オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

オムライス

2015-01-28 | Weblog

1/28(水) 今朝も六時過ぎからの弁当作り、寝坊をしないで台所に悠然と立てるとのいいものだ。然し、弁当事しか遊びを知らないOYAJIと云うのも使い道がねえなあ~、我ながら情けない思いだ。

昨夜、渋谷は「奈加野」と、何時もの店で、かつての上司NAKAJIMAさん、先輩のISHIKURA&YANAGISAWAさんとの懇談であった。昔話や現状の仕事動向と多岐に渡る話で盛り上がった。そんな中で「ゴルフに行こうよ」との話が出たが、残念なことに、こっちは5年も前から止めちまっている。とは云いながら、体が動くようなら再開したい気分になっていた。

そういや、今年の年賀状に「練習をすればするほど下手になり」と、書いておられたのはK大兄だった。そんな先人もおられるので、上手い下手などはうっちゃって球打ちに興じるのも一興かと思ったりもする・・・。

昨晩は6時からスタートし、お開きになったのは22時前であった。結構な長居だが、それだけ話が尽きなかったと云うことだ。が、話の中身は大方が以前にも何度か話していることだ。酒の肴の話は、そんなことで良いのだろう。

 

さて弁当の方が、今朝も残り飯が電気釜の中に茶碗で2~3杯分。新しく炊くか、炊かずかと迷った。迷った末に、残り飯を活用することにした。今週は炒飯やら混ぜご飯やらとつづくが致し方ない。

私が好物の「オムライス」にすることとなった。先ずは、冷凍の鶏肉(これは由緒正しき阿波鶏)を解凍して刻んだ。人参とタマネギ・ピーマンも刻み、下準備をする。

他の菜は、大根・人参・薄揚げと鶏団子(冷凍の味付け)を和風の味付けで煮ることにした(仕上げで白菜も放り込んだ)。加えて、「ホタテのソテー、アスパラ・セロリ添え」、ホウレンソウのお浸し、オカカ掛け。「茄子と挽肉の味噌炒め」、以上となった。

                

これだけ有ると弁当箱に入れて貰えない菜も出る。仲間外れとは気の毒なこったが、イジメじゃないから勘弁してくんな!

 

上手いことに、昨夜遅くに来た次女が泊まっている。彼女にも『弁当持ってけよ』と、半ば無理強いだ。そんなことで、今朝は三個の弁当となった。

                      

今日の食材は、鶏肉・ホタテ・挽肉・大根・人参・タマネギ・ピーマン・セロリ・アスパラ・白菜・ホウレン草・茄子・キャベツ、ニンニク一片、卵二個、オカカにケチャップ・ウスターソース・塩胡椒・醤油・白出汁・酒と味醂の調味料を少々であった。

 

余談ながら、昨日はランチを食した。昼前に豊洲の某社を訪問したら、友人のYAMAKI君が「昼飯に行こうよと」と誘う。大事なクライアント様だ、『貧乏をしておりますので、昼は抜いております。お代官様、お許しを』と、云う分けにもいかん。彼が一度行きたかったと云う、メンタイコが食べ放題と云う店に向かった。

博多の明太子店「やまや」がやっている店とかで、人気で行列ができると云う。早い時間なので我らはラクラクに席が取れた。チケットを先に買って入った広い店内は、長テーブルとカウンターである。テーブルの上に置いた小さな壺に、明太子と高菜漬けが入っており、これが食べ放題とか。

私は「焼き鯖」定食にした。半身の文化干しと味噌汁、御代り自由のご飯にオカラの小鉢、それにテーブル上の明太子と刻み高菜をご自由にのスタイル。結論は、一番旨かったのは高菜だった・・・。

食後のコーヒーの後に向かったのは池袋。豊洲からだと有楽町線で一本で行ける。池袋手前の東池袋駅で下り、サンシャインシテイを抜けて目指すビルへ。ここ東池袋やサンシャインは懐かしい。K大兄が北斗の社長をされていた頃は、この辺りに在った事務所を時折訪ねていたのだ。妙に懐かしく思えた。

15時30分に事務所に戻り、17時には渋谷に向かうための外出。昨日事務所に居たのは、都合1時間45分であった。今日は、17時半から「高松」にて、プランナーのNISHIKAWA氏、HIROさんの三人で懇談する。明日から日曜日までは帰省の予定だ。仕事をする間がない、否仕事がないのだ・・・。イイネ!

 

 

 

 

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食材次第と判明

2015-01-27 | Weblog

1/27(火) 今朝は六時から台所へ向った。今朝も夢を見ながら目覚めたのだが、内容はあっという間に霧消してしまったのである。

今日の弁当は、昨夜から入念に準備をしてあった。その一つ、米を磨いでおいたこと。その二つ、鶏肉の炊き込みご飯用の牛蒡を削ぎ晒し、人参を刻み、干椎茸を戻した。その三、鶏肉を刻み酒・味醂・醤油で漬け込み生姜を散らした。メニューの方も、ホウレンソウのごま油炒め、ジャガイモと人参のサラダと、全て確定した。

と、万端を整えて臨んだ弁当作りであったが・・・・。

余談ながら、昨夜は午後八時に退社、「ちょっぷく」にてハイボールを2~3杯の予定が、店長のYAMAちゃんの口車に乗せられて五杯になった。「ちょっぷく」に立ち寄ったのは、土曜日”なぎらけんいち”さんの展覧会(写真)に同行できなかったので、そのお詫びを一言伝えようと思った次第。土曜日に酔っ払って電車を乗り過ごした、その後始末だ。

丁度、日経新聞の折り込み特別版が”なぎら”さんの築地市場巡りだった。この新聞を手土産に店に行った。店内はここ何ヶ月も見ない静かさであった、これじゃあ渋顔と思いきや、上機嫌での出迎え。夜に雨との予報(店に入る頃に落ちてきた)なので諦めていたか?取り敢えず、『申し訳なかった』と、詫びを云い、展覧会の様子などを訊いた。打ち上げの飲み会にも出たと、スマホの写真を見せてもらった。

                        

そんなことをしながらハイボール五杯となったが、酔わない。何しろYAMAちゃんの人情の如き、薄いハイボールだから酔いようがないと、軽口を叩いた挙句、傘を借用して家路に就いた。

最寄駅の学芸大学から家に着く短い間に、翌日のメニューを考えていた。思いついたのが「鶏肉の混ぜご飯」と「豚肉の焼肉」であった。其処で、途中のマイバスケットなるミニスパーで食材を買った。〆て、800円足らずの安さであった。

帰宅後、その食材をベースに弁当の仕込みをしたと云う次第だが・・・・。

出来上がった味は、入念な準備をしたにも関わらずお粗末。鶏も豚も旨くない、素材そのものに旨味を感じない。生姜やニンニクも少々ながら使っているのだが・・・。これ以上は云うまい、食材を選定し味付けをした私に責が有る。それにしても、料理は食材次第。素人なればなおさらにと、実感したのであった。

               

今日の食材は、卵が二個、干し椎茸・人参・ホウレンソウ・牛蒡・人参・薄揚げ・モヤシ・ピーマン・シメジ・セロリ・キャベツ・スナップエンドウ・生姜、鶏肉と豚小間、以上に明太子が最後に載った。

                       

煮付けた干し椎茸が一番旨かった・・・・・。貧乏はしても、弁当の食材だけはケチるな。これが今朝の教訓です。

 

 

 

 

 

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炒飯とカツ

2015-01-26 | Weblog

1/26(月) 今朝も早くから目覚めていたが、弁当事の着手は六時半からとなった。目覚める前の夢の記憶は二本だったが、いずれも知り合いの姿があった。然し内容は支離滅裂だ・・。どうせ夢見るなら、ロジカルで起承転結が明らかなストーリーの方が、目覚めた後に夢を辿り反芻するのが楽だろうにと思うが・・・。

雑な脳味噌では、夢さえも獺祭とは情けない。

で今日の弁当だが、電気釜のご飯が半端に在る、冷凍庫にも残リ飯の在庫が幾つも転がって邪魔だ。予定外の「炒飯弁当」にすることを決断した。最近、決断力が付いてきたようだ。

菜の方は、昨夕の会社帰りに東急ストアを覗いて「ブリ切り身」と「ステーキ肉」を買った。ブリは照り焼にしようと、昨晩から酒や味醂・醤油のタレに漬け置いた。ステーキ肉と云うと大仰だが、何のことはないアメリカンビーフだ。貧乏OYAJIが買うとすると、そんなものさ。

鰤の照り焼きは何のことはないが、ステーキの方をどうするかだ?。本当は、豚肉でトンカツかカツ煮をしたかったが、ステーキ肉を見て、牛カツを思い立ったのだ。どうせなら、柔らかな子牛のカツレツといきたかったが、スパーにそんな洒落た肉はなかった(大助かりさ)。

                

サラダは、パスタと人参・アスパラの茹でサラダに。チャーハンはホタテの炒飯で、ピーマン・人参・タマネギを刻んだ。以上であったが、牛カツがなにやら鯨カツのようであった。鯨カツが分かるとは、齢を聴かれそうだが・・・。

                   

残念ながら、写真の方が上の一枚しか撮れていなかった。(翌日に写真が出てきた)

 

金曜日の夜は「ちょっぷく」にてハイボールを五杯で切り上げた。その時に店長のYAMAちゃんから「明日、銀座でナギラケンイチさんの展覧会があるから行こうよ」と言われた。先日この店でお会いしたが、そんなに親しくなったわけでもな。『嫌だよ』と言ったが、「この前に来てくれたし、メールで案内があったから付き合えよ」と煩い。

『明日は、昼から上野で飲み会あるんで、時間が合えば付き合うよ』と応えた。銀座は帰り道だから、どうってことはない。そんな話をした翌、土曜日・・・。

正午に上野駅入谷改札を出た処にある、居酒屋「とおり路」(?)とか云う店に入った。この店で十人程で飲み会がある。三十年も前の、昭和と云う時代、世田谷火災があった、通信局係長時代の縁でこの飲み会に参加となった。参加メンバーの内、知り合いは半分程だが、当時の総括調査役やご無沙汰をしている課長にお会いしたかったのだ。

飲み程に記憶も戻り(私じゃないよ、相手が)、初対面の方とも共通点がありで、愉しかった。ここで終わればいいものを、御徒町の安酒場の二次会に付き合った。上野駅から御徒町駅へとつづくアメ横や、横丁の路地も人出で溢れる程であった。昼間だと云うのに、どの酒場も、立ち飲み店も満員の盛況だった。

そんな中で、ようやく席を見つけて落ち着いた。あれやこれやで、一次会から数えると、ハイボールを十杯以上は飲み、トイレに通う回数は三回を数へた。漸くお開きとなったので、YAMAちゃんに電話をしたら「一緒に行こうよ」という。それじゃ人形町駅で会おうと電話を切った。

地下鉄に乗る段になって「店まで来てよ」と、電話があった。『わかったよ』と応え、御徒町からメトロに乗り、座った・・・。

気が付けば、終点の中目黒駅のホームに着くところだった。其処にYAMAちゃんからの電話が「どうしてんだよ、来ないじゃない」と、怒り声が。『ごめんゴメン、中目黒まで来ちゃった』と云う顛末。勿論、今更戻りゃしない。

それにしても、よく寝たもんだ。薄いハイボールといえども、あれだけ腹に入れるとよく眠れる。とんだ土曜日であった。今夜は、謝りに行くか・・・、でまた一杯か。

 

 

 

 

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立ち往生

2015-01-23 | Weblog

1/23(金) 昨日までの雨も上がり暖かくなってきた。それにしても昨日は雨の中で往生した。午後から外出予定があり、天気の所為か膝の痛みが強くなっている。この日は朝から湿布にサポーターと万全を期して出社。その効果か随分と楽になっていた。

 

「雨の中、立ち往生」

会社を出た時は、冷たい雨の外出も膝は気にならず、人形町駅に向かった。会社から駅までは500~600mだが、中ほどまで歩いて急に膝が痛みだした。関節より少し上の辺りが痛み、足が動かなくなった。揉んでも駄目、歩こうとすると痛みが走る。雨脚が強い中で、ニッチもさっちも行かなくなった・・・。

訪問の約束時間が迫っているのでドタキャンは避けたい。足を引きずるようにして道路を横断、タクシーを捕まえた。浜松町まで向かう車の中で膝をもんだ。車を降りると何とか歩けた。が、歩くのが不安・・・そろり、そろそろと障がい者になっていた。

この時は本当に参ったネ。一昨年の夏、急に痛み出して歩けなくなった時のことを思い出していた。

訪問を終えて、浜松町駅までの十分程を歩いたが、何とか辿りつけた。どうも筋を痛めていたようだが、詳しいことは解らん。今朝、その痛みはない。

 

「午後三時からの新年会」

外出先から上野駅に出て、KIYOTAさん、TAKAHASHI君と会った。二十年以上も前になるが、同じ会社で働いて以来の付き合い。当時の上司がKIYOTAさんであり、その後今の会社で顧問として四年程協力を頂いたことが有る。昼間から、三人で新年会である。USUI老も参加予定であったが、一昨日に前立腺ガンの検査をし、体調不良で欠席。

KIYOTAさんも頸椎損傷の後遺症からリハビリの最中だが、一年前に比べると随分と元気になった。春にはゴルフを再開したいと張り切っている。私の膝の方はなんとか持ち堪えていた。上野駅から御徒町へと歩き店を探す。落ち着いたのは「すし屋」となった。飲み物は生ビールからスタートし、燗酒へと進んだ。冬だからねえ~、燗がいいのだ。

KIYOTAさんは、同期で親友だった田島さんの墓参をしてきたとのこと。「未だ田島が死んだ気がしないんだよ。TAKAHASHIは笑うが、墓に話かけるんだ」。そんな話から始まった。

話題は、黒田君逝去の報告、後輩のTUCHIDA君が癌手術から仕事に復帰したこと、昨年に大阪で急逝した岡堂君や若くして癌で亡くなった長谷川君のことなど、亡くなった仕事仲間を偲び、病人のことを心配をした

暫くして、変態オヤジのTAKAHASHI君が「近況通信」なる彼のオリジナルミニ通信をくれた。今年の正月号で、既に通巻260号に達している。内容は、彼が関心のある万象を写真と解説で紹介。昨年の師走号は「コップのフチ子」と云う、カプセルトイである。正月号は、干支の羊を網羅していた。

                         

季節の草花や名所旧跡から、街場に遊ぶ小母さんや姐さんの特異な靴や靴下の特集があったりと、妙なるものを探すのが得意なのだ。従って変態オヤジと云うのだが・・・。彼はこのカプセルトイのシリーズをすべて収集して紹介していた。時間と経費はかなり掛かったようだ。

新年会の仕上は、上野駅に戻って入谷改札前に在る、アイリッシュパブでのギネスだ。ギネスを飲むこのパターンが定着している。

すっかり出来上がってしまったと、時間を見ると午後七時。会社に戻るのを止めて帰宅することにした。学芸大駅に着いたのは八時、改札前の東急ストアで明日の菜を買って帰ることにした・・・・。

  -鯖味噌煮-

先ずは牛肉だが、これは塩胡椒で炒め用。魚は何がいいか?大したものは見当たらない。其処で、四つ切の鯖をカゴに入れた。鯖は味噌煮にする予定。野菜のアスパラとセロリ、ホウレンソウを加えた。こんなもんか・・・。

今朝の目覚め?リビングで二時過ぎまで寝ちまってた。TVの音で目覚めたが「堀口大学」の物語だった。面白くなって三時頃まで観た。それから蒲団に入ったが、目覚めると四時半だった。そのまま蒲団の中で一時間ほど待機をして起きだした。

前夜の帰りが早い、八時半には家に着いた。缶ビールを飲み、家人が作り置いたオデンを食べた。それからBS放送を見ながらそのまま寝ちゃったようだ。四時間は眠っているので、蒲団に入ってから一時間で目覚めたに違いない・・・。

で、弁当の方だが、予定どおりに「牛肉とアスパラ・セロリ・シメジ・ピーマン炒め」、鯖は塩焼きも過ぎったが、ここは味噌煮だと踏ん張った。マカロニと人参・胡瓜・スナッピのサラダ、明太子を焼き、卵焼きで〆となった。

               

今朝の一押しは「「鯖味噌煮」だ。酒・味醂・醤油は少々、味噌は白味噌とTOKIO味噌の合せ、生姜と長ネギ・大根のきれっぱしが入っている。

               

牛肉は「日山」がいいね~。

 

 

 

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焼肉

2015-01-22 | Weblog

1/22(木) 今日も朝から氷雨がつづいている。今朝の目覚めは四時半と、昨日とはうってかわり早い。またしても夢を見ていたが、記憶に残っているのは二本立てだ。差し詰め、手に汗を握る、総天然色二本立てという処か?

昨夜の先輩方との懇談は、九時半過ぎにお開きとなった。二次会なぞは無く、真っ直ぐに帰宅したのが良かったのか、今朝の目覚めとなったようだ。
高校の先輩四人に、店主も加わって座敷で飲んでいたら、テーブルに居た同郷の映画プロデユーサが、TOSAO先輩に挨拶に現われた。前々日に、ここで一緒に飲んだとのことであった。

この映画プロデューサ氏は、同じ県でも西部になる大正町の出身とかで、先輩方よりはひと回り程の年下。「まあ此処へきて、一杯やりや」と、言うのが土佐流で、半ば無理やりに呼び込んでの飲みとなった。杯が行き交い、だんだんとメートルが上昇し、年寄りや酔っぱらい特有のくどくて繰り返し、呂律の怪しい会話が大声でつづいた・・・が、これもご愛嬌か。

余談だが、酩酊気味の映画P氏が、ヴェネツィア映画祭から買い付けたと云う試写会の案内を配った。この映画のタイトルが「ラブバトル」と云うフランス映画、なんとも凄いタイトルではないか、案内のPOST CARDの写真もハードであった。三月下旬からユーロスペースで上映と、記されている。

私は前夜の轍は踏むまいと、抑えて飲む。先日郷里の従姉が送ってきた「猪肉」を持参し、店て鍋にしてもらった。この肉が鍋が、実に美味かった

 

余りにも早い目覚めなので、蒲団の中で本を読んで時間を潰した。弁当事を始めたのは、六時半になってからである。今日は、前日に使えなかった「焼肉用牛」がメインである。漸く出番かと、肉も喜んでいるような・・・わけやねぇか。

                       

他は、野菜室で冷えきっていたシメジと茄子細切のテンメンジャン炒め。小松菜の卵とじ炒め。野菜の煮物は、椎茸と大根・人参、薄揚げだが、干椎茸を戻したので絶品の味に仕上がった。

               

メインの焼肉には、せこいがキャベツ・タマネギ・エノキを加えて増量作戦であるが、昨日の汚名挽回となる、立派な弁当じゃないか?

               

 

で、冒頭の夢の話に少し触れると、何処が総天然色かと云うと、詳細は定かではないが、桜の淡い赤と、青い波と海の色が鮮明に残っているのだ。

どこぞの海岸に野宿した明け方、田舎町の山腹に淡い桜の並木が望めた。その桜を追って海岸を離れ町を歩き山へと向かう。途中にあった小さな桜樹も、淡色の花を咲かせている。然し、目指す桜の道は遠く、なかなか姿を現さない・・・そんな夢。また海岸の通りに戻り、野宿した場所に戻ろうとするのだが、今度は海沿いの細い道を歩いていた。今度はHIROさんが一緒に居た。

細い道は何時しか消え、海岸の砂利へとつづく。その海岸に青い波がゆったりと大きく寄せていた。なんと、その波が寄せている処に建築中の二階家があった。骨組みだけのその家の床下を波が洗う、二階では大工が仕事をしているんだ。この家の向こうに、また砂利道がつづく。波の満ち引きのタイミングを計って家の脇を渡るんだ・・・。

大きな波が寄せる処を上手く渡り、『次のタイミングで渡ったら』と、後を来るHIROさんに声を掛けていた・・・。つづいて現れたのは潜水艦上で戦いとなる夢であるが、これはどうも無理筋のシナリオだった。

海、だね!夢のメインテーマは、そんな気がする・・・・。

 

 

 

 

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焼肉

2015-01-22 | Weblog

1/22(木) 今日も朝から氷雨がつづいている。今朝の目覚めは四時半と、昨日とはうってかわり早い。またしても夢を見ていたが、記憶に残っているのは二本立てだ。差し詰め、手に汗を握る、総天然色二本立てという処か?

昨夜の先輩方との懇談は、九時半過ぎにお開きとなった。二次会なぞは無く、真っ直ぐに帰宅したのが良かったのか、今朝の目覚めとなったようだ。
高校の先輩四人に、店主も加わって座敷で飲んでいたら、テーブルに居た同郷の映画プロデユーサが、TOSAO先輩に挨拶に現われた。前々日に、ここで一緒に飲んだとのことであった。

この映画プロデューサ氏は、同じ県でも西部になる大正町の出身とかで、先輩方よりはひと回り程の年下。「まあ此処へきて、一杯やりや」と、言うのが土佐流で、半ば無理やりに呼び込んでの飲みとなった。杯が行き交い、だんだんとメートルが上昇し、年寄りや酔っぱらい特有のくどくて繰り返し、呂律の怪しい会話が大声でつづいた・・・が、これもご愛嬌か。

余談だが、酩酊気味の映画P氏が、ヴェネツィア映画祭から買い付けたと云う試写会の案内を配った。この映画のタイトルが「ラブバトル」と云うフランス映画、なんとも凄いタイトルではないか、案内のPOST CARDの写真もハードであった。三月下旬からユーロスペースで上映と、記されている。

私は前夜の轍は踏むまいと、抑えて飲む。先日郷里の従姉が送ってきた「猪肉」を持参し、店て鍋にしてもらった。この肉が鍋が、実に美味かった

 

余りにも早い目覚めなので、蒲団の中で本を読んで時間を潰した。弁当事を始めたのは、六時半になってからである。今日は、前日に使えなかった「焼肉用牛」がメインである。漸く出番かと、肉も喜んでいるような・・・わけやねぇか。

                       

他は、野菜室で冷えきっていたシメジと茄子細切のテンメンジャン炒め。小松菜の卵とじ炒め。野菜の煮物は、椎茸と大根・人参、薄揚げだが、干椎茸を戻したので絶品の味に仕上がった。

               

メインの焼肉には、せこいがキャベツ・タマネギ・エノキを加えて増量作戦であるが、昨日の汚名挽回となる、立派な弁当じゃないか?

               

 

で、冒頭の夢の話に少し触れると、何処が総天然色かと云うと、詳細は定かではないが、桜の淡い赤と、青い波と海の色が鮮明に残っているのだ。

どこぞの海岸に野宿した明け方、田舎町の山腹に淡い桜の並木が望めた。その桜を追って海岸を離れ町を歩き山へと向かう。途中にあった小さな桜樹も、淡色の花を咲かせている。然し、目指す桜の道は遠く、なかなか姿を現さない・・・そんな夢。また海岸の通りに戻り、野宿した場所に戻ろうとするのだが、今度は海沿いの細い道を歩いていた。今度はHIROさんが一緒に居た。

細い道は何時しか消え、海岸の砂利へとつづく。その海岸に青い波がゆったりと大きく寄せていた。なんと、その波が寄せている処に建築中の二階家があった。骨組みだけのその家の床下を波が洗う、二階では大工が仕事をしているんだ。この家の向こうに、また砂利道がつづく。波の満ち引きのタイミングを計って家の脇を渡るんだ・・・。

大きな波が寄せる処を上手く渡り、『次のタイミングで渡ったら』と、後を来るHIROさんに声を掛けていた・・・。つづいて現れたのは潜水艦上で戦いとなる夢であるが、これはどうも無理筋のシナリオだった。

海、だね!夢のメインテーマは、そんな気がする・・・・。

 

 

 

 

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休弁日

2015-01-21 | Weblog

1/21(水) 今日は、臨時の弁当休日となってしまった。「なってしまった」という処がミソだが・・・。今朝のお目覚めが、なんとなんと七時半だった。それでも起き上がる気力が出るまで十分ほどを要したのだ。これじゃ、弁当事はタイムアウトだと、すっぱりと諦めた次第。

弁当屋でなくてよかったよ!こんなことをしてちゃあ、商売あがったりだもの・・・。

昨夕、渋谷に行くため、会社を出てから半蔵門線の水天宮駅に向かった。人形町交差点を過ぎた左側に肉の「日山」が在る。閉店前のここに立ち寄り、弁当用の肉を贖い今日の弁当に使うつもりだった。食材の用意を整えていたと云うに、この様じゃあねぇ~。

「なに、今日はお弁当ないの?早く教えてよ」と、出勤前の慌ただしい中を弁当を取りに立ち寄る長女の声が聴こえ、「冷蔵庫の中に、お肉が入ってるのにねぇ・・・」と、応える家人の声がつづいた。面目ない!

 

郷里の先輩で母校の校長先生も務めたTOSAOさんが、渋谷・奈加野に滞在している。先輩の相手をするために渋谷に向かった次第だ。奈加野の店主、HOMEIさんとTOSAOさんは同級生なので、上京すると奈加野のビルの最上階に在る部屋に寝泊まりする。店主は店の仕事で相手をしてばかりとはいかん。店が仕舞うまで、暇な私がお相手をするという図式だ。

TOSAOさんは町会議員でもあるので、寂れる一方の町の状況と軍鶏肉による活性化案、従姉達のこと。亡くなった親父は剣道、TOSAOさんは柔道で国体に出場する時、町で壮行会を開いてくれた。と、亡父との思い出話などを聴きながら飲んだ・・・。

そういや、私が中学卒業の春休みに、大学生だったTOSAOさんと一緒に土方のアルバイトをしたこともあった。そんなこともあり、年に一二度、書道協会の理事会や町の仕事で上京する先輩とは飲む機会が有る。

二時間ほど奈加野で飲み、河岸を変えた。近場にあるスナック「清水」に足を向けた。ここのママさんから、時々お誘いのメールが入るが、とんとご無沙汰。店に客の姿なし・・・。これ幸いに、TOSAO先輩に大いに唄って貰ったが、上手いね~。大年増で、孫の話で目尻が下がるママとデュエットなどで盛り上がっていた。

                         

                    歌は、三山ひろしか?        ママの横顔は若そうだネ!

店仕舞いも近いだろうと奈加野に戻り、もう一杯。十一時過ぎに店を終えたNAKANOさんと三人、今度はお好み焼屋で飲み直しとなった。それやこれやで、ご帰還は午前二時前になった。眠いはずだ・・・。

今夜も昨夜のつづきとなるのだが、今夜はメンバーが三人ほど増えるとか。何れも、久しぶりの先輩方である。だが、今夜はセーブしますよ!

 

 

 

 

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ちらし寿司弁当

2015-01-20 | Weblog

1/20(火) 今朝方の夢も酷かったな~。自宅がマンション(それも高級だぜ)になっており、ドアを開けると、そこはいきなりの酒場。広い板の間に座卓が設えてあり二組の客がいた。なんなんだ?これは!。道理で、道端で会った知らないオヤジが「後で伺います」なんて言うから、『何を言ってんだこのオッサンは』と思ったが、これで合点がいった。

然し、ご主人様が居ぬうちに飲み屋になってたなんて、知らなかったぜ。青天の霹靂と云うやつか?それとも毎夜の酒場廻りで、とうとう脳味噌が溶けたか・・・。時計を見ると五時だった。どうにも落ち着かない夢だったよ。

そんな冴えない朝となったが、昨夜から今日のメニューは「ちらし寿司」と決めてあった。何のことはない、食材が乏しいのよ。其処で仕方なしに選んだメニューざんす。

例の如く、「てまいら酢」と柚子酢を使うのが土佐流だ。そういや、てまいら酢のラベル写真に出ているお婆さんは、伯母だが、昨年の暮れに亡くなった。九十五歳だった。これからラベルの写真はどうするのかな?

ちらしの具用の、椎茸・人参・牛蒡を刻み、煮る。これに、鮭を焼いてほぐした身を加える。後は、「てまいら酢」と「柚子酢」で味を調え、ゴマを振う。錦糸卵と青ものに絹ザヤと行きたい処だが、スナップエンドウで代用となった。手抜きも甚だしいが、食材不足でいかんともし難い。

菜の方も和風である。里芋と人参の煮物と、白菜と豚肉の煮物。以上であった。シンプルなものさ・・・。

                  

今週の夜の部と、飯の部は自粛すると誓ったその夜から、禁を破るこになった。誓いは破るためにする、とでも云うしかない?

昨夜の退社は二十時、真っ直ぐには帰れない。そういう習慣なのか、体質なのか。「ローカーボ」で一杯だけと思ったが、これが三杯となり、駅の手前にある関所、或いは関門の「ちょっぷく」にまで立ち寄ってしまった。ローカーボで久々に顔を合したYOYAさんは、ちょっぷくからセイジュ、ローカーボへと廻ったことが判明。腰を痛めたとかで杖を突きながらの巡回とは・・・、あの酒場巡り根性には敬服するぜ

                         

                        ローカーボ名物、必ず寝るKATOちゃん

かくして月曜日の夜は終わったが。昨日、郷里から先輩が上京したとの連絡を受けた。今夜・明夜と二夜のお付き合いをすることとなった。明けて木曜日は、かつての上司と昼酒の部が待っている。更に土曜日、真昼の決闘なならぬ、真昼間に十名程が集まる新年会が、正午から上野で有る。

今週立てた誓いは、来週からに延期だな・・・。浮世の義理と、人情の前には、誓いなんぞは飛んでけ~だ?男は辛いな・・・。

 

 

 

 

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寝坊

2015-01-19 | Weblog

1/19(月) 朝方夢の中にいた。宝くク

ジに当選している夢で、それから意味不明な出来事がつづいていた。とはいえ、当選金額は大したこはない、百万円単位の額であった。その金額が口惜しくて夢がつづいたのか、目覚めた時は七時を過ぎていた。

この時間から飯を炊くとなれば、電気釜では間に合わない。大急ぎで鍋で飯を炊くことになった・・・。

菜の方は、昨夜から決めてあったのが「鶏肉と大根の煮物」である。冷凍の鶏肉は、冷蔵室に移してあるので解凍済み。大根と人参を切り、鶏肉と一緒に煮る。何時ものシーンである。後の菜はこれからだ・・・。

結局、鯖の文化干し焼きと、ホタテのフライになった。それに、定番の卵焼きが最後の一品である。卵焼きは、煮物の汁を少々加えて出汁巻風にしてみた。

                    

そんなことで、正味三十分ほどで弁当を仕上げた。鯖の文化干し以外は、一応の手は加えてある。残りものの菜で、今朝も飯を喰ったが、昨晩も大飯を喰らったので、食べ過ぎになっちまった。今週は心して掛からねば、元の木阿弥だぜ!

 

昨晩が過食に至った要因は「親子丼」に在る。日曜日の昨日、会社に行くのを止めた。朝の内から「軍鶏鍋」を炊くことにして、準備をしていた。軍鶏肉は硬いので、よく炊き込んだ方が良いのだ。何しろ、喧嘩軍鶏だからね~。この軍鶏とは別に、若鳥の軍鶏肉もあったのでこれを親子丼用にしたのだ。

御維新の時、京の寺田屋に滞在した「坂本竜馬」が、宿の小僧に軍鶏を買いに行かせた間に襲撃された話は有名だ。土佐人は軍鶏とは切っても切れぬ間柄と思われたし・・・。この襲撃の際に一緒に切られたのが「中岡慎太郎」だが、この人は隣村の大庄屋だった。村名は、北川村と云うが、馬路村と並ぶ柚子の産地である。柚子は、慎太郎が村人に普及させたと記された看板がある。

余談が長くなったが、軍鶏や新ジャガのお蔭で昨晩は飯が進んだ。加えて、鍋を作りながらビールまで飲んじまった。片手にグラス、もう片方には菜箸なんて様だった。

この前日の土曜日、六時半から「ローカーボ」であったミニライブを聴きに行き、ハイボールと赤ワイン。それから「ちょっぷく」に顔を出して、またハイボール。更にローカーボに戻って、またハイボール。行った来たりの忙しい夜であった。家に帰り着くとグッタリコンコンであった。

                         

                            ピンボケだ・・・

出社していた、YOSHIOとFUJIKURAを途中から呼んだが、あいつ等も相当に出来上がっていたね。そういや、最後のローカーボにはAOKIも来てたな・・・。意識朦朧・魑魅魍魎な夜であった。

今週は自粛します・・・

 

 

 

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誰も居らず・・・

2015-01-17 | Weblog

1/17(土) 土曜日、朝から牛スネ肉を煮ることにした。年末に買って冷凍庫に眠らしてあったが邪魔だ。昨年末にやたらと大根の在庫が増えた、大根を如何に食すかと考えた末、牛スネとの煮込みを思いついた。田舎に帰る前に肉の「日山」で買い物をしたので、その時に買い置いた。が、大根も底を尽きそうな今になって、煮込むこととなった。

              

                牛スネ煮込み        猫は昼寝ならぬ、朝寝       蝋梅が漸く咲いた

味の方は、チョット失敗だった。味醂を加えた所為で甘くなってしまった。私にすれば、よくある失敗である。

それから会社に出たが、着いてみると誰も未だ来ていない。と云うことは、開錠用のカードキーを持ってこなかった私は事務室に入れないのだ。予定では、YOSHIOとFUJIKURAが出社しているはずなのが、いない。午後に出社すると言っていたTOKIOに電話をすると「これから家を出ようかと思っている」とのこと。次いで、YOSHIOに電話をすると「会社に向かってます。今、北千住です」であっった。

何処で時間を潰すかと考えた末、「ローカーボ」へと向かった。店のドアは開いていたが、ランチ営業は休みだと言う。それでも、ハイボールを一杯飲ませて貰って時間つぶしとなった。此処で、今日の三時からミニライブがある。暇なOYAJIはそれを聴きに来ることになっているが、如何せん早すぎる。

頃合いを見計らって会社に戻ると、YOSHIOが着いていた。

そんなドジな土曜日となったが、今日も酒とは縁が切れない。折角朝のビールを自粛していると云うに、昼にハイボール、三時からは「ローカーボ」で飲み放題付きのミニライブだ。それから、「ちょっぷく」で片づけを終えたYAMAちゃんたちと、COCO一番の10辛カレースープを手土産に一杯となるだろう。こんなことが出来るのも、元気なればこそか・・・・。

 

昨夜は、二十時過ぎに「ローカーボ」でハイボール、それから「ちょっぷく」で赤ワインもどきを飲んだ。二十三時過ぎの帰宅であったが、寒中見舞いの葉書が一枚届いていた。サラリーマン時代(上野通営)に一緒に仕事をしたMUROOKAさんからであった。

「年末に妻が他界したので、新年の挨拶を遠慮しました。4~5年前から難病でした」との、通知であった。MUROさんは中々の大人で、私なんぞは勉強をさせられたものだ。カラオケも大好きで上手かった。一緒に行くと「下手だね~」と言われたたものだ。当時のメンバーとの旅行会にも暫く出て来てないが、奥様の体調の所為かと、今更ながらに思う次第である。奥様のご冥福を祈る。

 

先週、今週とKURODA君の逝去や葬儀があったので、客先への新年の挨拶が終わっていない。勝手なjことに、年末の挨拶に伺った社には新年は失礼し、伺っていない社に新年挨拶としている。これから大急ぎでアポ取りとなる・・・。酒など飲んでいる場合じゃないぜ!

 

 

 

 

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