1/18(月) 東京に雪が、雪らしい雪が降って風も強くなり、寒い一日が始まった。深夜の二時に目覚めて、過ぎ去りし日々のことを思い浮かべながら刻の過ぎるのを待った。漸く五時半となったので蒲団から出た。新聞を取りにドアを開けると、玄関口も道路も植木も白く覆われて、斜めから風に押し付けられるように霙混じりの白いものが積もっていく。遅れていた冬が、これで漸く冬らしくなった。でも寒いわ~。
雪、たった5cmほどの雪だが、束の間、夜明け前の通りを埋めて森々と街灯の下で輝いていた。
外の寒さも忘れて、早々に弁当作りに入った。今日は「すき焼き」がメインメニュー。そして「めぬけの西京漬け」と「ホウレン草とベーコンのバターソテー」、「卵焼き」に、キャベツ&タマネギをスライスしたサラダ。
スキ焼用の和牛肉と云いながらも、小間に近い肉なので888円/100gとお手頃。これを200gに、白菜・ネギ・シメジにタマネギが入る。割り下の出汁を使わず、牛脂の後に肉を焼き、砂糖・醤油で味付けするのが私の流儀。あっという間に煮上がる。
他の菜の作り方は記すまでもないが、卵焼きは「ネギ入りの出汁巻風」にした。卵焼きだけは上手くなっているように思うが・・・。
弁当作りの方は早々と仕上がる。雪なので早めに出勤しようと、風呂も早くに済ませる。で、雪交じりの向風の中を駅へと・・・。と、駅の手前から傘を差した人の列が、駅に入れぬ人が列をなしていた。電車の遅延で改札制限をしているのだ。
これ仕切りの雪で、たった5cmで電車が遅れたり本数削減とは・・・、情けない。一体何時まで待てばいいのか?幸いに午前中の予定はない。ならば、混雑が治まってからとUターンして家に戻った。毒蛇は悠々として急がず、である。結局、昼になって出社した。
-勝利の女神は何処に・・・ー
土曜日の夕、「ちょっぷく」に顔をだした。ランチの片付けが終わり、土・日の競馬結果と予想などをして過ごす時間帯となる頃合いに。日曜日のメインレースをあれこれ検討し、食事と一杯が始まる土曜日の恒例。酔いが廻るとカラオケとなり、客の居ない演歌酒場に変身するのだ。
メンバーは、「ちょっぷく」が第二の職場のような不動の助っ人ミムラッチ、YAMAちゃんにチーフのヨっちゃんである。何故か、私は手伝いもせず、ただ一緒に酒を飲んでいるのだ。相当厚かましくないと出来ない芸だな!
尤も、店主兼店長のYAMAちゃんはノンアルコール一本槍で、オールフリー缶ビールを何本も空ける。オールフリーとは云いながらも、あれだけ飲んで食べれたら、二年前に患った脳梗塞も一年前の脳出血も逃げて行くだろう。
この日はバーベキューだとか言って、鉄板の上で豚バラ・ホルモンやウインナーに野菜、ニンニクのスライスにキムチ、韓国海苔などの本格派。焼肉をサンチュ代わりのサニーレタスで包み、ニンニク&キムチを加える。最初は帰りの車中のことを慮ってニンニクをは控えた。が、YAMAちゃんが、「電車の中は俯いてろよ」なんて言うので、ついつい喰った。と、これがバカウマ!調子に乗ってバクバク食べた。
捨てられるの待っている、ランチの残り小鉢も沢山あったが焼肉で手一杯だった。喰い過ぎ食べ過ぎ、かつ飲み過ぎとなった。
二時間ほど飲み食いがつづき、イントロ当てクイズも厭きた。そろそろカラオケの出番だ。ヨッチャんが、歌詞がついている歌のダウンロードし、ボリュームが上ってお歌が始まる。YAMAちゃんのテーマソング「ふるさとの話をしよう」「江連子のおんな」から「命かれても」・・・、と昭和演歌オンパレード。
断っておくが、毎週こんなことをしている訳じゃないよ、私は。時々、偶に参加するだけです。助っ人隊は昼のランチの手伝い、一週間分の清掃・掃除、競馬の検討と毎週のことだ。が、これはお手伝いに対する御礼と云う意味もあって、夕方から身内での慰労会と云うことだろう。
生ビール、冷酒、ハイボール、赤ワインと何でも有、好きなだけ飲む。飲まされると言ったほうがいいか。それに食べなくては・・・。いい加減参ったネ!バカっ話をしているうち、YAMAちゃんが夏にオイラが酔ったスマホ写真姿を見せた。記念にそのボケ姿を写した。
ミムラッチも唄う気十分! 昨年の夏だ!
飲み食いに厭きた処で、明日の競馬予想だ。おいらの場合は適当!適当に買う。店長のネット口座で買ってもらう。子供の飴代ぐらいの金額で。メンバーに加わる為のほんのお遊びだから・・・・。
十一時近くなって、そろそろ片付けを・・・、携帯を見ると着信が。発信元を見ると渋谷の元缶詰BARからだ。今頃の時間になんだろうと電話をした。なんと、二十年前に現場の支店長をしていた時代のスタッフKOBAYASHI君が店に来ているとの連絡だった。
この店にはラクビー部の連中がよく来る。そこで、その昔に現場で一緒だったラクビー部のK君のことを話してあった。ラクビー試合の応援後、OBたちで来たとのこと。電話では話が遠い「これから渋谷に行くよ、三十分ぐらいで着くだろう」と伝え、タクシーを拾った。
渋谷・東急文化村の先に在る元缶詰BARAのなが~い階段を上ると、ガタイのいい連中が十人程で店を占めていた。その中に懐かしいKOBAYAHSI君の姿があった。当時、彼は販売担当をしていた。入社して3~4年経っていたろうか。大きな体のポーッマンだが、静かな青年だった・・・。
一度彼のラクビーの練習試合を見に行った。現在のように社会人チームとして華々しい存在になる前の時代だ。入社して三・四年経つと、次の行先を考えてやることになる。所謂人事と云うやつだ。そのことで、彼には何度か話しを訊き、した。スポーツ選手の人事では、一般の人事とは違った配慮と云うか気遣いが要る。と、私は思っている。今でも。
彼のキャリアパスをどう考え、何処に配置するかは将来に関ってくる。そんなことで、私なりに気遣った。二十年の年月を経て、彼は某社の課長ポストに就いているとのこと。私と一緒だった職場から、異動したラインの延長で仕事をしていた。満足できるサラリーマン人生を歩んでくれているようだった。よかった。
この夜の帰宅は、二十五時を過ぎてしまった。翌日のボートレースに差し支えそうだな・・・・・。そんな予感が。
翌、日曜日。目覚めるとリビングで寝ていた、時間は六時だ・・・・。参ったネ。改めて蒲団に入り、今度は九時に起床。朝飯を予ねて軍鶏煮た。朝から軍鶏を煮る男も珍しいだろう。理由があるのだ。昼には奈加野オヤジの迎えで平和島に向かう。帰るのは五時過ぎとなり、それから軍鶏を煮ると遅いのだ。軍鶏は長い時間煮る(肉が堅いの)。これが我が田舎では不文律なのだ。
体調不良、最悪なれど予定どおりに平和島へ。第五レースが始まったところ。オヤジが、千円出して二階の観覧席に行こうかと云うが『そんな贅沢はいかん、千円の舟券が何倍にもなるんだ』と拒否し、何時もの三階へ。体は重い、意気消沈の体だが舟券だけは買いつづけた。「勝利の女神の降臨」を信じて!
処が、買っても買っても駄目!駄目なんだよ、今度こんどこそ、これこそと思うのだが、するりするりと逃げていく。なけなしのお宝が・・・。
愈々最終前の11レースと最終の12レースを残すのみとなつた。これまでに当ったのは一枚だけ、それも650円だ。競馬があった、三時三十五分出走だ。ワンセグで競馬中継を見る・・・・、いい線を走っているぞ。ゴール前が団子になってきた、よっしや!と思ったら、猛烈に追い込んで来た馬が・・・。
お目当ての馬は、首差で二着となってしまった。万事休す・・・ 。三連単は、4-3-1の馬番で配当は78050円也。
挙句、ボートの方は勝負を賭けた11レース、狙い目にしていたボートの五番が沈して失格。散々な結果となった。が、残す12レースに望みを託す。諦めが悪いというかしぶといと云うか、12レース目の検討に入った。一緒に来ているNAKANOオヤジも思わしくないようだ。ボヤキ声が漏れてきた・・・・。
勝負と云うよりは運が有るかないのか、それが問題だ。私の狙い目としては、1-4-3 のボートが買い目であった。ウッ、この番号は京成杯の目と同じラインじゃないか・・・・。よっしこれに掛けるしかない、我が運命が定まった。其処で覚悟を決めて、1-4-3の番号を組み合わせて三通り買ったのであった。
結果、見事やってくれましたよ。読み通り、ピッタシカンカン !俺の舟券購入法は決して間違ってないことが判明した。但し、このレースでは、であったが。
トータルでは思わしくなかったが、終わりよければすべてよし。良しとしようではないか・・・。明日に繋げる希望が見えてきた。
来週もあるのだが、残念なことに来週の日曜日は帰省中だ。ボートの代わりにミカンの枝を弄っていることになる。