ひまわりさんより(11月21日)
弟夫婦と、小さなデイケアと、ヘルパーステーションの共同経営をはじめて20日がたちました。ちょうど働いていたヘルパーさんがやめて、その分の仕事が回ってきたので、大忙しの日が続いています。夫はデイサービスの責任者として、私はヘルパー事業の責任者として働いていますが、ヘルパー事業は、ヘルパーさんが急に都合が悪くなって変更になったりするので、その穴埋めを探すのが大変です。義妹はケアマネージャ―で、弟は、経営責任者という立場で、いろいろアドバイスをしてくれるのですが、どうも、ヘルパーの気持ちに寄り添うような発言ではないので、何か違和感を感じてしまいます。結局それは、実際にヘルパーの仕事をやっていないので、同じ目線で生きているのではないからなのだということに気づきした。妹は、あくまでもケアマネージャーの視線で物事を判断し、決定し、弟は、経営者の見方で物事を見ているのです。私は、現場にいるので、現場の人がよその人の家にはいって行くときの気持ちや、オムツを交換したり、入浴介助や、食事を作ったりするときの気持ちが良くわかるので、その気持ちと、将棋の駒のように人を動かそうとする経営者の気持ちとは違うのだと思いました。これから、その違いをどのように埋めていくのか、課題が出てきたと思いました。そのように思うと、イエス様が、人間として地上に来られ、私たちのすべての体験を(罪を犯すこと以外は)お通りになって、私たちと思いを一つにしてくださるというのは、何とありがたいことだろうと思いました。
人からではなく神様から認めていただく(デビット・カン講演21)
私も、いろんな人から、自分の伝道活動に対して非難を受けたことがあります。あまりそんなものは気になりませんでした。狂信者、極端な人物、と呼ばれたこともありました。完全主義者とか、そういった、ありとあらゆる譴責を受けました。デビット・カンが、ある日酒場から女性と腕を組んで出て来たのを見たぞ、という噂も流されました。私の評判、人格を無きものにしようと、いろんな試みがなされたのです。デビット・カンは金持ちになって、高級マンションに住んで、金の蛇口をひねっているぞ、という噂まで流されました。「伝道活動で、悪質のもうけを自分の懐に入れて大儲けをしているぞ」、いろんな噂を流されました。これは全部嘘ですよ。
私は今でも、あそこにトレーラーがありますよね。ああいった家に住んでいます。私は今まで一戸建ての家を所有したことは一度もありません。でも主にあって、いつも私は幸福です。富とか世的なものに関してはどうでもいいのです。私にとっては・・・。もう、とうの昔に、私は世の中の幸せや、富や名声、地位を放棄しました。毎日毎日、神様から認めていただくだけで、私にとっては十分であります。たくさんの人から、いろいろな非難を受けました。私を意気消沈させようと、いろんな試みがなされました。しかし、気にしませんでした。どうでもいいんです。