オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

朝から・・・

2012-09-29 | Weblog

9/29(土) 深夜に目覚めるがじっと我慢をして布団の中・・・。6時過ぎに起き出してメダカや金魚の餌をやる。秋だと云うのに蔓を伸ばし続けている西洋朝顔やアケビの蔓を切る。夏場に花を付けなかった西洋朝顔が今頃になって小さな花を沢山咲かす。

                    

ここ2~3年実を付けなかったアケビ、花は咲けども実を付けずだったが、木の間から覗くと青い実が二つ。漸く二個だけ実を付けていた。何となく嬉しくなるのであった。

                         

その後、昨夜T氏から頂戴した「キスの開き」を冷蔵庫から取り出した。T氏が釣り上げて自ら開きにした一品である。私の鮎の開きと比べてみる。そんなことをしている内に味比べをする気になった。ここの処、朝飯も抜く日が続いたが今朝は特別だ・・・。

キスの方が身に厚みがある。鮎が痩せてみえる・・・、冷凍庫にあった一番大きな鮎も並べて比べた。後は、焼いて味見となった。となれば、当然ビールの出番となる。朝から、手作りの魚の開きなどを摘みにビールとは平和である。

                         

キスは淡白でありながら上品で旨みがった。開きの部は、どうも鮎の分が悪いようだ・・・。天気の悪い日に作った所為かな?と、お天気の所為にしよう。

昨夜は、或る案件でT氏の世話になった御礼を云いながら一献交わした。そして、お互い能書きを云いながら、鮎とキスの交換であった。今夜まで味見が待てず、朝から頂戴するという始末となった。旨かったよ、また頼むよ!と云いたい。

 

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トンカツ

2012-09-28 | Weblog

9/28(金) 今朝は昨日につづき豚肉を使う。昨日の肩肉ロースが残っているので「トンカツ」とした。油を熱し過ぎて焦がしてしまう大ドジをしながら、人参・南瓜・ピーマンの素揚げも一緒に作る。

                      

煮物は「鶏肉と人参・蒟蒻」を、中華スープの素と和風出汁のミックスで仕上げる。他には、冷凍のシューマイを各人一つづつとした。キャベツを刻み、トンカツを揚げて完成となった。

                              

トンカツの揚がり具合をチェックのため、一切れ口に入れる・・・旨~いじゅーしいな肉の揚がり、まろやかな美味さ、この豚肉は本当に旨い。下手な揚げ方でもこの出来栄え、美味い肉は素晴らしい・・・。

                           

かくして、今朝も三人分の弁当が早々と仕上がったのであった。

                      

 

  空元気で・・・

昨夜、十数年ぶりとなるMikoshibaさんを交え、四人での懇談。場所は上野駅に近い居酒屋となった。Mさんは少し太っていたが元気にやっているとのこと。一緒に仕事をしていた頃の話、近況と話題が尽きなかった。まだまだ話足りないが、店の都合でタイムオーバーとなった。後は、11月のバス旅行でとなった。

話が弾む中で、私のこととなりT氏が「会社は大丈夫ですか?すぐ潰れると思ってたけど、よくもってますね~」と、云いやがった。バカヤロー『端っから潰れたも同然なんだ、かわりゃしねよ』と、伝法に言ったのである。「それにしても、何時も元気ですよね」と、言いやがる。これにゃあ『貧乏人は、元気だけが取り柄よ』と応えたが・・・。

よく言われる、「元気ですね」と。元気を無くしちゃお仕舞と、空元気を出しているが、本当は、こうして会う皆々さんから元気を頂いているのだ。その為に日夜誰かと会っている、と云っても過言ではない。今夜は、都内某所で某氏と会い元気を頂く予定也。

 

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本格再開か・・・

2012-09-27 | Weblog

9/27(木) 台風が近づいたとのことだが、今朝はまだ天気はいい。されど涼しい、涼しすぎるぐらい。夜中に家人の仕事用の携帯が鳴り起こされた。それから眠れずに、本を読んで過ごす。その所為で眠い朝となった。

眠い目をこすりながら、台所へと向かう。先般、お取り寄せの佐賀の酵素豚肉が届いた。その中から肩ロース肉ブロックを取り出して菜にすることとした。単純にトンカツという線が浮かんだ・・・だが、フライは先日に海老フライをやった。ここは目先を変えて、ソテーすることとした。肉を切り、ニンニク・ローズマリーや調味料で下味に浸した。

                                 

他の菜は、「根菜サラダ」と「茗荷・茄子・ピーマンの味噌炒め」「卵焼き」とした。見慣れたラインナップである。根菜は、人参・ジャガイモ・南瓜をレンジ茹でし、塩胡椒とマヨネーズを少々と、至ってシンプル&手抜き。茗荷もまだたくさん残っている、傷み始めたので早く食さないととばかりに味噌炒めになった次第。

                       

かくして、三人分の弁当が完成となった。予行演習のつもりが、本格的に弁当再開となったようだ。暇オヤジである証拠か?

                       

 

余談ながら、昨晩はK大兄と愉しいひと時を過ごし、今夜は平成8・9年と仕事を共にした上野時代のメンバー数人とご一緒する。今夜のメンバーに、十数年ぶりに会うMikoshiba さんがいる。私が上野を去った後、彼は会社を辞めて福祉業界に転身した。

その後、長い看病の末に奥様を亡くされた。一緒に仕事をした当時、彼は販売が振るわない地域のマネージャーで、ご苦労をされた。理性的で優しくもあったので、スタッフに対しても柔らかであった。転職後、何度か会おうという話はあったが果たせなかった。今夜は、楽しみである。

 

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ランチ喰っちまった

2012-09-26 | Weblog

9/26(水) 今朝も涼しかった、陽の光も弱い。その所為か夏場よりは眠れるが、それでも五時半ごろには起床した。今日の弁当はサンドイッチ、昨夜帰宅時にパンを贖った。

ハ枚切りとロールパンだったが、自分は不要。昼飯抜きが続いている。貧乏オヤジは飯代を節約して飲代に当てようと云うさもしい根性なのだ。それなのに、今日はWebチームメンバーとランチミーティングがあった。其処でハヤシライスランチセットを喰っちまったのだ。メンバーと話をしながらの食事、致し方なしか・・・。

サンドイッチに話を戻そう・・・、ツナ缶と卵4個、豚薄切肉、アボガド、胡瓜1本、タマネギ半分、レタス少々、チーズが具材となった。卵は、スクランブルと目立焼き風の二種、アボガドはオリーブオイルと刻みタマネギと塩胡椒で和える。豚肉はカリッと焼く、ツナは刻みタマネギと一緒にマヨネーズ和え。

                         

何種類かのサンドイッチが完成し、写真撮影も無事に終えたが、デジカメを家に置いてきた。そんなことで今日の写真掲載はなし、何時もと変わり映えがあるわけでもないので勝手に想像して頂こう。

                      

昨夕、ミャンマー・カンカウン準中学校建設プロジェクトのYamaneさんが来社。今後の進め方などについて打ち合わせた。打ち合わせた、というよりは話を聞き、感想を述べたと云うべきか。国内で集める金額は二百数十万円、至難のことである。

10月19・20日の「ベッタラ市」(椙の森神社・恵比寿寶田神社の祭礼)に恒例の屋台を出店の予定。この売り上げや、ミャンマーから学生が買ってきた小物の販売も考えているが、道のりは遠い。打ち合わせ後の懇談会は盛り上がったが、募金の秘策は出ない。何ぞ、いい知恵はないものか・・・。

懇談会の蕎麦店「高松」は、新婚早々の若い人で賑わっていた。当初は満席で、私たちは、暫く近所のスタンドBAR でハイボールを飲みながらスタンバイをしていたのだ。相変わらずの人気店なのだ。

                     

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連日の弁当

2012-09-25 | Weblog

9/25(火) 本格的に弁当を再開するための予行演習が、連日の弁当作りとなり本格化しそうな気配。まあ~暇と云えば暇ばかり、オヤジの手慰みと思えば致し方なしか・・・。

今朝は、カツ煮弁当となった。カツ煮が余りK君の弁当も用意したので、三人分のお弁当となった。家人を覗いてはカツ丼弁当に、お菜は「茗荷・人参・牛蒡・ピーマンの炒め煮」と「ポテトサラダ」となった。

               

なんだか随分と残ってしまった。が、私は味見程度しか食さない。今朝の食事は「バナナセーキ・ジュース」である。連日連夜、アルコールでカロリー過多なのだ・・・せめて食からのカロリーは抑えたいのだが・・・。

                      

 

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予行演習

2012-09-24 | Weblog

9/24(月) 昨日から今朝にかけて涼しい、肌寒いくらいの陽気であった。昨日の日曜日は一日雨、前日の土曜日は少しパラついたが日中は陽が覗き上手い具合のバーベキュー日和となった。実はこの日、バーベキューに出かけたのである。

近場のバーベキュー場所が取れず、多摩川の上流となる秋川まで出かけた。ここは、公営のバーベキュー場のようだ。長女が場所を指定したので詳しいことは分からぬままに、ワンボックス車に乗った。大人7人と子供、現地で大人3人と子供一人が合流した。食材の肉は、前々日に人形町・日山肉店で贖った上々の代物。現地で炭や器材を借りるようになっている。

久々の河原でのバーベキュー、火起しから焼き方と大いに活躍した。すっかり酔っぱらい、余所の子ども達とメダカの小魚を採って遊ぶ。軟弱な体を思い知ったのは、膝までの流れに浸かりながら向こう岸に渡ろうとすると、川底の石で滑る、足裏が痛くて四苦八苦、かつての山の子も形無しであった。気分転換には最適な一日であったが、往復の渋滞には参った。片道二時間半づつで、五時間を車中で過ごした次第。都会では、バーベキューすらも大事なのだった。

 

 ー 弁当予行演習 ー

今朝は来月からの弁当復帰に向けて予行演習、家人と長女の弁当を作った。夜明け前から目を覚まし、暇に飽かせて早々と弁当を作り上げた。今朝は、何の与件もなく台所に立ち、冷蔵庫を開いてメニューを決めた。

                          

「エビフライ」を中心に据え、茗荷と茄子・シメジの素揚げを青紫蘇ドレッシングで和えた代物、サツマイモの素揚げと卵焼き、パン粉と小麦粉&溶き卵のフライの残り材を使った「チジミ」、卵焼き、これだけである。そうだ、豚肩肉の薄切りも素揚げにしたのだった。

                      

以上の菜に、ご飯の上に琵琶湖産・稚鮎甘露煮を載せてお仕舞である。自分の弁当は作らないので、力が入らぬ訳では決してない。あくまでも予行演習、軽めに肩慣らし、足慣らしと云うところである。

 

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思いがけずに・・・

2012-09-20 | Weblog

9/21(金) 週明けに 帰京し、出社するとデスクの脇に宅配の箱が置いてあった。見るとよく分からない方が送り主であった。住所は広島市となっている、よくよく名前を確認するとMさんと在った。二週間ほど前に、BOLGの書き込みを通じて、何度か短いやり取りがあった方であった。

4月の某日、橋本和喜さんが会社に立ち寄ってくれた。何年かぶりであった、そのことをBLOGに記した。其処から辿って、橋本さんと連絡を取りたいと云ってきたのがMさんであった。「20年前に同じ会社で編集の仕事をし、ご指導を頂いた大恩のある先輩」と云うのが、橋本さんからの応えであった。拙いBLOGが、お二人の邂逅に役立った次第。

多分、橋本さんから会社の所在と私の名前を知ったのであろう。ご丁寧にも、広島の銘酒「加茂鶴」を頂戴する仕儀となった。不思議な縁とはいえ、Mさんの橋本さんと会いたいという思いが繋いだのであろう。強い思いがあれば、何時か出会えるものと実感した。

 

閑話休題、昨日に「りゅうきゅう」のことを記したが、どんな形をしているのか写真を載せなかった。サトイモの茎とそっくりさんである。多年草で、冬に枯れても毎年春になると立派な茎と、葉をつける。先月の帰省では、畑仕事の途中で大雨となり、この葉を傘の代わりして雨を凌いだ。効果は薄かったが・・・。この茎、皮を剥いて食す。土佐の夏の風物・食べ物である。

                           

 過日、渋谷の缶詰BAR 「m,kansO」へと立ち寄った。今月初旬。ここに置かせてもらった「ミャンマー・カンカウン準中学校建設の募金箱」を回収にしたが、募金箱の金額の報告をしていなかった。その報告を、遅ればせながらしに立ち寄った次第。募金額は3万円9千何某で、もう一息で4万円だっのにと残念がってくれた。気持ちのいい、ご協力に感謝感謝である。

一杯だけ飲んで引き上げるつもりが、何時のまにやグラスを重ねていた。居心地のいい店とは、そんなものであろう・・・。

未だ未だ目標額には遠いようだ、中心になって活動する学生たちと協力して集めなくてはならない。差し詰め、来月の「べったら市」で募金戦略を展開しようと目論ではいるが・・・。

  そろそろ弁当復帰を・・・

8月上旬に弁当運休を宣してから久しい、月が代わればそろそろ弁当オヤジに復帰する頃合い。帰省のおりに老両親の飯当番を務めたが、何故かことごとくに味付けが半端であった。些か自信喪失と云うところである。

昨夜、遅くに帰宅すると「鮎焼き」がテーブルに残っていた。帰京のおりに貰ってきたのを夕食用に焼いたのであろう。これを見て、俄然「甘露煮」を作る気になった。そしてこれを、明日の弁当の菜にしようと思い立った。酔った体で、深夜の甘露煮作りとなった。味付けを失敗しないように慎重に丁寧にと・・・。

                            

そろそろ弁当復帰の時も近い、今朝は手始めに家人と長女の弁当で小手慣らしとなった次第。田舎でたくさん採れた茗荷と、もらい物の茄子、これがメイン食材。先ずは、茄子&茗荷と豚肉の味噌炒め。次いで、茗荷と牛蒡・ピーマンの炒め煮、定番の卵焼きで二人分の弁当を作った。勿論昨夜の鮎の甘露煮も加わる。

                       

ご飯の上に、琵琶湖産の稚鮎甘露煮と大阪の昆布煮が載って完成となった。簡単な菜で、手短に作ったのであるが、どうもしっくりと来ない。暫らく遠ざかった所為であろう・・・。もう少し練習をし、Kの弁当は来月からとなろう。

                            

 

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雨・雨の合間に

2012-09-20 | Weblog

9/20(木) 雨に祟られた散々な郷里であったが、今年は雨に魅入られているので慣れた・・・。帰郷する前日までは天気も良かったとのことであるが、大型の台風の影響で夜には大雨・豪雨。川の水も濁り、洪水となった。新鮮、捕りたての鮎は望むべくもなかった。

それでも、雨の合間を縫って草刈や草毟りである。日曜日には晴れ間もあり太陽が一時は顔を出した。何とか畑を綺麗にし、庭の池の掃除と草を毟った。畑では、最後に残った瓜が十個ほど黄色くなって熟れ残り、瓜残り?この蔓も全て刈り取った。南瓜は今年もよく実った。昨年の種類とは異なり、小ぶりの実であるが味はいい。これも十個ほど収穫した。

                        

まだ早いか、と思っていた秋茗荷が花を咲かせていた。この茗荷が中々いいのだ。大振りで色艶香りともよし、これをバケッに一杯採った。花が遅いのが、彼岸花、今年は随分と遅いのか、少ないのか。今頃は畑の隅に群生して花を咲かせているが・・・。もう一つ、栗と柿の実が殆ど落下し、散々な様相。栗は夏場には随分と実を付けていたのが、壊滅状況である。

                        

石垣の縁に群生する「茗荷」だけは、時期が来ると沢山に芽を出し花を付ける。和え物や味噌汁、茄子との味噌炒めと諜報する秋の味覚だ。”りゅきゅう“と茗荷の酢物なども作り、酒の肴にする。

                          

そんなことで連休もあっと云う間に過ぎて行った。火曜日、帰京の前、庭の青桐や皐月の芽が伸びているの気に掛かった。二時間ほど選定をする。この小さな庭の庭石を、句碑に見た立て石板が付けられた。もう一方の公園スタイルの小園にも句碑が建った。

                        

困ったものではあるが、私の家でもないので文句を云う訳にも行かず・・・。挙句、来月の中旬にはこの句碑開きをやるという、泣く子と老人には勝てぬ・・・。

                     

それでも、老両親の卒寿記念と云われれば致し方ない。主体性など、とうに何処かにうっちゃった息子は、素直を従うばかり也。

 

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またしても、雨とともに

2012-09-19 | Weblog

9/19(水) 先週は木曜日に松山に入り、旧友たちと懇談。愉しいひと時を過ごした。松山の繁華街「大街道」は人出も多く賑わっていた。一時、大街道の商店街も寂れたとのことであったが、そんな声を払しょくするような感であった。

友人たちとの懇親の場は、その大街道から入った飲み屋街。ながら、店は小体ながらも落ち着いたいい店であった。そこの座敷で四人で酌み交わす。大酒を飲むメンバーではない、何時ものようビールからハイボールへと移り共通の話題を肴に宴はつづいた。

                       

                       大街道への入り口                M氏とK氏

ホテルに迎えに現れたkatuta氏は、私の口髭を見て大笑いをした。私は彼の頭をみて「随分と進化をしたものだ、と笑う」。Miyoshiさんは、少々白くはなったが原型をとどめた頭髪で、何時もながらに穏やかである。Hoshiak氏は、夏に会議で上京したおりにお茶をしたので変化なく、涼しげで夏向きの頭髪、冬場かなり寒いであろうが・・・。頭のことはお互いに触れない方が幸せか・・・。

M氏は本社・社会貢献推進室時代の私の後任、H氏は昭和と云う時代に本社の同じ部局の仲間、K氏とは昭和が終わる頃と平成になり横須賀での勤務と二度ご一緒した。過ぎ去った時代は、何時もいいものだと思う次第。

翌日、彼らと昼をご一緒してから高知行の高速バスに乗車する待ち時間、暑いので冷房が効いた三越デパートにて束の間、涼んだ。そういえば、前回松山を訪れた時は松山三越に知人がおり立ち寄った。その知人は一昨年、仙台三越へと転勤になり地震でご苦労をされた。 二階のテラスでお茶をご馳走になったことを思い出す。

高知市に近づくにつれ、雨雲が重くなってきた。インターを降りて市内に入ると、大粒の雨が落ちてきた。ここの処、毎回の帰省の度に雨となる。今回は大型台風の影響、上手い具合に雨とぶつかるものだ。またしても従姉妹たちから「masanoriが雨を連れてきた」と云われよう・・・。

高知支店に今春から転勤となり、ぶつくさ言っているOkada君に会うこととなっている。傘とデジカメを片手に、高知駅前から支店のある大手筋へと向かう。駅前広場に、幕末・維新の土佐の立役者三人の像が建っていた。真ん中に「竜馬」右が「中岡慎太郎」、左が土佐勤王党盟主「武市半平太」である。何時の間にや、かようなものが建っていた。

                         

像と云えば、はりまや橋の辺りに建っ予定の「南国土佐を後にして」の歌碑の方はどうなっているのか?資金が足りないので寄付を!の再度の要請があったが、一度応えただけである。一千万程度の資金を集めきれないようでは、土佐人の意地が知れように・・・。なんてこと思ったり・・・。

駅前から、はりまや橋に向かう大通りを下ると3分ほどで江の口川の橋、この川沿いのヤシ並木が南国情調と云えようか。川沿いに出る夜台のギョウザが人気となっている。母は、この右手に在る病院に長く入院していた。

                          

観光客に人気があるのが「ひろめ市場」、この千坪にも満たないスペースに、間口1~2間の店が櫛比しており、真ん中に長テーブルと長椅子が置かれている。客は、好きな場所を取り、好みの店から飲食物を買い、飲み食いする。格別安くもないが、この手軽さと選択肢の多さに魅かれるようだ。昼間から飲み食いする客で溢れている。

                   

高知の繁華街「帯屋町」通りも客足が少ない、松山の大街道に比べると三分の一か・・・。高知支店とは目と鼻の先、ひろめ市場に入りO君の登場を暫し待った。今日は、端っからハイボールで行くことにした。

 

一時止んでいた雨が、夜になって降り出した。明日からの草刈が思いやられたのであった。

 

 

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kamoさんと・・・

2012-09-13 | Weblog

9/13(木) 昨夕、20年来の付き合いとなるkamoさんが会社に来た。会うのは、ほぼ一年ぶりとなるか。昔イベントでニューヨークに行った時の写真を持参した。尤もこの写真は、広告代理店の国連社のメンバーが撮影したものとかで返却するための持参。国連社も消滅したはずだが、当時のメンバーはそこ此処で活躍している。

そんな一人で、Nグループの某社で活躍中のSatou氏も人形町に来ることとなっている。彼が写真が欲しいとの要望であった。kamoさんは、某通信機器会社の研究・開発担当者で骨伝導の通信機器などを担当していた。そこで開発されたのが、骨伝導受話器の「ひびき」、この原理を応用して特殊なヘッドホン「ライブホンときめき」が誕生した。

ライブホンときめきを利用したNTTの社会貢献活動が、耳の不自由な方にも音楽を楽しんでもらう企画「ライブホンときめきコンサート」の開催であった。N饗コンサートや独自のコンサート、映画などでの利用と数多くのイベントを開催した。その延長線上がニューヨークでの開催であった。

まだまだ、いい時代でした。と、今なら云えよう。ニューヨークの企画では、私は事前の打ち合わせや調査に行ったが、本番の時には既に転勤して担当ポストから離れていた。余談だが、海外出張が予定されていて転勤となったのは、これとフランスのブレスト市訪問の時と二度ある。お蔭で棚ボタの人もいるわけだが。

kamoさんは「鴨頭」という珍しい性である。四国は今治の出身で、東京工大出の研究&開発者であるが、学者的な処は全く出さない。偉い!単なるオッサンのスタイルを通してきた。私が冗談に云うのは「鰯の頭も信心と云う、となれば鰯よりもでかい鴨の頭だから、ご利益・霊験はあらかた」と。きっと、良い製品を作り、耳の不自由な方がたも満足してくださるはずと、はっぱをかけていた。

広告代理店のS氏やスタッフ、NTTの研究者、kamoさん達と全国を巡ったのも早や二昔近くも前となった。そんな時代の話、kamoさんの上出来の息子のこと(東大医学部出のドクターだって)などで盛り上がった。ちょいと飲み過ぎたのか、私が居眠りをした間に、KとSが大激論となり険悪・・・。元気いいね~。

                            

と、昨夜はそんな夜であった。隣の蕎麦店「高松」からスタートし、カウンターBARで奥のテーブルを陣取って23時までの酒となったもである。いや~面白かった。

今夜は、松山にてK&S氏もよく御存知(私の後任)のMさん、後輩のHやKと一献交わす予定。明日の夜は高知で、これも後輩のO君に気合を入れなくては・・・。そんなことで旅からの帰還は、連休明けの18日となる。

 

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