主は生きておられる 第15回
十字架の死と復活
イエス様は、十字架上で外側からの肉体的な攻撃によって亡くなられたのではありません。つまり、イエス様は、誰かが殺したのではありません。誰も主を殺すことは出来ません。どうやって、人間が神様を殺すことが出来るでしょうか。イエス様は、私たちの罪のために、心臓が破裂して亡くなられましたが、イエス様は神様なので、ご自分が死ぬことを選択されたのです。イエス様は死ぬ権威がありました。ですから、生きる権威もあるのです。ご自分で死を選択されたので、生きる選択もすることがお出来になり、今生きておられて、永遠に神様と共におられるのです。
イエス様は復活された時、栄光をお受けになりました。イエス様が肉体におられた時は、嘲笑され、唾を吐きかけられ、いばらの冠を被せられました。イスラエルのいばらは、とげが長く、先が鋭く尖っていました。そのとげが額に刺さったら、どれほどの痛みを与えるだろうかと思います。イエス様は、そのようないばらの冠を受ける必要はありませんでしたが、それを受けられました。そして人から捨てられ、見るべき姿もなく、慕うべき美しさもなく、悲しみと病を知る人となられました。しかし、そのイエス様が復活された時、神様の栄光を受けられたのです。
このことは、私たちにとって、何を意味しているでしょうか。イエス様のみ名のために、苦しめられ、裏切られ、悪口を言われ、この世ではひどくみじめな、死んだも同然の状態になった時、復活の力を経験し、主の栄光の中に入れられるということです。どんなにつらい迫害の中にあっても、そのような中で、生きておられる主と交わり、その主の力と助けを受けていた人は、主のよみがえりの経験へと導かれるのです。
これが真の福音です 第30回
一つの詩を読んでみたいと思います。
イエス様はあなたを知っておられます。
罪を犯すことを、死ぬことよりも恐れられたイエス様は、
欲望の泥沼の前に立っている、あなたの危険を知っておられます。
人々から拒否され、弟子たちから捨てられたイエス様は、
真理のために一人になった、あなたの寂しさを知っておられます。
貧しい家庭に生まれ、田舎で成長されたイエス様は、
真理のみ言葉に従って、行く先を知らないで出てきた、
あなたの信仰を知っておられます。
狐には穴があり、空の鳥には巣があるのに、枕するところさえなかったイエス様は、
真理のためにこの世の便利さを捨てた、あなたの犠牲を知っておられます。
「この盃を私から取り去ってください」と訴えられたイエス様は、
おびえて、切に求めるあなたを、必ず立ち上がらせてくださいます。
友は去り、愛するものからは裏切られたイエス様は、
真理のために誤解され、非難されるあなたのつらさを知っておられます。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれたイエス様は、
あなたの誠実な悔い改めと、切実な嘆願を聞いておられます。
あなたの最善の努力さえ誤解をうけ、人々からのつぶやきが聞こえる時、
心に相次いで湧き上がってくる悪い感情を拒んで、
「主よ、私を助けて下さい」と叫ぶ
あなたの戦いを知っておられます。
弱さと失敗の歩みの中で、嘆きながら訴えるあなたに、
イエス様は、慰めと世に勝つ信仰を与えて、再び来られる時まで、
あなたを導くと約束して下さいました。