ひまわりさんより(11月10日)
今日の午後、私の信仰の歩みについて、これまでブログに書いたことをまとめみようと思い、夫に手伝ってもらってまとめました。重複するところもありますが、現在までの信仰の証です。長文ですが、お読みいただければ幸いです。デビット・カン先生の講演はお休みとさせていただきます。なお固有名詞は、仮名にしました。ご了承ください。
パンくずの中の宝石 (私の信仰の歩み)
2012年11月10日
どん底からの再スタート
私は、曾祖母の代からのSDAの家庭に生まれ、6000年の歴史のある聖書の教えを聞いて育ちました。小、中、高、看護学校と三育学院で学び、牧師と結婚、3人の子供が生まれました。けれども、私の心の中にあるものは、「私は正しい、あなたはまちがっている」という思いでした。それで、子供たちは、「お母さんの言っている事は正しいけど、心がついていかない」と悲痛な叫びを上げ、その結果、家庭内暴力、自殺未遂、家出、ホームレス、警察沙汰となりました。夫は、私に責められ、牧師をやめ、再就職した会社は倒産、工事現場での警備員をやり、そして別居(3年半)。家計は、教育ローン、住宅ローンで借金地獄、家中の小銭をかき集め、100円の石鹸も買えないほどに。マンションは、人手に渡り、家族離散。自律神経失調症を患い、うつ状態になり、死以外解決の道がない、というところまで追い詰められた時、私の身代わりとなって死んで下さった方(キリスト)がおられることに気づかされました。その時以来、少しずつ私も、家族も変わっていき、今は本当に平安な生活を送らせていただいています。今日は、その私の信仰の歩みについて証をさせていただきます。
私は、生まれる前からSDA教会に育ちましたが、小学生の頃、回りの大人たちや先生たちを見て、なにか本物ではないな、言っていることとやっていることが違うな、という思いを持っていました。それから、高校生の頃には、とても尊敬し、信頼する先生にお会いし影響を受けました。しかし、その後20年ぐらいたって、その先生から電話がかかって来たときには、具合が悪くなって自分の体の事しか考えない、自己愛たっぷりの姿になっておられ、年齢や信仰が進んで行ったら、本当は自己犠牲愛に満ちていなければならないはずなのに、そうではない姿を見せられて、?マークがつきました。
20代の看護学生時代には、聖所の問題について研究しておられるG先生のもとで、学生を集めて修養会を企画したりしましたが、20年後に会った時には、聖所のことについて、全く関心もないような姿で、これはどういうことだろうと思いました。
M園教会との出会い
30代の頃、私は、牧師夫人として、表面は明るく振る舞っていましたが、救いとは何だろう、何を伝道したらいいのだろうと、心の奥ではいつもわからない状態でした。夫がT橋教会の牧師をしていた頃、本当のことが知りたいという思いから、当時霊的だと言われていた、日曜教会の本を読みました。そこで、自分は神様に受け入れられたという思いが与えられ、うれしくなって語らずにはおれない状態になりました。
その後、夫が福音社に勤めるようになった時、宣教師夫人のHヤード先生と知り合いになり、先生の、「何も留保せず、自分のすべてを神様にささげると」いう経験にひかれ、先生と共著の本を自費出版したりしました。
その頃、夫が、M園教会へ招かれ礼拝に行くようになり、帰ってくると、「君と同じような経験をした人たちだよ」と言ってくれたので、興味を持ち、私も時々出席するようになりました。M園教会のM上さんは、「聖書の教えを生活に生かさなければならないこと」、「自己があってはいけないこと」など教えてくださり、これは本物だと思いました。ちょうど当時は、思春期を迎えた3人の子供たちの事で、悩んでいました。特に長女は、私が、「あれはだめ、これはだめ」、と口うるさく言うせいで、私や教会に対して反抗的になり、怒ると、壁を蹴って穴をあけたりしていました。
M園教会では、子供たちが良くしつけられていて、私も子供たちをそんな風にしつけたいと思い、一緒に連れていくようにしました。最初、子供たちは嫌がりましたが、教会の雰囲気や、M上さんの暖かさにひかれ、少しずつ教会へ行くことには抵抗しなくなりました。しかし、教会ではいい子にしているのに、家に帰ると元の反抗的な姿になり、これはもう、時々行ったぐらいではだめだ、本気でM園教会へ行かなければ、これ以上変わりようがないと、思うようになりました。そして、当時F沢教会の牧師をしていた夫を説得して、M園教会の近くのマンションを借りて、そこに引越しすることにしたのです。
引越しの事は、三育学院へ行っている子供たちには話していなかったので、冬休みに教会の牧師館へ帰ってきた子供たちは、引越しの荷物が積み上げられているのを見て、呆然としたと思います。本当に勝手で、子供たちの気持ちに添うことなく、自分がこうと思ったら、回りのことなど考えずに突き進んでいく性質でした。
夫が牧師をしていた時、小、中、高に通っていた子供たちの入学金など教育補助を入れると、700万円の年収がありましたが、牧師を辞め、土曜日が休める仕事となると、なかなか見つからず、夫は、工場の製品管理と、製品のトラック配送の仕事で、月19万円の収入になりました。私は、近くの病院で日勤の仕事をし、朝は3時から起きて、デニーズのウエイトレスの早朝アルバイトや、団子屋さんでアルバイトをしたり、教育ローンを借りて何とか教育費をねん出しました。
M園教会を去る
私たちが、引っ越してM園教会の近くに住むようにすることは、M園教会の人たちには、何も言っていませんでした。突然私たち家族5人が引っ越してきて、教会の人たちは、びっくりされたことと思います。しかし、みなさん暖かく受け入れてくださいました。特に、M上さんは、3人の子供たちが、今まで大きな教会にいたのに、今度は小さな教会になって、寂しくないようにと、自宅の1階を改築して、広い集会室にしてくださるなど、私たちを受け入れるために、本当に大きな犠牲を払って下さいました。
M園教会では、毎日集会が続けられていて、そこでは、聖書の、「まず、神の国と神の義を求めよ」や、「飲むにも食べるにも主の栄光のためにする」こと、「悪い言葉をいっさい口から出してはいけない」に基づき、その具体的なあり方として、『キリストの実物教訓』にある、「言葉の正しい使い方」「感化」「時間を無駄にせず、何でもすばやく丁寧にやる」ことなど、実際にやりながら、身に着くように教えられました。「笑顔」や、「まっすぐな姿勢」、「集会中黙っていてはいけない」など、証の書の教えをその通りに実行するように教えられました。私は、そうしたことの多くは、父のしつけで出来ていると思っていたのですが、M園教会では、その人の本質が現されるのか、私の自我の醜さ、わがまま、勝手、悔いのなさが浮き彫りにされていきました。
私は、M園教会の人たちの信仰と、自分の信仰は同じ、いや、自分が上を行っているぐらいに思っていたのですが、実際に一緒に生活してみると、自分の自己犠牲のなさ、自分中心がいやというほど、知らされることになりました。そして、自分が日曜教会の人の本を読んで体験した救いの喜びは、自分の根本の罪と向き合うこともなく、他人を変化させる力もない、実は軽い浮かれた経験だったことがはっきりしてきました。
その後何年もM園教会で過ごしましたが、教会で、「悔い改めの大切さ」「謙遜の大切さ」を教えられても、それは聖霊の業であって、自分の力ではではできないこともわかりました。自分ではできないのに、そのことは、クリスチャンの基本ですから、それができていないと、M園教会では、椅子に座った瞬間に、その人の本性が顔に現れてしまうのです。暗い人は暗い顔に、自己愛の人は自己愛の顔に、傲慢な人は傲慢さが、顔から全身から発散するのです。ある時、SDA教会の人が初めて教会を訪ねてこられましたが、その人が、ドアを開けて中へ入ってきた途端に、「私を愛してほしい」という顔つきになられ、びっくりしたことがありました。そのように、M園教会では、その人の支配されている霊が、聖霊なのか、悪霊なのか、顔や、言葉や、態度に表されてしまいます。そして、私も、どんなにいい子ぶっていても、私の本質は、聖霊によって生まれ変わっていない、悪霊そのものだということが分かってきました。でも、その頃の私は、どうやったらその悪霊の支配から抜け出せるのか、どうしたら謙遜な心、悔いた心になれるのか、わかりませんでした。
ある時、ちょうど三育学院のT原先生が、教会に来ておられた時、教会の一人の青年が、隠れて何か悪いことをやったことが分かり、水上さんはその人の頬を思いっきり打たれたのです。それは、当時70歳近くで、がんで内臓のほとんどは手術で切り取ってしまった女性の力とは思えない、すさまじいばかりのパワーでした。その瞬間、その青年は、表情が見違えるほど明るくなり、その後、信仰の証が次から次へと出てくるようになったのです。T原先生はその変化にとても驚かれ感動しておられました。その青年の悪霊が、一気に去っていってしまったように思われました。その青年の証は、半年ほど続きましたが、また、もとにもどり、やがて教会を去っていきました。一時的に去った悪霊は、それとの戦い方や、常に謙遜な心を持つ方法が分からないと、また戻ってきて、再びその人を支配してしまうように思います。
私は、相変わらず、悔い改めが分からない、謙遜が分からない、という状態で、教会では証もなく、暗い顔でいるだけでした。そして、とうとう、こんな状態で教会にいても、子供たちや教会に迷惑をかけるだけだ、教会を出て行こうと決心し、誰にも何も言わずに、小さな身の回りの品物だけを持って、教会を去っていきました。その時私は、『どうせ悔い改めていない自分は、滅びるしかない。滅びるのだったら、せめて、年を取った両親の介護でもして、安らかに見送ってあげよう』と思って、千葉の両親の家に行きました。両親は、突然私が家族を捨ててやってきたので驚いていました。そして、家にいることはゆるしてくれたのですが、いろいろ人に聞かれると説明が難しいので、教会には行かずに家でじっとしているように言いました。私は、できるだけ教会の人には会わないようにして、近くの老人保健施設に勤めるようになり、両親の家の片づけなどをしたりしていました。
もう一度真理に目が向けられる
ある夜の事です。ふとテレビをつけたら、聖路加国際病院の、日野原重明先生が出ておられました。ちょうどその2,3日前に、母が、「日野原先生は、SDAのY形先生の知人で・・・」、などと話していたので、興味を持って聞いていました。その中で先生が、『長生きの秘訣は、ミステイクを償うことです』と言っておられました。私はそれを聞いて、自分が今までやって来た事は全部間違ってしまった、やって来たことは取り返しがつかないけど、ミステイクを償うという生き方だったら、自分にもできるかもしれないと思いました。真っ暗な心に一筋の光が差し込んだような思いでした。そして、「もう一度聖書を、最初から勉強してみよう」、と思ったのです。それから、近くのK風台教会へ出席するようになりました。
その頃、夫も宮園教会を出たことを知り、それなら、一緒に住む方がいいと思っていたら、両親の家のすぐそばに、2階建ての家具付きの立派な家が借りられることになり、夫と住むことができるようになりました。またその頃、たまたま、当時三育学院に勤めておられた、Tさんと知り合いになり、Tさんが翻訳された『福音の解体新書』を紹介され、読んでみました。この本は、三育学院の、T橋先生が、かなり厳しい評価をしておられ、『牧羊』誌に何ページにもわたって批判が書いてあり、その批判の文を辻さんが渡してくれたので、こんなに批判されても、一生懸命何かを伝えようとしておられるものは何だろうと思って、逆に読む気になりました。批判の内容は、『日本人にわかりやすい』という副題がよくないとか、文章が横書きになっているのがおかしい、というようなことぐらいしか私にはわかりませんでしたが・・・。
今まで私は、救いの確証ということが分からず、救われているような、いないようなあやふやなものでした。時々、外国人の宣教師の人が、「あなたは救われていますか。救われている人は手をあげてください!」などと言うと、どちらかわからず、手をあげたりおろしたりしていました。『福音の解体新書』を読んで、福音には、主観的福音と、客観的福音の2面があり、客観的福音では、イエス様が死んでくださったという動かされない事実があること、それを体験していって品性が変えられていく(主観的福音)のですが、まだ品性の改変を体験していなくても、イエス様の救いは、信仰によって「望んでいることを確信し、まだ見ていない事実を確認すること」だということが分かって、心に大きな平安が与えられました。
また、宮園教会で教えられ、聖書も証の書も強調している、「自己放棄」「自我に死ぬこと」は、自分にはどうやってもできない、もうだめだと思っていたのですが、その時、「だからイエス様が代わりに死んで下さったのだ」という思いが与えられました。それを知った時には、ありがたくてありがたくて、涙がとまりませんでした。でも私は、今までにもいろんな体験をしているので、自分の体験が本当のものか悪霊なのか、全く信じられませんでした。それで、もしかしたら、感情的なものかもしれないと思って、3年ほどは誰にも話しませんでした。しかし、3年たっても、この感謝の思いはなくなることはありませんでした。「イエス様が私の代わりに死んでくださった」ということが心に受け入れられた時から、今まで良くわからなかった聖書のみ言葉や、証の書の言葉が、今までと全く別のものを読んでいるかのように心に入ってきて、感謝と感動で一杯になりました。
それから、この大きな恵みにどうやって答えていったらいいのだろうと思っていた時、沖縄の「サンライズ・ミニストリー」で出版しているいろいろな本を読み、セブンスデーアドベンチストだけに託されている特別な尊い使命があるということに目が開かれ始めました。またその頃、母の勧めで、韓国の先生が出された『女の一生』というDVDを見ました。全巻を一晩で見て、「聖書の預言は必ず実現するんだ。SDAは預言の民なんだ」ということを確信しました。そして、このメッセージを一人でも多くの人に伝えたいと思い、K風台教会の二階の、三畳ぐらいの部屋を借りて、安息日の午後、ビデオを見る会を始めました。最初は夫と二人だけでしたが、そのうちに、信仰歴の長い人たちが来られるようになり、多い時には十名の人たちが集まるようになりました。教会の中には、「あの集会には出ない方がいい。危険だ」という人もいましたが、日本よりはるかに熱心で、信徒数も多い韓国のSDAの先生が話しておられるもののどこが危険なのか、不思議でした。預言の勉強を危険視する態度が、現在の日本のSDAの弱体化の原因の一つとも思えました。
また、K風台教会のK湊さんの紹介で、「サンライズ・ミニストリー」で出している、デビット・カン先生のCDを聞いて、「これだ!」と思いました。今まで自分が学んだことや、わからなかったことが、きちんと整理されていきました。自分がなぜSDAなのか、SDAの持っている真理とは何なのか、そして、SDAとして、これからどう生きていったらいいのか、ということがはっきりしてきました。同時に、なぜかこの真理は、多くの人が好むものではないこともわかり、公に伝えることは難しくなり、それでも語らざるを得なくなり、今は、毎日ブログで紹介させていただいています。
聖所に目が開かれる
しばらく前のことですが、K風台教会の、受付テーブルの中を片づけていました。古い週報や色んな書類の中から、いらないものを処分していると、ふっと、私の掌に小さな葉書が乗っかったのです。何だろうと思ってよく見ると、それは、聖句の書かれた葉書でした。そこには、「誉と威厳とはそのみ前にあり 力と喜びとはその聖所にある 」(歴代誌上16:27)が書かれてありました。もう、ほんとにびっくりしました。デビット・カン先生の講演で、先生がとても強調しておられるのが、この聖所の問題だったからです。聖所は、旧約聖書の時代に、イエス様の十字架の恵み、罪の許しと、罪からの救いを教える、実物教訓でした。このことがあってから、私ももっともっと聖所について学んでいかなければいけないと思うようになり、学んでいくと、本当に、聖所のメッセージこそ、聖書の中心、イエス様の贖いのみわざの完全なモデルであることが分かってきました。
では具体的に、なぜSDAなのか、SDAの持っている真理とは何なのかについて、私の理解している所を紹介させていただきます。
なぜSDAなのか:それは聖所の理解にあります。聖所を通して私たちは、神様がこの世界にある罪をどう処理なさるかが分かります。まず聖所の外庭で、イエス様の贖いの功績を理解し、罪を告白して、自己を祭壇にささげる経験をします。それから、祭司として、聖所に入っていき、イエス様の信仰を学び、罪をおかせなくなる、つまり、み言葉がその人の心に宿るという体験をします。次に、至聖所に入って、罪を除去され、罪の記憶さえも取り去られるという経験をします。そのような人たちは、生きてイエス様を迎える人たちで、その人たちを迎えるためにキリストは再臨されるのです。その祝福された人たちがSDA(組織ではなく霊的な残りの民という意味で)なのだと、私は理解しています。また、ほとんどの日曜教会は、外庭の経験で終わってしまっていて、聖所の中の経験について十分知らされていないのではないかと思っていますが、どうなのでしょうか。
多くの日曜教会では、イエス様の十字架の出来事は、完全であって、これで十分だ、と教えられているそうです。それは聖所の働きの中の、外庭の経験であって、その後、聖所の中へ入る経験、そして、恥じるところなく律法の前に立つことができるようにされる経験が必要なのです。
SDAの持っている真理とは: こうしたことに気づかされた私は、現在のSDAで、なぜこうしたことについて語られないのか、SDAの教えはどうなっているのか知りたいと思い、平成23年に行われた、信徒伝道者養成講座に参加し、SDAの先生方の教えをじっくり学ぶことができました。そして、SDAの教えが、ある時から、証の書の教えと違う方向へ行ったのではないかと思うようになりました。
私は、福音とは、「イエス様の受肉」そのものであると思います。それは、神の御子であられる方が全く人間の姿を取り、この世に来られることによって、罪に落ちた人間が、罪に勝利し、再び神の子となるという回復のメッセージです。そこでは、イエス様が、全く罪に落ちた人間と同じ姿になられたことが大切であり、証の書には、イエス様は、堕落したアダムと同じ性質を取られた、と書かれています。「ところがイエスは、人類が4千年にわたる罪によって弱くなっていた時に人性をおとりになったのである。アダムのすべての子らと同じように、イエスは遺伝という大法則の作用の結果をお受けになった」(『各時代の希望上巻p35』)「4千年間にわたって、人類は体力も知力も道徳価値も低下していた。しかもキリストは退歩した人類の弱さを身につけられた。こうすることによってのみキリストは人類を堕落の一番深い底から救うことがおできになるのであった」(『各時代の希望上巻p124』)
ところが、養成講座の中である先生が、「人間は、罪によってゆがめられているので、本当の人間ではない。そして、アダム、エバ、イエス様以外には父母がいるので、この三者は区別された人間」であると言われました。また、「イエス様の人性は、再臨前の人が到達する人性ではない」と言われました。それでは、イエス様は、「堕落前のアダムの立場を取られたのであり、堕落後のアダムの立場ではなかった」、ということになってしまいます。もちろんイエス様は、聖霊によってみごもられたのであり、その点では、人間とは違うのですが、人間は、聖霊によって新たにされることによって、イエス様と同じ立場に立つことができるのです。そして、イエス様が、罪の遺伝の法則や、肉の弱さの中で、神様に祈り、罪と戦って勝利されたように、私たちも、聖霊によって新たにされた心により、罪の肉の中で罪に勝利することができるようにされるのです。これが福音であり、イエス様が受肉された理由なのだと思います。「イエス様の人性と再臨前の人間の性質は違う」、と言ってしまうことによって、私たちは、イエス様のようになることはできない、罪に勝利することはできない、だから十字架にすがるんだ、という言い方しかできなくなってしまうのではないかと思います。そうすると、律法に従うことも、安息日を守ることもできなくなり、都合がよければ守るけど、都合が悪くなれば、平気で安息日を破ってしまう、現在のSDAの状態になったのではないかと思います。
物見の塔は、イエス様の神性を否定していますが、現在のSDAはイエス様の人性を否定していると私には思えます。イエス様の中に、神性と人性が見事に調和しているというのが、本当の福音なのではないでしょうか。
三天使の使命の意味
また、SDA教会が、世界に宣べ伝えるべき使命の一つは、黙示録14章にある、三天使の使命です。「わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った。『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め』。私は、以前にはこの聖句の、「さばきの時がきた」、というところを見ると、怖いと思っていました。今は、三天使の使命とは、生きてイエス様をお迎えする神の民の励ましのために書かれたのだということが、だんだんわかってきました。まず、「神を恐れる」とは、神様に従う動機が愛になること、「神に栄光を帰す」とは、神様のご品性をあらわすものになっていくこと。そのような人は、特に、日曜休業令が出されたときに、何の恐れもなく「天と地と海と水の源とを造られたかたを伏し拝む」、という経験をするのだと思います。日曜休業令が出された時の試練、苦難は、言葉に表現できないほどのものであるため、神様は、『恐れるな、バビロンは必ず倒れる。獣と獣の像とを拝んで,額や手に刻印を受けたものは、火と硫黄とで苦しめられる』と第二、第三天使が語ってくれるのです。必ず悪は滅びる。だから、「神様の戒めを守り、イエスを信じる信仰」を忍耐して持ち続けていってほしい」という神さまの愛のメッセージでした。
まとめとして
1、M園教会を通して、自分には「自己に死ぬことも、戒めに従うこともできない」「もうだめだ」というところに行きつき、その時に、福音を理解することができ、イエス様にお会いする経験に導いていただきました。もしそれがなかったら、私は真理のある教会に生まれ、育ち、学んだのに、真理を体験することはできませんでした。
2、今まで、何か感動的な体験をしても、何かあるとすぐに砂のようにそれが消えてしまい、もとに戻ってしまう、その繰り返しでしたが、聖所の真理に出会ってから、み言葉を土台にしてものごとをとらえることができるように、だんだんなってきて、上がったり下がったりがなくなりました。
3、M園教会では、ヘブル書の「はばかることなく聖所にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり・・・みまえに近づ」(ヘブル10:19)くということを、繰り返し教えてくださっていましたが、そのことがぜんぜんわかっていませんでした。今思うとそれは、イエス様の、天の至聖所での、聖所の清めの働き(『各時代の大争闘』では最後のあがないの働き、罪の除去の働き、と書かれています)に、この地上で信仰によって協力していくという経験の事でした。それは、SDAの使命そのものなのですが、その経験へ入るには、まず、聖所の第一の部屋の経験である、清めの経験(み言葉に生きる、み言葉を生活に生かす)という経験をしていなければなりません。そのことを、具体的に教えてくださっていたのだということがよくわかってきました。
4、M園教会では、聖所のレベルの事が教えられていたのですが、聖所で言うと、私はまだ、聖所の外庭の経験(聖霊による罪の悔い改め、聖霊による生まれ変わり)もしていなかったので、教えが心に入らず、「み言葉を実行します。やります」と言っても、空回りをするだけだったのです。
5、外庭の経験以前と、以後では、何が違うかというと、それは動機が違っていました。以前は、み言葉に従うと言っても、義務感であり、滅びたくないから、天国に行きたいからという思いでした。以後は、感謝の心から従いたいと思うようになってきました。
6、動機が変えられないまま、いくらみ言葉に従おうとしても、従うことはできません。従っているようにみえても、結局、人を裁いたり、自己満足になったり、失敗すると自己嫌悪に陥り、落ち込むだけです。
7、動機を変えていただくと、それは、不変の真理に根差しているので、上がったり下がったりしません。失敗すること、反省することはありますが、いつも心は、海の底のように静かで、感謝の思いがあります。 ≪ 終わり ≫