ひまわりさんより(11月20日)
神学校へ行っている息子が、興味深いことを言っていました。それは、黙示録14章に出てくる144、000人の生きてイエス様を迎える人々の特徴の事です。彼らは、「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く」(14章4節)とあります。普通にはこれは、イエス様の苦難の道を歩んでいく、という意味のことだと思いますが、息子は最近、聖所の研究をしており、その研究を通して、イエス様は今、何処に居られるかというと、天の至聖所に居られるのです。144,400の人々が、「イエス様の行かれるところへはどこへでもついて行く」のだとすれば、その人々は、天の至聖所にまでついて行かなければならないのです。恵みの御座であり、さばきの座でもある至聖所の、契約の箱の前に、「まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づ」(ヘブル10:22)くという経験が必要なのです。そして、私たちの経験として、至聖所に入るということは、み言葉がその人の体験になり、その人がもう罪を犯せなくなるということだと思います(1ヨハネ3:9参照)。
ヨブの忍耐を学ぶ(デビット・カン講演20)
終末において、七つの災害の最初の災害が「できもの」ですね(黙示録16:2)。ヨブはあたかも神様から見放されたような状態に追いやられました。そしてヨブが灰の上に座っていた時に、彼の妻が彼のところにやってきて、「あなたは神様を呪って死になさい」と言いました。ヨブにとって、これは本当に苦しい状態でした。皆さんだったら、あのような状態に置かれて、どのようになされるでしょうか。
聖徒たちが「ヤコブの悩み」に投げ入れられるという意味、皆さん理解しておられますか。どんな状態に陥っていくのか、私たちにはわかっていません。ただヨブの忍耐を学ぶ必要があるのです。神様に対する愛を、しっかり持つ必要があります。