オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

独り暮らしに・・・

2021-01-31 | 弁当

1/31(日)今日の昼前のJALでUSUI老が帰京(千葉の八千代市だが)した。忘れ物をするなとくどいほど言って、十時前に家を出た。それじゃ!と別れてから三時間後に電話が・・・。

何かと思えば「筍のシーズンっていつ頃だった?」という。その頃に再来するつもりだ!。四月に入れば採れるよ、時期を見計らって電話すると応えた。

帰り着いたと思ったら、もう再訪のことを考えているのだ。もう来なくていいから!、と何度も云ったが馬耳東風!、早くも遊びに来ることを考えている老である。

老が奥さんを亡くしたので帰郷予定をしていた私は1~2年高知に来るか?と話したら、行きたいと二つ返事。二年を上限と考へていたが、高知に来てから一年ということにしたのだ。そんなことで、満一年を経過した一月末で帰京となった。 

そんな経緯もあるが、田舎で自然と戯れて過ごす呑気が身に合ったのだろう。その気持ちは分らぬでもない。遊んで飯を喰い、飲んでの気楽な日々だ。

とはいいながらこっちは毎日そんなことに付き合っていられぬし、時間になれば飯の心配もしなくちゃならない。そんなことで、老の帰京は本音のところホッとしている。暫くはマイペースで家の整理を始めよう・・・。

金曜日の夕、送別の意味合いで隣町の割烹居酒屋で夕食と摂り、スナックでカラオケをしてもらった。気を使ったのかマスクをしたままでマイクを握る老であった。幸いにもここらでコロナ患者は出ていないが。

               

昨日の昼間はミカン畑でゴミを燃やし、八朔を採った。そして姪の店でコーヒータイム。姪たちから「また来てください」と言われた老は嬉しそうであった。

         

その夜、姪の旦那(RYO)が安芸市の寿司店に妹夫妻と私達を招いてくれた。気持ちよくご馳走になり寿司を頂き、ビールから焼酎、日本酒を飲んだ。

若い人にご馳走になるのは本意でないが・・・、それも男修行かと甘んじた。気持ちよく酔った次第。RYOはひとかどの男になるだろうと期待している。

若い人の成長を見守りながら、今暫くは山里暮らしを続ける・・・。

 

  

 

 

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陽気に誘われ・・・

2021-01-25 | 弁当

1/25(月) 昨日までの雨も上がり、朝食後は洗濯物干しと部屋の掃除をした。

後は何をするか?だが、畑はまだ乾いていないので駄目。どうするかと思案したが・・・。陽気もいいので老を誘って車で外出することにした。

今週いっぱいで里山を引き上げる老のために東へと行くことにした。東とは室戸岬方面になる。先ずは道の駅「キラメッセ室戸」と云う度々訪れる所を目指して車を走らせた。陽光はあくまでも明るく、暖かであった。

キラメッセに近づくにつれて、ハタっと思い出したのは今日は月曜日=休店日ということだった。十分ほどして店に着くと4~5台の車が駐車していたので、念のために入ったが案の定、休みだった。

じゃあこのまま室戸を越して徳島県との県境にある町、東洋町まで行くことにした。陽気に誘われて、そしてここの町は「ポンカン」の産地として有名なのでポンカンでも買おうかと・・・。

岬を廻って走る先の右手、海岸は波が押し寄せて怒涛の飛沫をあげていた。いや~凄いねぇ、などと言いながら走行車の少ない道路を快適に飛ばした。

車を止めたのは東洋町の白浜の道の駅。ここは海の駅と呼ぶ道の駅ですぐ前は砂浜が広がる白浜の海水浴場になっている。数人のサーファーの姿があった。ここの隣の浜、生見とともにサーファーのメッカでもあるのだ。

店内に入るとポンカンや魚が並んで客待ちをしていた。みるとポンカンも魚も安い!。そんなことでついつい「伊勢海老」とポンカンを贖った。

途中の道路わきににはポンカンを販売する店がのぼりもにぎやかに軒を並べているが、こっちのポンカンが安いではないか。去年、一昨年と妹夫妻とポンカンを買いにきたことがあるので値段も味も凡そ分る。買い物好きだからねぇ~。

ひと休みしてから帰路に就いた。今度は左側の海岸から押し寄せる波頭の飛沫をフロンガラスに受けながらも快適なドライブがつづいた。片道60Km、往復120Kmばかり走って帰宅すると15:30であった。

             

陽は傾き始めていたがまだまだ暖かい、それじゃ散歩しようとなった。梅の小枝でもとろうかろズボンの後ろポケットに剪定バサミを入れて散歩に出た。

正弘橋から森林軌道跡の道を左へと曲がり安田川の上流へと歩く。今日の散歩は軽めか、老は120kmも走ったからと及び腰である。

             

上流へと1㎢ほど歩くと日浦橋になる。この橋を渡って県道を下流へと戻る。戻りながら「フキノトウ」を探した!。昨年の散歩でポイントは見つけておいたのだ。

道路わきの桜並木の下がそのポイントだが、老はすっかり忘れている。やっぱ耄碌してるよ!。食い気だけは旺盛で、伊勢エビの時は大乗り気であったのに・・・。

             

まだまだ小さいながら蕗の薹を20個ほど採取した。採るのは私、老は道路から眺めているだけで降りてこない。「若いものに任せるよ」と。

そんなことで今夕は伊勢エビの味噌汁、蕗の薹の天婦羅、小イカのソテーにパスタ等などとなった。今宵も満腹、過食と相成った!。

         

小さな伊勢エビのお値段は二匹で700円也、お値段の割には身は締まっていて美味かった!。この伊勢エビ、まな板に載せると未だ生きていた・・・。

 

 

 

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雨・・・そして雨!

2021-01-24 | 弁当

1/24(日)昨日の朝から降り出した雨は今日もつづく・・・。そんな雨の日にやることと云えば「飯」作りしかない悲しささ・・・。

ふりつづくこの雨は、冬の雨ながら何故か柔らかに時には煙る雨になり、糠雨と表情を変えて降った。が、夕暮れとなり止んだ。明日は晴れるか?。

七時起床、目覚めたのは六時前であった。こんな日には掃除でもしよかと思いながらも・・・。そんなこともしないままに朝夕と飯作りをしただけの一日。

午後、調味料や酒に食材を仕入れて来るべく出掛けてきた。

 

USUI老と二人の飯ながらも作る作る作り、老がもう沢山と喰い切れないほど出す・・・。かといって、手の込んだものじゃない。ごくごくありふれた家庭のおかずである。煮物に焼き物、酢物にサラダ。

いや~!よく食べた。斜向かいに住む従姉のKATUKO婆さんが顔を見せたのでビールでも飲みなよと引き留めて、三人で夕餉を摂った次第。

でも、やだね~。飯を喰うだけの生きかたなんて・・・・。

 

 

 

 

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早春の恵みを・・・

2021-01-20 | 弁当

1/20(水)今日も朝から好天気になった。こんな日は早春の恵みである山菜「蕗の薹」を探しに行こうと、朝食を摂りながら老に言ったら「早いんじゃないの」の返事が・・・。

早かろうが何だろうが、先ずは行ってみて様子を見なきゃと昼前、去年沢山取った河原の土手へと出掛けた。十数分後に着いたが・・・、それらしき兆候はなく枯草と彼岸花の葉があるだけだった。

にも拘らず雑草の下を掻き分け掻き分けして探した。そんなことを繰り返すうちに・・・アッタ!。見つけたのだ、蕾も固いフキノトウを。

一つあれば他にも出ているはずと、ボサッと眺めている老を叱咤。探せば有るのだ。そんなことで十個だけフキノトウを採った次第。老は三個採ったと喜んでいた。これで今夕は初物の山菜で天婦羅だ!。

ミカン畑に寄って焚火をすることになったが、老は火が点かない点かないと騒ぎばがらも漸く焚火になった。私は蕾も固い梅の一枝を食卓に飾ろうと切り採った。

           

畑から戻り、姪の店「いなかじかん」でコーヒータイム。今日の客は二人だけとのことだ。無論、私達は入っていないが。

ケーキが余ったのでとサービスと、米粉のショートケーキを出してくれたが、サービスをしてもらうわけにはいかないさ・・・客が少ないんだもの。                       

 

そんな時間を過ごしてから、夕食の準備を早々と始めた。フキノトウの天婦羅に掻揚、昨夜から煮つづけている「猪肉」に里芋や大根を加えた。

老の好物「大根おろし」だと畑から大根を抜いてきた。鉢植から皿の彩にとパセリを採った。

              

夕餉は揚げ物満載、しっかり煮込んだ上物の猪肉などで始まり、飲み物はビールからダバタ栗焼酎の湯割り。

今日も十分な食事を頂き、過食か・・・・。

 

 

 

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穏やかな日々なれど・・・

2021-01-19 | 弁当

1/19(火)天気晴朗なれど北風が吹く日々がつづいている。風がないと暖かで穏やかである。そんな風のないひと時にミカン畑で焚火と焼き芋をし、時折ボートレースに遊ぶ。

余りにも穏やか過ぎ、静かなる日々の山里である。こんな暮らしを、日々を、送ろうとも送れるとも思ってなかった身には物足りなさばかりさ。

世は新型コロナ騒動で落ち着かなく、この田舎でもマスク姿が目立つ。そんな時代ではあるが、我が人生は至って平穏と云えるだろう。

台風で飛行機が飛ばない時も何とかなり、川崖から落ちそうになった時、中学生の時には工事中の鉄骨に上がって落ちたと思った一瞬、自転車で車にはねられて飛んだ時、東北大震災の日には東京を離れ、駄目だと思ったことは数えきれずにあったが全て凌いで?これた。

サリーマン時代も、会社経営をしていた時代も危機は何度もあったが、それらは全て己が招いたことであるが助けられ、そして凌いできた。運がいいのか、往生際が悪いと云うことなのか。

閑な暮らしをする日々なれど、あの時代、あの時、そんな数々が甦ると落ち着かない。かくも静かなる日々でいいのか・・・・と。

                                     

されど、穏やかになった今夕は菜園から大根や蕪を採り夕餉に添えた。糠漬けを漬け、甘酢に漬けた蕪や野菜を煮て頂いた。

                                     

今年は大根の育ちがよかったが、白菜やキャベツはまだまだ小さい。幼いものが育ってくれるのは、人であれ植物であれ楽しいものである。

 

 

 

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焚火

2021-01-13 | 弁当

1/13(水)昨日、USUI老が戻ってきたので風もない今日はミカン畑で焚火(ゴミ焼)でもとしようかと、朝飯の時に話をしていた・・・。

陽が射してきたので洗濯ものをベランダの物干しにかけようと出ると、なんとあのおぞましい水漏れの音が上の方からザァザァ~と聞こえるではないか!。

庭に出て二階のベランダを見上げると、ベランダに伸ばしてある水道管の接手あたりから水が噴き出していたのだ。何たることか、またしても!。

起床して池の電灯スイッチを切った時にはこんな音は聞こえなかったのだが、水道管の氷結が溶けたので水漏れが始まったのだ。参るなぁ~、また水道菅から水漏れだと、同級生のKAWAMURA君に電話をすると「すぐには行けないが午後に行くよ」と快諾してくれた。

そんな朝の始まりになったが、予定通りに十時半過ぎ老を誘ってミカン畑に。ゴミを燃やし、枝を燃やして定番の焼芋。何種かのミカンを採り食べ比べをしながら、老にミカンの摘み方を教えた。焼き芋は上々の出来栄え!。

               

畑に居る時、AJIRO君から電話があった。なにかと思えば「山中さんが亡くなったの知ってますか?」とのこと。知らないよと応えると、奥様から寒中見舞いのハガキを頂き、四月に亡くなったとの通知でしたと。

全く知らなかった。山中正巳さんは東京支社広報宣伝部時代に一年だけご一緒した上司にあたる。俳人として活躍され、氏の句誌を数冊頂いたし、取材でもお世話になった。所謂サラリーマン的なタイプに収まらない洒脱な方であった。

ご長男が私と同じ名前と聞いたときは「それじゃ期待できませんね」と冗談を言ったこともある。氏をグループ会社の社長に就けるべく動いたこともあったが、上手くいかなかった。そんな関係でもあった。ご冥福を祈ります。

 

畑から昼過ぎに戻り姪の店「いなかじかん」にてコーヒータイム。お土産は焼き立てホカホカの焼芋。コーヒーの後、夏場に魚釣りをした目の前の川辺に寄った。

水量は少なくて魚の姿は全くない。寒くて川石の底でじっとしているのであろうか?。

           

KAWAMURA君か連絡があり、来てくれたのは二時前。直ぐに梯子を掛けて屋根の上に乗って水道管を補修してくれ、二十分程で終わった。

未だ陽があるので老を誘い久々に柚子ロード散歩、たった三十分ばかりであったが老は汗ビッショリという。「心臓でも悪いんじゃないの?」と云うが、そんなことないという。

           

そんなことで帰宅後すぐに風呂に湯を入れた次第である。早々と風呂に入ったので夕食も早くなった。今夜は、昨夜の残り物の「ウナギ蒲焼&フグ鍋」、新たには「ハンバーグ&ピーマン肉詰め」「里芋煮」。

              

漬物はタクアン、自家製の千枚漬け・糠漬け。栗焼酎の湯割りで夕餉を楽しんだ。

老は今月末でこの山里を後にする。当初の予定どおりではあるが、昨日まで一月余不在したので、もう少し先かと思っていたが、既に予定を立ててきたとのことである。では、精々餌を与えて太らして帰すか?。

 

 

 

 

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ここは南極?

2021-01-09 | 弁当

1/9(土) 歌の文句に南国土佐とか云うのがあるが、嘘だろう~。南国ならぬ南極だよ!。

と云うのも、今朝の寒さは半端じゃなかったようだ。北国にはかなわぬだろうが、雪が降らぬだけのことで寒かった。滅茶寒だった!。

そんな朝で、陽が射し始めてから従姉のKATOUKOさんが庭先に来たのでお茶を飲みながら暫し話をしてから、遅いブランチの用意を・・・。

処が水は出るが湯の出が・・・、ちょろちょろだ!。どうなってんだと思いながら食事を摂っているとジャ~ジャ~と音が聞こえる。水を撒く大きな音が台所の外から聞こえるのだ。嫌な気がする・・・。

外に出て台所の方に回ると、なんと我が家の水道管から大噴水が出現しているではないか。凄い勢いの噴水だ!。

お慌ててもしょうがない、先ずは元栓を締めるだけのことだ。前に同級生の水道屋KAWAMURA君に教えてもらった元栓を締めて水ならぬ湯の噴水を止めた。元栓を締めたので湯は勿論、水も止まった。止まったはいいが、これからが・・・。

こんな日は、我が家だけならぬ方々で同じような現象が起きているはずだ。友人の水道屋が一番の頼りだが彼も大忙しだろう!、と思いながらも頼りにするのは友人だ・・・。

電話をすると案の定、大忙しのようだ。「時間が取れたら見てよ」と言って電話を終えた。

土曜日、我が手では何ともならないと姪の店が開いているのでコーヒーを飲みに行った。今朝の惨状を妹と姪に知らせておかなければ・・・、笑い話だが。

店から故人となった従兄の連れ合いと長女が出てきたのに行き合わせた。二十年ぶりくらいであったか、従兄は商売に失敗して夜逃げ同然に逃げ、その後その地で亡くなった。向こう気の強い、器用で漁をしても上手だったが遊びが過ぎたようだ。が、人に好かれた。そんな従兄を私は好きであった。

なにかの拍子に、そんな従兄のことを思い出していた。子供時代や高校生時代の頃のことを。従兄が亡くなってから郷里に戻った聞いていたその連れ合いのことも。何もしてやれないながら、元気に暮らしているだろうかと。

年相応にも元気な様子に出会えてよかった。遊び好きな亭主に苦労をされたが、娘と一緒にこうして亭主の実家のある山里に姿をだしてくれ、ありがとう、と届かぬ声を今伝える。

帰宅してから破裂したところを見たがサッパリ分からない、其処にKAWAMURA君の仕事車が着いた。いや~助かった!。

駄目になっていたのは湯の管だけでなく、二階の水の方の繋ぎからも水漏れしていた。二時間程を要して両方の修理を終えることができた。その間にも彼の携帯に何度も修理依頼の着信があった。忙しい中を来てもらい、友人なればこそ。おまけに、費用は滅茶安い、学割か友人割?か。ありがとう!。

 

こんな日の夕食、七時になってから始めた。昨夕は五時半からしょくじであったのに。食事を始めたのは八時から・・・。

スキ焼風煮にカマスの開きを焼き、味噌汁に漬物。2~3日も食べ続けているクリームシチュー、茄子煮、自家製の千枚漬けである。寒いので、ぬる燗の土佐鶴がお供であった。

          

独りの食事ながらも作るとなると一人分は半端になり、作る量は多くなる。そんなことで、テーブルに並べてみても食べきれるもんじゃない。従って、料理によっては二日も三日も並ぶのが常である。

その典型とも云えるのが昨夕(下の写真)である。これだけ並ぶと見ているだけでお腹が一杯だが、それでも一生懸命頂く。これじゃ肥りますわねぇ~。これも因果応報?。

          

 

 

 

 

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新年も早や・・・

2021-01-06 | 弁当

令和三年一月六日(水)大晦日に記して以来、BLOGを休んでしまった。毎日のようにフェイスブックで日々の出来事を載せている所為で、ついつい疎かになっていた。

今日もかつてのスタッフからメールを貰いBLOGを楽しみにしていると頂いた。と云うわけでもないが、新年初の近況を記す。

元旦は妹夫妻に呼ばれてのお祝い。それから姪の旦那と我が家で飲み会。二日は静かに過ごし、三日の夕に姪の旦那が飲みに来て二人で日本酒をタップリと飲んだ。四日五日と静かに過ごし、今日を迎えた次第である。

毎夕毎夕過食続きで、気が付けば腹が出ていた。ベルトの穴は一つ半ほど広くなっている始末である。

今日は灯油を買い、昼に隣町のスーパーまで買い物に出たはいいが、在庫の有る品まで買ってしまった。買い物リストを作っていったが、在庫チェックをせぬままだったのだ。事程左様にボケていると云うことだ。

買い物から戻り今年初日となる姪の店にコーヒーをに飲みに行ったら、取材を受けている処であった。

              

合間に取材者に話かけるとフリーランスとのことなので、数年前の高知取材で知り合ったカメラマン(竹村氏)のことを訊くと仕事仲間以上に先輩とのことであった。姪が私のコーヒーを準備している間に話ができた次第である。

家に戻り最後の干し柿の出来栄えをチェックし、一つ味見をしたがどうも?。柿の種類によって味が違う。笊に干した小ちゃな柿は甘いが、吊るした大きなのは口に入れると柔らかくて美味いが舌に残る後味が気になる。かといって固くなるまで干すと食べる人が気に入るか?。

斯様なことで日々が過ぎる。世間ではコロナコロナと騒がしく、この田舎でも広域放送で注意が呼びかけられ、マスク姿が目につく。が、私的には罹る時は罹る、罹れば免疫だと高を括っている。その姿勢を家人は心配して帰ってこない方が安心なのだろう・・・。

 

一昨年の十一月に帰郷し、その年の年末始に一旦帰京し一月七日に帰郷した。それ以来の里山暮らしは一年となる。この一年を振り返れば・・・。

一月は文旦収穫、二月は蕗の薹、三月~四月タラの芽から孟宗筍、五月は小夏の収穫、六月は梅で梅干に梅ジュース、枇杷、川で鰻・川エビ捕り。破竹・黒竹の筍、鮎のシーズンを迎えて八月まで川遊びが本格。この間、海でも遊び貝採り。

秋には栗を拾い、柿を採る。焚火に焼芋、バーベキューに燻製作りと枚挙に尽きなしの遊び事ばかり。これでボケなきゃ云うことなしだが・・・。とはいいながらも、もう十分でしょうというのが本音である。

 

年が明けて夕暮れの訪れが遅くなったきた。半面、朝陽が当たるのが遅くなっているが。写真は今夕の五時半、未だ薄明かりが残っている。

              

こんな夕暮れをみてから夕食の用意に入ったのである。飯の支度をするのが唯一の労働?だから。

夕餉は蕎麦にした。年越し蕎麦に買ったものが賞味期限なので。昆布やその他で出汁を作る。山里でチャーテと呼ぶ棘がある白ウリのような野菜を薄く切り豚バラと炒める。大根の煮物二種で牛筋煮と蒟蒻煮である。小鉢に自家製の糠漬け、蕪甘酢漬け。

           

飲み物は白ワインにした。暮れに末娘の連れ合いが贈ってくれたものである。若いのに妙に気配りができている、若いながら苦労したのであろうか?。

 

そんなことで、今年もノー天気にスタートしている。諸兄諸姉、本年も宜しくご厚誼のほどをお願い致します。

 

 

 

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