福音の力を体験せよ 195
天使たちは、反逆する人たちが死なないように保護することができます。それは悪人たちにも、悔い改めて神様に立ち返る機会を得させるためです。まだ望みがある限り、神様は、彼らを滅亡から守ってくださるのです。
もし神様がそうなさらなかったとしたら、この世の大多数の人たちが、直ちに滅びることでしょう。それでは私たちは、罪を犯し続けている間、救われた状態にいるのでしょうか?イエス様が私たちのために、切なるうめきをもって天父に祈っておられるとしても、私たちは救われた状態にいるのではありません。
“倒れず前進するために、全能の力を持つみ手が我々を支え、たとえ倒れたとしても、無限の憐れみが我々に向かって行使されるとの確信を持たなければならない。”(SD154)
ある意味でクリスチャンは、地上を歩く人たちではありません。クリスチャンは、水の上を歩く人たちです。私たちは、絶えず信仰によって歩くのです。すべての歩みにおいて、神の御手の支えが必要です。自分の力で、水の上を歩くことはできないのですから。
霊とまことの礼拝 18
今までは、十戒はあっても、それは人間の努力目標であって、人間は誰もこれを完全に守ることは出来ないのだと思っていました。でもそうではなくて、これは私たちが日々に従う事が出来るものです。そしてイエス様がこの地上に来られたのは、このことを私たちに模範として、手本として示すためでした。神様の戒めに調和する品性を表す人たち、そのような人たちによる礼拝を、神様は今求めていらっしゃいます。次の文章をお読みしたいと思います。
「聖霊は我々に、生活の中に義を現わす事を教える、われわれの世界においてなされえる最大の仕事はキリストの品性にあって生きることにより、主に栄光を帰することである。神は自己に死ぬものだけを完全にされ、これを喜んでする者は、『生きているのはもはや私ではない、キリストが私の内におられるのである』と言う事が出来る」(原稿・スタディバイブルより)。
イエス様の御言葉を中心に、御言葉に従って歩む時に、「生きているのはもはや私ではない」と言えるのです。これは決して難しい経験ではなくて、ただ過去の自分を捨てて、日々イエス様と共に生きるという事です。過去に私はあんなことをした、あんなことがあった、こんな失敗があった、こんな悔しい事があった、そういう過去にとらわれずに、新しい命を頂いた者として、新しく再創造された者として生きる事が出来るという事です。そして、自分にとらわれないで御言葉を中心にして生きるという事です。イエス様が生きておられるというのは、御言葉によって生きるという事です。御言葉に教えられていることを第一にしていく、そういう経験、それが私たちの内にしっかりと根付いていくという事です。