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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 187

2014年05月10日 | 日記

   

 福音の力を体験せよ 187

“すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。”(ロ-マ9:8) 

これは、肉に生まれた子供が神の子なのではなく、約束の子だけが〔アブラハムの〕子孫とみなされるということです。つまり、聖霊に満たされた人たちだけが、神の息子、娘であります!そのような人たちだけが、キリストと今、関係を結んでいるのです。そのような人たちだけが、イエス様のように勝つことができます。イエス様は彼らより特別なものを持っておられたのではなく、むしろ私たちの想像以上に、多くの試練にあわれたのでした。

“イエスによって、堕落したアダムの子孫たちは、「神の子」となる。「実に、きよめるかたも、きよめられる者たちも、皆ひとりのかたから出ている。それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない」(ヘブル2:11)。”(GC477)

 

   霊とまことの礼拝 10

ところで聖書を見てみますと、そういう私たちの姿、それを肉だと言っています。今度はコリント人への第一の手紙2章14節から3章までを読んでみたいと思います。ここに実は、人間には3種類の人がいると、教えられています。

コリント人への手紙2章14節から、「生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。『だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか』。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている」。3章、「兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか」。