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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されることがあるのか 第42回

2014年12月01日 | 日記

    

救いは取り消されることがあるのか 第42回

先ほど紹介した例話を、間違って理解することがないように、もう少し詳細に説明したいと思います。救助を受けるために、彼が縄をしっかりつかんでいなければばらなかったことは、私たちが私たちの行為によって救いを獲得しなければならないという意味でしょうか?絶対に違います。彼は縄を自ら作ることができません。ただ舟から投げられた縄をつかんでいただけのことです。そして、彼自身の力によらず他の力によって引かれて行った事実を覚えてください。彼は単にその力に協力しただけでした。彼がしたことは、ただ縄をつかんでいることだけでした。彼が安全に引かれていくためにはそのようにしなければなりませんでした。

縄をつかむということは、クリスチャンとして私たちがキリストに対する信仰を告白して、そのお方に引き続き従っていくことを表します。そのお方にしっかりつながり、従順の実を結ばなければなりません。それがキリストに従う私たちの果たすべき役割です。キリストは、決して私たちを追い払うことをなさいません。そのお方から私たちを分離させる方法はただ一つ、それは、私たち自身がそのお方から離れ去ってしまうことです。私たちには、それが可能な、自由意志と選択権が与えられています。私たちがクリスチャンになったからといって、私たちの自由意志がなくなるわけではありません。

私たちがクリスチャンとして生活している間に、私たちはいつでも昔に戻ることを決心して、天国と天の事物の代わりに、この世の事物を選択することができます。私たちは、イエス・キリストを私たちの救い主として信じる信仰を通してのみ救われます。「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝4:12)。

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そして、私がこの罪から抜け出そうとしても、いくら頑張ってもイエス様は理解して下さらないことになります。私の叫びと、私の絶望を、イエス様は理解できないということです。キリストを礼拝するたくさんの人たちが、そういうキリストを礼拝しています。それは、聖書が教えるキリストではありません。イエス様は私たちと全く同じ立場をとられたのです。私たちと同じように悩まれたイエス・キリスト、この方は、神様としての力を無にして、この地上にこられました。そして、私たちが歩んできた道を同じように歩まれました。

私たちが、罪と戦うのと同じ力によって、イエス様も罪と戦い勝利されたのです。だからこそイエス・キリストは、今私が抱えている問題を、同じように理解して下さるのです。『へブル人への手紙』2章14節には、

「子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし」(へブル人への手紙2:14)とあります。皆さんも私も、血と肉とに共にあずかっています。それは正しいですね?そうしたら、イエス様はどうですか?ここには「イエスもまた同様に」と言われています。イエス様も、私たちと同じということです。これはイエス様も、私たちと同じ肉体をとってこられたという意味ですね。私が言う肉体とは、ただの、目、鼻、口、外見などの、こういう形ではありません。私たちの本性、罪に引っぱられ、惑わされていく、どうしようもない、その罪の本性です。聖書では、肉体、肉、血、すべて同じことを言っています。