ひまわりさんより(11月5日)
熊本に帰った時、私がまだ行ったことがないということで、熊本城を見に行きました。私は、小さなお城は見たことがありましたが、これほど大規模なお城は初めてでした。お城そのものも大きかったのですが、そこへ行く門の大きさにまず驚きました。柱の太さ、門を支える蝶番の大きさに圧倒され、人間のこのような力、能力のすごさを思いました。聖書には、神様のみ心は、あなたがたが清くなることだ、と書かれています。特に、私たちは、聖所の学びの中から、イエス様の再臨前に、私たちの罪が除去されて、神様のご品性を全宇宙に表し、神様の律法の擁護者として立つようにされる、ということがはっきりしてきました。巨大なお城を作る能力を人間にお与えになられた神様は、私たちを、イエス様に似たものへと造り変えて下さらないはずはないと思いました。
ダニエル書に見る南の王と北の方の戦い(デビット・カン講演5)
私にとっては、これは聖書の預言の驚くべき成就とみます。理由を申し上げたいと思いますが、何が問題なのでしょう。経済革命というのがありまして、どなたか英語の聖書を持ってらっしゃる方いますか。皆さんダニエル書11章を開いていただけますか。
「終わりの時になって、南の王は彼と戦います。北の王は、戦車と騎兵と、多くの船をもって、つむじ風のように彼を攻め。国々に入って行って、みなぎりあふれ、通り過ぎるでしょう。彼はまた麗しい国にはいります」(ダニエル書11章40,41節)
11章40節からなんですけど、ここに北の王と南の王の戦いが出てきますね。このダニエル書11章の中で、誰が北の王で、誰が南の王か、皆さん理解しておられますか。この王は、時代や状況によって変えられていくんですけれども、南の王は、現代では社会主義、あるいは無神論なんですね。
11章に書かれている最初の南の王はエジプトでした。エジプト王パロがモーセに向かって、「エホバとは誰か。私はそんな王は知らない」と言いました(出エジプト記5:2)。神様の命令に従うことを拒んで、イスラエルを去らせませんでした。この当時のエジプトの王パロはとてもかたくなな人物だったわけです。後にフランス革命が起こった時に、フランス政府がエジプトに取って代わったわけです。なぜなら、フランス革命によって起こった政府は無神論政府だったからです。ダニエル書11章全体で歴史の2000年もの期間をカバーしています。ですから北の王であれ、南の王であれ、一つの政府が2000年間ずっと同じものであるということはあり得ないわけです。そこで南の王は、かつてはエジプトによって代表されていたんですけれど、後になってフランスに取って変わりました。