ひまわりさんより(11月24日)
今日の安息日は、I集会所へ出かけました。ちょうどこの日の礼拝は、古くからの知り合いのM先生でした。先生は81歳ということでしたが、とてもお元気そうで、いつも飾らない謙虚な姿勢で、多くの人から慕われている方です。私は、5年ほど前、信仰が分からなくなり、自分がすごくみじめな状態の時、この先生の、「ほのぐらい灯心を消すことなく」という説教を聞いて、とても感動したことを覚えています。その時の自分は、本当に「傷ついた葦」今にも消えそうなともし火でしたが、そこから少し光がさしてきたように思いました。そして今日、久しぶりに先生のメッセージを聞きました。今日のお話しは、「置かれたところで咲きなさい」というテーマで、人生にはいろいろな境遇が与えられるけれども、イエス様の力によって花を咲かせていきましょう。そして、どうしても花が咲かない時には、根っこを伸ばしていきましょうというメッセージでした。今日のメッセージも、自分の今の状況にピッタリで、今は私にとっては、根っこを伸ばしていく時期で、やがて、イエス様の品性という花を咲かせていきたいと思いました。
それでも私は神様を讃えます(デビット・カン講演24)
3年前のことですけれど、感謝祭の日に、車を運転していました。クリスチャンのラジオ番組を聞いていましたが、あるクリスチャンの女性が証をしていました。彼女は日曜教会に属する人でした。そして彼女は、「私の夫は、ある詐欺の罪名で疑いをかけられて、投獄されてしまいました」と言うのです。「それでも私は神様の御名を讃えます」、と言いました。まあ、そんなことが言えるのは感謝祭の日だからかなあ、と私は思いました。それから彼女は次のように言ったのです。「私の17才の息子が2週間前に自殺してしまいました。それでも私は神様を讃え、神様に感謝するものです」と言いました。聞いていて信じられませんでした。息子が自殺したのに、なおも神様を讃えるということは、どういうことだろう。感動し感銘を受けました。
それから続けて、このように言いました。「私はガンにかかっていて、もう治らないと言われ、ガンの第3段階の状態にあります。そして医者からは、あと6ヶ月しか生きられない、と言われました。それでも神様に感謝して、神様のみ名を讃えます」。
私は、本当にもうびっくりして、倒れそうになりました。そして深い感銘を受けました。SDAの信者ではありません。しかし、驚くべき信者さんです。そして彼女は、このように言いました。「私が天国に行く時に、今よりもっともっと、神様を讃え、神様を賛美していることでしょう。私の主人も、私の息子もそこにいないかもしれないけれど・・・。なぜなら、天国に行ったら、神様がどれほど一生懸命私の家族を救おうとされたかということが明らかになるからです。だから神様の側に非はありません。私たちの側に非があるわけです。ですから神様が私の家族を救おうと、どれほど懸命に働かれたかということを私がもっと知るようになる時、私の心はさらに感謝の念に満たされ、神様のみ名を讃えることでしょう」。