11/2(火)今、11月2日の夜明け前と云う時刻。霜月になって26時間を経過した。昨夕は七時に帰宅と早かった。そんな所為か夜明け前に目覚めたのだ。
先週の木曜日から振り返ると瞬く間に月が変わったことになるが、霜月入りの昨日はそれまでのうすら寒さを忘れるような暖かな一日。
四日の帰郷を前にして、帰省土産を送るべく日本橋三越まで出かけた。その帰り「ちょっぷく」に寄って軽く飲み、予報にでていた夕方からの雨を心配しながらの帰宅であった。
先週、木曜日の夕。予定したとおり同級生のOGAWA君、USUI老と「うまし」にて懇談。当初は「高松」を予約していたが、調理場の水道管漏れで営業中止との連絡があり店が変わった。
三人で飲む予定であったが、人形町となれば仲間たちが合流する可能性が高い。増えてもいいように奥のテーブル席を取ってもらったのが幸いした。最終的に八人になったのだから・・・。
病み上がりの「高松」の店主、ミッチャンはノンアルのビールを持参して顔を出してくれ、合流したNUMATA君は馴染の酒場のお姉さんまで呼んだからだ。二次会に「ちょっぷく」へと流れてから三々五々に分かれたが・・・。
OGAWA君はNAKAMURAさんに付き合い終電近くまで三軒目で、NUMATA君と老は姉さんのいる酒場へ。電車がなくなった老はホテル泊となったそうだ。
三密を避けるために木曜日に会うことにしたのだが・・・、何のことはない。それにしてもコロナ患者の急減は何なんだ‼。
金曜日、夕方近くに人形町の歯科へ。この歯科が「うまし」の直ぐそばなので帰りに寄る。そこからNUMATA&HOYA兄いと、中華「三浦」へ。
「三浦」には随分とご無沙汰をしていた。そんなこともありちょっと離れた店まで足を延ばし一杯やり、店主と話をした次第。未だ夜の客足は戻りきっていないとのこと。
そして土曜日の朝、久々に豊洲の市場へ。「うまし」の店主夫妻にご一緒し、紅鮭と銀鱈を買った。田舎の妹や従姉が喜ぶ紅鮭を一箱送った。
買い物後「緑明館」で朝食となったが、私はビール。帰宅後、銀鱈の粕漬を仕込んだ。
午後、ミッチャンの快気祝いの案内があった「高松」へ。ご家族にミッチャンの友達で油屋と呼ぶOMATA氏、店のパートさん達。皆さん相当出来上がっていた。ノンアルばかりだったミッチャンがアルコールを飲み始めていた。
油屋の発案で門前仲町のスナックまで遠征となり暫く過ごした。一足先に失礼して「うまし」へ。NUMATA&YAMAUCHI君とのネットニュース企画の打ち合わせがあったのだ。飲んでいるので打ち合わせもそこそこの状態。
一時間ほどして高松さんご一行も「うまし」に来た。そこに再び合流することになった。どんな形でお開きになったか、記憶は定かでない。
斯様な日々で霜月を迎え、今日の午後「橋本葉子さんを偲ぶ会」が横浜・馬車道の「メグスタ」で開かれる。OKAZAKI氏、KISHIMOT大兄も参加してくれるとのことである。
どんな形、人々が集うのか不明であるが・・・。かつてのスタッフや音楽仲間、お客さんたちであろう。
最後に金曜日からのお弁当を掲載します。何時もながらのメニューばかりででお恥ずかしいが。
トンカツ、レンコンのはさみ揚げ、蕪煮、牛炒め、小松菜煮浸しなど・・・。