オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

老、来る!

2021-11-25 | 弁当

11/25(木)今日の午後、USUI老が来高した。高知空港まで出迎えに行った。その前に、布団を干して部屋の掃除と小忙しい。これが終わってからポリ手袋をして干柿の手入れ・・・。

干柿の方は、最初に吊るした小さな柿はそろそろ完成に近い。渋柿の皮を干しているがこっちの方は明日辺りで干しあがる。この皮をどう使うか?。皮をミキシングしてジャムにしてみたいが?。如何なものか!。

          

老人を向かて帰宅後、川に仕掛けたカニ篭を一緒に上げに行った。全く期待していなかったが・・・、なんと大小六匹のモクズカニが捕れた。と云うことで今夜もカニ汁だ。他には鍋!野菜と豆腐に豚バラ肉の鍋である。

他には老に煮豚ニラ醤油、ホウレンソウお浸し、好物の大根おろし、大根煮、鮎焼を用意した。ぬる燗の土佐鶴をやりながらの歓談。

                

28日まで老の相手をすることになるが、今回は滞在が短い。明日はミカン畑で焚火か、それとも大心劇場で映画となるか?。夜は町まで飲み行く予定である。

 

今週の経過は、雨の月曜日に友人たちを見送ってから猪の足を貰って捌き、祝日の火曜日は買い物帰りに「豆電球」「いなかじかん」でコーヒー。夕食に従姉が来た。

          

水曜日・木曜日と一人夕餉で燗酒を飲み、野菜中心の食事であった。間引き大根の煮物に刻葉の塩もみ。残りご飯をお粥にして食した。

          

明日からの食事メニューは既に決めてある。さて、何が出るかな?。

 

 

 

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友来りて・・・

2021-11-21 | 弁当

11/21(日)昨日、学生時代からの友人三人が来高した。東京・岩国・高松と離れている三人である。東京からのHOSOKAWA氏をほかの二人が車でピックアップして午後三時半に安芸駅で待ち合わせた。

高松からのANABUKI氏とは卒業以来の邂逅だが、以前にfacebook上でやり取りがあった。岩国からのHAMAOKA氏とは三年ぶりか、HOSOKAWA氏とは東京でよく会っている。そんな関係の友人達である。

昨夜は昔話や最近の状況など5時間にわたり歓談しての鯨飲。そして今朝を迎え、彼らのリクエストで高知市内で「日曜日市」「ひろめ市場」で遊び、仕事の都合で帰京するHOSOKAWAを空港に送った。

高知市内向かう途中にある赤野展望台で、広がる土佐湾と松林「琴が浜」の景勝を紹介。そして手結港に掛かる跳ね橋を望みながら名物のお茶餅を一つ。

コロナ騒動が落ち着いてきたこととに相まって飛び連休、日曜市もひろめ市場も大賑わい!であった。

            

「ひろめ市場」で席を確保して一休みしたが、3人ともビールも飲まず。昨夜の酒が抜けずとの由。帯屋町のアーケード街を歩いてから、HOSOKAWAを空港に送り安芸市に戻った。

ANABUKIのリクエスト「野良時計」を観る前に、近くの岩崎弥太郎邸跡に案内してから、野良時計~武家屋敷跡、童謡の広田竜太郎歌詞碑など廻り魚屋でカツオ叩きなどを購って帰宅。

         

そして今宵も、早々の五時から三人での歓談は九時までつづいた・・・。二人は明日は九時出発し、徳島の八十八カ所巡礼の23番「薬王寺」から22番と回ると云う。風呂の用意をしてお開きにした次第。

               

彼らが来る二日前から掃除に布団干し、渋柿向きとを忙しかった。ベランダに布団を干すのに吊るした柿が邪魔で一苦労!。笑い話である。

 

 

 

 

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諸行無常・・・

2021-11-17 | 弁当

11/17(水) 今日もいい天気であったが、昼前に携帯電話が鳴った。不明な電話番号であったが応じた。すると知人でかっての仕事相手だったOGURAさんの奥様からであった。

柚子酢を毎年送っているので、その件で月曜日に氏の携帯に電話をすると「使われていない」との案内が…。どうしたものかと自宅に掛けたら不在、留守電にメッセージを残した。

奥様から「小倉は八月四日に脳溢血で倒れ、入院しております」との言葉が。容態を訊くと「意識不明の状態が続いています」とのこと。三か月以上もその状態が続いている。

三年程前に仕事をリタイアされテニスをしながら悠々の暮らし。昨年の今頃電話で話をしたら「コロナが落ち着いたら全国の知人を訪ねる旅をしたい。高知もその候補ですから」なんて言っていたが。まさかこんな状況になっていたとは・・・。

OGURAさんとは弘前の素人劇団「ばっけ」の公演を取材したおり、劇団の相談役のような立場で来ていた氏と名刺交換をしたのが最初であった。当時、OGURAさんは編集プロダクションを運営し、自身もライターとして活動していた。

私がサラリーマンとして勤務した会社のPR誌の仕事も長く携わっていた。そんな縁から、ナチュラル社の仕事をお願いする機会も多くなり、幾度も同行取材をした間柄である。

大柄ながら温厚、ソフト、丁寧な仕事をされた。高知の取材も二度ご一緒したし、春の「ばっけ」の公演では幾度となく弘前でご一緒した。

そんな氏の回復を、奇跡であれ願うばかりである。

 

呑気な田舎暮らしをする我も、何時どうなるかわかったもんじゃない。それはそれで良しとするしかないが・・・。

今朝は一昨日に作った「リンゴのジャム」と「柚子ママレード」でバケットを頂いた。リンゴのジャムは、同級生のOGAWA 君から届いた会津のリンゴ。若干の酸味を感じるも美味しいリンゴなのでジャム作りを思い立った次第。この時はラフランスとリンゴの赤ワイン煮も作った。暇なOYAJIだねぇ~!。

              

そして今夜、小さな渋柿を54個剥いて吊るした。物干し竿が吊るし柿の簾で満杯になった。

      

 

 

 

 

 

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田舎暮らし・・・

2021-11-15 | 弁当

11/15(月)暫くBLOGを更新してないことを思いだした。14日の深夜になろうとしているが記すことにした・・・。といっても変わり映えしない日々であるが。

先週から週末にかけて懸案であった柚子の収穫と柚子酢作りを終えた。木曜日に収穫を済ませ、金曜日に絞った。妹夫妻が手伝ってくれたお陰である。

          

そんなことで時間が出来た土曜日の午後、久しぶりに「大心劇場」に映画を観に出掛けた。2~3日前に館主から電話を貰っていたこともあり。

「HOKUSAI]という映画で、葛飾北斎がテーマだった。どうと云うことのないストーリーだったが、昭和のレトロ感満載の劇場で過ごすひと時は妙に落ち着く。終映後、隣接の「豆電球」でコーヒーを飲み館主と雑談。

          

カニの餌になるカボチャを貰って帰ったが、生け簀のカニは大半が死んでいた。更に悪いことに、川に仕掛けておいたカニ篭を誰ぞが上げて入っていたカニを盗っていた。悪い奴がいるんだ!。

今日の午前中は前日に続いて柚子皮でママンレード作り。それから渋柿を剥いて吊るした柿は四十八個。午後に柚子を伐った小枝の整理のために一時間ばかり畑に行った。動くと汗を掻くぐらい暖かかった。夕暮れ前に従兄のとこの渋柿を何十個か採ったが小さい。

自分処の柿も取り寄せた柿も出来が良くない。干柿が上手く仕上がるか心配である。

キヌサヤの種を播き、タマネギの苗を植える時期だ。飯を作り喰い、こんなことで日々が過ぎていく。

               

今週は亡父の命日があり、週末には学生時代からの友人で東京・岩国・高松在住の三人が集う。暇な身だ、酒肴のメニューでも思案しよう!。

 

 

 

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田舎暮らし

2021-11-08 | 弁当

11/8(月)今日は朝から小雨が…、と思ったら薄日がさし、また雨が・・・。明日までこんな天気がつづきそうだ。待望の雨で野菜や植木に活力が戻るだろう。

帰郷して四日目となり、すっかり田舎暮らしに馴染んできた。昨夕は地元の同級生の母親が亡くなったのでお通夜に行った。百一歳とのことで大往生であろうが、三年程前から脳梗塞だったとのこと。

この同級生は、高校を出てから大阪に就職した。そんなこともあり、通夜の席で会ったのはそれ以来である。頭髪が滅茶あって全く減っていない、羨ましい限りだった。

通夜に行く前に川にモクズカニの篭を仕掛けたので今日の午後、雨の合間をぬって上げた。小さいながらも八匹入っていた!。夕餉に味噌汁にする予定だ。

           

柚子の収穫が最盛期を迎えている。私の方は、この雨が上がったら収穫して柚子酢に絞る。今年は雨不足だった所為か玉が小さいうえに量も少ない。

明後日あたりに収穫の予定であるが、あくまでも予定である。酢に絞るのがひと手間であるが、この柚子酢を喜んでくれる友人もいるので十升くらいは絞る予定だ。

干柿作りも始めなくてはならないが柿不足なうえに暖かい。もう少し冷え込んできた方がベストであるが。今年は例年の半分以下、200~300個を作る予定でいる。

干柿作りの心配は、12月になると早々に東京に戻り年明けまで滞在する。管理が行き届かないので上手くいくか?なのだ。吊るしてから出来上がるまで30~40日を要すので正月明け早々に帰郷し、干柿を喜んでくれる友人達に届けなくては・・・。との思いはあるが、些か心配である。

柚子を収穫して絞り、干柿を吊るせば大方の仕事は終わる。後は冬野菜を植えてお仕舞だ。庭の枯葉拾いと部屋の掃除、晩飯を作りコーヒーを飲み行くだけの田舎暮らしが一月ばかり続く。優雅と云うべきかな?。

           

 

 

 

 

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帰郷

2021-11-05 | 弁当

11/5(木)予定通り昨日の午後に帰郷した。羽田空港11:25発のANA便で高知空港に着陸したのは5分早い12:50であった。

空路は晴れ渡り快適な飛行。離陸後すぐに眠気が・・・、目を覚まして眼下を見ると沼津港とおぼしき景色が。ならば富士山が見えるはずと見渡すも見ることができなかった。

40日ぶりに高知空港に降り立ち、ごめん奈半利線の電車で安田駅に着いたのは14時38分であったか。車中からハイヤーを手配し駅で迎えてもらったが、運転手は同級生であった。「今年は甘柿がないのよ、もらうことができない」と嘆いていた。

柚子が黄色く色づいた田舎道を帰宅。すぐに姪の店「いなかじかん」でコーヒーを飲んでからミカンや野菜の畑の様子を見た。

           

川の流れはゆるく水量も僅かになっている。鮎も産卵で河口あたりまで下っていることであろう。

ミカン畑にある柿木は、渋柿の一本だけに少し実があり後の六本には1個の実もなかった!。見事なもので、干柿作りに苦労しそうだ。そんなことを思いながら昨日が終わった。

今日は8時半から活動開始。庭に広がった落ち葉を掃き拾い、花壇の草取り。昼近くまで要して腰が痛くなった。一休みしてから野菜の手入れ、大根やチンゲン菜などを間引いた。そして一本だけの小さくて僅かばかりの渋柿を採った。

            

そんなことで早くも夕方になっていた。夕食は間引いた野菜を中心にしたメニュー。煮たり茹でたり炒めたりの野菜尽くし。体にも財布にも健康である。

                

畑の冬花はツワブキと茶木、庭は小菊、金木製、ボケと少ない。パンジーの苗を買いに行くことにした。

          

帰郷の1日はかくのようにスタートした。

 

 

 

 

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~お別れ 偲ぶ会~

2021-11-03 | 弁当

11/3(水)昨日の午e後t、馬車道「メグスタ」で開かれた橋本葉子さん(東郷法子)さんを偲ぶ会に出席した。KISHIMOTO大兄とOKAZAKIさんが同行して下さった。

とても素晴らしい、素晴らしと云うしかない会でした。主催した「メグスタ」の店主・ダーナさん(潮田リエ)さんが心を込めた会でした。御礼を感謝をするばかりです。

             

大勢の参加者があり、それぞれに葉子さんへの思いがあったことでしょう。沢山の葉子さんの写真、遺品が飾られ葉子さんの歌声が流れ、偲ぶ言葉と唄が披露されました。

            

かつて「禅」に勤めた方や出演された方々ともお会いすることができました。とてもいい時間を過ごしました。ダーナさんありがとうございます。

店を出た後、近くの中華店で三人で歓談してから暫く留守になる人形町へと一人向かった。

先ずは「うまし」に、長く区議会議員を務めた高橋伸治さんが見えるとのことで久々に挨拶をすべく。

                 

高橋さんが月例で開いていた「モナリザ会」(銀座のカフェ モナリザが会場)に参加せて頂き沢山の知己を得ることができた。

「うまし」から「高松」「ちょっぷく」と廻りしたたかに酔っての帰宅となった。反省ですねぇ!。

そんなことで今朝は二日酔い!てき面に残っていた酒精。それでも昼からは台所に立って夕餉の仕込みに精出した。子供たち一家が勢揃いするというので土佐風の「五目寿司」「春巻き」二十に唐揚げ等々。

お陰で明日は帰郷と云うに何の支度もできていない・・・・。

12月3日に再度帰京します。暫くは田舎の日々を掲載することになります。

 

 

 

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霜月、そして偲ぶ会

2021-11-02 | 弁当

11/2(火)今、11月2日の夜明け前と云う時刻。霜月になって26時間を経過した。昨夕は七時に帰宅と早かった。そんな所為か夜明け前に目覚めたのだ。

先週の木曜日から振り返ると瞬く間に月が変わったことになるが、霜月入りの昨日はそれまでのうすら寒さを忘れるような暖かな一日。

四日の帰郷を前にして、帰省土産を送るべく日本橋三越まで出かけた。その帰り「ちょっぷく」に寄って軽く飲み、予報にでていた夕方からの雨を心配しながらの帰宅であった。

先週、木曜日の夕。予定したとおり同級生のOGAWA君、USUI老と「うまし」にて懇談。当初は「高松」を予約していたが、調理場の水道管漏れで営業中止との連絡があり店が変わった。

三人で飲む予定であったが、人形町となれば仲間たちが合流する可能性が高い。増えてもいいように奥のテーブル席を取ってもらったのが幸いした。最終的に八人になったのだから・・・。

             

病み上がりの「高松」の店主、ミッチャンはノンアルのビールを持参して顔を出してくれ、合流したNUMATA君は馴染の酒場のお姉さんまで呼んだからだ。二次会に「ちょっぷく」へと流れてから三々五々に分かれたが・・・。

OGAWA君はNAKAMURAさんに付き合い終電近くまで三軒目で、NUMATA君と老は姉さんのいる酒場へ。電車がなくなった老はホテル泊となったそうだ。

三密を避けるために木曜日に会うことにしたのだが・・・、何のことはない。それにしてもコロナ患者の急減は何なんだ‼。

金曜日、夕方近くに人形町の歯科へ。この歯科が「うまし」の直ぐそばなので帰りに寄る。そこからNUMATA&HOYA兄いと、中華「三浦」へ。

「三浦」には随分とご無沙汰をしていた。そんなこともありちょっと離れた店まで足を延ばし一杯やり、店主と話をした次第。未だ夜の客足は戻りきっていないとのこと。

そして土曜日の朝、久々に豊洲の市場へ。「うまし」の店主夫妻にご一緒し、紅鮭と銀鱈を買った。田舎の妹や従姉が喜ぶ紅鮭を一箱送った。

買い物後「緑明館」で朝食となったが、私はビール。帰宅後、銀鱈の粕漬を仕込んだ。

午後、ミッチャンの快気祝いの案内があった「高松」へ。ご家族にミッチャンの友達で油屋と呼ぶOMATA氏、店のパートさん達。皆さん相当出来上がっていた。ノンアルばかりだったミッチャンがアルコールを飲み始めていた。

油屋の発案で門前仲町のスナックまで遠征となり暫く過ごした。一足先に失礼して「うまし」へ。NUMATA&YAMAUCHI君とのネットニュース企画の打ち合わせがあったのだ。飲んでいるので打ち合わせもそこそこの状態。

一時間ほどして高松さんご一行も「うまし」に来た。そこに再び合流することになった。どんな形でお開きになったか、記憶は定かでない。

              

斯様な日々で霜月を迎え、今日の午後「橋本葉子さんを偲ぶ会」が横浜・馬車道の「メグスタ」で開かれる。OKAZAKI氏、KISHIMOT大兄も参加してくれるとのことである。

どんな形、人々が集うのか不明であるが・・・。かつてのスタッフや音楽仲間、お客さんたちであろう。

最後に金曜日からのお弁当を掲載します。何時もながらのメニューばかりででお恥ずかしいが。

         

            

トンカツ、レンコンのはさみ揚げ、蕪煮、牛炒め、小松菜煮浸しなど・・・。

 

 

 

 

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