福音の力を体験せよ 193
もしも私たちが、互いの争いをやめ、神様をさらに信頼するならば、めざましい勝利にあずかることでしょう。私たちも、自分たちの敵を愛するようになります。自らに不当な仕打ちをする人たちに対して、善行のお返しをするようになります。誘惑にあって苦難を受ける覚悟さえあるならば、私たちも、イエス様が得られたすべての助けを得ることでしょう。
では、皆さんが倒れたときは、どうしますか?倒れるとは、どのような状態ですか?もしも倒れてしまったら、何をしなければなりませんか?
“わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。”(Ⅰヨハネ2:1,2)
霊とまことの礼拝 16
最近聞いた話しでは、ある教会で、3回教会を休んだら、教会の長老さんたちが何人かやってきて、厳しく叱責をしたそうです。そういう教会もあるという事ですけれど、本当に教会に出たい、神様を礼拝したいという、そういう思いがないまま、教会に行き続けても、いずれは嫌になってしまうのです。義務感や、あるいは規則にしばられて行っていても、長続きはしないし、まして、霊とまことの礼拝にはなって行かないですね。私たちの心が本当に神様によって新たにされて、「あぁ、この神様をたたえずにはおれない、この私を創りかえて下さった、私に新しい命を与えてくださった、この神様をたたえずにはおられない」という、そのような人がいっぱい集まっていると、聖霊様が豊かに豊かに臨在してくださって、心が一つにされて、そこに賛美があって、祈りがあって・・・、そういう所なら誰しも行きたくなりますね。
そのような教会には、1分でも1秒でも早く行きたい、そして教会には出来るだけ長く留まっていたい、もうどうしても帰らなければいけない時には、あぁ、教会から離れるのは嫌だーと、そういう思いになるような教会、それが霊とまことの礼拝をする教会だと思います。教会は出来るだけギリギリに行って、教会からは出来るだけ早く帰り、帰ったらあれをやって、これやって、食事を作って・・・。もう本当に、この神様を礼拝するのがすべてのすべてではなくて、教会は仕方が無いから行くとか、義務だから行くとか、言われるから行くとか、そういうものになっていってしまったら、それは、長続きはしませんし、たとえ、続いたとしても、最後になったら「あなたは知らない」と言われてしまうのではないでしょうか。今私たちは、本当にこの「霊とまことの礼」拝をする教会を目指していきたいと思います。そしてそれには、「聖霊が指摘されるいっさいの罪を放棄する」ことにかかっているのです。