オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

墓参

2020-01-04 | 弁当

1/4(土) 今日、故黒田洋一郎(楊一郎)君の墓参に行行った。彼が逝去したのは六年前の一月七日の朝だと記憶にあるが・・・。

亡くなる前夜、夜の十時過ぎに彼と電話で話したのが最後になった。翌朝、奥様から連絡があり津川さんと東大病院の病室に駆け付けた時は、看護師さんから死後の清拭を受ける処であった。お悔やみを云い、病院の裏から冬枯れの忍ばす池を渡って御徒町に出たことがありありと残っている。

朝からやっている御徒町の立飲み酒場で二人で偲び酒を交わしながら彼のことを語ってから会社に出たのである。

黒田君は凡そ一年前、すい臓がんの宣告をされていた。余命、三ヶ月から一年とのことであったが、気力・体力で克服しようと自転車通勤などをしてきた。彼ではならない仕事と責任感で、働き続けた。

それまで弱音を見せたことがなかった彼が、師走の沖縄取材から戻った頃から痛みに耐えるような姿を垣間見るようになった。そして師走も残り少ないクリスマス近くに再入院をしたのであった。様子を見に行くと、弱音は叶い彼らしく元気な表情を見せていたのだが・・・。

葬儀はとても寒い日だった。彼が眠るおおくら大仏・妙法寺の斎場で執り行われた。クライアントや外注のライター・カメラマンと大勢が参列し、彼の人柄が偲ばれた。

墓参後の成城学園駅ビル四階レストランで奥様と津川さんで歓談しがらその後の様子を伺う。中学生だった長女・長男も大学一年生と受験を控えて猛勉強しているとのことである。元気に育っている様子を聞いて心休まる思いであった。

                 

            駅ビルから新宿方面を臨む。歓談中の二人。

黒田君が眠る「妙法寺」の本堂と、裏手ある墓所。境内の見事な枝垂れ桜。この枝垂れ桜が満開の頃、墓参したことがある。

        

 

今日は斯様に、黒田君の思い出とともに心鎮める一日であった。

 

 

 

 

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