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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は生きておられる 第11回

2014年12月13日 | 日記

     

主は生きておられる 第11回

「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」(ヨハネ24:6)

真理というのは、それをはっきり悟るまでは、その人にとって真理ではありません。そして、知識、知ったということは真理ではありません。その真理が私たちの心に根付いて、それがそのまま生活に表された時、はじめて真理になるのです。イエス様が復活されたということを、知識として、情報として知っていたとしても、今自分に助けを与えて下さる生きた方として知っていなければ、イエス様の墓を訪ねて行っているようなものなのです。

キリストは、黙示録1章9節によれば、「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者」(黙示録1:9)と表現されています。昔いまし、つまり十字架のキリスト、やがてきたるべき者、つまり再臨のキリスト、しかし、キリストは、よみがえられた方であり、「今います」方なのです。キリストは、今私たちと共にいて下さる神様です。今生きて、私たちを罪の力から救い出して下さる力強い神様です。

  これが真の福音です 第26回  

使徒パウロは言いました。「わたしは日々死んでいるのである」(1コリント15:31)。パウロは、毎日、毎日死んだのです。なぜ死ぬのですか。何に死ぬのですか。使徒パウロは、自分の肉、肉の中にある本性といつも戦って、自分を殺すという意味で死んだのです。使徒パウロは、毎日戦いました。誰が死んだのですか。使徒パウロの自我が死にました。それで使徒パウロは、毎日、勝利の経験をしながら生きていました。私たちも同じです。私たちも、そうしなければなりません。私たちは、生まれ変わったら、誘惑がないと思うかもしれませんが、誘惑はイエス様にも襲ってきました。イエス様も同じ誘惑と試練にあわれたのです。しかし、イエス様はそれに屈服されませんでした。

そこで、イエス様に勝てなかったサタンは訴えます。「イエス様は人間と全く違う肉体で来られたではないか。もっと、有利な条件で来られたから勝利することができたのだ」と。“違います!”。イエス様は、私たちが歩んで行くのと、同じ道を歩んで行かれました。サタンとの戦いにおいて、私たちはイエス様と違う不利な条件の下にいるのではありません。イエス様は、自分だけが持っている、特別な神聖な力で勝たれたのではありません。ですから、イエス様が勝利されたように、私たちも勝利することができるのです。