今夕から31日まで、高知へと帰省。何時もの蜜柑畑の手入れの他に、祖母の「50年祭」がある。この他に、仕事に関連して高知のOB会事務所を訪問の予定。何時もより忙しい帰郷となりそうだ。
今夕から31日まで、高知へと帰省。何時もの蜜柑畑の手入れの他に、祖母の「50年祭」がある。この他に、仕事に関連して高知のOB会事務所を訪問の予定。何時もより忙しい帰郷となりそうだ。
5/26(水) 昨夜、相棒の宏さんと隣の蕎麦屋「高松」に入ったのが夜の9時。今日打合せのPR誌の企画が纏まらず手間取った所為。
10時閉店の店で、勘定が終わった後も店主夫妻を相手(肴)にチンタラと飲みつづけて、帰宅は0時40分。ボケた犬の払暁の鳴き声も知らず、起きたのは7時であった。
愛犬Mix(毛が白くなって・・)
飯を炊く気も起きず、溜まりに貯まっている冷凍ご飯を解凍して炒飯を作ることとした。
出来上がった炒飯
炒飯に入れるウィンナーとタマネギ・人参を刻み、冷凍の豚小間とタマネギの炒め煮とホーレン草の胡麻炒めを作る。作り置きの鶏肉ミートボールを解凍して潰し、ピーマンの肉詰めにして焼く。
スタンバイ中 下準備完了
今朝も酒の所為で重い体を鞭打ち、弁当をなんとか完成させた。今夜の酒は抑え目に行きたいものと、我が心に言い聞かせる。
幸にも今朝は、クライアントの処へ直出する。家を出るのは9時半とゆっくりだ・・・。嗚呼!酒の無い国へ行きたい。
5/25(火) 天気は晴れたが、体も張れたようだ。昨夜のワインが利き過ぎたか。朝から体調不良、心も不良。
昨夕、某社のPR誌企画で取材依頼のためにお店を訪問した。担当のF君と、仲介役の敏の三人で店に着いたのが17:30分。其処から話を聞きながら、生ビール・ワインの白・赤。F君は殆ど飲まない、私は調子よくグビグビとやる。
お店は「粉とおじさん」という名で、東武東上線練馬駅の傍らにあった。webで検索すると直ぐに出てくる。お好み焼やもんじゃ焼のお店である。
元NTT勤務のオーナーが、九年前にオープンした。奥さまとアルバイトの学生で、一・二階十卓の焼台を切り盛りしていた。昨夜は生憎の雨、月曜日の所為もあり静かであった。我々は、取材に備えて広島風・関西風お好み焼きからもんじゃ焼き、バナナクレープと食べまくり、飲みまくり。挙句、今朝の体調と相成った。
とは云いながらも、今日も弁当は作る。
家人は、都庁にて講習会とかでオニギリを所望。それも小さいのを二つという。Kにも大き目のオニギリを二つサービスする。
私とKには普通に弁当を用意。電気釜にて、米を四合炊いた。
今日のお菜は、牛小間とタマネギ・牛蒡の炒め物。それに冷凍小イカを大根とで煮る。(なんと、これが絶品の味。とうとう、煮物が上手くなたったか・・・工夫工夫)
そして、ホーレン草の御浸しと定番の卵焼きをつけた。オニギリの残り梅干を載せた。
早めに出勤の予定が、野暮用ができた。更に、別件の打合せで、昼までに某社に企画書を届けることとなった。結局、出社は昼過ぎとなり、弁当は夕方に食した。
5/24(月) 今日も雨、昨日と違って今日の雨は身に纏わりつくような雨である。
今朝は、炊飯用の陶器鍋を用いて初めて飯を炊いた。この土鍋、先般「大陶器市」なるもので、萬古焼の飯鍋をツイツイ買い求めた代物。
売り手の説明では「炎は中火よりチョット強めで、炊き上りまで調整の必要なし。簡単です」とのことだったが・・・・。
米三合を20分程で炊き上げた。オコゲの具合は善いが、ご飯が柔らかめ。私は、硬めの飯が好きなのだ・・・上手く如何ん。あの美味い米の炊き上がりが「米粒が立ってない」のだ。
ま~これから何度か炊いて、按配を確かめながら行くしかないだろう。
さて、お菜の方だが、昨夜家人が作った「メンチカツと小ジャガ煮」を冷蔵庫に仕舞っておいたのでこれを使う。
これと、鶏肉と根菜(大根・人参・蒟蒻)の炊き合せ。(写真を見ると茄子もあった)
もう一つ、竹輪の甘辛煮を作り、キュウリを詰めた。メンチカツの付き合せにキャベツを刻む。
三人分の弁当に、K君に「オコゲオムスビ」、シンプルに塩味。(そう云やあ、昨日も出社の序に、焼き握りを三個ばかり冷蔵庫に入れたな・・・と、思い出す)
午後遅く会社に出て、二週間ぶりにトイレの掃除。スタッフは、Kが作業をしている。遅れてマイペースのAが出社してきた。今日も泊まりのつもりかな?
昨日、佐賀から若者が上京した。内閣府が企画するイギリスへの短期研修に応募し、その面接があるとか。
彼は一昨年の今頃、中国河南省新郷市の体育大学に、野球のコーチとして青年海外協力隊から派遣されていた。
我々の『地球市民の会 東京』が、IT企業の野球チームから古くなった野球道具を途上国に寄贈するプログラムを依頼され、その寄贈先として彼のことを知り、野球度具を受け入れて貰った。と、云う経緯があった。
彼、岩永君は、昨春任務を終えて故郷の佐賀に帰国した。そして縁を得て、我々の母体である「地球市民の会」(佐賀市高木町)に、山間地域活性化プログラムのコーディネータとして採用された。
大学まで野球一筋で過し、その技術を活かして社会人経験がないままに青年海外協力隊員として中国に渡ったそうな。そして、帰国後の仕事がNPO法人のコーディネータとして、未知の村落に入り、その活性化のお手伝いをすると云うものである。
人生経験、ましてや社会人としての経験が浅い彼にとって、中々辛いものがあるに違いないが…。
ただ、彼には若さと情熱と云う、何ものにも変えがたいものがある。協力隊への参加、地球市民の会への参加も「人とのコミニュケーションを、未知を知りたい」と云う思いだったようだ。
焼酎を飲みながら、彼は、少年の頃に父から言われた「失敗することを怖がってはだめだ」ということが少し分かってきた云う。『そうなんだよ、失敗から学ぶ事が一番大きいよ』と、私も思う。
沢山の汗を流し、恥を掻き・冷や汗を流し、出会う人たちから沢山のことを吸収すること。サラリーマンをしている何倍も出会う人の数も多く、多様な人たちに出会える。こんな凄いことはないんだから…。
五年後、十年後の彼の姿を見るのが愉しみである。(それまで、こっちが生きていればだが…)
5/21(金) 漸く晴天となり、夏の陽射しとなりそう朝である。昨夜は、酒精を抜こうかと思っていたが、地元学芸大学の友人から連絡が入り、某スナックに居るので出馬せよとの仰せ。そろそろ退社しようかと思っていた矢先で、図ったよな電話であった。
雨脚が強くなった中を駅に向い、メトロ・東横線と乗り継いで20時過ぎに件の店に着いた。友人のY氏の他に、Tさん、Sさんと「鷹番JVCを応援する会」のゴルフ名人が揃っていた。そう~か、今日はゴルフに行って来たのか、と納得。
皆さんの、今日の戦果と古い唄を聴きながら焼酎を舐めていたら、何時の間にやら23時近くとなっていた。重い腰を上げて貰い、リニューアルオープン初日の「東急ストア」にて、今日の弁当用に牛肉300gを購って帰宅した。
そう云う訳で、今朝の弁当は「牛肉の煮物」でありんす。すき焼・焼肉・牛丼風とある中、敢えて野菜を入れた牛煮にする。大した意味はないが・・・ 。(一寸の意味はある)
何時ものように食材を並べて、先ずは記念撮影。
今朝のメンバーは、牛肉・タマネギ・長ネギ・椎茸・マイタケ・牛蒡・蒟蒻、油揚げ、これにサラダ用のペンネ・セロリ・キャベツの揃い踏みとなった。
油揚げは一旦退場となったが、再登板して千切に姿を変えて、牛蒡の笹掻き・長ネギの千切りと一緒に、味噌味の炒め煮となった。
牛肉は、椎茸・牛蒡・マイタケ・タマネギ・蒟蒻が加わり日本酒で煮た。砂糖・醤油が入って、長ネギのザク切りも参加して完成。
ペンネはサラダ用に茹でる。頃合いをみて、セロリとキャベツも同じ風呂にてひと浴びさせて、オリーブオイルと塩・胡椒で味付け。
私とK君は牛丼風弁当にする。(お菜を沢山入れるには、これが一番なのだ)
かくして、今朝も三人分の弁当が出来上がる。
三人の弁当 Kのドカ弁当
そろそろ弁当のパターンも、変えないといかんな~。我乍ら飽きがきた・・・。
5/20(木) 昨夕後輩のOkada君が来襲し、止せばいいのに、二軒も廻って午前様の帰還となった。その所為か、今朝の水は殊のほか美味い。
O君の酒は、愚痴・ボヤキ・泣きと三拍子揃った立派な酒飲みであるが、昨夜は珍しくふつ~に飲んでいた。相当な成長振りと云えるのか、或はO君と同じ会社に在籍したことのある、当社のU老分が同席したことから自重したのか・・・?お陰で、こっちが悪酔いをした。
噂のU老分
そんな朝を迎えたが、弁当人の仕事は真っ当する。今朝も冷蔵庫を漁り、食材を選び揃える。
今日の食材は冷凍の鶏肉・小イカに、家人が作り置いた鳥肉のツクネ。これらを炒め、煮て、煮炒めてお菜となるのだ。
脇を固める野菜群は、人参・セロリ・牛蒡・長ネギ・ピーマン・小ジャガイモ・アスパラと多彩な顔ぶれである。多彩の裏返しで、何れも量は少なめ。
これを茹で、炒め、煮て「チーム弁当」が出来上がる。
余談だが、社内のキャッチフレーズは「チーム・ナチュラル」である。その意味するところは、其々でお考えあれ。
そして、蒟蒻が煮物に加わり、久々の定番「卵焼き」が登場して、オールスタッの紹介は以上。
小イカ・アスパラ・セロリのオリーブ炒 鶏肉とピーマン・人参の炒め煮 ツクネと人参・蒟蒻煮
弁当に詰めはじめると、卵焼きとサラダの入るスペースがない。ご飯をぎゅっと寄せて何とかスペースを生み出す。無理やりの押し込み弁当となった。これに、Kのオムスビが一つ。
卵焼きとサラダ 家人とKの弁当 my弁のお菜
竜馬ご利益
昨日のことに話を戻すが、午前中の打合せが長引き昼の時間に入った。一緒に行ったスタッフと渋谷のレストランでランチミーティングとなった。
メニューを見ると、此処でも「竜馬」が登場している。竜馬の三都弁当なる代物で「土佐(鰹のタタキ)・長崎(チャンポン麺)・京都(シバ漬)」のセットメニュー。お値段は900円だったか、スタッフの二人がこれを注文した。
そんな次第で、私の弁当は夜の席での肴となった。okadaやU老分に無理やり食してもらい、弁当を持ち込んだソバ店「高松」の店主にまで無理強いをした。
と、此処で思い出した。弊社が運営するwebサイト「江戸商い」に、とうとう高松も登場することとなった。お店の人気更に沸騰で、席を取るのが益々難しくなりそうだ・・・。
先日の佐賀と云い、今や日本全国で竜馬ご利益を頼んでいるようだ。流石に経済の先駆け竜馬らしく、没後150年を経て暗澹たる日本経済の救世主たるか?
当社も竜馬ブームにあやかるべく、社名に「竜馬か海援隊」を付して、この困難・国難を脱(藩)するとするか・・・。
5/19(水) 今日は10:30に渋谷にある会社を訪問して打合せ。自宅から直出の予定なので30分も要しない。そんな訳で、朝の弁当つくりもノンビリと進行した。
メニューの方だが、先ずは豚のバラ肉が冷蔵庫で眠っている。こいつを何とか片付けてやることにした。
西の方では、口蹄疫とやらで大騒ぎだが、どうってことは無いだろうと、賞味期限が来たバラ肉を料理する。
付き合せに、野菜の(タマネギ・人参・シメジ・マイタケ・ピーマン・アスパラ・ほうれん草等)残り物の在庫を一掃する。茹でてサラダに、オリーブオイルで炒め、胡麻と一緒に炒め、バラ肉を巻いた炒め焼etc。
アスパラの肉巻きを片栗粉でまぶして炒める、仕上げに出汁と酒を振って蒸し焼き。片栗がからまってK君好みか・・・。
残りの豚肉、焼肉のタレにニンニクを少々散らして、暫く漬け込んで炒めた。ピーマンやシメジ・マイタケ・タマネギは、肉とは別にオリーブオイル炒めに。
これに、昨夜家人が煮付けた地元目黒産の蕗煮がお菜。これにて三人前の弁当が完成。
調理の途中、コーヒーを淹れてないのを思い出して薬缶で湯を沸かす。これも大事な朝の日課。
Kのデカ弁当に、オマケで昨夜のビーフシチュウの肉も加える。されど、今朝は直出のために弁当は冷蔵庫で待機。出番は夜の部となる。
Kのデカ弁
okada君来襲
今夕、後輩のokadaが会社まで遊びに来るとか。お土産に何か持参すると云うが、当てにはできんだろう?
一番の土産は仕事、お仕事なんだが、それほどの気働きは無理だろう・・・ナ。
何しろ、これまでの実績が「今日は、自分が奢ります」とか言って、勘定の段になると「財布を忘れました。とか、お金が入ってませんでした」とか、中々の役者振りである・・・?
そんなokadaではあるが、二十年近くも前になるか。人事異動候補であった彼を、松山市で飲み屋に行く途中に観察し『採ったら』と会社に伝えたのは私である。
おまけに、転勤して来たら私のスタッフとして配属された。郷里の後輩である上に、部下であったことを思えば、不出来なのは私の所為かもしれん・・・。(okada君、君のことではないよ、誰も知らない何処かのokada君のお話だからネ)
とは云いながらも、愉しみである。また、土佐弁で訳の分からん会話を、竜馬や弥太郎の悪口雑言を云う・・・。
5/18(火) 日曜日の佐賀での酒精が抜けぬままに、昨夜も、と云っても早い時刻から飲むこととなった。
先週末にアポイントを頼んであった案件(刺さった棘を抜く為の事後処理)で、夕方に後輩のY氏に先導役を願って銀座にある支店を訪問。用件を終えた後、彼のご足労を労うために、そのまま銀座にて一杯となった次第。
訪問した支店では剣道部の後輩が居たり、帰り際にはかっての部下が居たりで、またまた酒を飲む話となる。大人と云うのは、何かと言えば飲みたがるものらしい・・・。
早い時間からであったが、日本酒好きなY氏に付き合い、郷里の酒「土佐鶴」の冷酒をやる。程ほどに酔い、酒臭さを撒き散しながらメトロにてご帰還。駅前のパン屋が開いていたので、何気にサンド用のパンなどを購って帰宅した。
今朝の弁当をサンドイッチにする気もなかったが、長女が遅くに泊まりにきて、今朝も早くから仕事に行くと云う。そんな次第で、弁当箱いらずのサンドを作る仕儀となった。
今日の弁当は、四人分。K君には、昨日弁当を用意できなかったので、特別にご飯弁当とサンドの二種類の弁当を奮発することとした。
サンドの具材は、牛小間、シメジ・タマネギ・キュウリ・レタス・キャベツ・ジャガイモ、ゆで卵。Kの弁当にもこれをアレンジしたものと、豚の角煮をお菜とした。
かくして、野菜サンド・牛肉炒めサンド・ポテト&卵サンドが完成。これにお弁当が一つ。
今日のサンド、先日のサンドの味には勝っているはずだが・・・。
石釜焼&フランスパンの二種 K弁ご飯の上は?佃煮
5/17(月) 昨日「地球市民の会」総会&意見交換会で佐賀を訪れた。大串財務省政務官との意見交換会のテーマは「NPOの未来」と題して、新しい公共・寄付税制・地方分権であった。佐賀の古川知事もコーディネータとして登壇し、分かり易く説明をされた。
私は、問いたいこと、確認したい事、お願いしたい事と幾つかあったが、時間切れで質問は一つで終わった。「寄付税制の改正は、国民の太宗を占めるサラリーマン層が簡単に税控除が出来るよう、年末調整で済むようにしてください」である。確定申告手続が必要では、面倒なので寄付の文化が定着しない。と云うことをお願いするに留まった。
その後の懇親会には古川知事も参加して、何時もの如く和やかに進行した。二次回は、事務局・会長・理事長達十名ほどで、何時もの店で和気藹々に馬鹿話で・・・。
今朝、駅前のバスターミナルから空港に向った。車窓から見る佐賀平野はクリークと一面の麦畑。佐賀がこれほどの麦の生産地とは・・・。クリークに野生の布袋草(水草)が漂っている。(東京で買うと一つ200円ぐらいするのだ、採っていきたいな・・・せこっ!)
農産物、漁業から工業と豊かな国である。佐賀は、私が生まれた土佐とは相当に趣が異なる。
麦秋の佐賀平野を眺めながら、数多の人材・逸材を輩出し続ける、この地のことに思いを寄せる。
しかし、空港の売店には「竜馬と弥太郎」とか、NHKの影響を受けた土産物が並んでいたのはご愛嬌か!
この季節、佐賀を訪ねるようになって久しい。惜しむらくは「地球市民の会」創立者の古賀武夫の逝去である。彼も佐賀が生んだ、偉人・怪人である。