オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

一月が経った・・・

2010-08-31 | Weblog

8/31(火) 散歩を始めて一月が経過した。我が体調には何の変化もなし。何となく今朝は散歩に出なかった。代わりではないが、暇にあかせてオニギリと出し巻き卵を作る。


何となく、と記したが、当初の散歩ルート「目黒区の公園を訪ねる」が日曜日で概ね終り、目的地の設定ができなかったことによる。明日からは、碑文谷公園の散歩とグランド周回ジョギングとする予定。

昨日は午後から都市対抗野球の応援に駆りだされ「後楽園ドーム」へ行った。都市対抗はかって勤務した会社で、野球部員の部下を持って以来か。久し振りの社会人野球だった。応援するチーム、日本製紙石巻は残念ながら敗れたが、ゲームは面白かった。大応援団で、チケットを貰い入場するのに一時間も並んだのには参ったが。

 

 さて、日曜日の散歩。湿気が少なく爽やかさを感じる朝だった。暇に任せて等々力不動・等々力渓谷に向かうこととした。8時15分頃から歩き始め、目黒通りを下る。目指す不動は、目黒通りが終わり環八を越えた処となる。所要時間は40分と見積もる。

目黒通りを下る途中、中根交差点を過ぎた辺りで「九品仏」への案内石碑があった。江戸末期に作られたものか。面白いのは、このあたりは日蓮宗の信徒が多く、この碑を建てるにあたって相応の根回しや布施をした、とあった。こんな事を知るのも散歩の愉しみ。

途中、屋敷森が残されているのを見つけ「神社か公園」かと思い回り道をする。意外と色んなところに大きな木が残っている。そんな木には大概「保存樹」の表示があり、行政の取り組みが伺える。

目黒通りと環八の交差点につくと45分が経過。ここから等々力不動は目と鼻の先である。

交差点

「等々力不動」は渓谷の瀧の轟く音から、轟の瀧・轟不動が転じてともある。弘法大師や役の行者に縁があると記されている。私も年に一度や二度は訪れる処である。

等々力不動山門

参拝の後、等々力渓谷へと辿る階段を下る。と、其処が轟の瀧が落ちており、社が建ち、かつての修験の場である。

渓谷は都心に在ると思えない閑寂さを何時も湛えている。此処の由緒書きを眺め、静寂を愉しんで不動の対岸にあたる急な階段道を登った。「野毛公園」へ260mの案内板がある。これに釣られて公園へと向かう。

公園の入り口に片腕が羽根の形の「羽ねを持っ女」のブロンズ像がある。どんな意味があるやら考えもしなかったが、面白い。公園は野球グラウンドやプールまであるが、目を引いたのは「古墳」。野毛大塚古墳が保存されている。古墳を見学し、公園をひと回りして環八を渡って帰路に就いた。

                     

さて、これからどう云うルートで何を目指すか、これが問題である。時刻は既に10時となっている。それに、段々と暑くなってきた。目標や目的が明確でない行動は疲れる。散歩とは云え目的・目標は大事なのだ・・・。

「ぶどう園」先日閉まっていた小杉農園を目指し、そこで葡萄の一房か二房葡萄を狩って帰ることにした。となれば駒沢公園を目指し、駒沢通りを上がればいいのだ。

玉川小学校を覗いて、環境がよさそうだど一人ごちって歩く。意外と農地や空き地が残っている。途中、東京都市大学なる学校の前を抜けて、深沢から駒沢公園通り、駒沢通りに合流する。

                      

                  玉川小学校

駒沢公園を過ぎ自由通りを抜けると、目指す八雲の小杉農園は直ぐだ。路地をぶどう園の方に入ると、入り口に「今年の葡萄狩りは28日で終りました」と書いてある。農園を覗くと、先日は枝から袋掛けが沢山ぶら下がっていたのに何にもない・・・。


昨日の土曜日が最終だった。残念・無念、後はとぼとぼと帰るだけか・・・。帰宅するとお昼前となっていた。先ずはビールか!となった。

 

 

  

 

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土曜日の散歩・・・

2010-08-30 | Weblog

8/30(月) 土・日と長い時間散歩したので、今朝は軽く雀のお宿公園~碑文谷八幡様の往復と練習場でのサンドショットに納めた。家を出て帰るまでで約一時間であった。

 土曜日、代々木のNHK前通りで「スーパーよさこい2010」と云う夏祭り(原宿商店街主催)が行われた。
高知の「よさこい踊り」をメインとした夏のイベントで、今回で10回目とか。この二回目の祭りに、渋谷の奈加野のオヤジが店を出すというので手伝ったことがある。丁度、前に勤めた会社を辞めた年で、八月末までの充電(浪人・無職・流離い)期間中であった。

懐かしくも有り、郷里の産物を物色するいい機会かと家人を誘って訪ねてみたが・・・。すっかり様変わりの様相。踊りが中心で、郷里の産物は殆ど見当たらなかった。
踊りのチームは各地から参加しており、鳴子を両手に様々な振り付け・音楽で路上を染めていた。中には93歳という高齢のお婆さんまでいた。高齢社会ニッポンの面目躍如!

                     

                 スタンバイの踊り子            次々と踊りがスタート

路上のパフォーマンス(集団見世物)に何の関心も持たない小生は、ここから一人で散歩がてらに歩いて帰ることとした。
午後三時過ぎ、まだまだ陽射しが強いが、高級住宅街の渋谷区松涛~東大駒場前~淡島通りを抜けて246号線三宿交差点~三軒茶屋~野沢~学芸大学のルートで歩いた。

松涛では「鍋島松涛公園」に立ち寄り、そこから山手通りを越えて駒場へ。駒場で東大のキャンパスに進入して見事な「銀杏並木」を抜けて、日本民芸館をわき目にして「駒場公園」に至った。先日、来ようとして頓挫した所である。

                     

                 池のある鍋島松涛公園          駒場東大:銀杏並木

駒場公園は、旧前田侯爵の旧邸跡(昭和4年建築の本格洋館)とかで公園入り口からして往時を偲ばせる造り。門脇にレンガ造りの番小屋が残っている。敷地は1万坪余りとか。現在は目黒区が管理する公園となった。残されている洋館内(戦後はGHQに接収された)を初めて見学した。

                     

                   駒場公園正門              レンガ造りの本館

四時半の閉館となり、井の頭線を跨いだ側にある「駒場野公園」(此処は元農業学校の跡とか)へと移る。この公園の傍には駒場体育館や大学入試センター、旧NTT東京学園(現NTTデータ研修センタ)があり、何れも馴染みが深い。

淡島通りに「〆切り地蔵」があり参る。この地蔵の由来が面白い。「近隣の村で疫病が流行ったおり、村人がこの地蔵に参ったところ、流行り病から守られた」。病を締め出したところから「〆切り地蔵」と云う、とある。     

この地蔵の斜向いは「筑波大付属駒場中・高校」である。この脇を抜けて池尻へと急坂を下る。其処に、初めての緑道を見つけた。「目黒川緑道」とあり、下水の再生水が、疎水として流れている。おまけに鯉やザリガニまでいた。

緑道の分岐

この緑道が途中で北沢緑道・烏山緑道と分かれ、三宿方向にも続いていた。この緑道を三宿へと向い、三宿から246号線を三軒茶屋へと辿る。三茶に着く頃は、喉カラカラとなる。ビッビッビ~ル飲みた~い!症候群に陥ったが・・・。生ビールと焼き鳥の看板・匂いを一軒・ニ軒、三軒目まで、何とか耐えた。此処で飲んだら、歩く気力がなくなる。家まで後、35分~40分の道のり。

四軒目の店があれば誘惑に抗しきれなかっただろう。残念なことに商店街を抜けてしまった。野沢通りにたどり着き、自販機でジュースを一杯。何とか家に着くと3時間が経過していた。NHKからの片道ブラリ散歩、道草ばかりで長かったー。先ずは、缶ビールを一本、グッビ~。嗚呼・疲れた!

                              

                               だ!誰だ!

 日曜編は、別途。

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円融寺&サンドウエッジ

2010-08-27 | Weblog

8/27(金) 早や月末の金曜日を迎えた。作夜・一昨夜と郷里の先輩が上京したので付き合うこととなった。母校の校長を務め、今は町会議員をしている。

同行していた町会議員が私の同級生の弟という縁も重なり、先日高知県が有楽町に出店したアンテナショップ「まるごと高知」の視察にも同行した。アンテナショップは春先から随分と力を入れてPRをしていたので期待をしていたが・・・。

店は、狭い・雑多etcと、私には期待外れだった。諸々の制約はあるだろうが、もう少し工夫があるような気がする。とは云いながら、是非皆さんに立ち寄って頂ければと願う。

 

さて、今朝の散歩だが軽め短めにする。サンドウェッジ一本を片手に6時前に出発。目黒区みどりの散歩道の表示板につられて、以前にも行っている「円融寺」へと向かった。田向公園・サレジオ教会裏手から、円融寺の裏門に至り、広い境内を散策した。

                    

この寺は853年、慈覚大師円仁の手により建てられたとある。二日前の散歩で立ち寄った「目黒不動」も同じ大師の手になる。
ここの「釈迦堂」は東京23区内では最古の木造建築とある。一番古いのは何処だろうか?多分、青梅市辺りにありそうだが・・・?

釈迦堂

石柱の五重塔・石碑と見所は多いが、ノンビリしている訳にはいかぬ。仁王門の辺りで年配者が大声で話をし、ラジオの音が大きい。山門を入ってくる老人が居る・・・。
「そうか、ラジオ体操か」と納得した。ここの境内が体操の場所になっていた。もう少しするとラジオ体操の時間となる。その前に退散した。

サレジオ教会の前を通って、ダイエー裏の小さなゴルフ練習場「碑文谷ゴルフ」へと向かう。道すがら「教会の扉って大概は閉じている」これじゃ入れない。その点、お寺の山門は早朝から開いている、何だか仏教の方が偉く思えてきた・・・。

この小さなゴルフ練習場は、打席が20もない。距離は50~60ヤードか。ボールが奇麗でないのでクラブヘッドが汚れる。夏は蚊が多いと、難点はあるが。一方で、気取ってない、安い、空いている、それに何といっても打席が荒木田土、狭いながらもグランドは芝生である。

ここ数年は来る事がなかったが、散歩を始めてから今朝で四度目か。500円玉一枚で40球、サンドウェッジで軽く打って15分ぐらいで御終い。途中から心掛けたのが「インパクト後の残心」であった・・・?

かくして、予定どおりに一時間の散歩で帰宅。

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駒沢オリンピック公園へ

2010-08-26 | Weblog

8/26(木) 今朝は駒沢公園へと散歩。何しろ東京オリンピックの会場跡を公園にしただけあって広~いのだ。今朝は公園の中を散歩することとした。

何時ものように六時過ぎに家をでる。駒沢公園へのルートは、駒沢通りを真っ直ぐに下って行けば25分で着けるはずだ。それでは面白くないので、遠回りとなるが「呑川緑道・柿の木支道」沿いに緑の散歩道を歩く。

先日訪ねた「東根公園」の近くを抜けて自由通りに突き当たると、通りの先が駒沢公園である。公園はジョギング・自転車・歩行者用と分かれた道が一周している。一周が何キロか?今度調べてみよう。

                    

運動が大好きな人たちが歩き・走り・自転車でと、多い多い・・・。私は公園半周で切り上げて帰る。帰路、早くから子供がランドセルを背負って登校中。聞いてみると、昨日から学校が始まったそうな・・・9月1日からかと思っていたが。

帰りは、駒沢通りを外れて住宅街を抜ける。途中に「ぶどう園」と表示があったので覗くと、200坪あまりのブドウ畑があり、紙袋がかかった房が沢山ぶら下がっている。入り口の木戸に「本日は閉園しました」と書いた紙が貼ってあった。

其処から少し歩いて衾町公園の脇を通ると、小さなブロンズ像が目に付いた。「小鳥と少女」と銘打たれていた。

 

柿の木坂の都立大学跡を右に見て、坂を下り、坂を登って環七を渡る。碑文谷公園の中を通って帰宅。今朝は、1時間15分の散歩となった。

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林試の森~目黒不動尊へ

2010-08-25 | Weblog

8/25(水) 今朝は林試の森公園から目黒不動尊への散歩。何時ものように6時頃から動き始める。作夜の深夜、寝汗で目覚めて眠れず。

概ね一時間の散歩予定でスタートしたが・・・、前回歩いたコースを外して進む。目黒本町に入って暫くすると「こなべ野公園」と云うのがあった。曇り空の下のベンチに誰か寝ている。残念ながら一風変わった名前の由来は不明。

こなべ野公園

林試の森公園には「羅漢寺川プロムナード」沿いの北門から入る。ジョギングや散歩の人と行き交い、元気そうなジョキング女性から挨拶を受ける。

其処かしこに在る広場では丁度ラジオ体操が始まり大勢が体を動かしている。別の広場では、オリジナル体操グループや太極拳のグループと、広い公園だけあって多彩な動きが見られる。

この公園には約250種の樹木があるそうな。流石に林業試験場の跡だけに多様である。


公園を縦断し、東門に至る。この門を出て石古坂(いしこさか:小石が沢山あったことから命名とか)を下ると「目黒不動尊」はすぐである。


お不動さんで親しまれているこの寺は、808年慈覚大師円仁の創建とある。寺名の石碑には「目黒不動尊 龍泉寺」とある。1200年の歴史を持ち、門前町を形成する古寺。私も何度か参拝をしている。

流石に立派な山門


 本堂裏の「大日如来」へも参拝し、隣の「不動公園」の脇を抜けて帰路についた。

 

大日如来像

 この近辺には神社仏閣が多くて興味深いが今朝はパス。

此処で、一時間近く経過した事になった。帰りは急ぎ足となったが、目黒区清水で小さいながらも朱塗りで幟旗が林立した「清水稲荷」に行き当たり、ご利益を授かろうと参拝した。(此処だけは社業の繁栄を願った)

霊験あらかた「清水稲荷」

今朝も、予定時間をオーバーして一時間半近くを要したこととなった。学校や公園、寺院があると素通りできないのは散歩の性格上致し方なしか。

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日曜の散歩・・・

2010-08-24 | Weblog

8/24(火)今朝の散歩はゴルフ練習場まで。小さなゴルフ場でサンドウェッジで40球、先日のコースで連発したシャンクの矯正。練習時間を含めて45分の目覚めタイムとなった。

昨夜は久し振りに骨伝導技術の大家、岩崎通信機のK氏と、かつての氏の愛弟子F君との懇親会。「鰯の頭も信心から、それより大きい鴨の頭でご利益間違いなし」等と冗談を言いながら、十数年前に一緒に或るプロジェクトに取組んだ仲である。

K氏は未だその技術を活かして、これからの人生を生きて行くとのこと。F君は新分野の世界で道を開いていく途上。皆、元気で生きている。私もそれなりに元気で行くか・・・。

 

 「日曜日の散歩」

さて、先の日曜日。土曜日に散歩をサボった分も取り戻そうと目黒区の西の端になる「駒場公園」目指そうと意気込んでみたが・・・。

コースは、世田谷観音から西澄寺、世田谷公園を経由して三宿、246号線(玉川通り)を越えて淡島通りに至り駒場の森へと想定、6時ごろにスタートした。

先ずは世田谷観音に向かった。今回は正面の山門から入る。
参拝後、程近くにある駒繋神社(源頼朝が奥州征伐のおりに駒を繋いだことに由来するとか)に参拝。古いこととなるが、この神社の祭礼のおりに、往年の歌手バタヤンが酔っ払っている姿を垣間見たのが懐かしい。

駒繋神社本殿

山上あたるこの神社から、階段を下りて緑道沿いに西澄寺の見事な武家屋敷門を見に辿る。
この緑道の桜も見事である。これも余談だが、この道沿いにプロゴルファーの青木プロが自宅を構えた。何かの本で、米国を転戦する青木さんが、この桜を見ていないと残念がっていたことがる。

 西澄寺参拝の後、裏通りを三軒茶屋方面へ。ここから三軒茶屋は近い。途中を右折して三宿通りに向かう。このあたりから世田谷公園の裏手には大きな団地がある。団地があれば公園があるはずと、「児童公園」を発見。

世田谷公園は、グランド・テニスコート・野外活動実習場・ミニ汽車コース・噴水広場etcと大規模な公園。大勢の人がジョキング・散歩と行き交っている。裏手は自衛隊&病院があり、ここの桜も中々のものでシーズンには一般解放をする。

噴水広場

世田谷公園を抜けて池尻に向かう。スタートをして一時間が経過、草臥れる。これでは池尻から淡島通りへの急な坂道を登る気力がない。素直に断念してルートを変更。

池尻から目黒川沿いに下り、中目黒駅を経由して駒沢通りから学芸大学に向かうこととした。目黒川沿いは緑の散歩道。桜並木の木陰があり涼を感じる。

山手通りと駒沢通りが交差する角に「正覚寺」があり、ここに参拝。この境内に珍しい供養塔があった。明治の半ばからこのあたりで牧畜が行われ、牛乳生産が盛んだったそうな。その牛供養とあった。

山門より本殿を望

祐天寺に向い駒沢通りを下る。教会が目についた「恵泉バブテスト教会」とある。神社仏閣には直ぐ参拝するが。教会だけは入らない。八百万の神々を崇め奉る民としては些か片手落ちとも思えるが、致し方なし。

祐天寺を過ぎて五本木地区に入ると、通りに面して立派な「庚申塚」がる。江戸期、1600年代に造られた記されている。お堂、塚ともに見事なものでる。
更に進むと「十日森稲荷神社」がある。このあたりの富農・藤崎氏の屋敷稲荷を移したとある。

                     

此処までくれば自宅は近い、何とか帰り着くだろう。その前に紹介が済んでいない「学芸大学駅」を通って帰ることとしよう。

所要時間は約2時間半。神社仏閣での参拝があるので時間を喰うのは致し方なしか・・・。十二分に汗は掻いた。これで、ビールを飲まなきゃ善いんだが!

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鮎の開き

2010-08-23 | Weblog

8/23(月)今朝は、以前住んでいた平町から都立大学~衾公園~東が丘にある「東根公園」を経由して、野沢竜雲寺・野沢公園のルートで一時間半の散歩となった。

都立大学・学芸大学に暮らして三十年以上となった。これだけ長いと何時のまにや詳しくなるはずだが、散歩を日課にしてみると発見するものが其処此処にある。また、これだけは見所と云うものもある。


その見所の一つ、何度か写真で紹介しているが環七から目黒郵便局に至る道路の桜並木は中々のもの。この通りに面した三十年来行きつけの理容「飛騨」の前の枝垂れ桜も見事である。

                               
今朝は、途中で八雲神社裏手の「金蔵院」(こんぞういん・真言宗)を発見し参拝した。

          
     金蔵院                 衾公園               東根公園              野沢公園

先週の金曜は久々に歩きのゴルフ。千葉の名門コースの一つ「中山CC」に行った。キャデイ付きでオール歩き、最近はゴルフ場へ行くのも希だが、乗用カートを使うので、すっかり歩き疲れてしまった。(散歩の成果や何処に・・・である)

そんな次第で、翌土曜日は散歩に出るのも嫌になった。それでも、地元目黒の農園で葡萄狩ができると云うので、散歩がてら家人と行ってみた。住宅街の真中に件の農園があった。古くから農を営んできた家だろう、数百坪のぶどう園に三種類の葡萄が実っていた。驚いたのは、一本の木で百坪余りを枝葉が延び実を付けて覆い尽くしていたことであった。

料金はどれをとっても同じで、1kg/1400円。何だか八百屋で買うほうが安い気もするが四房を採った。〆て2600円也。この日、次女の誕生日なので、葡萄をプレゼントするから来るように伝えた。

 昼前に田舎の従兄弟から鮎が届いた。昨日捕ったものとことだが、今年の鮎は型が小さいうえに、数も少ないとか。早速五匹ばかりを開きにして風干した。背開きにして、内蔵を取り丁寧に洗い、塩水に浸けて干す。夜にはビールの共となった。

                   

                これを背開きに                腸と取る前

日曜日は二時間半の散歩となったが、この件は改めて。

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久々に弁当

2010-08-19 | Weblog

8/19(木)今朝の散歩は近所をひと回りの手抜き散歩となった。今朝は6時半頃まで布団の中、夜の暑さが和らぎ思いの他眠れたようだ。

起きたときから歩く気がせず、とはいいながらも歩かぬわけにもいかず、近所をひとまわりで40分程の散歩となった。今朝も「朝顔」に見送られての出発。

散歩は碑文谷公園から碑文谷グランド(旧DAKBの厚生施設を区の公園に)をひと回りして駒沢通りを越えて、野沢辺りから環七を経由して碑文谷公園に戻るコース。

公園外れの「延命地蔵」

公園で体操をしてノンビリと池をひと回り。小型犬を連れた散歩者が多い。グランドの周回コースは老若男女が散歩やジョギングに勤しんでいる。

碑文谷公園は、江戸時代から灌漑用池として利用されてきた池を中心にした公園。池の中には「厳島神社弁財天」が奉られている。私は、新年の初詣を此処で済ますこともある。

                   

先日散歩の折に名前が判らなかった、駒沢陸橋近くの公園の名が「南原公園」と判明した。以前、この近くのマンションに「マミちゃん」(山瀬)が住んでいると子供達から聞いたことがある・・・と、古い話を思い出した。

南原公園

帰宅して、日課のメダカ・金魚の餌やり。明日のゴルフに備え、俄にバットを振り回す。
さて、お釜にご飯が残っているのを見て、何となく弁当を作る気になった。K君用である。家人もあれば助かると云うので、二人分の弁当を準備することとなった。

お菜は、焼肉(牛カルビ漬け焼)とアスパラ・シメジのオイル焼、定番の卵焼きである。弁当ご飯の上に佃煮を載せて完成。久し振りの弁当作りで何だか戸惑ってしまった。

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お盆も過ぎ・・・

2010-08-18 | Weblog
8/18(水)お盆も過ぎて、そろそろすざく虫の音が気になる頃だが相変わらずの暑熱・灼熱。今暫くは我慢の日が続きそうだ。

今朝は散歩を取り止め、変わりにダイエー裏の小さなゴルフ練習場にてサンドウェッジで48球を打って目覚まし代りとした。(まともに当りもしないが、それでよし)
昨日、散歩の後で足の踵が痛んだ所為もあるが、同じパターンを繰り返さないようにしたのが本音。日常と人生には変化が必要である・・・と思うが?

夏に海や川に遊ばなくなって久しい。水に入ることが愉しいと思わなくなった。それだけ年老いたということだろうが、本格的な水遊び(サーフィンとかカヌー或はヨット等)の趣味を持たなかったと云うのが大きいだろう。

もっぱら夏は木陰でビール、これが一番だと思っている。散歩の後のビールも善いだろうが、何しろ出勤という日常が待っているのでそうもいかん。精々メダカや金魚の餌さやりで過す。

写真の金魚、今年の春に一匹40~50円で求めた駄金だが元気に泳いでいる。以前に居た金魚は三年程生き、大きくなったがカラスか野良ネコに襲われたか、すっかり水盤から消えてしまった。


「老いて後・・・」

余談だが、田舎で暮らしている親父が何年か前から庭に池を作って金魚を飼い始めた。多いときは200匹以上いたか。親父の日課は金魚の世話と花壇の水遣り。
処が、花には水を遣りすぎ、金魚は稚魚が孵るが飼育が下手で殆ど育たない・・・。

70年以上も続けてきた剣道は、膝を悪くして防具を着けることが敵わなくなった。仕事をリタイヤして始めた書は、毎日5~6時間も書き続けてきたが最近は少なくなった。

剣道と書の代わりが金魚と花であろうか。何か、ひたすらになるものが必要なのは人間の性か。
親父が身罷って一番困るのは金魚となるだろう。剣道の防具は弟子に譲ればいいが、金魚は餌さやりや水の管理がある。精々長生きをして貰い、元気に生き物の世話をしてほしいものだ・・・。
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大鳥神社へ

2010-08-17 | Weblog

8/17(火)今朝は「大鳥神社」を往復する。概ね一時間の予定でいたが、途中で臨月の長女と合流したこともあり一時間半を要した。距離にして5Km程度か。

大鳥神社は山手通りと目黒通りが交差するところに位置する。山手線目黒駅からだと目黒通り「権の助坂」(ごんのすけさか)を下り10分程か。

大鳥神社本殿

6時に家を出、学芸大学駅東口商店街を抜けて中央町・油面公園・油面小学校を経由。油面地蔵通り商店街から目黒通りに入り、北上して大鳥神社に至った。此処までの所要時間は40分。

油面小学校

東口商店街の通りに面して「鷹番児童遊園」の小さな公園あり。入り口のキューピーさんのようなブロンズ像に誰かが帽子を被せた。

油面の地名の謂われを公園脇の由緒書きで知る。曰く「江戸の頃、このあたりでは菜種油の産地。この油を祐天寺に納めるとき油税が免除された。油免と云うのが地名の云われ。」これが転じて油面か。

油面公園:梅林

目黒通りに面し「東京バレー団」の気取った建物あり。これを左に見て元競馬場バス停・多摩大目黒高校(元目黒学園)を過ぎると大鳥神社はすぐである。

東京バレー団

帰路は山手通りを中目黒方面に向かい、途中を左折して戻ると云うルート。知らない処を歩き、何かを発見(ちとオーバか)。せいぜい協会とかお寺、神社ぐらいだが。

中目黒協会

折角新ルートを探索していたが、娘から携帯に連絡有り「今、家をでて目黒通りに向い中」、目黒通りで落ち合い一緒に帰ることとなった。

予定日は8/27

帰り着くと7時半となった。メダカに餌をやる、すっかり大きくなってきた。春にわざわざ田舎から持って来た布袋草が花を咲かせた。睡蓮は今年も花を見ない。老犬Mixは死んだように横になったまま。ネコのミ~コは丸々と元気。オヤジは、相変わらずコロコロして、長女の腹と変わらず・・・。

今日も暑くなりそうだ・・・。

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