命日
8/30(水)八月も明日の一日を残すのみとなった。季節は廻り、池のカエルたちは名残の夏を惜しむかのように鳴き、秋虫の声は一段と高くなった夜。一人、PCに向かう!、久々にBLOGを記すため。
今日、八月三十日は母の命日。亡くなって五年の月日が流れた。以前にも記したが、五年前の八月一日、会社を離れた。入院生活となった母の側で、長くはなかろうが暫く暮らすつもりであった。が、その月末に母は逝った。私の予想より早くに・・・。
母のことを従姉の子供たち(もう、四十代から五十代だが)が覚えていて、異口同音に「おばちゃんに、いろんなことを教えてもらってそれが役だっている」と、ことあるごとに言ってくれる。口うるさい叔母さんであったろうが、「今になってわかる、有難い」と云う。
そんな母は、田舎育ちの従姉の子供たちに伝えたいことが沢山あったに違いない。親の意見と茄の花は千に一つの無駄がないと云うが、亡母の言葉を無駄なく覚えていてくれている皆に感謝である。
田舎暮らしの日々は、町に飲みにも出ずに野菜と戯れることばかり。お陰でインド人もビックリ(古いダジャレだが)と云うほどに焦げた。その焼けようには、我ながら感心している。「焼けちゅうね!」と云われると、専ら「ハワイに暫く行ってたから」と、愚にもつかぬことを言っているが。
そんな畑暮らしの成果は、日々採れるナスやキュウリ、ジャンボシシトウなどの収穫(何処へ持っていくか、誰に貰って頂くかと、悩みは尽きぬが)。里芋に発生したヨトウムシ退治、加えて秋採れのトウモロコシに飛来した「アワノメイガ」なる害虫退治で二時間も潰している。
九月半ば、義母の納骨をすると云うので三日ほど帰京する。三連休を挟んでの帰京だ。生産的なことを何もしない東京に居るより、少しでも体を動かして野菜を愛でる日々の方が健全?、そんな思いである。
為さざる者は食うべからず!を、この頃は座右の銘としているが、さりとて我も為していない。恥じるばかりである・・・。