ひまわりさんより(11月27日)
私は毎日、夫が管理者をしているデイサービスへ、体操の指導に出かけています。出かけるといっても隣の部屋なのですが、そこでは、まず最初に「笑う健康法」と私が名づけた、とにかく馬鹿笑いをする、おかしくなくても笑う、ということを一緒にやっています。私が大声で、馬鹿笑いをすると、ほとんどの人はつられて笑い出します。中には全然笑わない人もいましたが、今では、「笑う健康法」をやりましょう、と言っただけで皆さん笑い出されます。おかしくなくても笑うことで、皆さんが本当にいい笑顔になっておられるのを見ると、聖書にある「すべての事について、感謝しなさい」(1テサロニケ5:18)というみ言葉は、感謝なことがないから感謝できないというのではなく、感謝なことを一つ一つ数えていくと感謝になっていくのではないかと思いました。
後の雨に備える
品性完成はいつ?(デビット・カン講演1)
これから、「後の雨に備える」という題でお話したいと思います。できるだけ簡潔にこのお話ができるように努めます。あまり詳しく話さないようにしますけれども、旧約聖書ゼカリヤ書第10章1節に、「あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ」とあります。
聖書によりますと、私たちは野の草のようであります。成長して生き続けるためには、雨が必要なのです。聖書の中では神の言葉は雨を表しています。私たちは今、「前の雨」の時代ではなく、「後の雨」の時代に生きているのです。ですから、私たちは今のうちに雨を求めなくてはいけません。では「後の雨」の目的とは何でしょう。皆さんに、このような質問を投げかけてみましょう。
品性の完成というのは、後の雨のもとで実現するものでしょうか。前の雨で実現するものでしょうか。手を上げていただいていいですか。前の雨で品性完成に至ると思う方? 手を上げるのは怖いですか。では、後の雨のもとで品性完成に到達すると思う人は? 皆さんのほとんどは後の雨ですね。
皆さんをちょっとがっかりさせましょう。私たちの品性完成というのは、前の雨のもとで実現されるものなのです。皆さん、後の雨のもとで、と答えられましたけども、それには理由があると思います。後の雨は神の印と関係しているからですね。ですから後の雨だと答えられたのだと思うのです。しかし実際には、品性完成というのは前の雨のもとで実現されます。そして、神の民の品性が完成されたときに、印が押されるわけですね。
そこで、質問が出てきますね。ではクリスチャンの品性完成とは何でしょう