オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

トンカツ

2016-10-31 | Weblog

10/31(月) 今日は10月最後の日、秋は足早に去り木枯らしの季節がやってきた。昨日の日曜日、午後に情報誌の取材予定。その後、千葉市のはずれで執り行われる通夜に参列の予定だった。

朝から寒いくらいで、なにを着ていくか迷った。そのまま通夜に向わないといけないので、濃いダークグレイのスーツにし、胸内のポッケに黒いネクタイを偲ばせた。早めに出て、取材場所の確認や臨機の対応策を考えるつもりだった。其処へ、携帯の着信が。見慣れぬ番号だったが名前を名乗った。

それは、今日の取材相手であった。「どうしても外せない用ができたので、今日の取材をリスケしてほしい」との連絡であった。参ったね~、入稿までのスケジュールがギリギリ、今日の取材スタッフも家を出るか、出た時刻なのだ。とはいっても、泣く子とお代官様には勝てぬ。了承した後、お急ぎでスタッフに連絡したのであった。

そんなことで、思いがけない時間ができた。散髪に行くことにした(誰でぇ、切るほどの髪はねぇだろうと呟いたのは)。散髪屋のカミさんと世間話をしながら、長~い髪をカットしてもらう。何しろ、この床屋には三十数年通っているのだ。その昔には、親戚だかの引く、電話のことを頼まれたことがあるぐらいだ。

カットするだけだからアッと云う間に終わるのだ。こんなに短時間なら、散髪代を減額してほしいぐらいだが、最近の町場の床屋は儲かってないからな・・・。

床屋からの帰り、途中に在る長女の家のインターホンを押した。すると、孫娘のSORAが、ハローウィンの出で立ちで出てきた。最近、歯の生え変わりで前歯が数本抜けている。『お菓子の食べ過ぎだ~』と言うが聞かない。写真を撮ってサヨナラしたが、どうせ夜には家に来るだろう。

                            

天皇賞の競馬を見てから、通夜に向かった。途中、田舎のKATUOから「松茸を売れないか」との電話が。取り敢えず送れよと言ったが、松茸を賞味するには少々時期が遅い。ベッタラ市の頃であれば、使い道は多々あったのだが。田舎の松茸は、最盛期が遅れたようだ。

お通夜から戻ったのは21時30分ごろであったか。帰りは、グリーン車に乗って缶ビールを飲みながらであった。帰ると、案の定、孫娘が来ていた(ママ夜勤なのだ)。

零時前に眠ったが、目覚めたの4時まであった。ままよと、眠くなるまで本を読む。五時半頃になった睡魔がやってきた。一時間ほど眠るつもりが、起きたのは7時20分になっていた。長女の弁当が要らなくてよかった。

今日は「トンカツ」にするつもりでいた。迷いはない。ヒレ肉のブロックから四枚分を切分けた。家人一人分なので量は要らない。タマネギのフライと万願寺・薩摩芋の素揚げもいっしょに作る。後は鮭を焼き、卵焼きを作ってお仕舞にした。

                          

 

手間を掛けない、掛ける時間もないお弁当であった。

 

 

 

 

 

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生姜焼き

2016-10-28 | Weblog

10/28(金) 今朝も早くから目覚めていた。最後に見ていた夢は、美味そうな生ハムのサンドイッチを作っている店先を覗いていた。そのパンと生ハムがとてつもなく大きく、生ハムを丁寧に何枚も重ねていく若い作り手の姿を感心して見ていた。食事を何処かで摂ろうと、何軒かの店を覗いていたシーンのひとコマ。そんな夢だが、何故か五十代の頃の親父が一緒だった。と、云うことは私も若かった。

何で生ハムのサンドイッチが出てきたのか?不思議だったが、思い当ったのは一昨日の弁当がサンドだったこと。それと、前夜の日本シリーズの野球で日ハム戦を見たのが影響したか?。

前夜、地元の学芸大学の店にフルート奏者のISHI嬢が出演する情報をネットで見付けていた。その店が中々みつからずにいたが、漸く探し当てると、それはライブハウスだった。自宅から6~7分の処に出来ていたのだ。行くか行くまいか迷っていたが、仕事の打ち合わせなどしているうちに、19時30分を過ぎていた。

ライブハウスでは落ち着いて飲めねぇ、と云う思いと退社の時間が遅くなったことも相俟って、パスをした。その代りに、いつもの「ちょっぷく」で軽くワインでも飲んでから帰ることにしたのだ。店が空いていることもあって、チーフのヨッチャンがタブレットで野球を流していた。それを横目にしてワインを飲んだ。

暫く白ワインを飲み、店長のヤマちゃんが寄って来たので「デカイグラスで出せよ」と言うと。「じゃあ、赤ワインだな」と、デカワイングラスにたっぷりと注いできた。チーフが「日ハムの外人、チョー格好いいよ!」なんて言うのを聞きながら、野球放送見ながら一時間ほど遊んで帰ったのだ。

                             

                         写っているのは、助っ人隊のマッチャン!

生ハムサンドのことにいき付くまで随分かかったが、そんなものさ。オヤジノ話は結論が出るまで時間が掛かる。

で、学芸大学に着いたのは21時半。改札前に在る東急ストアに寄って、今日の弁当用にと「生姜焼き用の豚肉」「アスパラ」「メカジキ」と、切れていた「塩胡椒」を一つ買った。

従って、今朝の弁当は「生姜焼き」と「アスパラガスの豚巻」「メカジキのソテー」がメインである。他には、小さ目の掻揚げを作った。下拵えをしてから米を磨ぎ、電気釜のスイッチを入れた。後は、フライパンで焼き、掻揚げを揚げるだけのことだ。

                          

今日もコッテリ系の弁当であった。

                             

 

今夜は渋谷、宇田川町の彼の名店「奈加野」である。TUGAWAさんの兄妹会に参加する。心配は、ハローインの混雑だ。が、雨になったので少しだけ安心だが・・・・。一年前、歩けないほどの混雑で参ったからね  。

 

 

 

 

 

 

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親子丼

2016-10-27 | Weblog

10/27(木) 昨晩は酒場の門限である22時を破ってしまった。夕刻、USUI老がベッタラ市の時に買った魚久の粕漬けを忘れて帰った。親切にも連絡をしたところ、それを取りに来たのだ。普通は「いいから食べて頂戴」とか言いそうなものだが・・・。

来れば一献となるは必定。高松~ローカーボ~セイジュと廻った処で、22時になった。門限が来たので先に失礼すると、老とローカーボから一緒だったHOYA兄いを残して店を出た。高松では、常連客のSHOUKOちゃんが、叔父さんが釣ってきたという太刀魚焼きや、刺身を頂いたが、刺身が旨かった

                           

店を出たのはよかったが「ちょっぷく」の前で、足が止まったのだ。一杯だけやっていくかと、足を踏み入れたのが運の尽きさ。早いうちは混んだと云う店内は、十時を過ぎた所為か閑散としていた。YAMAちゃん店長と、ヨッチャンチーフを相手に、日曜日の天皇賞の予測などして遊んでいたら、なんと悪徳不動産屋のMATUOKA兄さんが姿を現したのだ。

結局帰りそびれ、気が付けば俺たちは最後の客になっていたのだ。そんな次第で、帰宅は零時を過ぎていた。22時が酒場を出る時間と、あの決意は何処へ行ったのか・・・・。優柔不断・意志薄弱・三日坊主にだらしのなさ、困ったオッサンである。

挙句に、朝方目覚めるとラジオはガンガン、スタンドは点けたままであった。こんな状態でよく眠れたものだと、我ながら感心した。そんな寝惚け頭に浮かんだのは『俺は親子丼が好きだったんだ』と、訳の分からん思念ながら、神の啓示が下りたのだ。

迷わず、今日の弁当は「親子丼」と相成った次第・・・・・。

                             

台所に入ったのは六時過ぎであったか。冷凍庫から鶏肉を、野菜室からシメジやエノキ、ピーマンなどを取りだした。親子丼とはいっても、何か菜は要る。醤油漬けメカジキを焼き、小松菜の卵とじ炒め、豚と茄子の味噌炒め、ピーマンの肉詰め焼きを作った。

                         

睡眠不足で脳味噌が働かない、通常ならそうだが今朝は違った。スイスイと菜が出来あがり、オイラ好みの味に仕上がっていた。丼系のお弁当を嫌がる家人にも『今日は親子丼だ!』と、厳しく宣告したのであった。長女が何時もより早く姿を現したが、既に弁当は出来上がっていた。

                              

睡眠不足のはずが、妙に爽やかな朝であった・・・・。最後のひと燃えと云うことか?

 

今夜は、地元の学芸大学の店に、知り合いのフルート奏者ISHI嬢が出演とFBで知った。オイラの地元に現われるんじゃ・・・顔を出さねえと。と、思っているが、その店が未だ見つからん。住所も店名も書いてあったのだが、検索しても見つからんのだ。如何したものか?

 

 

 

 

 

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カツサンドなど・・・

2016-10-26 | Weblog

10/26(水) 今朝と云うより、深夜の二時過ぎに目が覚めてしまった。それから、眠れぬままに弁当のサンドイッチの具を何にするか考えたが、それでもまだ眠れない。最後は、一月後に迫った事務所移転後のレイアウトなどについて考えをめぐらした。

結局眠りにつけにままに、六時前に蒲団から出た。やることは一つしかないのだ。今日の弁当の「サンドイッチ」を作ることになった。昨夜の帰宅時に買った「豚ロース」で作る、カツサンドがメインだが、他は定番の卵サンドとポテトサンドである。

野菜のタマネギ・胡瓜・キャベツをスライスし、卵とジャガイモを茹でる。昨夜に買ってきた八枚切の食パンをトーストし、バターを塗る。トンカツ用の豚肉を揚げて準備完了となった。

                            

後は、具材を載せて挟み半裁するだけのことだ。あっと云う間に三種のサンドイッチが出来あがった。一つだけ、それもカツサンドを試食すると、これが美味い。トーストした食パンと、揚げたての豚ロースも芳しくマッチして上々の出来栄え。トーストパンの歯触りの良さと、豚の脂肪の旨味が口中に広がったのであった。

                      

 

昨夕、友人のHOSOKAWAが久々にやってきた。実は前日に連絡を貰っていたが、来客があると丁重に断った経緯が。そこで一夜明けた昨夜、来て貰った。

小腹が空いていると云う彼の話で、スタートは「ちょっぷく」にした。一皿三百円、小腹を満たすには手頃な量であろう。加えて多種の摘みがあるのだ。赤白のワインを飲みながら、彼の最近の仕事について話を聴く。新番組の企画が固まらないとか、ジェネレーションギャップで若いディレクターと共有が難しいとか・・・。よく有る話だが、昭和をテーマにした番組作りは若い人では難しいか・・・・。

そんなことを話しながら、次の企画でハワイアンをやるよと云うので、『その次ぎはタンゴをやれよ、昭和という時代に随分と流行ったようだぜ』なんて、余計なことをけしかけた。ちょっとその気になっていた。アルゼンチンタンゴやコンチネンタルタンゴについて、聞きかじりのことを喋った。

共通の問題である、田舎の実家をどうするか。彼の場合、故郷への思いとは裏腹に、妻は既に自分の郷里(久留米)に居を構えて住んでいると云うギャップがある。加えて、田舎の田畑の管理など頭が痛いであろう。何時の間にや、そんなことのボヤキ酒になっていた。

今日は早目に上ろうと、「ちょっぷく」から「ローカーボ」へと移り、ハイボールを軽く飲っての帰宅であった。早い帰宅が、深夜に目覚める要因かも?

                                

 

 

 

 

 

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肉じゃが

2016-10-25 | Weblog

10/25(火) 今日のメニューは「肉じゃが」になった。昨日につづき、今日も家人の弁当だけだ。他の菜は「メカジキの醤油漬け焼」と「小松菜の肉炒め」「炒り卵焼き」と、簡単な品ばかり。

                        

変わり映えのしないメニューがつづいているので、明日辺りは「サンドイッチ」でも作ろうかかと・・・・。早くも、明日の弁当の心配をする私である。

 

昨夕、人形町安酒場巡りの案内をしてあった、取引先の面々(四人)が人形町まで来てくれた。担当のITO嬢と、TANAKA取締役も加わって「高松」からスタート。珍しく高松は空いていた。生ビールから始まって、赤唐辛子と大葉の緑がきれいな「金魚ソーダ割」を紹介し、楽しんでもらった。

高松から「ローカーボ」へと移動し、今度はハイボールを飲りながらの歓談。最後の店は「ちょっぷく」だが、残っていたのは東京支社時代に一緒だった、後輩のKAKINUMA君だけになっていた。ITO嬢に言わすと、「二人とも足元が覚束なかった」とのことだが。そんなことはねぇだろうと、言ってはみたが・・・。

酔っていたのは間違いない。深夜に目覚めると、電気もTVも点いてままだった。そんな夜を過ごしても、弁当作りだけは欠かさない私であった。

 

 

 

 

 

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道半ばに・・・

2016-10-24 | Weblog

10/24(月) 晩秋の気配が漂い始めたようだ・・・、ベッタラ市が終わると年の瀬をまじかに感じるのも無理ないか。今年も二月余で終わるのだ。先日のベッタラ市は初日の人出が多くて、売り物の大半がそれで掃けてしまった。二日目は売り物をかき集めたが、なんと余ってしまった。来客用に用意したベッタラ漬けも相当残った。斯様に、ことは見込みどおりに運ばない。

見込みどおりに運ばない中で、順調に進んでいるのが「五百円玉貯金」だ。土曜日、会社に顔を出したので、〒ポスト型の貯金箱を開けて中の五百円玉を取りだした。五万円ぐらい貯まると聞いていた貯金箱の口から、コインが零れるようになっていたのだ。誰もいない社内で、貯金箱の底を開けてコインを取りだしてデスクに並べた。

十枚づつに重ね、並べて行った。スタッフが居る時間帯には出来ない光景である。さあ~て、何枚になるのか・・・・。

                           

数へてみると、154枚になった。〆て七万七千円の五百円玉があった。加えて五十円玉がお愛嬌に三枚。結構な量が入っていた。これを持ち帰って、9月12日から使用している、三十万円貯まると云う貯金BOXに移した。既に、十万円と三十万円のBOXが一つづつ満杯になっている。と云うことは、都合五十万円を越している勘定だ。

想定以上に五百円玉の溜まり具合が早い。ここのところ、月平均百枚以上のペースで投入できている。この試みが始まったのが昨年の11月半ば、もうすぐに一年を迎える。初めた当初は、百万円の達成まで三・四年掛かるだろうと思っていた。が、このペースで進めば、来年の末には達成できるかも?

まあ、道半ばにして早くもゴールをのことを考えているようではどうしようもないが。これも、見込み以上に早かった、半ばへの到着の所為か・・・。

 

さて、今朝の弁当は「牛小間炒め」である。土曜日、悪徳チャンと「中華 三浦」で、あの旨いラーメンを食しビールを飲んだ後、「日山」に行き、弁当用に牛小間を買った。三浦へ向かう道中から、カバンに入れた五百円玉が重かったが。

その牛小間を、炒め焼きにしてメインメニューに。これに、ピーマン・タマネギ・エノキをソテーして添える。日山の肉は旨いので、味付けは塩胡椒だけ。

                                 

次いで、春雨と野菜(人参・キャベツ・ジャガイモ・タマネギ)のサラダ。味付けは青紫蘇ドレッシングに。鮭とタラコを焼き、最後は卵焼きで〆た。残念なことに、今日の弁当も家人用の一つだけであった。

                                 

 

 

 

 

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ベッタラ疲れ・・・

2016-10-21 | Weblog

10/21(金) 18日の買い出しと準備、そして二日間のベッタラ市が立つ祭りも終わった。今年もこれで一区切り付くと云うものだが、疲労困憊とはこのことかと云うぐらいに疲れている。近頃は畑で少し動くだけでも草臥れてしまうのだ。体力の衰えには目を覆うばかりだ・・・。

初日の水曜日は昼間から夜にかけて、人通りが絶え間なく賑わった。二日目も勿論賑わっていたが、初日程ではなかった。二日間で販売を予定した安納芋の焼芋は、初日で底をついた。我が故郷の清酒「南」は、初日に五升が空き残った一升を知人・友人用にと隠した程。代わりに「ちょっぷく」から久保田を分けて貰った。

                        

猪汁や鹿肉もなくなり、初日の幕が下りてから、冷凍して取り置いた肉を急遽料理する破目となった。骨付きの鹿や猪を切り分けるに往生した。

焼き鳥の方も、足りなくなると心配して急遽、地元で確保して持参した。処が、案に相違して焼き鳥も久保田も余った。焼酎の伊佐美も、二升用意したが一本残った。二日目は、初日の勢いがなかった。

二日間にわたり、日に三度、八合の米を炊き、オムスビや栗飯、五目チラシを作った。スタッフの賄い飯と、お土産用や近隣へのご挨拶用として。これに加えて、朝は弁当用の飯を炊き菜を作った次第だが、ちょいと手抜き加減だったか。

例年来てくれる友人で、後輩のYOSHINOやSHIONO君、上野時代のメンバ―数人、元岩通のKAMOさんなどの姿を見なかった。こんな機会でなければ会う機会も少ない。その絶好のチャンスを逃がしたのが残念である。

それでも、初日にはKISHIMOTO大兄が、昨日はUDAさんが姿を見せてくれた。大先輩がわざわざ来てくれるので、嬉しい限りだ。

 

祭りの後の侘びしさよ、とは聞くが、こっちは祭りの後の腰痛だ・・・・。

 

 

 

 

 

 

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ベッタラ市始まる

2016-10-19 | Weblog

10/19(水) 今日はベッタラ市の初日だ。五目チラシ寿司の具などを持って、九時前に人形町に着いた。「ちょっぷく」に寄り、味噌を貰って、互いの健闘と成功を交換し合い、最後の買い物をしてから会社へ。

町内会やテキヤの面々が屋台の準備で忙しくしている中を、我等の出店場所を確認する。と、既にテーブルが並んでいた。昨夜泊まり込んだAOKI君が準備をしたのであろう。

                               

早速、猪汁&猪鍋に火を入れた。次いで、賄い飯の準備に入った。今日の飯炊き予定は三度。オムスビ用のご飯、土佐風五目飯のご飯、最後に栗飯を炊いて終える。全ての飯が終了するのは、三時頃かと想定。今、最後の栗飯を炊いているが、早や草臥れてしまった。

何度も云うが、出し物は「猪汁」「猪鍋」「鹿肉串焼き」のジビエトリオ、そして安定した売れ行きの安納芋は、今年は焼芋にした。その分、器材やガスなどでコストアップだが。他には、定番の「焼き鳥」と酒類だけだ。

昼の人出は先ず先ず、夜になって「南」や「伊佐美」の出方を期待するか・・・・。

                

 

後ほど、今日の賑わいぶりをアップします!

 

 

 

 

 

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準備疲れ

2016-10-18 | Weblog

10/18(火) 明日から「べったら市」の祭りが始まる。恵比寿寶田神社と椙の森神社の祭りだが、江戸の昔からベッタラ漬けを売る屋台が並んだことから、通称でベッタラ市と云うようになったようだ。その祭りに、屋台を出すようになって、早や十年になろうか。

商売ではないので採算は問はないようにしているが、それでも黒字になると嬉しいのだが・・・。未だ黒字になったことはない。お客さんに喜んでもらい、スタッフが祭りの気分を楽しんでくれたら善し、と割り切っている。

今朝は築地市場へと食材(牛蒡・人参の笹掻や剥き栗等)の買い出しに。出社後、午後一に情報誌の件で某社を訪問。これが難題で、これまでの内容と百八十度変わり、紙面も四分の一になる。こちらとすれば、オーダーされたことをやるだけのことだがガックリである。そんな重い気分で三越前駅に戻り、コレド室町の地下で遅いランチを摂った。

ランチは「牛カツ」にした。前から気になっていた店で、短期の出店スペースのような場所に店が出ていた。日頃ランチは省略しているのだが、重い気分を変へるストレス解消法だ。一番安い牛カツ定食(1300円)を注文したが、飲み物どうされます?と問われた。この際だ・・・、気分転換にと生ビールをオーダーした。社に戻ってからは人に会う予定もない、あるのは明日に向けての仕込みだけだ。

牛カツの方は柔らかで旨味があった。この値段で?と、よくよく品書きの横に書いてある説明を読むと「牛脂を混ぜて旨味を出しています」とあった。柔らかくて当然だ、合成肉なのだ。急に有難味がなくなった・・・・。

                            

                          牛カツを鉄板で焼くのだ!

帰社後はひたすらに仕込みに励んだ。猪肉、鹿肉を切り分けて鍋や、猪汁ように仕込んだ・・・、二時間ほど煮込んだが、未だ味が落ち着かない。大丈夫かな?

本番が始まる前に、すっかり疲れてしまった。明日は、米を三度は炊可なくてはならぬ。栗飯と土佐風五目チラシ、オムスビ用の三度である。スタッフの賄い用と、知り合いに渡す分だ。そして、四方竹をおかず用に煮る。これだけでも結構草臥れるのだ。今夜の酒は軽めにして、明日に備えよう・・・・。

 

で、今朝の弁当だが。築地への買い出しがあっったので、手抜きも良い処だった。鶏肉と蒟蒻・人参の煮物、茄子と挽肉の味噌炒め、冷凍のチキンカツ、小松菜の胡麻和え、鮭&塩秋刀魚焼き、ご飯の方は三色飯にした。

                         

 

昨夜は五日ぶりの人形町パトロールだったが、「ローカーボ」軽く飲んで帰ろうとしたら、HOYA兄いと悪徳不動産ことマッチャンが現れた。いや~久しぶり、と挨拶の後、「ちょっぷく」へ。「ちょっぷく」もベッタラ市に屋台を出すようになり、そのメニューをデザイナーのYOSHIOが作ってやっている。その関係で、YOSHIOが店に顔を出すことになっていた。

店に着くと、YOSHIOは既に来て居り、所在なさ気に独りジョッキを抱えていた。俺の姿を見ると、急に元気になりやがった。HOYA兄いも来て、座が急に賑やかになった。

YAMAちゃん店長も席に来て、HOYA兄いに歌の指導を始めた。客の姿は少ない時間とはいえ、未だ十人やそこいらは残っていたがお構いなしだ。「夜明けのブルース」の一節を、- このグラス飲み干したら帰ると - 帰ると のとこ、そこは下がるんだよ。手振り身振りだ・・・。

                           

                          歌合戦のYAMAちゃんとHOYA兄い

そんな夜だった所為か、夢見の方は ―ちょっぷくのチケットを買ったら、なんとゴールドカードが三枚も入っていた-そんなこと有る分けないのに、お目出度い夢であった。

 

 

 

 

 

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秋桜&鮎

2016-10-17 | Weblog

10/17(月) 高知は朝から汗ばむような陽気になった。これじゃTシャツだと思いながらも、帰京の為に長袖のシャツとジャケットを羽織ると汗がでてきた。深夜に大雨が降り、橋の上に出てみると増水した川水は濁っていた。自宅から川まで100m程と至近なのだ。夏の深夜、窓を開けると蛙の声とともに瀬音が聞こえる。

この時期、帰郷しての楽しみは庭先に咲いた「コスモス」と、漁期が終わる「鮎」のことだ。庭先の秋桜は、九月下旬から十月の半ばまでが一番いいが、今年は少し早やくから咲いたようだ。十月の中旬は、例年だと鮎漁が終わる。今年も十月十五日で漁が終わった。

四年前の10月13日、庭先に建てた父母の句碑開きが催された。満開のコスモスが風にそよぐ中、集まった親戚や知人たちと記念写真を撮った。この年のコスモスが一番きれいだった。それから一月後、思いもかけづに父は亡くなった。

今年もまた庭先にコスモスが揺れている。が、心なし侘びしげに咲いている。その先に「小春日や七十余年の竹刀胝」と親父の句碑が立つ。コスモスが終わると、庭の手入れをしなくちゃならないが・・・・。今年もまた秋がやってきたが、足早に去っていくことだろう。

                           

今年も九月になって台風がつづいた。東京のことではなく、田舎のことだ。この時期から「鮎」は脂が乗り大きくなる。子持ち鮎になり旨くなんのだ。それが、台風のもたらす大雨で洪水となり鮎漁ができない。十月になっても、禁漁となる直前の4~5日しか漁ができなかったとのこと。十五日は土曜日で、安田川に太公望たちが押しかけていた。

                        

                          これは、HIROKATUだ!     

我が家の傍の正弘橋から望むと、上下に竿を出す釣り人が並んでいた。従兄や義弟のHIROKATUは、箱メガネで水中の鮎をシャクる漁で四十匹程獲ったそうだが、型は小さいとのこと。HIROKATUは、今年の漁は去年より500匹は少ないと言った・・・。

帰郷した13日に、獲りたての鮎を貰って食したが、冷凍物とはひと味違って旨かった。十枚ほど開きにしたが、何れも子持ち鮎であった。今年の鮎も終わり、コスモも散る。秋の終わりを告げる故郷であった。

                            

秋の味覚と云うよりは風物「アケビ」と「マツタケ」を、親戚のKATUOが持ってきた。従姉達集まり、松茸ご飯と吸い物のを作り秋の一夕を愉しんだが、翌日は採れ残った畑の栗を拾って「栗ご飯」となった。ただ、松茸も栗も、今年は少ない。

                          

                  柿と温州ミカン&アケビ三態。タネの大きさはスイカの種ぐらい。

畑の草刈に焚火と焼芋、池の掃除と飯作りを堪能した、毎度お馴染みの田舎での日々であった。畑の隅に自然に生えた「茶」は、木に白い花を咲かせていた。

                            

明日からはベッタラ市」モードだ。朝は築地へと食材の買い出しに。午後は仕事の打ち合わせで外出した後は、仕込みだ。猪肉・鹿肉と清酒「南」も田舎から届いた。安納芋も種子島の中園農園から到着。準備は整いつつある・・・・。来たれよ、客人!(屋台は何時のも場所だよ)

 

 

 

 

 

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