福音の力を体験せよ 198
この事を忘れないでください。イエス様は、皆さんの心の王座を、サタンと仲良く分け合うことはおできになりません。もしもサタンに屈服すれば、イエス様におできになるのは、外から心の扉をたたき続けることだけです。皆さんがイエス様に立ち返り、回復される心の準備ができるまで、忍耐強く待たれるのです。
“神は、我々の罪のために我々をあきらめたりなさらない。我々は失敗をして、聖霊を悲しませることがあるかもしれないが、我々が悔い改め、悔恨の念を抱いてみもとにくるとき、神が我々にそっぽを向かれることはない。除去されるべき障害物がある。悪感情が抱かれ、誇りや自惚れ、いら立ちや不平が居座ってきて、これらすべてのものが、我々を神から分離させるのである。罪は告白されねばならない。また心の内には、さらに深い恵みの働きがなければならない。”(FW35)
霊と間元の礼拝 21
私たちの自我に触れるような事が起きた時に、たとえばひどい事を言われて、あぁ、あの人にもう会いたくないとか、あぁ、あの人には仕返しをしてやりたいとか、そういう時に聖書の御言葉は「敵を愛しなさい、ゆるしなさい」とあるので、「神様、私にはゆるす力はないし、愛する力はありませんけど、その心を与えて下さい」、と祈る時に、神様はその心を与えて下んですね。そうするとイエス様が、御言葉として私たちの内に入ってくださる、これがイエス様と食を共にするという経験なんですね。私たちはそういう意味では、毎日、毎日、イエス様が心の戸を叩かれる、そういう音を聞くことが出来るわけです。日々のいろんな出来事の中で、聖書に反する思いや、聖書に反する行いが起きてきそうになる、その時に、あぁ、これは聖書に反する思いだ、聖書に反する行為だと思って、それを捨てて、御言葉によって生きるという事を行っていくならば、イエス様に対して心を開いて、イエス様を心に宿すという経験になっていくんですね。