福音の力を体験せよ 200
“あなたは罪の中に陥っているだろうか?そうであれば、憐れみと赦しを神に求めなさい。罪人のために、恵みが今でも提供されている。我々を後退させたすべてのものから立ち去るようにと、イエスは我々を呼んでおられる。もし我々が、聖霊の訴えの声に耳を傾けるなら、神の祝福を受けるであろう。”
“もしあなたがたが主に立ち返るならば、あなたがたの兄弟および子供は、これを捕えていった者の前にあわれみを得て、この国に帰ることができるでしょう。あなたがたの神、主は恵みあり、あわれみある方であられるゆえ、あなたがたが彼にたち返るならば、顔をあなたがたにそむけられることはありません。”(歴代志下30:9)
“あなたが罪の中にとどまっている限り、あなたはサタンの領土内にいるのである。もしもあなたが病んで、悔い改めずに死ぬならば、滅亡があなたを待っているであろう。”(RH1889,12,24)
霊とまことの礼拝 23
人間の本質ということについて、人間は、「自分の出世のためには、他人を邪魔者にするか、踏み台にするのが人間の性質だ」、と言われています。他人を見た時に、相手を自分のための邪魔者とするか、それともその人を踏み台にしてのし上がっていこうとするか、そういう精神は人間の罪の性質の現れなのです。人を見た時に、その人が自分より上なのか下なのか判断する、上だったら邪魔者にする、下だったら踏み台にする、こうやって、人間は人と自分を比べながら生きているのです。結局、自己主張、自己至上主義、こういうものの中で生きていくのですね。この性質が、イエス様によって砕かれて、そして罪が放棄させられて、心が新しくされて、聖霊に満たされた時、心の中は穏やかにされます。神様が、私たちの心に平和を下さるのです。私たちと神様の間に平和が訪れます。私たちと人々の間に平和が訪れるのです。その時から、この地上に天国が始まって、そしてそのような人たちが、共に集まり、礼拝を捧げる所、それが教会であり、それが「霊とまこと」の礼拝です。このような礼拝が行われることを、今神様が求めておられるのです。私たち一人一人に、このような礼拝を捧げてほしいと、神様は願っていらっしゃいます。私たちがそのような礼拝を捧げる教会となることが出来ますようにお祈りしたいと思います。
お祈りいたします。天の恵み深い神様、神様は私たちの、命と健康とすべての必要を満たしてくださいました。さらに私たちが、まことの礼拝をする者となることが出来る道を開いてくださいました。肉と偽りに満ちた礼拝ではなくて、聖霊に満たされ、真理にあふれた真心からの礼拝を捧げる者となることが出来ますように、私達をお導き下さい。私たちの心から罪を取り除いてくださり、御言葉によって生きる事が出来ますようにお助けください。一歩一歩神様が導いて下さり、この地上において、まことの礼拝を捧げる教会が現れますよう、どうぞお助けください。そしてその中に、ここに参加しておられるお一人お一人、このメッセージを読まれる方が、入ることが出来ますようにお助けください。そのようにして下さる神様の導きを心より感謝して、救い主、主イエス・キリストの御名を通してお祈りいたします。アーメン