オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

年度末雑感

2014-03-27 | Weblog

3/27(木) 人の動きが慌ただしい。年度末から新年度に切り替わる時期は、退職や転勤に新人が入って来る変わり目だ。むべなるかな。後輩のTERASHIMA君も今月で退職するが、日々にかまけて会いに行けず仕舞。電話で、ご苦労さまを伝え、改めて会うことを約した次第。

昨夕は、友人のW氏を訪ねて都下の豊田駅に降りたった。氏との交流も三十余年となるが、彼は一昨年にリタイアして母親の世話を専らとしている。長い時間、家から離れることが難しいので久々に私から訪ねた次第。これから十号の取材が始まる情報誌の生みの親であり、我らが参画する機会を作ってくれたのが彼であった。

彼の案内で鰻屋にて食事、昨今の状況などを意見交換しながら日常の暮らしなどを聞いた。受講していた放送大学大学院も終え、日本史、地中海史を読了し、日本文学から世界文学全集に取り掛かるとか。彼の友人である「鎌田 實」さんのサイン入りの近著を頂いたが、その折「最近点字の習得を始めたんで、鎌田の絵本を点訳したいな」と語った。

鎌田實氏と彼は、中学の同級生であったそうな。それ以来の付き合いとかで、鎌田氏の本が出るたびに何十冊かを購入して、知人たちに配る。鎌田さんの著書は数多なので、なかなか出来ることではない。友人への、彼らしい応援である。私も随分と頂戴しているが今回頂戴した本は「〇に近い△を生きる」であった。余談ながら、読み易く分かり易い本である。

勤勉で勉強家ぶりは、相変わらずであった。年金暮らしの彼にご馳走になってしまい、申し訳ない限りであった。が、これもまた彼らしい。京王線高幡不動駅に送ってもらい、清々しい気分で帰路についた。

早い時間だったので、渋谷「奈加野」にちょっくら顔を出した。これまた久々であったが、なんと、店は満席状態。一つだけ空いていた奥のカウンター席に腰を下ろした。これだけの客の入りを見るのは久々だ。民の竈が賑わっているのを眺めると安心だ。流石に店主も大忙しで、俺のボトルを減らす暇もない。商売の邪魔をしないようにと早々に引き揚げた。

「奈加野」といい、「ちょっぷく」といい、最近は繁盛している様子。人の動きが或るのは、商売にも良いようだ。当社には、然したる影響もないが・・・。

我が玄関先では、河津桜から豊後梅と花が終わり、今は山桜桃(ゆすらんめ)が小さくて白い花を付けた。鉢植えの枝垂れ花桃の蕾は、膨らみがまだまだである。チューリップの茎は10cm程に伸びた。爛漫の春が近い・・・。

                       

情報誌10号の企画が、先週末に決まった。取材先のアポ取りから取材、原稿とこれから一気に忙しくなるだろう。これで助かっているのが、各地に居る知人・友人の存在である。今号でも友人からの情報や、紹介で進行していることが多い。皆さんに、助けてもらうことばかりだ。

 

今夜から東名~山陽~しまなみ海道~四国、佐多岬~高知~帰京と、車中二夜、高知二泊のドライブ旅が始まる。年度末の忙しい中で、スタッフには申し訳ない限りだが、同行のメンバーは仕事でも関わりが深い方々である。勘弁頂こう・・・、更に帰京して直ぐに、函館、気仙沼と出向く予定あり。出向くこと出会うこと、人生において何の無駄もなし(私にとっては・・・ここが難しいとこだ)。

四国路の桜は、満開の地が多いかな・・・・。

 

 

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彼岸

2014-03-24 | Weblog

3/25(火) 朝から体調不良。風邪の症状が治まらない。咳き込むし、洟垂れ小僧ならぬ洟垂れジジイだぜ。会社に出るのは止めにしたが、今週中にどうしても会っておかなくちゃならない後輩が居たのを思い出した。彼は4/1から、会社を変わって都下に勤務する。

顔の見納めではなかろうが、いつ会えるか分からない。三十年も前に業務管理部で出会い、その4~5年後には広報宣伝部で私の直属になり一緒に遊んだ。彼の良いも悪いも知っている、そんな後輩である。三時のお茶を、田町のTO THE HERBSで摂りながら雑談をし『それじゃまた』と別れたが・・・。

そんな次いでと、会社にもハンコ押しのためちょっくら顔を出した次第。更なる次いでに、昨日のBLOGもアップした。駄目だ、咳が止まない・・・・。

 

3/24(月) 今日は彼岸の明け、春分の日から三連休となるので墓参がてらに帰省したのは20日の夕方であった。東京は生憎の雨であったが、高知空港に降り立っと雨も上がっていた。高知も寒かった、その寒さは土曜日までつづいたが、昨日からはすっかり暖かい。

高知で染井吉野桜が六輪咲き、開花宣言があったのは帰省する前であった。吾が故郷の川沿いにある染井吉野は、開花してなかった。が、山桜の方は三・四分咲いていた。それでも、昨日までは春まだ遠い感であったが、今朝は急に暖かく妙な感じだ。これは風邪を引いた所為か?

21日は墓前に、墓の掃除は妹夫妻が済ませてくれていた。花を供えた。風は冷たかったが、何処に春の気配を載せている。先月の帰省の折、妹の連合いのHIROKATUに『畑にミツバチの箱を置こうぜ』と話をした。その後、HIROKATUは前に使ったミツバチ用の箱を畑に持ってきて置いていた。『今年、蜂は住み着くかな~』と期待し、虎皮ならぬ蜂蜜に期待を寄せた。

                     

22・23日は 畑の草が伸び始めていた。昨年は、三月の草刈をせず四月の下旬となった。草が伸び放題となっており往生したのを思い出す。あの轍を踏まないためにも、今年は三月に草刈だ・・・。ソルダムの白い花が咲き、小さな桃の木は蕾を膨らませている。焚火をしながら、草を刈った。

          

そして、ネットショップで注文してあったオリーブの幼木を三本、植木屋で「筆柿」と「レモン」に「きよみ」(ネーブルのような柑橘)の苗木を購入して植えた。そして、庭には葡萄の木を・・・。碌な手入れもせずに、成長してくれるのかな・・・。

                

昨晩から急に鼻水が止まらなくなった。拙宅に従姉たちや妹夫妻を招き、賑やかに夕食を摂った。魚屋でシマアジを一匹、刺身にしてもらい、この粗と小イカの大根煮、新ジャガで肉じゃがを、新筍煮、鶏肉のソテー、野菜天麩羅を作った。飲み物はもっぱらビールであった。二時間ほど賑やかに歓談し、お開きになって炬燵に入ってから急に風邪症状となったのだ。

風邪は万病のもと、と云う。気を引き締めなくちゃ・・・。田舎でのんびりと過ごした所為か?畑の草はすっかり綺麗になったのだが・・・。

                      

 

 

 

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雑談

2014-03-20 | Weblog

3/20(木) 朝から雨となった、午後の便で帰省するので傘が邪魔になる。加えて、今朝は寒かったのでコートを着て来たが、帰京予定の週明け月曜日は陽気がいいとか。邪魔物が多すぎる・・・邪魔は消せだが。

昨夜は会社を退けた後、TOKIOと「ちゅっぷく」で一杯。TOKIOと交わすのは久々であった。彼をチーフにして運営させている『ICT教育ニュース』のことを中心に意見交換、と云うよりは雑談会。偶にはこうした場が必要である。YOSHIOとはタバコを吸いながら、休日出勤の後の一杯と頻繁であるが、他のスタッフとは稀だ。

実作業に携わっているスタッフは、日々刻々に忙しそうなので時間を取らせるのも気が引ける。以前は誕生会と称して、毎月定例の飲み会を開いていたが、マンネリを感じたので止めた。皆がざっくばらんに話をする、そんな場が必要なのだが・・・。

YOSHIOが呼びかけ人となったオフサイトミーティングは、第一回の後は開催を聞かない。有志の集いは、日常に追われると開催が難しくなる。定例化できる仕組みが必要であろう。雑談会、大いに結構だし奨励する。会社の経費で社員同士が飲食ができる仕組みもあるのだが、最近は利用されていない。残念なことだ。

TOKIOとは安ワイン(原価は一杯50円ぐらいじゃないか?)を飲みながら、彼はビールから日本酒へと変わったが、諸々について話を聴いた。「ちょっぷく」は繁盛していた。店長(今はこの店のオーナーだが)のYAMAチャンも、この夜は威勢が良かった。店が繁盛すると、病気も忘れるようだ・・・。

                      

この後、「ローカーボ」でハイボールを飲んで帰宅となった。

 

そして今朝はスムージーを作った。リンゴ・キューイ・セロリのシンプルなスムージーで、喉越し香りとも申し分なし。爽やかな味わいであった。

                      

 

 

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おかめ桜

2014-03-19 | Weblog

3/19(水) 今朝は、朝飯をたっぷりと喰ってしまった。昨晩に暇に飽かせて晩飯を作った。その残り物の「牛筋煮込み」と「ブリ大根」にご飯と云う、フルだった。今日は昼前に来客があり、一緒にランチの予定があるのにも関らず、朝から飯を喰うとは・・・。相棒のHIROさんが、入院で喰えない分を喰っていると思うしかない?そんなのありか?

そのHIROさんが、術後三日目を迎えるので様子を伺うことにした。当人は「来ないでくれ」と言っているようだから、押しかけである。昼前の来客との対応を終え、ランチの鰻重をご一緒してから外出した。

午後から空模様が怪しくなってきた。北風が強くなり、午前中の天気とは裏腹だ。三越前駅に向かう途中の、横の通りの「おかめ桜」が満開であった。豆ザクラと寒緋桜の勾配腫で色は緋色、花弁は彼岸桜のように小さい。もっと前から咲いているはずなのに、今日まで気付かないとは・・・。

            

 

武蔵境の病院に着き、手術前とは変わっている病棟を受付で訊く。五階のナース・ステーションで部屋を確認し、訪れた。当然のことながら、パジャマ姿のHIROさんが病人のような恰好で居た。手術前とはさして変わった様子はない。付き添いの女史を交えて、一階のタリーズでコーヒーを飲みながら、幾つかの報告をし、話を聴いた。

「手術の夜は身動き出来ず苦しかった。あんなに辛かったことは生涯で初めてだ」と、その苦しく辛かった一夜を語る。夜眠れないし、まだ痛みが残っているそうだ。そんなHIROさんだったが、私が冗談を咬ます、と笑う・・・痛みが走る。そんなことを何度か繰り返した。余り笑わして、病人に差し障りがあってもいけない、早々に引き揚げることにした。

顔色もいい、手術の傷さえ癒えれば問題ないだろう。来週早々には退院できそうだ。そんな風に感じて病院を後にしたのであった。

 

明日の午後便で帰省の予定だ。お彼岸になるので、墓掃除とお参りである。暇じゃなきゃ出来ない、毎度の里帰りだ・・・。

 

 

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還暦組

2014-03-18 | Weblog

3/18(火) どうやら今朝も二日酔いか?頭の中がすっきりしない・・・なんだって?何時ものことだって!。いや、そうでもないいだ。脳味噌が軽いので、普段はかなりすっきりとしてるんだよ。

昨日の午後、HIROさんの術後経過を知るため武蔵境の病院に行った。付き添っている女史と、お茶を飲みながら待つこと30分程で手術が終わったとの連絡。手術室の前に移動し、Drの説明を受けた。左肺の上部、4分の一程を切除したとのことで、ビニール袋に入った切りたての肺を見ながら説明を聴いた。

『この肺jじゃレバ焼きにしても喰えそうもないな』なんて、下らいことを思って切り取った臓物を眺めていた。それから30分程して、HIROさんは処置用の病室に帰ってきた。酸素マスクをつけて目を閉じていた。意識は戻っているようだが苦しそうであった。

                      

今日昼前にあった女史からのメールでは、昨晩は苦しくて一睡もできなかったようだが、今は気分も良くなり歩いているとのこと。時間の経過とともに、元気になってくれるだろう・・・。

  ―還暦組―

昨夕、目黒の某社に勤めている友人二人が人形町まで来た。先ずは「ちょっぷく」で落ち合った。今月の末に四国(佐田岬と高知)に行く予定があり、そのスケジュールの打ち合わせであった。二人とも還暦で、今月末で退職。引き続き嘱託契約で、今の仕事を継続するとか。

退職記念と云う訳でもないだろうが、その中のF氏が「四万十川桜マラソン」(3/30)と云う、フルマラソンに参加する。そもそもこれが、四国行きの発端である。これと、もう一人のT氏が予てより、佐田岬の小学校を訪ねたいとの希望を持っていた。そんなことから、月末の忙しい中ながら時間を割き決行となった。

F氏は往復飛行機だが、T氏と私、物好きにもU老人も加わり三人はT氏の車で往復である。Tは、遠乗りは慣れているし、廻りたいところもあるようなので木曜日の夜、東京を発つ。金曜日の午前には佐田岬の小学校を訪問、夕方には高知市内でFと合流。その夜は、二人とU老(七十四歳をもって引退)の卒業祝いを高知の料亭で盛大にと云う計画であるが・・・・。

残念ながら、予定した高級料亭の方が満杯で取れなかった。私はちょっと安心した・・・。土曜日は観光の後、Fを宿まで届ける。後の二人は、小宅にて宿泊いただく予定。そして日曜日は応援に繰り出して、その夜に帰京の予定だ。

問題は四国に入るルートであった。車なら三ルート、鳴門・児島・尾道がある。距離と時間も左程の違いがないとのことだ。行きは尾道から今治の、しまな街道を帰りは鳴門~明石ルートに決まった。

「ちょっぷく」から、カラオケの「Seiju」とまわり、仕上は「ローカーボ」でハイボールであった。三人のカラオケをたっぷりと聴き、ビールからハイボール、ワインとたっぷりと腹に収まった。

            

最寄駅の学大に着いたときは午前零時、家に向かいながら酔眼を夜空に向けると満月が笑っていた。いや~酔眼にぼやけてそう見えただけか・・・。酔ってましたよ、肉jジャガを喰うと鍋を火に掛けたら、焦しちまった。寝たんだな・・・・。今朝、山の神に叱られてしまった。

                       

 

 

 

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春と云うに・・・

2014-03-17 | Weblog

3/17(月) 今朝も暖かい陽気である。桜の枝の蕾が、漸くふくらみ始めたようだ。豊後梅は、一週間前とは大違いに満開となり、雪洞のようである。

                     

昨日は午後遅くに会社に出た。七時過ぎとなり、デザイナーのYOSHIOの仕事が一区切りしたので一緒に会社を出た。外は、昼間の陽気とは裏腹に、冷え込んできた。人形町駅に向かうすがら、一杯だけ飲んで帰ろうやと、365日オープンしている居酒屋兼食堂の「源ちゃん」に入った。

『ビールを一杯だけにしようぜ』と言いながら、結局はハイボールへと進んだ。薄いハイボールで、客の健康に気遣っているのか?と勘繰りたくなる。一杯が二杯となるは、店の戦略か?。これで困るのは、トイレが近くなることだ。店を出て駅に着く頃に模様してくるのだ・・・。

YOSHIOとベランダで一服点けている時、仕事帰りに一杯やる時、話すことは仕事のことだ。難しいことや、面倒な話はなしで、お互いに毎度同じようなことを云っている。

曰く「面白い仕事にしたいよね、喜んでもらえる仕事にしたいよ」とか・・・。『客の拘り以上に拘りをもった仕事をする。そんな仕事が出来れば、仕事が途切れることはないだろうが・・・、それに見合ったお代を頂けるか。拘りを持っているクライアントが、目利きができる客先がどれだけいるか』などと、エンドレスな会話である。昨夜もそんな会話をして別れた・・・。

今朝は、九時過ぎからHIROさんの手術が始まっている。肺に影が有ると云われてから久しいが、原因が判っていない。少し大きくなっているようなので、予防の為に切除した方がいいとの結論になった。悪いものではないだろうとのことだが・・・。昼過ぎには、手術は終わるはずなので、結果だけでも聞いてこようと思っている。

最近、周りで病人や不幸がつづいている。ここらでマイナスの空気を断ち切り、春の陽気に誘われたいものだ・・・。待てば海路の日和ありだ。

 

 

 

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古賀武夫・七回忌

2014-03-16 | Weblog

3/16(日) 昨日の夕方、佐賀がから帰京した。この日、十一時から故・加賀武夫さん(地球市民の会創立者、前回会長)の七回忌法要が、佐賀市の「旅館 あけぼの」で執り行われた。この法要に参列するため、前日の夕刻に佐賀に入り前泊した。

参会者は、約七十名程であったろうか。県知事の古川さん、国会議員の原口さん・大串さんや所縁の深い方々が出席し、それぞれに故人を偲ぶ話を語った。私も一言、古賀さんとの出会い、初めて佐賀に古賀さんを訪ねた二十年前の夜、深夜まで酌み交わしたと、古賀さんの物語を本にして後世に残すべきだと話した。

                     

故人の人柄、生き方・活動が、国境を越えて大勢の人々に勇気や希望を、そして大いなる笑いを生み出した。そのことを、改めて実感させられる法要であった。

現会長の佐藤さんから、「泊まって一杯やろうよ」と言われていたが、前夜も佐賀で飲んだことだ。佐藤会長は近々上京の予定があるので、その折にゆっくり話をしましょうと、佐賀空港にタクシーを飛ばして帰京した。

毎年二・三度は佐賀に行く。佐賀のことは詳しくなるはずだが、一向に知らない。佐賀では、地球市民の会のメンバーと会い、その肝っ玉母さんがやっている飲み処「寄ん処」という店に行くだけだ。当然、前夜もホテルにチェックイン後「寄ん処」に顔を出した。店が閉っていると困るので、事前に連絡はしたが・・・。

女将さんが地肴をと、”えつ”という小魚の刺身(小骨が在ると云うことで、鱧のように骨截ちするそうだ)、シャコ、ズガニ(川カニ)、蛍イカと春野菜の酢味噌などを用意してくれていた。「arisawaさんは、ほんに食べらんから。地のもので美味しいと思うものを少し用意したさ」とか云う。有難いことである。

              

「つカニを食べらさらんとか」と言う。茹でたカニが一匹、大皿に載ってカウンターに置いてある。『内の田舎ではズガニって言うんだが、今は旬じゃないんじゃない?夏場に食べるよ。ちっちゃくて面倒だから、身を取ってくれるなら食べるよ』なんて、我儘を言ったところ身をほぐしてくれた。

これが絶品、小さなカニで上海が二ぐらいの大きさだったが、子持ちで味噌の味が抜群であった。薄く醤油か出汁で茹でたようだが、殊のほか旨かった。道理だ、魚屋さんがこれは美味しいよと薦めたそうだ。

この店は全てが美味い、手作りの母さん料理と云う塩梅だが、女将さんは料理上手である。お酒を飲まないで料理だけを食べにくる、そんな女性がこの夜も現れた。

そうこうするうちに、市民の会・理事長のYamashitaさん夫妻が来てくれた。昨年12月の30周年祝賀会以来である。翌日の古賀さんの七回忌のことや、出版企画などを話した。

 

アッと云う間の佐賀滞在であったが、随分長い時間いたような気がする。会のメンバー大勢に合ったからか・・・。法要会場に向かい、町を歩いていると果物店の店先に大きな「晩白柚」が在った。何年か前、スタッフのAOKI君が熊本から取り寄せたことがあった。大きさは文旦の四・五倍は有ろうかと云う大きさだが・・・味は奨めない。ザボン系の柑橘かな?

                       

古賀さんの法要が終わり、会場を後にしたときは二時半を廻った。が、何とか三時半の便に間に合うと佐賀空港までタクシーで向かった。飛行機の中から見える佐賀平野は広い。田圃が畑が、延々と広がっている。我が故郷とは大違いである。

                       

 

 いい、週末であった。

 

 

 

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マイク握れば・・・

2014-03-14 | Weblog

3/14(金) 今日はホワイトディーとか云うやつのようだ。そんなことを覚えているのが奇跡のようだが・・・、会社の小人数の女性スタッフに、心ばかりで恐縮だがプレゼントの雛菓子を贈った。午後からは、佐賀市へと行く。

明日の午前、「地球市民の会」前会長の故・古賀武夫さんの七回忌法要が執り行われる。故人を偲びながら思い出を語り、これから取り組む「古賀武夫物語」(仮称)の出版企画、市民の会としての今年のテーマなどについて意見交換をしたいと思っている。

今月のこれからの週末は、予定で埋まっているが、少しはビジネスに繋がるものがあればいいのだが・・・?。スーパーマンは無理だから、山上に籠った仙人を目指すか。(意味不明だな~)

昨夜、激しくなった風雨を突いて、友人のAJIROさんが人形町まで来てくれた。彼の48年に渡るサラリーマン人生が、今月末で愈々フィナレーを迎える。彼との三十年に渡る交流が、これで途切れる分けではないが、二人だけで細やかな慰労会を持った。

然し、慰労とは云いながらも行った店は何時もの安酒場である。先ずは隣の「高松」からスタートし、ビール・焼酎に肴はタップリと食べて貰った。雨も上がった頃合いに「ローカーボ」にてハイボール。ここらから辺りでAJIROさんは、酔いが廻ってきた様子。頃合いかと、カラオケのため「SEIJU」に向かった。

セイジュの扉を押すと、なんと珍しいことにカウンターには客で満席。『どうしたんだ?これは、晴天の霹靂だな…』と、嫌みな言葉を吐く。『これじゃあ唄どころじゃないや、出直すよ。「ちょっぷく」に居るから空いたら呼んで』と、次の店「ちょっぷく」にて一時待機とした。ハイボールとワインを飲ったが、AJIROさんはテーブールに俯いて得意の居眠りが始まった。

                       

隣に居た松ちゃんが「大丈夫?」と心配する。『ひと眠りしたら元気になるさ。マイクを持ちゃあ酔いもさめるよ』と、彼のテーブル上のグラスや調味料をなどを片付けた。さあ、これで暫く寝てくれと云う準備が完了。

十時を過ぎた。遠方のAJIさんの電車のこともあるので、SEIJUに戻った。上手い具合に、先客たちが引き上げて片付けをしていた。さあこれで客は居ない、たっぷりと唄って頂戴とばかりにマイクを渡した。先ほどまでの寝ぼけ眼はどこえやら、AJIさん演歌ショウーの始まった。

             

マイクを持てば元気一杯、聴き慣れた昭和演歌から新しい演歌と、身振り手振り、品を作りながらの熱演だった。AJIさんは、奥多摩に近いあきる野市が住い。電車が無くなっても、乗り過ごしてもいかんので、十一時過ぎた頃合いで最後の歌を所望した。が、それから三曲はつづいた。フィナレーは、懐かしき「人情松の廊下」で締めくくった。

飲みながら、来し方四十八年のサラリーマン人生を振り返ると、あっと云う間だったそうだ。いい人生だったが、苦しかった時代もあったと、振り返る。「これから毎日送別会なんですよ」とは、彼の人柄が判ろう。

東京駅までタクシーで行けよ、電車乗り越すなよと別れた。別れた後、何故か私は「ローカーボ」に舞い戻っていた。気が付けば終電の時間が迫っていた。深夜25時過ぎの帰還となっていた・・・・。

 

 

 

 

 

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若者の時代

2014-03-13 | Weblog

3/13(木) 昨夕、武蔵野日赤病院に入院中のHIROさんの様子を伺った。聞いていたとおり、食事制限がきついとのことであった。この一週間で体重は3~4kg落ちたとのことだが、入院当初に比べると落ち方が止まったと残念がっていた。『そんなもんじゃないかな、ガタッと落ちて、それからまた徐々に減っていくようだよ』と、二年ごとに食事のコントロールで減量大作戦を展開する私の経験値を話した。

入院して暇かと思ったが、検査や講習で時間をとられると、糖尿病抑え込みの様子を語る。食事の量もさることながら、味付けがこれまでの日々と違う。まさに、味気ないというやつだ。酒もタバコも禁じ手なので、本を読むぐらいしか楽しみはないだろう・・・。

ロビーにあるカフェで二人で話をしている処に、当社の非常勤役員のH女史が現れた。本を持参し、洗濯物を取りにきたようだ。二人して病院から駅までの十数分程を歩き、JRにて吉祥寺に出た。吉祥寺で店に入り、食事がてら、一杯をやりながら四方山話をする。

HIROさんの入院中の様子などを訊き、女史の日々などを聞く。「やりたいことが明確でないから、日々がずるずると過ぎる。なにをやればいいのかな・・・」などと語った。贅沢と云えば贅沢な悩みであるが、リタイア後も生き生きと人生を送りたい人の、大半に共通する悩みのようだ。

入った店は、井の頭公園に近い路地の地下に在った。女史が以前にHIROさんと入ったことがあると云う、隠れ家風の小洒落た洋風居酒屋であった。店の真ん中に大きく厨房を取り、それをカウンター席がぐるりと取り巻いて設えてある。壁側をテーブル席が占めていたが、満席であった。我らはカウンター席に案内された。

空き席は?と眺めるが・・・空は無いように見えた。空いたと思った席も、直ぐに埋まる。若者たちが圧倒的である。概ね二十代かと見受けた。お通しのサラダ、刺身四点盛り、三段豚の韓流焼き?をオーダー。ビールとハイボールを飲む、何時もと同じである。

               

女史の郷里は富山であるが、「最後は富山で姉さんと暮すことになるかな?」なんていう、何時もの会話。HIROさん、私、女史、誰が一番先に逝くかな?などと他愛もないことを話、私が一番最後じゃないかと云うので『先に逝って、いい席を取っとくよ』と返した。

中々流行っている店だ。フロアーも調理場もスタッフが若い。料理の方も手は込んでないが大皿に綺麗に盛り付けてある。難点は、大きな部屋に大勢の客、声が響き渡って煩い。値段の方もお手頃価格、若者には受けるだろう。

昨日の昼、といっても二時頃だったが「高松」でミニカツ丼セット(小丼カツ丼と掛けソバ)を喰った。喰い過ぎであるが、これは前夜遅くの牛丼の後遺症。そんなことで、夜になっても食が進まない。肴の大半を女史に押し付けてしまった。

若いスタッフ、洒落て見える料理、オープンな空間、二十代をターゲットの造作と価格設定。この店はそれが、上手くマッチしている。
店の年令とともに客も齢を重ねる。ましてや店主の年令に合わさって高齢化した客は食べない、飲まない、出歩く回数が減る。どんな商売にも共通することだな~。老兵は消え去るのみ・・・か。

 

昨晩の食が細かったので、今朝は体調よし。何日ぶりかで「スムージー」を作り、朝飯だ。今朝は、バナナ半分・イチゴ四個・キューイ一つ、パインが一切れ、ホウレンソウとなった。

                       

ホウレンソウが入ると、スムージーのグリーンが強すぎる、禍々しいまでの緑色になるので好きじゃないんだ。が、これしか見当たらなかった。それでも口当たり、喉ごしは上々であった。

 

 

 

 

 

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安酒と二日酔

2014-03-12 | Weblog

3/12(水) 今日は暖かい、知らぬ間に暖かくなっていた。今朝は重い頭と体で風呂に入り、感覚が麻痺したままに冬支度で家を出た。処が、外は春の陽気になっていた。大失敗だ・・・。

昨晩は八時過ぎに会社を後にした。独りでビルのドアを押し、外に出た。偶にはアルコール抜きで家に辿りつこうかなどと邪まな考えが過ぎったが・・・。駅に向かうすがら「ローカーボ」の前を通った。細長のガラス窓越しに、何気に店内の様子を伺った。と、カウンターには客の姿が見当たらなかった。誰も居ないんじゃマスターも暇してるだろうと、余計なことを思ってしまう。

じゃあ、一・二杯だけ飲んで帰ろうかと、重厚な作りの扉を引いた。定席にしている道路を背にする端のスツールに腰を下ろしてハイボールをオーダした。そこに、奥のトイレから誰か出てきた。なんと、スタッフのAKAGIが先客としていたのだ。『なんだ、居たのか。酒は止めたんじゃなかったのか?』と、軽くジャブをだして、席が離れたままに言葉を投げ合いながらグラスを唇に運んでいた。

一・二杯の予定が、三杯目が空くころになって、今度はWEBチームのリーダーであるNOBORUがやってきた。AKAGIが思惑ありで、誘ったようだ。(NOBORUは君と違って忙しいんだ。ましてや、この時期に自分の都合で声を掛けちゃいけねよ。と云いたかったが・・・)

三杯目を空けて、お先にと席を立った。どうも半端な気分だ。飲みなおそうと、今度は駅の手前にある「ちよっぷく」のガラス戸を潜った。この時間ながら店は満席に近かった。常連の客が、エプロン姿でお手伝いをしていた。『最近絶好調だね~』と、店長のYAMAちゃんを激励。調理場の前の横並び席にいた、常連の松ちゃんと並んで、今度はワインを飲り始めた。

                        

                        これが噂のYAMAKAGE店長

九時半は過ぎているのに、未だまだ客が入ってくる。松ちゃんの説だと、人事異動シーズンなので送別会の流れが多いとか。満席状況になったので、常連の船さんは「seilu」に避難して飲んでるとか。じゃあ、俺らもそうするかと、松ちゃんを誘ってseijuの婆さん(言葉の綾だから)の店へと移動した。

婆さんの店は、客は船さんだけ。すっかりお茶っぴきをしていた。いつものことだが・・・・。安ウイスキー(銘柄は?500円/L じゃねえか。これを飲んだ翌日は頭が重いのだ。)のハイボールを飲りながら、暇だからカラオケでもやったらとマイクを渡した。これがまた、二人とも上手。点数が出るようにセットして悦にいっていた。こっちゃや、すっかり悪酔いだ・・・。これにHOYAさんが加われば、大変な騒ぎだろう。

                    

                    粗毎夜・毎土曜はチョップク住人、松ちゃん&船ちゃん

ひとしきり騒ぎ、揃って「ちょっぷく」に戻った。安酒で脳味噌の方が痺れてきたようだ・・・。未だ客が残っていた、日本の景気は上向きか?それとも安酒飲んで憂さ晴らしということか?

それじゃお先にと、店を後にしたが、脳味噌は痺れたまま。止せばいいのに、何か腹に入れる気になっていた。財布の中を覗くと百円玉が二枚、五十円が一つ、十円が四枚在った。これで喰えるものを探して、店頭のメニューを眺めながら人形町通りを流した。行き着いた先は「吉野家」、280円の並牛丼であった。

こんなに遅い時間に、それも牛丼とは・・・。よっぽど頭が可笑しいぜ!。お蔭で今朝から頭も腹も悲鳴を上げている。こんな暮らしをHIROさんが知ったら、何と言うやら。HIROさんは糖尿病対策で入院中、一日1800カロリーに限定された日々で、すっかり意気消沈、ゲッソリしているとか。今夕に見舞いがてら、様子を見てくる予定だが、食い物の話は避けよう・・・・。

 流石に今朝は、小さなヨーグルトだけに留めた?

 

 

 

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