オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

春呼ぶ茎ワカメ

2018-02-28 | Weblog

2/28(水) 二月如月、最後の日となった。明日からは弥生三月で、雛祭りや地中の虫も蠢く啓蟄が直ぐだ。春の息吹を肌身に感じるじる時期である。

その春を感じさす食物の一つが「茎ワカメ」と云うやつだ。2月~3月に東京湾で採れるという季節の新若布だそうだ。これが昨日、どっさり入った箱が届いた。昨年も頂いたが、送り主は横須賀の埼玉家(旧店名)さんだ。

どうやらワカメ・昆布・海苔と、頭髪に利きそうなものばかりを頂く。大女将の洒落を込めたご配慮だ。今更それが効くとも思われぬが・・・・。折角のお志だ、せっせと頂くことにしよう。

                           

                          塩漬けの袋入り

と云うことで、早速今朝の弁当に「茎ワカメの甘酢漬け」と云う一品が登場となった。

                      

今日の弁当はニュージランド産の安い「ステーキ」と、「ホイコーロ」がメインだが、ホイコーロの素を使った手抜きの一品。

前から、ホイコーロを作る算段をしていたが、調味料が不足していた。昨夜の帰り、東急ストアに寄り調味料等をあれこれ仕入れたが、老酒を忘れてしまった。

いざと云う時のためにホイコーロの素も一つ買った。豚バラも準備したので、何がなんでもホイコーロと台所に立った老酒がない。そこでこれが奏功したと云う次第だ。

                   

卵料理は「ベーコン入りのオムレツ」、しけた鮭を一切れ焼いた。以上で弁当の準備が整った。

                      

長女の弁当もあったが、写真を撮る間もなく持っていかれた。上の弁当は家人用である。加えて、末娘用に鮭オムスビを一つ。

 

昨夜の退社後は「ちょっぷく」に直行であった。金曜日、久々に顔をだすと「入院でもしてるんじゃなかと心配してたよ。会社に行って訊いてみようと話してんだ」なんてことを、YAMAケン店長に言われてしまった。

月曜日も顔をだしてない、てなことで昨夜は直行したと云う次第。一人で飲んでも楽しくない、マッチャンとHOYA兄いにも声をかけ、「ちょっぷく」集合となった。そこに、NAKAMURA大将のとこの大番頭、ONODERAさんが来合わせて四人酒となった。

ハイボールとワイン、しずしずと飲んでいるとこへ、YMAちゃんが日本酒を持ってきた。二種類を飲み比べて講釈を言いあっているうちに飲み過ぎ・・・・。

                    

                        YAMAちゃんの目が泳いでる!

マッチャンは、前夜の「三浦」以降の記憶がないと言う。いい若いもんがしっかりしろよ、なんて言ったが、日本酒やってこっちも記憶を無くしそうだったぜ。

それでも、弁当の買い物を忘れない。使命感に燃える、男伊達だぜ?。

 

 

 

 

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鮭飯&スキ焼風煮

2018-02-27 | Weblog

2/27(火) 二月は逃げるとか云うが、明日で二月が終わる。サラリーマンにはいいだろうが、商売の親方にとっては、三日も短い月はてえへんだろうと同情を禁じ得ない。

その短い月が運の尽きにならぬよう、他人様ならぬオイラ達も一丸で進むしかないのだが・・・、かく云うオイラがそう云うことを好まぬ性質で困ったもんだ。

難しいことはスッパリと忘れて、一杯やろうと昨夕に会社を出たのは七時半だったか。先ずは、末の稼ぎ時に体調不良で店を休んだ「ローカーボ」に顔を出した。

客の姿はなく、マスターが独り暇そうにしていた。何時もなら独りでも客待ち酒を飲んでいるはずだが、先月の吐血以来、断酒を決行中なのだ。

『然し、よく酒断ちがつづいてるねぇ~。体調もすっかりよくなっんじゃないの』などと言いながら、ハイボール飲む。席は何時もの角の椅子だ。

そうこうする内に、HOYA兄いが姿を見せた。そして間をおかずNAKAMURA大将が登場した。NAKAさんは、新橋で同級生と飲んでいたとのことでご機嫌ウルワシ。

更に、仕事帰りのKATOちゃんが現れる。これにマッチャンが来れば揃い踏みとなるのだが、姿を見せないままだった。

                                   

明日の午前便で佐賀に帰ると云うNKAさんは、佐賀空港で奥さんの迎えを受けて温泉に直行すると云う。気分は既に温泉、そんな気配濃厚である。

NAKAさんにしても、HOYA兄いにして奥さん孝行には感心する。二人から、夫婦で温泉や旅行に行った話を聞かされるのだ。奥さん孝行をするべく理由が、懺悔の思いでもあるのかな?。

そこにいくと、オイラなんぞは清廉潔白、非の打ち所のない人生を過ごしてきたので家人を温泉に連れて行く必要も謂われもないと云う次第だ。異論のある方は、挙手してから発言するように・・・・・。

先行して飲んでいたので、ローカーボでは足先に席を立った。NAKAさんは明日の午前便で帰るので、今夜は上りが早いだろう。HOYA兄が「何処へ行くんだ~海鳥たちよ?」と云う顔をしたが、店を出る時点では未定。そのまま黙って店を後にした。

駅方面に歩きながら、姿を見せなかったマッチャンのことが気になって電話をした。すると、酔っ払った声で「今、”うまし”にいま~す。ポチ連れて。顔だして下さ~い」と応じたのだ。

取り敢えず「宵のひととき こよいうまし」に顔出しし、そこから「三浦」に行こうと算段した。中華三浦には半年も行ってないのだ。美味いらラーメンも喰いたし・・・。

実は、土曜日の夜のことだ。夕方に会社に出た私は、帰りにマッチャン、NAKAさんと「うまし」のカウンターで一杯やった。言われるまで気付かなかったが、奥の席に「高松」の一行が、座敷には三浦夫妻が居たのだ。勿論、帰りに挨拶をしたが。

そんなこともあり、三浦に行きたいと思っていたが、独りでは行きづらい、馴染のマッチャンに電話をして貰うつもりだった。奥のカウンターに酔った様子の姿が。後ろにはポチ(洗濯物を入れたカート)がいた。

一杯だけ飲み、三浦に電話した。もう終わりの時間だが、MATUOKAで~す、と言うとOKが出た。急いで行こうぜと「うまし」を後に。HOYA兄いに電話するも応答なし

「三浦」まで十分近く歩く。店に着くと六人組の団体が残っているだけだ。この団体がマッチャンとは馴染。マッチャンの次男坊が勤める会社のお偉方だ。マッチャンが妙に塩らしくなった分けだ。

ハイボールを飲み、餃子とラーメンという必殺コースで〆た。帰り際、三浦の大将から「手早く片付けて一杯やろうと思ったのに」の一言が・・・・。適当に切り上げて良かったよ。

学芸大学駅には23時30分着。冷蔵庫の食材が乏しいのを思いだしで東急ストアに入る。明日の弁当用に三・四点ほど贖ってからの帰宅であった。

 

目覚めれば、朝。夢は?見てたんだが、さぁ~弁当だと起き上がった瞬間に、飛んでいった・・・・。

今日も弁当は一つ。家人用だけだが・・・・。

東急ストアで買った安い牛小間で「すき焼き風煮」を。これも安い銀鮭だが、これを焼いて「鮭まぶしご飯」に。残っていた萎れ気味の小松菜を始末するため、薄揚げと一緒に「小松菜煮」。

                                     

スキ焼風煮は、舞茸・シラタキ・長ネギに大根の薄削ぎ切りを少し入れた。料理屋さんでは先ず出ないであろう大根。冬大根は柔らかいし、味がよく浸み込むので旨いんだよ。マイスターARIさんのお奨めさ・・・・。

                                                        

最後に定番の卵焼きだが、今朝は小エビを小口切りで加えた出汁巻卵にした。小エビは、煮物の出汁で茹でてある。

                                                     

電気釜に少しご飯が残っていたので「鍋飯」を炊いた。炊き上がった飯に焼き鮭をまぶして「鮭飯」にしたが、いい鮭を使わなくちゃいかんねぇ~、味が落ちます。

                                        

残った鮭飯をオムスビにしたが、末娘が食べるだろうとの親心さ。親バカだねぇ~・・・。

                                                     

 

 

 

 

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犬、転ぶ・・・

2018-02-26 | Weblog

2/26(月) 今朝方の夢は大変だった。シーンは、田舎の家の二階に家族(定かであはないが、多分)でいると、下の部屋から煙が畳の隙間から・・・。隙間越しに階下を覗くと火が燃え上がっているではないか。

すわっ!大変だとバケツで水を運んで掛けるが、火は消えない。あったりまえだよね、簡単に燃え上った炎は消えないのだ。多分。このシーンでもそうだった。

庭の蛇口からホースで水を掛けようと、階下に降りて蛇口にホースを差すが上手くいかない。誰かに、「差込口を抑へていろ」なんて言っていると、何処へ、妹の連合いのHIROKATUらしきのが子供らを連れて帰ってきた。

その姿でちょっと安心したところに・・・「もう、七時二十分よ!起きないの!」の声に目覚めたと云う次第。いったいなんなんだ?あの夢は・・・・。

蛇や火事の夢は却って縁起がいいとも云う?じゃない。だからいい夢だったのだろう。

火事、と云うよりボヤ程度か、煙りがでたぐらいのことは二三度経験している。だからこそ、敏感になるんだろう。

前にも記したが、一番最初は子供の頃だ。多分、三四歳だろう。親戚の小父さんが酒を飲んで二階に泊まった時、タバコの火で畳みと蒲団、欅の和テーブルを焼いた。その焼け焦げの残った、テーブルは未だ残っている。

二度目は高校生時代、夏の夜だった。やはり二階で(タバコの小父さんが焼いた隣部屋)寝ていた深夜のことだ、足元が妙に熱い。その熱さで目が覚めたら、蒲団から煙が立っていたのだ。蚊取線香の火が蒲団に移ったと云うお粗末。この時は、掛布団が少し焼けたか・・・。

三度目は大学一年で、夏休みに入ってすぐの頃だ。皆、帰省してしまい一人だけ下宿に残っていた。夕方近くになって、下宿の婆さんが騒ぎだした。下宿の風呂、釜はマキを使って燃料にしていた。

風呂を沸かしていた釜から炎が上って天井近くまで燃えだしたのだ。この時は消えないと思ったね。然し、これが消火できたんだよ。

幸いなことに、下宿の前で道路工事をしていたのだ。その作業をしていた人たちが駆け付けてくれ、風呂の水を掛けたりして鎮火することができた。危うくセーフと云う顛末であった。

 そんなことで、家事ならぬ火事には気を使うのだ。 さりとて、もらい火だけはどうにもならぬが。

ともあれ、今朝の夢は、吉兆の先駆けと思うことにしよう。

 で、火事ではなく家事が、今朝の弁当事がてえへんだ。起こされたのが七時二十分とあっては長女の弁当は完全にアウトだが、そこはよくしたもので、長女の弁当は要らないのだ。

 

家人の弁当を作るだけだが、メニューが覚束ない。食材の在庫も殆んどなく品切れ状況だ。辛うじて残っている冷凍肉・シューマイに小エビなぞを並べてみたが、家人は海老・カニはダメなんだ。

何時もと変わらぬ、それこそワンパターンのメニューになってしまった。従って「犬、転んだ」の今日の表題が生まれたのである。

「鶏の唐揚げ」「小松菜と卵の胡麻炒め」「冷凍シューマイ」「茄子味噌炒め」、一切れだけ残っていた「ギンダラ照り焼き」、以上である。

                    

なんとも面白味がないが、食材が乏しいうえに寝坊までしたとあっちゃや、致し方ない。家事万端とはいかぬOYAJIであった。

                   

土・日曜日、と朝からウドンを食した。冷凍のウドンを茹でて醤油を垂らして食べると云う、超シンプルさであったが「美味い!」のだ。何故、こうなったかと云うと・・・。

佐賀のNAKAMURA大将が前々から「醤油で喰うウドンが、これが絶妙なんだす」と、言っていた。そして、釜揚げのウドンに使う醤油が濃口の佐賀醤油だと。

この醤油を是非使ってほしいと、佐賀から送らせたのだ。それを、木曜日の赤坂の晩に持ってきてくださった。ぶっかけウドンと云うのか、生醤油で食すウドンは知っているが、進んで食べよつとは思ったことはない。

ながら、NAKAさんがわざわざ送らせた醤油。お奨めの食べ方で食さねばバチガ当たると、先ずは土曜日の朝に喰った。茹で上がったウドンを入れた丼に、卵一つ落とし。チョットネギを刻んで入れたが。

                         

そして頂いた、醤油を「ひと垂らし、フタ垂らし」でウドンと混ぜて口に運んだ・・・・。マイウ~、いや~ホンマに旨かったのだ。で、日曜日も同じ手で食したと云う次第。ウドンと醤油がこれほどマッチするとは・・・ねぇ~。

 

 

 

 

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チキンソテー

2018-02-23 | Weblog

2/23(金) 昨夕、予定どおりに奈加野にてNAKAJIMAさんと懇談。貴重な意見を賜ることができた。NAKAJIMAさんの下で仕事をしたのは、昭和という時代が終わる前の数ヵ月であった。

後に、バブルと呼ばれる時代であったが、短い数か月の付き合いがスタートで、以来三十年に渡るご厚誼を頂いてきたことになる。有難いと云うしかない。

NAKAJIMAさんと別れ、赤坂は溜池山王駅に向かった。この駅に近い店で、NAKAMURA大将とHOYA兄いが飲んでいる。美人女将だと云う店を、NAKAさんが紹介すると云うのが趣旨であろうか?。

駅から店へのルートは電話で聞いていた。赤坂界隈で遊びまわっていた時代があるの検討をつけて小ぬか雨の中を歩いた。探し当てた店は、溜池山王駅と云うよりは千代田線赤坂駅に近かった。ボタンキーの扉と、壁の申し訳程度の仄かな灯りに店名が記されていた。

その、存在をあらわさなき如くの様が、店を主張しているかのようであった。店名の脇に在ったインターホンを呼んで、中に招じ入れてもらった。仄かな照明の下に、一枚板の大きな杉のカウンターが有るだけの店で、七席だけであった。

我等がパトロールしている人形町界隈の酒場とは、全く雰囲気が違っており、照明を変えれば寿司屋とでも言えそうな店内であった。和服でスレンダーであろうと思われる女将の年の頃は?、女性の年齢は分らんねぇ~。然しその漏れ伝わる経歴から察すると四十半ばか?。そんなことはどうでもいいか・・・・。

大人しくハイボールを三杯ほど頂いて、そこを後にした。次の客が待っている様子だったので。その店から20mほど先の地下の店にNAKAさんが誘う。この地下のBARは、以前に来たことがる。

小さなBARながら、奥の狭いスペースでライブをやっているのだ。数年前の夏の土曜日でなかろうか、「禅」に居たギター弾きのKASAI君が、仲間とここに出演した。その時に聴きにきたのだ。

出演者のギャラは、すべてお客からの投げ銭(チップ)で、店は場所を提供するだけ。出演者は客を集めて演奏する。そんなスタイルの店が昨今は多いようだ。商売のスタイルとしては面白いと思うね。

                       

この店、GsBarのカウンターに腰を落ち着け、フローズンダイキリのストローを啜りながら、年配の女性ジャズシンガーの唄を聴いた。手慣れたステージ運びと、味のある歌声にベテランの風格があった。余談だが、全身のお肉の付き具合は大御所の貫録であった。

                           

かくして、充実且つ愉しい一夜を過ごしたのである。夜毎に愉しいとは、俺の人生の行末は地獄かな?、それもまたよしだ。地獄へ行っても楽しんでやるさ・・・・。

 

そして今朝、眠い目をこすりながら目覚まし時計の音で起床した。三十分ほど前に一旦目覚めたが、また眠っていた。目覚まし時計が功を奏した。

今朝のメニューは、昨夜の帰りの車中で考えていた。駅に着いてから、改札の真ん前に在る東急ストアで買い物までしたのだ。

メインは「チキン&シメジのソテー」、これに「ホウレソウのベーコン&胡麻炒め」「紅鮭焼」「胡瓜竹輪」「明太子」「スナップ&ブロッコリ茹で」、最後が定番「卵焼き」、以上である。

                     

という次第だが、今朝の弁当は一つでいいのだ。末娘の為に、鮭オムスビを一つ作り置いた。

                     

 

 

 

 

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鰻弁

2018-02-22 | Weblog

2/22(木) 本日のお弁当は「鰻弁当」と、云うことになった。昨朝のような慌ただしさもなく、台所に降臨したのだ。

昨夜は、OB会理事会後の懇談会だけに留めた。二次会の誘いを受けたが、珍しくご辞退を申し上げた。そして、そのまま帰宅したのである。体調がよくない、とかいうのではないが酒を飲もうという気が起きなかった。

夜のニュースで、大杉蓮が急死したことを知るが、俺も出先でそんなことになっちゃご迷惑を掛ける。何時逝ってもいい適齢期だからねぇ~。適齢期といやぁ、適齢期を過ぎた末娘が、この日から家に戻ってきた。

今年の年賀状の家族近況に、何時までもつか同棲暮らし、と記したが、そのインクも乾かないうちの破綻だ。二~三週間ほど前、末娘から食事でもしようとの誘いがあった。その時に、解消するとの話があったので『とっと戻って来て、家賃入れろ』と伝えてあった。

その娘が、飯を作って長女とSORAも来て一緒に食事をしていた。いいタイミングで帰宅したものだ。

TVでオリンピックを見て、久々の落ち着いた夜を過ごしたのであった。

そんな次第で、今朝は六時過ぎに我が職場と云うか、居場所である台所に向かったのである。前夜に「鰻弁当」を宣言してあった。鰻といっても安田川の天然じゃないさ、冷凍パックの鰻だが。こいつを温め、自家製の秘伝のタレをで味付けをしたが・・・、タレ漬けの所為かちょいと濃いめになった。

主食が濃いので、菜の方は軽めに・・・・。スナップ&ブロッコリを茹で、胡瓜の塩揉みとでサラダだ。小松菜と薄揚げの煮浸しを作る。竹輪&胡瓜でお仕舞にしようと思ったが・・・・。

                  

家人がどこぞの庭先から取ってきたタラの芽があり、これを天麩羅にする。揚げ物ついでに、茄子の挟み揚げもやることになった。最後は定番の卵焼きだが、今朝は出汁巻卵にした。

ということで、弁当らしいものが出来上がった。長女は、「鰻とおかずは別にして」なんてリクエストをされていた。仰せのとおりに・・・。

                       

 

今夕はNAKAJIMAさんに時間を取ってもらった。渋谷・奈加野にて諸々のご意見を頂く予定だ。その後、赤坂にて、パトロール隊のNAKAMURA大将の案内で、女将が滅法美人と云う店に行くことになったが、私の到着時間は遅れるだろう・・・・。

美人の女将もいいが、よりNAKAJIMAさんとの話が大事だから・・・・・。昨夜は休養十分だからね・・・、遅れても今夜は何軒でも・・・・?。

 

 

 

 

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十分勝負・・・

2018-02-21 | Weblog

2/21(水) その昔、新吾十番勝負なんて映画があったはずだが…(これを知っている人はかなり古いね、俺は祖父から聞いて知っているのだが?)。今朝は十番勝負ならぬ、十分勝負になってしまったのだ。

かつては名人・達人・剣聖とか云われた俺も、十番勝負なら秘伝の三十六計と云う奥の手があるのだが、十分勝負と云うのは初めてのことかも・・・・。かといって、後ろを見せるわけにやぁイカンザキと、道場ならぬ台所へと向かった次第。

こうなった原因は、と言えば・・・昨夜の酒か?。昨夜の話は後に譲る歳・・・・、今朝の十分勝負の顛末だ。

今朝、目覚めたのはなんとなんと、7時20分だったのだ。それも家人に声を掛けられての目覚めだった。弁当締め切り時刻は7時30分なので、残された時間が十分と云う次第だ。

残りご飯は、酔っ払ってきた帰宅した俺さまが「炒飯」にして喰ったのでない。これから飯を炊いても間に合わぬ、そんな切羽詰まった状況にあった。

参ったな・・・こんな状況であった。絶体絶命 ながら、その時、テーブルの上に在った食パンが目についた・・・。地獄で仏、飯の代わりにパン、てなことに気付く辺りは歴戦の強者こその機転・応用である。

六枚切の食パンだったので、これにパン切包丁をいれて真ん中から半分にカットしながらも耳の辺りで寸止めにし、トースターで炙る。その間に具材作りだ・・・・。

時間がないので、簡単お手軽の「ツナ缶」と、ベーコン&タマネギ炒めに卵を落として一緒に炒める。ツナ缶は、タマネギの薄切を塩で揉んだやつとマヨネーズで和える。ジャガイモを薄切りしてレンジ茹でにして塩胡椒。

と云うことで、三種の具材があっという間に出来上がった。これらを焼きあがったパンの間に詰めれば出来上がり。

                     

てなことで、出来上がったところへ孫のSORAを先頭に長女が登場、「お弁当あるの?」と。あるある、持ってけと二日酔いのガラガラ声で応じたのであった。

それにしても危うかったよ、我ながらよく凌いだとものと感心するが・・・・。なんのことはない、これまでの俺の人生と同じこっちゃ。ギリギリの人生さ、突風でも吹けば真っ逆さまに谷底へと転落だが、そこはなんとか凌ぎに凌ぎ、平身低頭、神仏のご加護で生きてきた。

神仏のご加護と云うのも、前世の行いが品行方正、清く正しく生きていたんだろう~な?。と、思うことにしよう・・・・・。

 

さて、前夜のことだが・・・。夕刻にクライアントの営業担当が来社した。コンペ案件の打ち合わせだったが、スタッフと打ち合わせが終わり、その後の対応を私がした。彼とは私が一番付き合いが長い・・・。

夕刻の打ち合わせと云うことは、その後の予定がなく一献交わすと云うことだ。じゃ一杯やろうと「高松」へと案内した。そこで、社内事情な聞きながら飲んだ。

年下でもあるし、かつて私も在籍したことのある会社なので状況は分る。ついつい、説教型の話になるので、押さえ押さえながらもサラリーマン道の成功について話した。分っちゃいるが出来ないのが人の世の常だが。

かく云う私も、今更ながらにおもうばかりで、説く話しの一つも出来ちゃなかったろうが。

そんな話をして、今度売り物企画を渡すから頼むよ、と別れた。そこから「ローカーボ」へと一人旅。そこには、HOYA兄いが定席を空けて飲んでいた。流石に気が利いている。仕事の出来る男とは、こう云うもんだ。

兄いとカトちゃんの三人だったが、マッチャンを呼び出して暫くすると、バッタ屋のMATUYOSHI一行が四人で元気よく登場した。ここから一気ににぎやかに、否、騒がしくなったのである。

彼らは、ドームで開催中の蘭展に合わせて店をだしているのだ。売れたのかな~やたら元気だった。四人組のうち二人は名古屋からの遠征とかで、名古屋の話しで大詐欺ならぬ大騒ぎ・・・・。

                       

さわぎ疲れて、俺と兄いはお先にと店を出たのはよかったが、ちょっと覗いた「セイジュ」に、運悪くスタッフのAOKIが居やがった。帰る分けにもいかず、三人でカラオケ合戦をする仕儀になった。

お蔭で帰宅は零時すぎ、それから「炒飯」を作って食したと云う有様だ。お蔭で、喉はガラガラ、胃はもたれ、朝は十分勝負と云うことになり果てたのである。

                       

今日はOB会の理事会と、懇親会だから早く帰れそうだ・・・・・が。

 

 

 

 

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春眠?

2018-02-20 | Weblog

2/20(火) 今朝の目覚めは五時であった。前夜は11時半ぐらいに蒲団に入ったので充分な睡眠と云えそうだが・・・・。通勤電車の中で本を開いていたら猛烈な眠気が・・・。

春眠暁ならぬ、電車の心地よい揺れが赤ん坊の頃に母の腕に抱かれてあやされた記憶が甦ったのか?。それにしても眠かった~。昨夜は「ローカーボ」のハイボール三杯で切り上げたにも関らず。

蒸気船たった三杯で夜も眠れず、てな幕末の川柳があるが、こっちは、ハイボールたった三杯でぐっすり眠りのはずだが・・・・、車中の揺れに眠り誘われだった。

斯様な次第で、今朝の弁当作りは早々と始まったのである。先ずは米を磨ぎ、飯を炊いたのだが・・・。電気釜のメモリーを見ると米と水の量はマッチしていた。ながら、妙に水が少ない、毎日のように飯炊きをしているので気掛かりだったが・・・、それでも電気釜のメモリーを信じてそのまま炊いた。

電気釜のスイッチが入れば菜作りだ。冷凍庫からホタテとイカを取りだして解凍する。野菜室から大根・人参・蒟蒻を出して煮物の用意をする。この時点では、大根とイカを煮るつもりでいた。

蒟蒻や人参が加わったことで鶏肉と一緒に旨煮風にすることに方針を変えた。ホタテはフライにするが、イカはフライにすると油を弾いてしまうことがままある。イカフライも好きなのだが止めて、バターソテーに変更した。

イカをソテーしてから、ホウレン草を胡麻油で軽く炒める。一応これで二品、のつもりだ。二人分の弁当なのでホタテは四個をフライにし、最後の一品「卵焼き」に掛かった。

                          

水を少しだけ加えて卵をよく溶いた。出汁巻以外は、卵焼きには醤油、これに決めている。それにしても綺麗に仕上がる。我ながら感心する卵焼きとなった。亀の甲より年の功、年季がものを云うねぇ~。

                      

そうこうする内に、ご飯が炊きあがった。蓋を開け、炊き立ての芳しき飯の香りを鼻孔に受けながらご飯にしゃもじを入れて空気を混ぜる・・・・・。ちょっと、チョット飯が硬いぜ・・・・。

案の定だ、飯が硬い。心配が的中した。かといって、歯が立たぬほどの硬さじゃない。年寄りなら噛めねぇだろうが・・・・オイラなら大丈夫だ。胃はもたれそうだが・・・・・。家人にチェックをさすと、大丈夫、OKとのお許しがでたので一安心。

こんな硬飯なら「鰻丼」弁当にすればよかったろうが…、菜は出来上がっている。鰻丼弁当は次の機会だ。

てなことで、どうにか二つの弁当が出来た。明太子を少々のっけて完成である。

                      

    

余談ながら、玄関前に置いた鉢植えの「河津桜」が満開だ。色は薄めだが、この程度がちょど宜しい。この桜は開花期間が長い。最初に咲いた枝は半月以上前ながら、未だ花を咲かせたままだ。今月いっぱいは、河津桜を愛でから家を出ることになろう・・・。帰宅は酔眼朦朧、花を愛でる余裕がない・・・・。

                      

 

 

 

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巻きずし

2018-02-19 | Weblog

2/19(月) 土曜日の料理教室のテーマは「巻きずし」であった。巻簾の使い方が下手だし、節分の太巻きのことが脳裏にあった。本来であれば一月に開かれる予定が、諸般の事情で見送りになったので、今月にお願いした次第。

何事にも生真面目な小生は、教室に出掛ける昼、自宅で巻きずしを作った。相変わらず巻き方がぎこちなかったが、なんとか形になった。急拵えであったので、具は胡瓜・干ぴょうに納豆と卵焼だがこれは自分で焼いた。

米飯に柚子酢を少し入れたので、土佐風の寿司めしである。出掛け前なので時間を気にしながらであったが、それなりに出来上がった。味の方は中々であったと、自画自賛だ。

                        

さて、本番の先生宅での出来栄えは?如何に!。今回はIMAEの兄ちゃんが不参加で、七名であった。酢飯も材料も粗方先生の方で準備をされていた。具の卵焼きだけは自分たちで焼くことになったが、毎日のように卵焼きを作る小生はこれをパスして見学に廻った。

太巻きとカリフォルニヤロールを作ることになっていたが、ご飯が表になるロールは初めてであった。先生のお手本を見ながら巻いたが、それなりに整ったか?。

                            

巻物の後は「マイワシ」を指先で開いて、叩きにして味噌、生姜、ネギの微塵切りで捏ねたイワシボールにした。これは鍋になった。残りの半分は半身で唐揚げになったが、これは先生と助手のJHINNOさんがやってくれた

                    

粗方のことを先生とJINNOさんがやってくれるので、料理教室と銘うちながら試食とお酒の教室のような塩梅である。この日も、二時間の教室に対し、ふりかえりと称する御試食会は、二時間半以上であった。

                             

料理を習いに行ってるのか、世間話とご飲食の会なのか?だが、それはそれでよしか?。所詮オヤジ達の遊びの一環だと思えば・・・・・。

然し、帰りの時間帯は寒かったねぇ~。

 

そして日曜日、なんと「奈加野」のオヤジの誕生日だと云うことで、夕方からお祝いの一杯をやることになってしまった。金曜日、愛媛から上京したカッチャン達と奈加野で一杯やったおりに、店で働いているMATUSHITAから誘われてしまったのだ。

誘われて嫌を云う俺じゃない、ましてや郷里の同じ町の先輩の誕生日となれば尚更だが・・・・。ながら、ちょぅとやな予感がしたさ。後で判明するが・・・・。

夕方の渋谷に着いてオヤジに電話を入れた。『オメデトウさん、処で何か食べたいものあるの?』と。

「ないよ、何でもいいよ。お好み焼でもいいし、焼き肉でもいいし。足が痛いので歩きたくないから、裏にある焼肉にしよう」との返事であった。

それじゃ迎えに行くよと、奈加野の前で住いにしているビルの上から降りてくるのを迎えた。ヨタヨタと今にも倒れそうに歩んできた姿が痛々しい・・・・。酒飲んで好きなことやって生きてきた結果なんだろうから、同情はしても支えはしない・・・・。

とは思いながら、これまで散々遊んでもらい、ボートレースの趣味まで持たせてくれた先輩だからねぇ~。一緒に行ったタイ・ハワイ・青島の旅、八九三や桜田門の付き合い方、ヤクルト戦のチケット手配、ベッタラ市で使ってる焼台・寸胴鍋にバット、築地市場の仲買店のあれこれ・・・・。

こうして指を折っただけでも十指に余る世話?になっているか。余り冷たい仕打ちも出来ネェってことかと思いなして『大丈夫なの?』と声を掛けた次第。

買い物をしてくるMATUSHITAとは、店に入ってから電話をすると打ち合わせてあった。裏の店まで100メートルもないが、背を屈め足を引きずるように歩む。これじゃ外に出たくないの頷ける。数年前に、右膝が急に痛んで歩けなくなった自分のことを思い出した。

平城苑と云う、二三度オヤジと行ったことのある焼肉店に入り、マツに電話をした。来るのはマツの相方のオネェちゃんだけだろうがと思いつつ・・・、一応席のこともあるので確認した。

すると、「ジュンチャンの友達が三人一緒に来ると思います」との返事だ。なんなんだ、オヤジの誕生日に知らないのが来るのか?そんな思いが湧いたが、俺もマツから呼ばれた側だからな・・・・。

オヤジに人数など告げると、同様に怪訝な顔をしたが・・・・。

二人で先にビールを飲みながら雑談、とは言ってもマツが三月で辞めてジュンチャンの在所、喜多方に移住するのでそのことなどであったが。

マッが来て、間もなくして相方のジュンチャンと、そのお友達の同級生三人組も到着した。喜多方の中・高の同級生で在京のお友達とのことだった。四人で日帰りバス旅行だったそうだ。

訊けば二人は子持ちだと云うじゃないか、『それじゃ早く帰ってやれよ、旦那と子供が待ってるよ』と言ってみたが「今日はいんです」と、ビールにワインと、ぐいぐい飲んだ。

                       

三人とも店に来たことがあるらしく、オヤジはその時の話などし、ご機嫌がいい・・・・。姉さんたちに祝ってもらい宜しきかなご機嫌!であった。

                         

 

問題はこれからさ・・・・・、勘定どうすんだ。この店、旨いんだけど、値段もいいんだ。

マツから声が掛かった時は「支払いは私が・・・」と云いやがったが、彼にさす分けにもイカンザキだ。オヤジのお祝いだし・・・・、貧乏OYAJIがカード切るしかねえって次第さ。あの時のやな予感が的中だった。

 

そんな朝が明けたが、七時頃まで寝てしまった。夢見もよかろうはずがない朝だった。

弁当だが、今朝は家人用の一つでよかったのが幸いした。ご飯は昨夜の残りで足りる。菜の方は手抜き手抜き・・・と。

冷凍のシューマイを温め、冷凍の鯖文化干しを焼き、イカと椎茸・エノキをソテー、明太子に板カマを数切れ、最後に卵焼きを美しく仕上てお仕舞だ。

                        

手抜きながらも、なにげに上手くまとまっているように思えるが・・・・・。

                          

 

 

 

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思えば長い・・・歳月が、

2018-02-16 | Weblog

2/16(金) 昨日、かつての部下(この言葉は好きじゃないが敢えて)KATUTA君が、愛媛県の山中から奥さんと一緒に東京に来た。今夕「奈加野」にて、KATUTAの盟友TERASHIMA君が横須賀から来て、一献交わすことになっている。

先輩で上司でもあったMASUDAさんはインフルエンザに罹ったと、昨日連絡があった。久しぶりにお会いできると、愉しみにしていたので残念だ。TERAは、MASUDAさんの下で、物流改革に汗を流した。

カッチャんは、スタッフが減り続ける中で、減らない業務量に悪戦苦闘した。私は悪代官のように『骨は拾ってやる、死んでもやれ』と、今ならパワハラ、過重労働の典型のようなことを言ったりやらしていたが。それもこれも叱咤激励、ステップアップの通過儀礼さ?。そんな時代であった。

それでも、楽しいことも沢山あったはずだ。会津の出張では、東山温泉でカルタ姐さんの軽妙な唄と踊りに大喜びし、カッチャんテラちゃんコンビは六本木辺りをうろついて軟派しては難破したりと・・・・。そんな忙しい日々ながら、奥さんと小笠原島まで旅行しやがった。一週間以上も休暇を取って・・・・・。

骨を拾うの約束は、それから十年も経って果たせたかもしれない?。地元、松山でその他大勢の管理職になりそうだったKATUTAを、横須賀の研究所にいた私の下に呼んだ。そこからKATUTAは、大いに羽ばたいたから。

その彼も、胃癌の手術を契機に退職。四国山脈の高原に在る町、久万高原に暮らす。電話の話では、雪が1mも積り、雪掻きが大変だったとか。

当時のことが、三十年以上も前のことながら思いだされる。今夜もそんな話で盛り上がるだろう。お互い、長い付き合いになったもんだ。

昨夜は長い付き合いがもうひとつあった。神保町の「楽屋」なるステージ付のカフェレストラン?で、我が歌姫、橋本葉子さんが出演したのだ。初めての店で、客足が心配、とのメールを貰った。

儀を見てせざるは雄なきなり、とか云う言葉あるじゃない。わたしゃ、親友のHOYA兄いに助っ人を頼んで店に乗り込んだ次第さ。健さんの映画のような、切込みじゃないけどね。ドスならぬ、財布を懐に忍ばせてさ。

葉子さんは相棒のダーナとの出演だった。なにしろ、葉子さんの歌とピアノは、赤坂東急・マルコポーロに彼女が出ていた頃からだ。こっちは長~いよ、四十年以上になるからね。

                        

尤も、親しく付き合うようになったは、彼女が旦那の東郷さんと六本木で「禅」と云う店を始めてからだが。それからでも三十五年になるか・・・・。

昨夜はワンステージだけ聴いて、人形町に戻った。「ローカーボ」で、この日に佐賀から上京したNAKAMURA大将と会うことになっていた。

神保町に向かう前に「こま吉」でHOYA兄いと待ち合わせ、ホッピーを飲み、神保町でハイボール、ローカーボでもハイボール、最後に唄でもと寄った「セイジュ」で、またしてもハイボールを!。水腹だぜ!。

                       

帰宅は零時過ぎになっていた。

前夜に三時半に目覚めているので、今朝は七時まで寝てしまった。目覚めなかった。バランスがとれてるねぇ~。

鍋で米を炊くも長女の弁当には間にわなかった。長女には電気釜に残っていた飯を入れた。少ししかなかったが、ダイエットにはいいだろうよ

                   

菜は、「チンジャオロースー」と「茄子味噌炒め」「小松菜・土佐天・椎茸・薄揚げの煮物」「ホーレンソウの卵炒め」、長女には冷凍のシューマイを温めた。

そんな次第で、バタバタの朝となった。

                    

 

 

 

 

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義理チョコ

2018-02-15 | Weblog

2/15(木) 昨日は「義理チョコ」の日だった。共用のテーブルの上に、立派なチョコの箱が二つ置いてあった。

『誰のお土産だ? 』と訊くと、「女子からのプレゼントですよ。ホワイトデーには期待してますから」と、お局女史のマチャが応えた。『それやぁ喰っちゃ拙いな』と言いながらも、二つも口に入れちまった。来月が怖いねぇ~。

寄る年波でフェロモンの出が悪くなった所為か、チョコを貰う機会もなくなった。「ちょっぷく」辺りに寄ると、ヨッチャンが袋からチョコ出してきて、来月よろしくね!、なんて言われるとこだった。

昨夜は八時前に会社を出た。真っ直ぐ帰るの芸がないと、「ローカーボ」に顔を出した。客の姿はなく、マスターが所在なさげに立っていた。お腹が空いたので、食い物を買いに行こうとしていたところだった。

ハイボールを作ってもらい、『留守番してるから買いに行ったら』と告げた。店の前に停めてある自転車に跨って出掛けた。誰も居ない店でハイボールを啜りながら、誰か来るの待った。

                        

誰も居ない酒場、こう云う雰囲気も悪かねぇな・・・・、なんて思って飲んでいるとマスターが戻ってきた。戻るのが随分早い・・・・。小諸ソバでテイクアウトしてきたとのことだった。

ソバを喰うマスター、ハイボールを啜る俺。BARの灯りもなにやら侘びしげに思えた。

そうこうする内に、NAKAMURA王子が姿を見せた。賑やかだったと云う、前夜の様子など聞きながらハイボール飲んだ。マスターは入院以来、酒断をしている。これまで散々飲んできたから、来月の検査入院が済むまで控えるとのことだ・・・・。

ローカーボを出てから何処のも寄らずに帰った。ハイボール三杯、これだけで十分な気分であった。

帰宅は23時前であった。家人は仕事の呼び出しでもあったろう、不在だ。新聞を読み、早々に蒲団に入った。読みかけの文庫本を手元に置いたが、スタンド点けたままで眠り込んでいた。目覚めると三時半であった。

概ね四時間で魔が覚めるようだが、三時半の目覚めというのは始末が悪い。スタンドの灯りも、エアコンも消して眠りを舞った。一時間経っても眠りはやって来な・い・・・・。

眠るのを諦めて本を読むことにした・・・・、六時過ぎまで読書で過ごした。それから台所へ・・・・・。

今朝の弁当は「親子丼」だ。前夜のローカーボでの会話の所為だ。NAKAMURA王子が「店に来る前に”なか卯”で親子丼を食べてきた・・・・云々」と言った。マスターと俺も、親子丼はいいよね。好きな食い物だよ、と一致した。

そんな会話から暫く作っていない「親子丼」が猛烈に喰いたくなった。所謂、脳を刺激したと云うやつだ。

それで今朝は「親子丼」の登場と相成った次第。親子丼って作るのが本当に簡単だよね・・・・・。

                    

鶏ついでに「鶏唐揚げ」とセットにした鶏兄弟の共演に。唐揚げは二度揚げして、パリッと黄金色に仕上げた。「出汁巻卵」とホ「ウレンソウの胡麻炒め」、板カマを二切れづつ加えてお仕舞だ。

                    

 

 

 

 

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