オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

日々好日・・・

2017-09-29 | Weblog

9/29(金) 今日は、日々好日なんてタイトルにしてみたが・・・・。特段の意味はないのだ。強いていえば、夜毎の酒場歩きや鱈腹に飯を喰えることを考えれば、日々好日と云う言葉に行きあたるかも?。

昨夜、「ローカーボ」が残り酒があるので店を開けると聞いた。退社後に行ってみると灯りもなく未だ開いてなかった。手前に在る居酒屋「こま吉」でホッピー&焼酎を飲みながら、IMAEの兄さんとHOYA兄いにメールする。MATUOKA不動産にも連絡をすると「うまし」に入ったばかりとのこと。

ほどなく、両兄さんが姿をみせた。話すことは何時もながらの与太話だが、来月の会津行について、旅費不如意とのことで参加を断念したIMAE兄さんを弄る。IMAEは32歳とかで最年少ながら、俺たちに遠慮がない。こっちも遠慮なく弄り倒すが、弄られキャラなんでそこんとこは心配ない。

ホッピーを飲み飽きて、店を変えようとローカーボの前まで行くと開いていた。店内にNAKAMURA大将とONODERA参謀が飲んでいた。マスターは片づけがてえへんだとブツブツ言っている。何時もの角ハイ(400両)じゃなく、今宵は格上の「響」(600円)を飲む。

MATUOKA不動産が汗を拭き拭き現れ、メンバー揃い踏みとなった。年齢も仕事もバックボーンも違うが、夫々に話がはずみ笑いが絶えない。こう云うシーンが粗粗毎日毎夜なのだから、日々好日と云っていいんだろうな・・・・・。と、思うのである。

途中から眠くなった・・・、この日も深夜三時半に目覚めたのだ。無理もないか・・・・。HOYA兄いと二人でローカーボを後にした。「ちょっぷく」の灯りは未だ点いてた。兄いに誘われて店に入ると、常連隊が揃い踏みしていた。白ワインを一杯やり、YAMAちゃん店長を構って言葉遊びをする。帰宅は、零時に五分前で、南瓜の馬車が発車する直前と云えようか。セーフである。

「ローカーボ」は、今夜も開くのか、開けないのか?マスターも気紛れだからねぇ~。今夜顔を出すとすれば、十時頃になろうか。今夜は新橋にて、TUGAWAさん兄姉の宴があり、声が掛かっている。その会が終わってから人形町に戻ることになろう由。戻って来る元気があれば上々だが。

新橋の店は「浪漫亭」とのことだが、この店は高知の人がやっており、高知市内に本店が在るようだ。そんなことから高知人の会合で何度か行っている。また「鰹タタキ」が出そうだな・・・・。

 

今朝の弁当は「鶏唐揚げ」がメインか。他には「板カマボコ&竹輪胡瓜」、野菜の素揚げサラダ、「小松菜・茗荷の煮浸し」スクランブルエッグに鮭焼き一切れ、である。

                 

ご飯の方は、昨日から新米を使っている。妹の旦那、HIROKATUが丹精したものだが、今年は出来栄えがよくないと言われたそうだ。従兄から。そんなことはありませんよ、喰った私が言うんだから安心されよ!。

                    

私の朝飯は、弁当に使った残りの菜に加えて、鯛潮汁、タイ刺身を食すと云う、肥満道一直線だった。なんといっても、新米だからネ!。

 

 

 

 

 

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ウナギ&タイ

2017-09-28 | Weblog

9/28(木) 三年前の秋、竜飛岬の取材に同行して岬にある食道「海峡亭」でさほどでもないマグロ定食を食し、青函トンネルに降りてから岬を一巡して十三湖から秋田市のホテルに入ったのは夜だった。翌朝、駅前の「市民市場」を覗いた。

市場の魚屋で、八郎潟産天然ウナギとある生きた大ウナギをみつけて買った。ウナギ喰いの私としては外せない食い物である。昨年の11月、その魚屋にウナギの注文を入れたら「もうシーズンが終わりました」と言われた。其処で今年はと、三週間ほど前に電話を入れると「いつ入荷するか判りませんが、入れば送ります」との返事を貰った。

折角魚屋に注文をするのでと『地元産のハタハタがあれば一緒に、それと天然を』と願った。ハタハタは地元産がなく、山陰産とのことで止めて、鰻と鯛を所望した次第。入荷すれば、とのことで何時になるやら・・・・。それが、一昨日になり漸く入荷したので送るとの連絡があった。

そんな次第で、昨晩、秋田からの品が届いた。発泡スチロールの箱を開けると、捌いた大ウナギと、丸の大鯛が一つ横たわっていた。鯛は、五キロほど在ろうか、ずっしりと重かった。こいつを捌くのは一苦労と、家人の帰りを待って捌きを願った次第。

ウナギの方は大きい、大きすぎるが脂は少なくて淡白な感じである。この大ウナギの特徴であろう。6000円/キロとのことで、値段は以前と変わってない。味の方も変わりなく淡白であろうが、天然という触れ込みに弱いのだ。田舎の川のウナギであれば、㎏で一万円はするが、味が違う。鰻の種類も異なるのであろう・・・・。

で、今朝は家人に捌いてもらった鯛の一部で「鯛めし」にして、弁当に使うことにした。鯛は刺身用の册と頭は兜煮、粗は潮汁にするが弁当には使えない。鰻も一切れだけ蒲焼きにして弁当に入れることにした。味の方は?ながら。

弁当の菜は、他にはジャーマンポテトと卵焼き、オクラ炒めとメカジキ塩焼きである。炊き立ての鯛飯を弁当に詰め、生姜の千きりを載せた。鯛めしは、もう少し味付けを濃くした方がよかったか、と反省する。

                           

ウナギと鯛、予定どおりに、〆て二万円の代引きであった。それだけの価値があるかどうかは、食べ方しだいかもしれないが。早速、弁当になったのはいいことだ・・・・・。

                            

 

  ― マムシの卵 ―

昨日のYOSHIOとのコーヒータイムのこと。田舎の畑でマムシの小さいのとらえて八つ裂きならぬ二つ裂きにしたことを話した。八月、YOSHIOやFUJUKURAが遊びに来て、畑で短い時を過ごしたので状況が判る。

「えっ、そんなのがいるの?」と、驚いた。いるさ、前からいるんだが見たのは久しぶりだ、と応える。「マムシ酒なんかいいね!」と、はしゃぎながらも「噛まれると死ぬんじゃない?」なんて、唐変木なことを云う。死ぬようなことは稀だろうよ、噛まれたら血を吸ってペッペッと吐き出すのさ・・・。なんてことを云う。

子供の頃、蛇に指を噛まれたことがあるよ。黒い蛇でね、山道で小石を拾おうと手を出したら、指先にパックと噛みついたのさ。びっくりしてねェ~。なんてことや、家の庭先に蛇はよく来るよ、池があってカエルがいるだろう・・・・。

蛇談義が暫くつづき、「蝮の小がいたなら、他にももっといるんじゃない?。卵なんか沢山産んでるだろうし」と言う。要るだろうな、多分。滅多に見ないけど・・・・・。と、応え『マムシは卵で産むんじゃないぜ、小さいのを生むんだよ』と教えた。が、「嘘だ~」と信じない。バカだねぇ~、ネットで調べてみなよ。

YOSHIOはスマホで検索を始めた・・・。「本当だ~、秋に二匹から十五匹の子を産むと出てるよ」と、驚く。俺の言うこと、信じなさいよ。親の意見と茄子の花は、千に一つの無駄がない。って、言うだろう!。俺の言うことにゃ 、万に一つの間違いもないのさ、OKか

 等と、バカ話をして小一時間のコヒータイムが過ぎていく。「ロリオ」が八月末に店仕舞い、以来、俺たちは「グッチ」でハムサンドトーストとコーヒーセット550円、に追加コーヒーで〆て千円でランチタイムを過ごすことが多い。 小さなハムトーストは二つ切になっている。それを分け合って、お一人様五百円で過ごす、安らぎと笑いのコーヒータイムである。

 

 

 

 

 

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炒飯

2017-09-27 | Weblog

9/27(水) 昨夕、後輩のYOSHINO 君からの誘いで五時から飲むことになった。はやく始めてさっさと切り上げる。こんな酒が一番いいのだが・・・。

「うまし」に案内し、刺身を肴に私はハイボールから、Yは生ビールから日本酒へ。故郷の酒「南」を置いてあるのでそれを勧めた。Yは人材派遣会社に再就職しているので、そのあたりの状況や、先日あった全日本実業団剣道大会における剣道部の結果や、後輩たちのことなどを聞きながら時を過ごした。

Yとは、彼が入社して以来の付き合いなので四十年余になる。同じ道場で稽古をし、私がOB会の会長を退いた後をYに委ねた。Yと飲むと、ついついボヤキが出る。『現役の連中は覇気がねぇ~な。メンタルとか、職場の不満とか・・・。どうなってんだ』と。剣道の力量は格段に上がっているが、サラリーマンとしての力量を心配する。これも歳のせいか・・・・・。

二軒目は「ちょっぷく」に顔をだして、白ワインなどを飲る。YAMAちゃん店長に『今日は随分と暇だねぇ~』と、「こんな日もあるよ・・・」と、さほど気にしてない様子。それよりも競馬が当らないのが悔しいようだ。私も二レース程馬券を頼んだが・・・、当たるはずもなし。

前夜、午前三時半に目覚めてから寝ていない。なんだか目がしょぼしょぼだ・・・。九時半過ぎにお開きにした。眠い時は、眠るに限ると・・・。23時には蒲団に入り、今朝の目覚めは六時前だった。よく寝た・・・・。寝過ぎで眠いくらいだ。過ぎたるは及ばざるが如しか?。

携帯を見ると、悪徳不動産屋からのショートメールが、なんと午前一時すぎの発信時刻だ。奴は未だ「こま吉」で飲んでいたのか・・・・。ちょっぷくにYといる時にメールがあり、二度やりとりをしたのだが・・・・・。

 

さて今朝の弁当だが・・・・、昨日の残り飯が有ったので炒飯かオムライスにしようか?と、家人に訊くと。「私は白いご飯がいい・・・」と、ほざいた。昨日のご飯は稲荷用に硬めに炊いたのだ。チャーハンにはいいが・・・。しょうがねぇやと、鍋で飯を炊いた。

残りの硬飯は、炒飯にする。長女はコッテリ系が好きなので、炒飯なんぞを好むに決まっている・・・・。

                          

菜は「鶏唐揚げ」「パスタサラダ」「鮭焼き」である。パスタサラダには、オクラ・ピーマン・タマネギなどの野菜を加えた。蒲鉾や卵焼きも考えたが、どうせ収まりきらんと、止めた。

弁当を取に寄った長女は、残った炒飯をみて早速試食。「美味しいね・・・、こういうのは好きなんだ」と、パクついていた。神様は、お見通しさ・・・・。

                       

 

 

 

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お稲荷

2017-09-26 | Weblog

9/26(火) 深夜の三時半に目覚め、朝まで眠れなかった。じゃなく、眠らなかった。お蔭で、今日の脳味噌は何時もより更に鈍く、眼はしょぼしょぼだ。なんで眠らなかったのか?。自分でも分らないがラジオを聞き、高知空港を発つ前に買った文庫本を読んでから台所に立った次第。

今日の弁当は稲荷寿司だが、味付けの出来合稲荷を温め、炊き立てのご飯に「てまいら酢」と柚子酢を半々、砂糖・塩少々に茗荷&生姜のみじん切、炒り胡麻で寿司飯を作る。後は、稲荷さんに詰めるだけである。簡単と云えば実に簡単である。二人分、五個を作った。

                             

菜の方は定番の「卵焼き」、素揚げした野菜(茄子・カラーピーマン・オクラ・茗荷)を青紫蘇ドレッシングで和えたもの。茄子&茗荷の挽肉味噌炒めとなった。田舎の畑の端っこに出る、秋茗荷を持ってきたのである。この茗荷が中々の優れものなのだ。田舎で、胡瓜やリュウキュウと一緒に酢物にしたが、好評であった。

                          

以上のようなことで、弁当作りもさくさくと終わったのである。五個の稲荷さんを、二つと三つの弁当に仕分けたが、どれが誰のかは、名誉の為に秘する。

                       

 

 

 

 

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帰京

2017-09-25 | Weblog

9/25(月) 今日の午後便にて、高知から戻った。今朝の田舎は爽やかな秋晴れ、心地よい風が吹いていたが東京は天気晴朗なれど空気が重いように感じた。

郷里での足かけ五日は、何時もと同様に飯作りとミカン畑の草刈だった。帰省した翌日の金曜日は一日小雨がつづいた土日と曇り空であった。

草刈と野菜畑の残さを取り除いたが、耕すまでには至らなかった。ミカン畑では、晩白柚が七個大きくなりつつあったので支えを添えた。小夏の大きな木は、昨年が表年であったのか極端に少ない。それにまして、栗の木はあらかた青い実が落ち、枝に残ったイガは数へるほどしかない。台風と云うよりは、虫の所為であろう。

今が旬の秋茗荷も、廻りの蔓を刈り取って明るくなった所為か少なかった。それでも百個以上は採ったか。この茗荷が花を咲かす頃は、彼岸花も満開となる。畑の周りは彼岸花だらけなのだ。

               

土曜日、草刈を終えて畑を出る直前、小蛇が前を横切って枇杷の樹の下に入っていった。その模様から「蝮」のようであった。隣の畑に蝮がいるのは前から承知していたが、こっちまで棲家を広げたか・・・。始末をしなきゃならないが、逃げて行った。

翌日の午後、畑に行き茗荷を収穫して帰ろうとすると、またしても小蛇が・・・・。独特の模様からマムシと判断した。小石を投げ、持っていたカマで二つに切った。昨日のマムシと同じ位のサイズだったが、同じ蛇かは不明だ。この時期、蛇がチョロチョロする時期か?だが、このことは蛇嫌いの妹には内緒だ。

安田川では、来月十五日であろう漁期の終いを控えて鮎師たちが竿を並べていた。今年の鮎も形は小さい、その中でもとりわけ小さいやつを開きにした。従姉の亭主が獲ってきた鮎だ。メダカを大きくしたぐらいのやつが何匹かあり、よくこんな小さいのをシャクれたものと感心する・・・、それぐらい小さかった。

                    

妹の亭主HIROKATUは、毎日のように夕方から自宅そばの川で鮎をしゃくるそうだ。帰省中も、獲れたての鮎を貰ったので、大きめのやつを三枚に下ろして刺身にしたり焼いたりの鮎三昧。獲れたての鮎の味は格別であった。

庭に生えっ放しのコスモスが咲き始めていた。特に好きな花であるが、五年前の親父が亡くなる前のコスモスが、いちだんと咲き誇っていたのを思い出す。

帰京前の昨晩、老母と二人の晩飯となった。何時もながらてんこ盛りに菜を作る。妹に電話をしてお裾分けするが、それでもテーブルの上は満艦飾だ。『明日、東京へ帰るよ』と、「お前が隣の部屋いると安心して眠れるのに・・・、また一人か」など、毎度の愚痴を聞きながらの夕食。

                           

                         タイカレー ・焼き物・揚げ物・酢物・煮物・・・

食が細い母はほんの少しだけ、オイラはせっせと食べる。帰省の度に腹が成長するのであるが、反比例に財布は痩せるのだ。実に、バランスが取れてるねぇ~。次の帰省までは、三週間弱か・・・・。

                           

 

 

 

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両建て弁当

2017-09-20 | Weblog

9/20(水) 両建てなんて言葉を使うと株・商品取引のように思えるが、謹厳実直をモットーの小生には無縁のこと。私の両建てとは、同じ食材で二種のメイン菜を作ることを称している。両建ての意味合いはもう一つあるが、それは後程。

家人が買いこんであった「牛小間肉」を一挙解放ということで、牛煮と牛炒めの二種を作ることにしたのだ。或いは、これを手抜きと云うものもいるかもしれないが、決してそうではない。冷凍した肉なので、いっぺんに使うしかなかったので、味付けの異なるものにしたと云う次第だ。

牛煮の方は、シラタキ・タマネギ・長ネギ・シメジに白菜を少し使った。煮て味付けをすれば出来上がりと、料理人がやるよぷな手間暇を掛ける分けじゃないので超簡単。一方の牛&野菜炒めもこれまた簡単だ。使った野菜は、これがまた煮物と同じで、タマネギ・シメジにピーマンとセロリである。調味料は、塩胡椒・醤油・味醂・砂糖と変り映えしないが・・・・秘密の出汁は根コブ出汁と云うやつだ。こいつが結構な味を出してくれるので、実は重宝してる。

                         

これ以上、菜を作っても弁当に収まらないが「小松菜卵とじ炒め」と鮭を一切れ焼いて、口直しの一品とした。

サクサクと準備は進み、最後は弁当に詰めてお仕舞だ。ここで、両建てについて再度の登場となる。

家人はシンプルがベストだが、長女はコッテリ系が好み。其処で、長女の弁当だけ「牛丼弁当」にした。と云う分けで、牛煮の両建て使いとなるのだ。

                             

なにを阿保みたいなこというてんや、と西の方からお叱りが、裏側ならぬ日本海側から、このだらがなんて怒られそうだ。おひざ元、江戸からは馬鹿いってんじゃねえやと声がかかるか?。てな具合で、今日の両建て弁当のお話はお仕舞だ・・・。

 

そんじゃまぁ、昨晩の美しき友情愛の顛末について・・・・。

昨日の夜の部スタートは、19時20分。何時もならローカーボのカウンターに腰を下ろしてハイボールから始まるのだが。ローカーボは既にドロ~ンと雲を霞と貼り紙一枚で消えている。

                        

連休明けなので、HOYA兄いと「高松」で落ち合うことになった。その前に吾が御学友HOSOKAWAに連絡をすると「今八王子で取材の立会中。飲みにいけるか?」との返事が。HOSOに連絡したのは先週の借りを返そうとのことだった。

先週、木曜日に渋谷・奈加野で年若の知り合い(三回以上顔を合わすと、知り合いなのだ)と飲んでいた。そこへHOSOが「これから浜町のスタジをで、歌番組の生収録があるんだけど来ないか」と、誘いの電話をもらった。折角だがと、断った。前川や長沼・・・と有名歌手がぞゾロゾロ来るとのことだったが。この時の借りを返そうと・・・。

HOYA兄いは先に店におり「金魚割」を飲んでいた。店の壁に「越前岬」なる日本酒(630円)の張り紙があった。先週は「栄光富士」だった。それを見て、金魚ソーダ割をチェイサー代りにして、日本酒を飲むことにした。兄いの奥さんは越前町の産で、感心なことに夏には一緒に里帰りをしている。かく云う、我が家人も福井市の産だが、長い間ご無沙汰である。

「高松」の女将がサービス宜しく、グラスにたっぷりと注ぎながら、何を訊くかと思いきや「ARIさん若い時の写真、持ってる?」との仰せ。それやぁ持ってるよ、と応えると「見せてよ!」ときた。そんなもん持ち歩くわけないじゃん、じゃんじゃんとお仕舞。若い時の写真と今、使用前・使用後みたいなものか?

そうこうするうちに、HOSOKAWAからの電話。「今、赤坂見附に着いたけど」と。『じゃあ来いよ』と有無を言わせぬ返事をする。人形町に着いたら、電話くれよ「セイジュ」に行くからとつづけた。

高松でたっぷりと酒肴を楽しんだ後、「セイジュ」に行こうかとなった。その前に、若い酒場仲間のIMAEから電話が「大阪に居ます、社長といっしょですねん」と。「わきまえて飲めよ、社長は振る舞いを見てるからな」と、兄いが忠告をした。そううなんだよね、見てないようで見てるんだよ・・・・。

「セイジュ」に行くと、なんとHOSOが飲んでいた。「ちょっぷくを覘いたら、店長から居ないよと言われ、セイジュだろうと教えて貰ったのさ」と。俺たちは、高松で愚図愚図と飲んでたから遅くなったのか。

それにしてもHOYA兄い「ちょっぷく」のYAMAちゃん店長と、HOSOもすかっり馴染なってら~。面白いもんだ。

「せいじゅ」には俺たち以外に客は来なかった。これじゃ店の経営が心配されるぜ・・・・。とかなんとか言いながら、カラオケ三昧となった。歌は唄えないと尻込みしてたHOSOも、俺たちの激励と褒め殺しにあって、そうとも知らずマイクを握ってノリノリだ。八王子は、そこに豪邸を構えている演歌の大御所のインタビューだったそうで、重大?な情報も聴いたが、これにはチャックだ。

                         

そういやあ、香川在住の同級生ANABUKI君が、HOSOの顔が見たいと言うので、この写真をFBにアップした。と「待ちですれ違っても分らんね?」とのコメントが。お互い様さ、世間の荒波ならぬ、垢をたっぷりと飲み喰いながら凌いできたからね。HOSOなんかは美しい方だろう・・・。髪は無くなったが。

すっかり出来上がった俺たちは、最後に店仕舞い前の「ちょっぷく」で白ワインを飲み、大店長のYMAチャンにご挨拶と、ご機嫌を伺ってから散会した。今朝、出勤前に「ちょっぷく」に顔を出し、何時もの挨拶『労働者諸君、ご苦労さん。今日も元気に頑張れよ!」と激励すると、「昨夜は酔っ払ってたな」とYAMAチャンから打ち返された・・・・・。

どうやら、酔っているように見えたか。本当に酔っていたかは?だが、日本酒から入ると酔いやすいのは確かだ。道理でか、何時になくカラオケが元気だった。一時間以上、三人で唄い放しだったからね。

 そんなことで、帰宅は23時45分のはずだ。アリバイと出処進退は明確に・・・・・。意味不明だが。

本日の午後から、外出。明日の午後には高知だが、天気が思わしくないようだ・・・、畑の草刈は日曜日かな。

 

 

 

 

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炒飯?それとも焼き飯?

2017-09-19 | Weblog

9/19(火) 台風で大騒ぎした三連休も明け、東京は秋晴れの空がひろがっている。昨日は台風一過でフェーン現象のような暑さだったが、今日は気温も気温は高いが湿気のない空気が日陰では心地よい。

今朝は、先週末にちょっと嫌な話を聞き、てその真意を確認し、消火しなければと気が急いていた。朝から火元である某社の知人にアポをとり、小一時間も手間を取らせて話を聞いたが、真相は藪の中。かくなるは、火元とおぼしき人物に会うしかないと、社に戻ってアポイントを入れた。顔を合わせて話を聴けば、すれば、大概のことは片付くはずであると。

悪いことほど早く対応する。よくない情報ほど早く伝える。私事であれビジネスであれ、それは鉄則である。が、まだまだ浸透(スタッフに)していないのか、或いはそのこと自体を軽視しているかであろう。認識の違い、ギャップというのは怖い。

悪い話を聞けば、苔の生えた心臓とボケた脳味噌と云われる私だって、悪態をつき罵詈雑言を吐く。が、そこは一歩下がって問題の根幹は那辺に在るのか、と考える冷静さが必要であろう。その為には、ちょっとだけ間をおき(ちょっとだけね)、分析と手立てのあれこれを考えようではないか。諸君! ―諸君は不要か ― 。

一つ弁当を作りながら、何時になれば相手は在席か、暇なのかなどと考えた朝であった。

で、他のことを思案しながらの弁当は「炒飯」と云うことで準備を始めた。具材を刻み炒め、次いでご飯を炒める段になった。熱した中華鍋に油を加え、いざ卵を割り入れようとしたら・・・・。なんと! 卵がない、無いのだ。日曜日に買っとけよと、家人に伝えてあったのに・・・・。

そこで鉄人は、またしても思案六方である。卵が入らないで「炒飯」っていえるのか?と。若しかして「焼飯」か?。でもな、具は在るんだから・・・・。焼きめしか炒飯か、炒飯か焼き飯か?堂々巡りするのであった・・・・。

 焼き飯か炒飯かの詮議はさておき、弁当作りは進めなくちゃならん。結論は先送りにして、中華鍋に飯を入れて炒めながら具材も加える。中華スープの素と醤油をひと垂らしで味を調える。卵抜きながら、炒飯ぽいな~と思いながら・・・・。

                         

菜の方は「鶏肉と野菜の煮物「牛小間入りの野菜炒め」「メカジキの漬け焼」であった。定番であるべき卵焼きは当然不在である。

                            

以上、今朝のひとつ弁当の完成であります。その後、炒飯か焼き飯か、左右を決すべく調べてみたが、どうやらどちらとも云えそうだ。と、判断した。其処で吾輩は『炒焼飯』と命名することにしたのである。

 朝から思案した件については、明日その当事者に会うことになった。まあ、案ずるより産むが易し。災い転じて福となすになると思うが・・・・。

 明日午後から某社を訪問後、OB会の理事会に出席、懇談会とつづく。明後日は昼の便で月例の帰省となる。オオボケの老婆は電話をしてきては「いつ戻る何時もどる」と同じことを何度も聞き、「だれっちゃこん、なんちゃぁ食べちゃせん」と泣き言を繰り返す・・・・。こんな年寄りになっちゃいかんと、自身は思うが、何時か辿る道かな。

来週の月曜日、夕刻の帰京予定。暫くのご無沙汰となろう  。

 

 

 

 

 

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芸術の秋?

2017-09-15 | Weblog

9/15(金) 九月も半ば、朝夕の気温の変り様からも早や秋。とは云いながら、日中の日差しは強いが・・・。そんな秋の訪れと共もにゲージュツとなろうが、こっちは秋と云えば食欲の方が様になる。

とは云いながら何の因果か、東京都美術館での展覧会につづいて新美術館での二科展の案内が届いた。平素より芸術とほど遠い小生、知り合いがかくも文化の薫り高い?ことに関っていようとは知らなかった。縁がない、関心がないとはいいながらも、かく成る上は覚悟を決めて展覧会を覗く羽目になった。

東京都美術館の方は写真、昨日訪れた二科展の方はポスターデザインの部であった。流石に二科展だけあって絵画・彫刻・写真・デザインと数多の作品が展示されていた。その中で、知り合いの作品を探す。一度素通りをしてしまい、再度の流浪でみつけることができた。

それがこの写真の真ん中「Lunch Time」とタイトルされた、デフォルメされたカマキリがカマキリを喰らうデザインであった。作家は、佐賀・吉野ヶ里町在住のTARAさんである。

                           

芸術心の欠片もない小生ながら、折角頂いたチケットの有効活用とばかりに写真・彫刻・絵画の各部を覗いてから、夜の部が待つ渋谷へと向かった。斯様な次第で、作品に関するコメントなどは一切ない。

渋谷では、中西参議院議員の秘書、NISHIUCHI君と「奈加野」にて懇談する。奈加野の店主は中西議員の高校の先輩にあたるが、それが分ったのは出掛ける前であった。それも話題にはなるだろう・・・・。

難しいことは抜きにして、店主も交えて夫々の田舎の話がはずんだ。同郷といっても西と東、都市部では習慣も言葉さえも違ってくる。これはどの県で似たようなものだろうが。前夜の県人会長老との会と似たよう展開であった。NISHIUCHI君には、我が故郷の町の「南」を勧めた。前夜は「土佐鶴」であったが、どちらも我が町の酒である。

三時間ほどでお開きにした。何処にもよらずに家路に着き、駅前のスーパーで弁当食材を贖って帰宅。こんな夜もなきゃ、財布と身が持たぬ・・・・。

 

今朝の目覚めは爽やか、夜は早く寝るに限ると実感する。弁当は、昨晩に仕入れた牛小間と生鮭がメインだ。牛小間と糸コン・椎茸・タマネギで「牛煮」を。生鮭は「鮭バターソテー」に、これにアスパラガス・茄子を添えた。そして小松菜の卵炒め。以上であるが、小松菜&卵炒めで失敗をしでかした。醤油がドバッと入っちゃった・・・、醤油差しを使わなかった罰だ。

                           

長女の弁当は「牛丼風」だが、『ご飯すくなめじゃねえのか?』と訊くも返事なし。ダイエットは諦めたようだ。親に似たのか、親が子に似たか?。芸術に勝る食用の秋だ・・・・喰おうぜ 。

                       

 

 

 

 

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二つ弁当

2017-09-14 | Weblog

9/14(木) 今日は、今週はじて弁当を二つ作る。連日朝の体調が良くなかった。目覚めも遅かったので、今朝は六時前に起きて台所へ入ろうと、前夜から気を引き締めていた。帰宅は23時45分、蒲団に横たわったの25時前であったか・・・。

前夜は夕方から、サラリーマン時代の高知県人会の長老たちとの懇談会があった。残念なことは、そのお歴々も昨年末には藤谷さんが、今年になって伊野部さんが逝去と、淋しくなっていく。日本橋「祢保希」で始まった宴も、そんな話から始まったのである。

会話と云えば、誰それが何処にいて、どうの。会の活性にはどうしたらいいいか、年末の忘年会日程の調整などである。私たちが現役の頃と違い、分社化で横のつながりも弱くなっている。若手からベテランまで、大勢が集まった時代は過去のものであろうか?

土佐人らしく日本酒がすすみ、声が大きくなる最中に携帯が鳴った。誰かと思いきや、IMAEの兄さんからだ。でてみると「今一人で、滅茶淋しいんですよ。会社のメンバ―と飲んでたんですが皆帰っちゃって」と、嘆いている。「ローカーボ」は閉じたし、独りでぶらりと入って誰かを待つ、マスターを相手に話をすることもできない。ローカーボ難民の第一号がIMAEか?

彷徨える若者を一人にしておくのも可哀相だと、「ちょっぷく」で待つように言った。三十分ほど経ってから、長老会を失礼した。前途ある若者を善導することを優先したのである・・・・。

日本橋から人形町は直ぐだ。戻る途中、高松の前を通りかかると店仕舞いしたテーブルの上で、店主のミッチャンが銭勘定をしているのが見えた。裏口から『儲かっただろう?ちょっぷくに居るぜ』と声を掛けた。

更に歩いて「こま吉」の前を通りかかると、店先にでてきたこま吉大将が「HOYAさんが居るよ」と云う。店内を覗いてYOYA兄いに『IMAEがちょっぷくに居るから、行ってるよ』と声を掛ける。事務所ビルが多くて飲み屋が少ない界隈なのだ。何処にいようが、判り易くていい。

「ちょっぷく」は、前夜や前々夜よ違って大賑わいだった。IMAEが「マッチャンがいたんですよ」と云う、同席していたようだ。マッチャンは、某外資系に勤める知り合いと飲んでいた。隣の席で我等も飲む。暫くして高松のミッチャンが、更にHOYA兄いが到着した。今夜の予定人が勢揃いだ。

会津旅のことを話すと、IMAEが『僕も行きたい!と、ダダを捏ねはじめた。『そうは言ったて、お前は銭が無いだろう。昼飯はご飯持参、レトルトの50円ぐらいのカレーで済ませてるぐらいなんだから』と弄る。「アリサン、また苛める」と言うので『巨乳のカミさんから銭貰ってくるんか?』と追い打ちだ・・・。

この辺りまでくると関西風、漫才をやってるようなものだ。ついでに、『IMAE、二人でコンビくんで漫才師になるか?』なんてのが落ちになった。

二つ弁当の為に、この夜は早目の帰還を願っていたが・・・・。「ちょっぷく」の店仕舞い時間まで居座ってしまった。己の優柔不断を、青少年教育の一環だと思って納得するしかないか?

 

で、今朝だが。目覚めたのはなんと、四時過ぎだった。六時前と想定した起床時間から、二時間も早いのだ。遅いのも困るが、こんなに早いのも困りもんだ。眠るに眠れないままに、一時間半を悶々と過ごし、五時半になって蒲団を出た。

今日のメインメニューは「チンジャオロース」だ。冷凍庫の食材(チンジャロース肉&タレ)を、前夜に移してあるのだ。ピーマンと筍を取りだして、千切りにする。後は、炒めてタレを掛けて混ぜればいいのだ。このタレの味が、チョット濃い~いのが気になる。

                     

ギンダラとメカジキの漬けを焼き、卵はオムレツにした。ウインナーを付けたしに炒めた。以上である。

                           

今夜は遅くならないはずだ。と云うのも、今夕は渋谷「奈加野」にて、某参議院議員の若い秘書(男なんだよ)と一献交わすことになった。高知県から全国区比例で、今年当選した議員の秘書だ。前に来社した折に『渋谷にある先輩の店を紹介するよ』なんて、余計なことを云ったからね・・・。

六時からなので、二時間も飲めばお開きだろう…と、思うが。問題は、NAKANOオヤジだな。「暇だから、裏の焼き鳥でも付き合え」なんと言われかねないからな。若いものだけじゃなく、年寄りも大事にする敬老精神とか云うやつが旺盛だからネ、おいらは。さて、どうなることやら?。

 

 

 

 

 

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小さな弁当

2017-09-13 | Weblog

9/13(水) 昨夜の帰宅は23時40分。これだけ正確に記録を残しているとアリバイは完璧だ。犯罪に巻き込まれたり、冤罪で犯人に祭り上げられることもなかろう・・・。

夕刻に来客がありスタッフを交えて話を聞いた。弊社が発信している「ICT教育ニュース」とのコラボレーションの可能性を探ろうと云うことであった。話の展開によってはwinwinの関係が構築できそうに思える。

会談後、スタッフも交えて懇談をすることにした。「高松」は丁度席が埋まったと言われ、「うまし」に電話を入れると、座敷ならひと卓空いているとのこと。客人のKIMURA氏、スタッフのTOKIO&YAMAMOTOの四人で座敷に上がった。うましは、安くてそこそこのしっかりした和食をだしてくれる。店主は毎朝、築地まで仕入れにいっている。その仕入れの帰りに、人形町駅で何度か顔を合わせている。

和食定番の「刺身盛り合わせ」(千円だった!)や海老シンジョウ揚げ、あら煮やメヒカリ揚げなどを肴に、生ビールやハイボール、焼酎割などてんでにやりながら、お互いの身上を披露しあって、懇親を深めた次第。

二時間余り懇談してお開きになった。帰ろうと座敷を出ると、元区議で異業種交流の「モナリザ会」を主宰するTAKAHASHIさんが、地元の区議や秘書とカウンターで飲んでいるのにであった。「この前のモナリザ会、姿を見せなかったですね。来月は10日ですから。」なんて、言われてしまった。そして「さかい学さんのパーティ行かれるでしょう?」と訊かれた。

『行きたくもないけど、浮世の義理で参りますよ』と応えた。「私も行きますので。この前、国会に行った時に坂井さんも顔を出してくれました」と、総務副大臣の名刺を出した。何気なく、その名刺を自分の名刺入れに仕舞ったが・・・、どうも変だなと、後で思った次第。

坂井学氏は、神奈川五区選出の衆議院議員で今回の改造内閣で総務副大臣になった。副大臣なんてのは盲腸のようなもんだろうが、これも政治家としての登竜門だろうからね・・・・。坂井は地球市民の会と、佐藤会長と縁が深いことから彼が初出馬した時から若干の応援をしている。

その坂井と、TAKAHASHIさんは、故鳩山邦夫氏の秘書仲間であった。私は坂井を通じてTAKAHASHIさんを知ることになったのだ。因果は巡ると云うべきか、仕事にも銭にもならぬ縁ばかりが出来るのだ。オイラの前世はなんだったのかな?。

ついつい余計なことを記したが、要は「犬も歩けば棒にあたる。オヤジも歩けば誰かと出会う」と云うのがオチだ。

「うまし」で懇談を終えてからTOKIOと二人で「ちょっぷく」へ。21時過ぎだったが、いやに店内は閑だ。昨夜同様に。白ワイン飲みながら雑談を交わし、暇なYAMAちゃん店長の相手をする。暫くすると、素面のHOYA兄いが姿を見せた。「さっきまで仕事だよ・・・・」と。『兄いはよく仕事をするねぇ、感心するぜ』と労う。これで、仕切り直しての一杯が始まるのだ・・・・。

TOKIOは途中から帰り、HOYA兄いと店長の三人で馬鹿話をつづける、途中からワインがどんどん注ぎたされる。『原価の安いワインだからな、50円ぐらだろう…』などと、ただ酒を飲んだ次第。

で、帰宅は23時40分となったのだ。帰宅し、腹が減ったなと、長女が作ったと云う「ラザニア」を焼くことにした。二十分ほど掛かるというので、部屋に戻って横になった・・・・・。どひゃ~だ、ミーコが額や手を掻くので目覚めたが、二時間も経っていた・・・・。連夜して、これが体にいいわけないさ! 植木節だぜ。

と云う次第で、今朝も爽やかならざる目覚め(それも起こされて)。それでも弁当は作る、神から与えられた使命と云うやつかな?

今日まで一人分なので、軽めの弁当だ。「茄子&豚肉の味噌炒め」と。鮭カマを一切れ焼く。出汁巻風の卵焼き、椎茸のバターソテー、南瓜の煮物、以上であった。南瓜の煮物も、弁当用に小さいカットにせざるを得ない。今日のカボチャはホックと仕上がった。

                   

小さな弁当箱に詰める菜としては、こんなもんだろうね。

 

 

 

 

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