初薬師
1/12(日)今日は地元の旦那寺である真言宗豊山派の寺、金剛山弘泉院「北寺」で初薬師の法要があり初めて出掛けた。北寺は我が家から県道沿いに流れる安田川を遡った2㎞程の処にある。地域名は別所と云う所で、その地名からもかつては寺領であったと思われる地区に建つ。
亡父母が健在の頃は毎年行っていたそうだが、私は初めてのことであった。毎年行っていると云う父方の従姉の車に同乗させてもらった。厄払いをしてもらう人は九時ごろから行くとのことだが、私たちは全体の祈願読経が始まる11時前に着いた。
老若男女と云いたいが、老男女ばかり五十人程が狭い境内に集まっていた。近隣の寺からであろう、7~8人の坊さんと北寺の住職による安全・健康・厄除け祈願が終わる頃に、長くて大きな数珠が本堂から境内に出された。本堂に入れない善男善女は輪になってその大きな数珠を回して無病息災を願うのであった。
法要後に供される食事の場には参加せず、お土産を頂いて帰宅した。初めての参加は亡両親の習慣を辿り、旦那寺への感謝であったが、廃れてゆく習慣への帰趨か・・・。
「北寺」の創建は平安中期とかで、国指定の重要文化財の仏像が九体ある。この仏像は高校生の折に見せてもらったことがある。その頃と違い、今は立派な安置場所に収まっている。
余談であるが、寺の入り口の脇に建つ古い石碑に目がいった。それは、日露戦争に従軍した村人の慰霊と顕彰を記したものであった。当時は中山村といった小さな村から、三十九人が従軍して十二人が戦死、二十七人が帰還とある。明治四十一年の建立とあった。明治維新後に徴兵制が敷かれてから三十年を経ない頃のことであろう。
帰宅して寒空の下の池を眺めると、いつにのまにや「カキツバタ」が一輪紫の花を開いている。アヤメは母が好んだ花で、拙い句集にその名を付けた。- 初薬師母の思ひかカキツバタ一輪咲きにおり -