主は生きておられる 第11回
「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」(ヨハネ24:6)
真理というのは、それをはっきり悟るまでは、その人にとって真理ではありません。そして、知識、知ったということは真理ではありません。その真理が私たちの心に根付いて、それがそのまま生活に表された時、はじめて真理になるのです。イエス様が復活されたということを、知識として、情報として知っていたとしても、今自分に助けを与えて下さる生きた方として知っていなければ、イエス様の墓を訪ねて行っているようなものなのです。
キリストは、黙示録1章9節によれば、「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者」(黙示録1:9)と表現されています。昔いまし、つまり十字架のキリスト、やがてきたるべき者、つまり再臨のキリスト、しかし、キリストは、よみがえられた方であり、「今います」方なのです。キリストは、今私たちと共にいて下さる神様です。今生きて、私たちを罪の力から救い出して下さる力強い神様です。
これが真の福音です 第26回
使徒パウロは言いました。「わたしは日々死んでいるのである」(1コリント15:31)。パウロは、毎日、毎日死んだのです。なぜ死ぬのですか。何に死ぬのですか。使徒パウロは、自分の肉、肉の中にある本性といつも戦って、自分を殺すという意味で死んだのです。使徒パウロは、毎日戦いました。誰が死んだのですか。使徒パウロの自我が死にました。それで使徒パウロは、毎日、勝利の経験をしながら生きていました。私たちも同じです。私たちも、そうしなければなりません。私たちは、生まれ変わったら、誘惑がないと思うかもしれませんが、誘惑はイエス様にも襲ってきました。イエス様も同じ誘惑と試練にあわれたのです。しかし、イエス様はそれに屈服されませんでした。
そこで、イエス様に勝てなかったサタンは訴えます。「イエス様は人間と全く違う肉体で来られたではないか。もっと、有利な条件で来られたから勝利することができたのだ」と。“違います!”。イエス様は、私たちが歩んで行くのと、同じ道を歩んで行かれました。サタンとの戦いにおいて、私たちはイエス様と違う不利な条件の下にいるのではありません。イエス様は、自分だけが持っている、特別な神聖な力で勝たれたのではありません。ですから、イエス様が勝利されたように、私たちも勝利することができるのです。