オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

今年も最後

2008-12-31 | Weblog
12/31(水) 今年も何とか大晦日を迎えた。

今年最後のトイレ掃除に会社へ来る。バイトのK君が居たが帰った。
一人だけの事務所で、掃除を終えブログを打つ。

一昨日は、自宅にて部屋の片付け、昨日は掃除を少しする。
机の上に積み上げたままの半年分の本を処分。約00冊、すっきりした。

綺麗になった座り机の前の小さな書棚、丁度目の前に一冊の本の背表紙が在る。

「ちょっと寄ったこの地球で」~気がつけばボランティアの人々~。この本の帯びには、弊社の顧問をお願いしている、フィランスロピー研究所長W氏の言葉。

この本の著者は、相棒のヒロさんである。この本が出て、10年になる。
手にしなくても、この本の一つひとつの物語、ドラマが浮ぶ。
十六のドラマ、ボランタリーの物語。もっともっと売れて、人々の手に取られるべき本であった。

この物語を通じて、私とヒロさんの物語もあった。私が直接に関わったのは、この本の三分の一ぐらいだったか。後は、後任のM氏が引き継いでくれた。もっと長く語り継がれて然るべき物語だったが、大きな波の中で、会社の再編があり、担当セクションが無くなった。十五本の物語+一つの物語で終わった。

世界経済が揺らぐ中、、世間の企業や人々は、もっと大きな変革に晒され、更に大きな波が待ち受けている。
時代は常に変化して行く。その移ろいの中、大概のものが、事柄が変わって行く。

時代の流れに、世の変化に、己の身の丈を合せていくのか。己の身の丈に、時代を世間を呑込んで生きるのか・・・。

これを相反するテーマ、生き方として捉えるのでなく、融和・両立させることをテーマに、この本の元となったルポルタージュ企画をスタートさせた。(これには、説明が必要だが・・・)

今、ヒロさんが創った会社に身を置きながら私が思う処は同じ。融和と両立。

会社、組織、顧客、利益、老若男女、できる・できないetc。これら、全てが調和して生きる、生きていける、そんな存在(会社・チーム・人間)にしたい、なりたい。

2008年を終えるにあたり、埃を落としながら改めてそう思う。

さて、2009年をどう生きるか。基本は変わらないが、方法論について考える必要がある。
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残るところ二日

2008-12-29 | Weblog
今日は29日、後二日で今年も過ぎ行く。

今年、新たに始めたことは四月より「弁当作り」、6月より週一回の事務所「トイレ掃除」、11月中旬からのこの「BLOG]。

何も生産的なことはしていない。これらは、少なくとも私にとって、生産性のあることではない。

今年辞めた社員二人。入ってきた人は三人。来年の退社予定一人、入社予定一人。
もっともっと色んな人が集う、集える場にしたいものだ。
誰も辞めない、辞めなくていい、そんな集団が理想だ。

今年とった年は、一つ(あたりめ~か)。生きていれば、人は年を増やすが、知恵は増えるのか?・・・。増えそうな気がするが。

昨日に戻りたいと思ったことはない。昨日よりは、明日に可能性を感じる。少なくとも、自分の手で何とかできる。そんな気がする。

だから、日々を重ねていくことができる。

今日の午前中は渋谷「奈加野」の亭主他三人と築地へ、昨夜、今年最後の仕入れだと電話を貰う。買いたいものもないが、折角なので同行する。
流石、年末。場外・場内市場ともに人の波だ。
正月用の水ダコ、ナマコ(妻の好物)とマグロを少しだけ買って貰う。今は壱岐でしか捕れてないという本マグロの生、高い。こんな高いものを喰っちゃいけない。と思った。

午後より、会社。AOが作業で出社している。ど~も会社より他に行く所がないようだ。
14:30より、来春より入社予定のF氏と最後の話合い。チームの戦力になってくれるだろう。気構えがいい、とても良い。

相棒のヒロさんが来る、これから二人で忘年会。何時も世話になる「高松」で。今年最後の世話になろう。
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佐藤初女さん

2008-12-27 | Weblog
12/27 今日から年末始の休暇に入る。
 
 午後、何気なくTVに目をやるとバーモントの「ナターシャ」さんの番組。92歳で亡くなったとのことで、追悼番組か。

ナターシャさんを見て思い出したのが「佐藤初女」さん(森のイスキヤ主催)のこと。
元気にしておられるだろうか。

初女さんを始めて訪ねたのは、14年ほど前の春。弘前の桜が、丁度満開になったその日(4/28)か、その後の青葉になる頃だったか。相棒の、ヒロさんと一緒だった。
やはり、4/28だ。昼に弘前に着き、気温がぐんぐん上がり、あっという間に桜が満開となった。初女さんのお宅に伺う前に食堂に入り昼食を摂った。ためらいながらも、ビールを飲んだ。桜が、僕たちを待っていたと思った。

当時私は、N社で「フィランスロピーワールド」と云う社内誌の企画を進めていた。
構成は固まり、創刊号に取り上げる人物を探していた。探しあぐねていた時、渋谷の映画館で「地球交響曲」を見た。出演されていた初女さんを知る。直に、制作を担当するヒロさんにも観てもらった。私たちのが探していた人物が、まさに初女さんだった。

弘前市桔梗野にある初女さんの自宅を訪ねたのは、それから間もなくだった。

弘前支店広報のTさんの案内で、岩木山の麓にある「森のイスキヤ」も訪問した。此処の風呂は、温泉。ヒロさんは、しっかりと風呂に入れて貰った。その上、風呂上りに洗面台の整髪料「バイタリス」を、たっぷりと振りかけていた。(当時のヒロさんは一応髪の毛があった。丸めたのはアテネからだ)
風呂に入れなかった僕は、悔しくて「バイタリスまでたっぷり使って」と責めた。

初女さんは、おっとりとし上品なおばあさんだった。取材を快く受けてくれた。その後、東京や弘前で何度かお目に掛かった。

ヒロさんの自慢は、初女さの作る「オムスビ」を食べていること、特大で立派なフキノトウを採取し、初女さんに誉められたことである。僕は、オムスビも食べてない。残念!

ヒロさんは、何年か後ち「森のイスキヤ」に滞在。其処に癒しを求め、傷ついた人々との交流を重ねてきた。僕には真似のできないこと、ヒロさんだからこそできることの一つ。


会社も「森のイスキヤ」のような場としての機能・働きを沢山もてればいいのだが…。
(そんなことを言っているから駄目なんだと、誰かに叱られそうだが)

ナターシャさんの姿が、初女さんと重なり、あの頃を思い出した。
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二人だけの忘年会

2008-12-27 | Weblog
12/26 仕事納め。
 年末になると、弊社も世間並みに仕事納めとなる。
昨日は、6時過ぎから簡単に社内でビールで乾杯、仕事を納める。

プロデューサのAO君がロンドン帰りで、シャンパンなどという洒落た物を土産に買ってきている。デパートの知人から貰ってきたという、キャンセル品の「鮑・海老の煮凝り」もある。

何人かは、ビールからワインへ、そして焼酎、ウィスキーと酒量が進む。酒量が進めば、話題は下世話から森羅万象へと尽きない。
もう一歩、踏み込んで行けば、仕事や人生の気付薬にはなるのにな、などと思いながら、離れた自席で、彼らの会話を耳にしていた。

池袋の大社長、H社のK社長から電話が入る。
「自社の仕事納めの宴が終わった。これからでも都合がよければ締めくくりの忘年会はどうか」である。否負うも無い。何時でもOKである。午前中に、翌日にでもとメールのやり取りをしていた処だった。

9時半頃に寒い中、人形町までお出まし頂いた。先輩に申し訳ないが。
実は、最近と云うかここ暫く、この近在の店に余り顔を出していない。そんな訳で、一年の御礼を申し上げ、無沙汰の侘びを言いたかった。

K社長は、私と同じN社の出身、僕と大違いの紳士である。
N社を辞めた直後に、かっての共通の上司の紹介により、東戸塚にある上司の事務所でお会いして以来、交誼を頂いてきた。
その頃、Kさんは大学の教授であり、またお兄さんの会社H社の役員に就かれた処であった。その後、お兄さんが病床に着かれ、大学を退任して社長になられた。

H社は、うちの会社とは大違いの規模で、ビル管理、人材派遣、IT系の事業と幅広く手掛けている。業界情報や景気動向の教授を頂くだけでなく、はぐれ者の私を何かと気遣ってくれる。
温厚で含羞を秘めた容、穏やかな話し振り、教えられることばかりである。ご一緒させてもらうと暖かな気持ちになる。愉しい気分となる。

会社の隣の蕎麦【高松」は既に暖簾を下ろしていた。韓国スナック「コナン」は満席でカラオケが鳴り響いている。結局、駅近くのスナック「せい寿」に入る。
他所は大忙しというのに、ここは閑古鳥、二人いた客も酔いつぶれたのか先に帰った。
Kさんと静かに、「今年を振り返り、来る年に備えるべく語り合う」云うほどの事はせず、古~い歌を唄い、時が過ぎる。

もう一件、6丁目の「順」に顔を出す。ここは、満席状態。ここでバイトをしているお嬢さんの実家(サイダー製造)へ、先月プロデューサのK君が取材に赴いている。奇遇、奇縁だろうが、サイダーについて触れても、取材については差し障りがありそうなので触れない。

店によって客の入り具合が随分と違う。我々のビジネスにおいても同じ。千客万来、順風満帆とするための工夫、知恵・行動が・…。

結局終電(途中までの)となる。
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2008-12-26 | Weblog
僕とヒロさんが通った「銀座のクラブ」は、有楽町のガード脇にある。毎夜のように其処で落ち合った。

其の頃、ヒロさんからいろんな話を聞いた。其の中の一つで、私が会社の社是(そんなものがあればだが)としたいものがる。

「塾」である。塾と云う言葉。

其の時、ヒロさんが話したのは会社は塾、塾にしたいと云うことだった。
僕は、混ぜっ返す「じゃぁ、社員から月謝取らなきゃ」そんな冗談とも、本音ともつかない会話を重ねた。

そして、塾について僕なりに考えてみた。
其処は、人が集い、学ぶ思いがあり、成長する場。そして、何ものかになろうと、なりたいと思う人たちが居る場。

今、自分がその会社に席を置く。

自分が、触れ、感じ、共感した。それを自分が居る場、チーム・会社で実現して行くことが私の使命だと思っている。

人は皆、自分の足で立って行く、行かなくてはならない。
そうして生きて行ける人を作る、それが「塾」であると思っている。

しかし、その「塾」の精神を受け入れ、理解してくれる人は小数である。
私の伝え方が稚拙、言の葉知らず。かと思う。

人がいるから会社が存在する、会社があるから人がいる。その人々が成長し、会社も成長
する。その循環の中でしか、会社が存在する意味がない。

「塾」の意味は、其処にある。
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今年最後の弁当&言の葉

2008-12-26 | Weblog

12月26日(金) 今年の仕事納め、早や~い、一年だった。

弁当作りも今日が納め。本日、作り納めの弁当は二人前、自分用と妻。それに、K君のおにぎりを用意する。

 images

メニューは、昨夜帰宅の車中で考えた。今年、最後のランチに相応しいメニューは何かと・・・。でも思いつかない、浮ばない。う~ン。

帰宅して、遅い夕食とビールを遣りながらも考える。

 

漸く思いついたのが、里芋の煮物。これに金沢の妹(妻の)が送ってきた蓮と鶏肉の炊き合せ。そして、冷凍してあるアオリイカとホタテのバター炒めえ&ピーマン等。

ホーレン草(これが弁当にも、仕事にも大事)のオヒタシ。定番、雅味卵焼き。

以上、四品に決定。里芋や蓮は食事の後、夜のうちに煮る。

今朝も、4時半に目覚める。5時30分すぎから弁当の用意に入る。米、3合を炊く。昨夜の準備の所為か、今朝は早めに仕上がる。

二人分を弁当に詰める。残ったおかずを、少しだけ味見。美味い!と思わず呟く。

 images

私の弁当

 

言葉は難しい。僕は、言葉の使い方が下手、言葉を知らない。

これで、何人の人を傷つけたか測りしれない。何拾人か、何百人か。そして、今も。

10年近く前になるか、研究所の総務に勤務していた頃。

酒の席で部下の係長を叱った。と云うより叱りつけた。相当に酔ってもいたが、彼の言った一言が気に障った。

大した内容ではなかった。彼は、彼なりに何かを思い、気遣い言った言葉であった。それが、分かっていながらも、僕の癇に触った。

僕の言葉に、彼は深く傷ついた。泣いた。僕との信頼関係が壊れた。

暫くして、彼は郷里への転勤を願い出てきた。もう一年待てば、管理職への道が開ける。慰留したが、それでも、彼は待たなかった。待てなかったのだろう。

未だに、残念に思う。

そして、自分の短慮を恥じた。一人の人間の未来を潰した・・・。

何年か経ち、彼が勤務する地方の県庁所在地へ出掛けた。

其の地に何人かの知己がおり、夜は一緒に飲む。かっての部下であった彼を、是非呼んでくれと頼んでおいた。

彼は、来てくれた。笑顔を見せて遅くまで付き合ってくれた。当時のことを詫びた。

しかし、サリーマンとしての彼のステップを閉ざしたことに違いはない。

「言の葉」の難しさ、使い方を間違えてはいけないと自戒はするが・・・。

希望にあふるる、勇気が湧く、力づける「言の葉」を使わなくていけない。

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サンドイッチ&借り

2008-12-25 | Weblog
12/25(木) 今年の仕事も今日と明日を残すのみとなった。この一年の速さよ。

今朝も、4時頃に目覚める。5時過ぎから弁当の用意に掛かる。昨日、弁当箱を持って帰れなかったのでサンドイッチにする。

パンは、サンド用の8枚切り、ベーグル、フランスパン。具材は、冷凍してあったハンバーグ、ホタテ、ゆで卵&ジャガ芋、トンカツにハムカツ、野菜少々。
またしても、食べきれないほどのサンドができる。

何故、こんなに食べ物を作ってしまうのか・・・遺伝子の所為かな~。

この前の(と、いっても1万年前のことだが)氷河期に、私の祖先が寒さと、飢餓に襲われホウホウの呈で生き延びた、その遺伝子が色濃く私の体内に残っているのか。或は、戦国の時代、戦に破れて山河を彷徨い、木の芽、山草を食み隠れ住んで居た頃の名残の遺伝子か、はたまた先の大戦のおり、南の島かシベリヤの大地で飢えた記憶が何処かに残っているのか。

ようは、貧乏人ということ。

昨夜、40年ほど前の新入社員時代、教えを請いお世話になった方にお会いした。S氏とOさんである。(S氏が今春奥様を突然亡くされたこと等は以前書いた)

色々な話の中で、私のこととなった。
「何故、長く仕事をしようと思っているのか。何故、かっての大会社を辞めたのか」そう云う、Oさんも早くに辞めたが。

一言で云えば「借り」があるから、ということ。この一言に尽きる。
生きてきたことで、沢山の借りを作ってきた。

子供の頃、若かったあの頃、プライベート、ビジネス、酒場や旅先、2~3年単位で繰り返してきた職場、そして現在。

あらゆる場面で、両親・妻・兄弟・従兄弟・友達はもとより、上司・先輩・後輩・取引先、飲み屋の姐さん・兄さん・オヤジ、下宿の爺さん婆さん、アパートの管理人・隣人、これまで出会った人達、全てに借りが出来た。

教えられ、助けられ。漸く生きて来、活かして貰い、今を生きている。

私の人生は、全て「借り」ばかりである。そして、今もその借りは増えるばかり減りはしない。
何時かお返しをしなくてはならない、常にその思いはある。が、返しきれない、増えるばかり。

返すべき人は、時の流れの中、忘恩の彼方。
これまでの借りを、返しつづけなくてはならない。喩えその相手が、誰になっても、誰であってもいい。
どん形であれ、返していくこと。自分が生かされていることの意味は其処にしかない。

その為には、サラリーマンをしていては限度がある。自分の足で立ち、生きて行くことを証明しなければ、私のこれまでの人生が嘘になる。そんなようなことを、伝えた。

生きていることは、借りつづけること。生きていることは、返しつづけること。
相棒のヒロさんがいて、今の自分がある。周りの様々な人たちがいて自分がある。

生涯をかけて、返して行くしかない。生きている限り借りつづけ、「借り」を返していく。

サラリーマンでは時間が、色んな制約がある。自分のビジネスを確立できれば、自分の人生を自分の責任で生きることができる。生き易い。そう考えた次第だが・・・。

未だ、その旅の途上。

世間に、義理がある。借りがあるから。そんな話をしながら、酒を飲み、コーヒーを啜り、緩やかなひと時を過させてもらった。

Sさん、Oさんありがとう。
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世相と生き方

2008-12-24 | Weblog
去る日曜日、娘が通っていた学校のVB部の親達の忘年会があった。学年こそ違え気の会う人たち10人ほどの集まり。

何時しか経済情勢の話題となった。その中の一人が、「この不況下で。80人ほどのリストラをすることが決まった、自分がそのリスト作りをしなくてはならない」と云うことだった。

どういう基準でリストラの対象者をリストUPするのか聞きそびれたが、帰宅の車中、そのことについて考えてみた。私だったらどういう基準でそれを行うか・・・。


私なりのベストな方法は、先ずは、何処ででも活躍できる人。 次は、生活に困らない人。と云う順でリストラを考えたが・・・本当にそれでいいのか?

できる人がいなくなれば、企業活動に支障が来たす。経営に支障をきたすこととなる。
では、出来ない人をリストラすれば、その人は他で雇用される可能性は低く、生活に困る、路頭に迷う。
会社を守るのか、個人を守ることを優先するか。

う~む、悩む。君ならどうする?と聞きたい。
僕の結論は、ここでは控えるが、そんなことを考えらせられる忘年会となった。

会社の使命は、会社や景気がどう変わろうが、自分の足で立って行ける人を創ることだと思っている。一人ひとりが自立できる技術、経験、意識、見識、それを持つこと。そうなれば何も困ることはない。これが、僕の理想の人間像だが・・・・。

経済状況の波を受ける、企業は生き延びるため減量を行う。資産の売却、銀行からの借入等。そして、更に先行きが見えないとき、固定費の最たるものである人に手を付ける。

常用労働者の雇用確保が最優先されることから、その調整弁として臨時雇いや派遣労働者の存在があると考えた方が納得性が高い。不確実性の高い時代には、更にそのような雇用形体が顕著となる。また、それでよしとする社会風潮、半端な仕事選択がそれを助長させる。

会社人間になることはベストではありえない。倒産・リストラ・減給、色んなことがある。誰も助けてくれない、助けてやりたくとも助けられないことがある。

自分の身は自分で守って行く自負を持つこと。どんな仕事であれ職業人になる、プロの職業人になることが大切な事だと思う。

餌を貰う家畜人になるな、餌は自分で探し取るんだ!

世相に負けない、流されない生き方をしよう。
そう云うチームを創りたい。未だ暗中模索であるが。
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焼肉弁当

2008-12-24 | Weblog

12/24(水)明方、4時頃に目覚める。夢を見ていたようだ。

 今日も午後から、何件か年末の挨拶&営業の予定。何処に行っても、誰と話をしても不景気な話ばかりだが、世の中の動きが総て止まっている訳でもない。何処かにビジネスのネタはあるはずだ。それを、見出し形に出来る処が生き残る。なんて事を思ったりする…。 明け方に目覚めるということは、こんなことの思案を繰り返してしまうこと。

 

だから、気分を変えるために弁当作る。一つの理由。 今日のメインは、焼肉とする。

images 

弁当出来上がり

肉を焼く、焼肉のタレを入れる。突合せのエノキダケを焼く。後は、シーフードのバター焼き、マグロの漬を焼く。そして定番の卵焼きを作る。卵は、昨日、高崎の「卵たろ~」から買ってきた「雅味卵」殻が厚く、中の黄身が赤に近い。味は・・・よく分からん。

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アオリイカのオリーブ油焼き

2008-12-24 | Weblog
12/22(月)今朝は妙に暖かい。

今日のメニューは、土曜日に築地で仕入れてきたアオリイカのオリーブーオイル焼き、付け合せにアスパラと茸とパプリカ。豚肉と小松菜の煮物。定番卵焼き。以上三品を作る。

愈々年末も押し迫り、何人かに年末の挨拶に伺うこととする。午後一番からの訪問となり、昼に会社を出て帰社は16時となった。それから、大急ぎで弁当を食す。

美味い、美味いが落ち着かない。
それもそのはずだ、皆大掃除の最中。今日は、会社の忘年会、その前に大掃除というスケジュールなのだ。
夕方より、雨が降り出す。忘年会場の渋谷「奈加野」に向かう頃には激しくなる。
結局、帰宅するまで降る。(雨降って、地固まるか~)
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