亡くされた。またご当人が二年前になるか、難病に侵されて長期の入院、リハビリを余儀なくされた。
元気になられたら一杯やりましょうと連絡をしてから半年が経過し、改めてメールをしたところ数日前に元気な声で連絡を頂き、ナベさんの地元でこの日の再会となった。
闘病生活のあれこれ、最近入居したという老健ホームでの暮らし、これからの講演予定、思い出話しと尽きない。声の大きさは変わらないが、酒量、一回り小さくなった体と杖、老い往く姿は否めない。我が行く末に重ねるばかりだが、斯様に強靭には生きられないな・・・。
八十六歳の老人の逞しさに敬服するばかりの時間であった。
二人と別れ、近場に住むNUMAちゃんと合流して佃島を少し歩く。途中で終わっていた先日来の件、今後の仕事のことについて内容を詰めるように伝える。佃煮を少し買ってから、佃大橋を渡って築地駅へと向かう。蒸し暑い・・・汗が、酒の所為か?、膝が・・。
以上、取るに足らぬここ数日の出来事?でした。