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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約 3

2013年03月08日 | 日記


     ひまわりさんより(3月8日)

今日の午後は、久しぶりにジョイを近くのドッグランへ連れて行きました。ここしばらくジョイは走っていなかったので、着いたとたんに早く走らせてほしいと大騒ぎでした。でも、ここは躾が肝心と、ジョイを座らせ、「待て!」をさせました。ジョイはムズムズしながらも私の前でじっとしていました。それから頃合いを見て、「ヨシ!」と言うと、その瞬間ジョイは矢のように飛び出していき、全速力で走り回りました。途中で私が「ジョイ!」と呼んでも全く無視して走り続けました。いくら呼んでも一向に私の方を見ようともしないので、ちょっと脅かしてみようと思って、そこに倒れたふりをしてみました。すると、どこで見ていたのか、30Mぐらい離れたところから、すごい速さで飛んできて、心配そうに私の顔に鼻をすりつけてきました。私が顔をあげても、まだ心配そうに、伏せのポーズでじっと私のそばにいました。私はそんなジョイを見て、人が困った時に真剣にその人のところへ飛んで行けるような心、また、自分の好きなことをやっているようでも、常に相手の様子を見ている姿勢を教えてもらいました。そのあとジョイは、また元気に走り回っていました。

     二つの契約 3 大いなる救いの喜び

 私の友人の一人に、韓国の軍隊に徴兵されて、そこで武器をとることを拒否して7年間投獄された人がいます。韓国軍で武器をとることを拒んで投獄された人の中では、最も長い期間、彼は刑に服したのです。その友人が釈放されてから、私に語ってくれたことがあります。
 刑務所では、何か特別な日になると、ある囚人の名前が呼ばれて、その呼ばれた囚人は釈放されるというのです。恩赦というものですね。そういった特別の日がやってきて、名前が呼ばれる時になると、刑に服している囚人全員が、自分の名前が呼ばれないだろうかと、期待にあふれるわけです。それから、刑務所の係官が、誰かの名前を呼ぶのです。自分の名前が呼ばれたとき、「ハイ、ハイ」と小さい声で返事したりしません。本当に喜びにあふれた返事をします。自分の名前を呼ばれる瞬間を待ちわびているからです。「ハーイ!、ここにいます!」。そして門の所に走っていくわけですね。そういう形で釈放されるわけです。自由の身です。
 私たちの住んでいる環境がどんなに美しく、すばらしいものであったとしても、ここは私たちの故郷ではありません。私たちの故郷は天にあります。私たちがみなそこに行きます。あらゆる人種、国民、言語の人たちが、共に集まってきます。そして一緒に立ちます。片手にシュロの枝を持って、イエス・キリストを讃えます。ついにこの地上の罪の呪いから解放されて、本当の意味で贖われるわけです。救いの喜びにあずかります。
 






二つの契約 2

2013年03月07日 | 日記

                               世界らん展より

     ひまわりさんより(3月7日)
今日の日課には、「わたしたちの救い主は、・・・彼らに愛の行為を静かに実行するように警告なさった。見せるためではなく、また人の賞賛や誉れを受けるためではなく、報いは後に受けることを期待し、神の栄光のために果たすのである」(E・G・ホワイト)私はこれまで、何かをする時、神様の喜ばれることをするという心より、人に理解してもらいたいとか、人に良く思われたい、褒めてほしいという気持ちが、心の奥底にはあった思います。その思いは、自分の細胞に染みついていて、無意識のうちに人に良く思われようとする行動をしているのだということに気づかせていただきました。では、今までの路線から外れていくにはどうしたらいいのだろうかと思っていたら、聖書では、「人の徳を高めるのに役立つような言葉を語りなさい」(エペソ29)とか、「悪い言葉をいっさいあなたがたの口から出してはいけない」と教えられていました。人の徳を高める言葉とは、人を励まし、理解しゆるす言葉です。そういう言葉を使うようにしていくと、上の聖書のみ言葉の重さとか深みを感じるようになってきました。

    二つの契約 2 その時我が名も呼ばれん
 
そして、第一のアダムは、このかぶせられた冠を地面において、イエス様の前にひれふして、「これはすべてあなたの恵みによるもので、私はこれを受けるに値しません」と言うのです。「これは私にはもったいないものです。これはすべてあなたの恵みのおかげです」と・・・。
 そのときイエス様は、アダムを抱きかかえられるわけです。第一のアダムと第二のアダムが、顔と顔を合わせます。救われた者、私たちすべての前で・・・。そのとき、「小羊こそ賛美を受けるにふさわしい」という歌声が、皆のものから上がっていくわけです。それからイエス様が天使たちに命じて、すべて救われたもの、あがなわれた者、全員の名前を一人ひとり呼ぶようにされるのです。その中に、天使たちの呼ばれる名前の中に、私の名前もあることを確信しております。片手には金の立琴を持ち、もう一方では、勝利を表すシュロの枝を掲げることでしょう。天使たちに名前を呼ばれるとき、どれほどの喜びに満たされるのだろうと思うと、私の心はワクワクいたします。





二つの契約 1

2013年03月06日 | 日記

      水深10Mの海中から見つかった奇跡のメガネ
     ひまわりさんより(3月6日)

                                    沖縄名護湾

今日の祈祷会は、沖縄出身で隣に住むA君と一緒に行いました。そのあと、A君と沖縄のことについて話をしているうちに、父の話題になりました。父は沖縄三育中学の舎監をしていたことがあるのですが、その時、中学生と名護湾横断遠泳大会をしようと思い立ち、ある日漁師さんの船で下見をしました。漁師さんが、「どうせ三育の先生はたいして泳げないよ」などと馬鹿にしていたので、海軍出身の父は、自分の腕を見せてやろうと思っていきなり服を脱いで海に飛び込みました。ところがメガネをかけたままだったので、上がってきた時にはメガネがなくなっていました。陸から約3キロ、水深10メートル以上あるところだったので探すこともできず、あきらめて帰ってきたそうです。それから数日後、漁師さんが訪ねてきて、「これは先生のメガネじゃないか」といってメガネを届けてくれたのです。どうしたのかと聞くと、漁で近くを通った時、海底からピカリと光るものがあったので、昔の財宝かも知れないと思ってもぐったら、このメガネだったのだそうです。あの広く深い海からメガネを見つけだした漁師さんは、「三育の神様はすごい」と感心していたそうです。その奇跡のメガネは、私が父からもらって記念にしています。

     二人のアダムの再会
 
天国の神様の御座の周りに、私たちが共に集まるとき、私たちは皆、同じ言葉を話すようになります。そのとき、この世界で経験したあらゆる悲しみ、悪い思い出などは忘れ去られています。かつて自分たちがとても罪深くて、邪悪な者であったということは覚えています。しかし、神様の恵みによって過去に行った罪深い行為とか、そういったものを記憶しないようになっているのです。なぜなら、私たちは、罪の除去という経験にあずかるからです。私たちの脳から、あらゆる罪の記憶を神様が消去してくださいます。そこで、救いの喜びを、完全にして十分に味わうことができるようになるわけです。
 私が小さかった頃、母から聞かされた話があります。私は5人兄弟として育ったわけですけれども、私がひとり男の子で、あと姉が1人、妹が3人いました。そのとき母から聞かされた話で、一番印象に残っているのは、第1のアダムと、第2のアダムが再会するという話でした。イエス・キリスト、救い主イエス様とくらべて、アダムの背丈はだいたイエス様の肩ぐらいなんです。そして、そのとき、救われたすべての人に、イエス様が金の冠を授けてくださいます。その一つひとつの冠には、私たちの名前が刻まれています。ガラスの海で、何らかの順番通りに整列するわけですけれども、一人ひとり、天使たちに名前が呼ばれます。最初に呼ばれる名前はアダムです。第二のアダムであるイエス・キリストの前にアダムがやってくるとき、アダムはどういうわけか、その冠を受けるのを躊躇するのです。なぜなら、彼は自分のせいで、自分が失敗したせいで、この6000年もの罪深い悲惨な歴史を引き起こしてしまったという事実を知っているからです。
 





日曜休業令の切迫29

2013年03月05日 | 日記

                              世界らん展より
    ひまわりさんより(3月5日)
カン先生は、「イエス様の義を心に植え付けていただくと、自分がどんどん小さくなる」と言っておられましたが、どういうことだろうと思っていました。今日の朝、ジョイと散歩していたら、急に昨日あったいやなことが思い出されてきました。「どうしてあんなことをするんだろう。何でこうなんだろう」という不満の気持ちが湧いてきたのです。その時、「今はまだ心から祈ることはできませんが、これは良くない思いですから、、イエス様の動機と希望を与えてください」と祈りました。私の中には、そう祈りたくない思い、不機嫌な気持ちにとどまりたいという思いがあったのですが、別の自分が、この思いにとどまるわけにはいかないと言っているので、祈ったら、やがておだやかな心が戻ってきました。その時、「ああ、自分が小さくなるってこういうことなんだ」と思いました。自分の肉の性質は、不機嫌な思いや、人を責めたくなる心を持ち続けていこうとするのですが、それに従わないで、イエス様に心を向けていくこと、そのようにする時に自分が小さくさせられていくのだと思いました。

     日曜休業令の切迫 29 イエス様は間もなくお出でになります
どういったことが起こっているか、はっきりと理解しなくてはいけません。世界のありとあらゆる国々が、一緒になってローマ法王教を支持しています。世界経済は一つにつながっています。そして、特定の人たち、少数のエリートと呼ばれる人たちに、世界経済は操作されています。その背後にいるのが、フリーメイソンです。秘密結社イルミナティも、その背後にいます。オバマ大統領は、フリーメイソンの高い地位に座っている人です。
どういうことが起こっているか、皆さん、はっきり理解すべきです。お膳立ては整っているのです。神様が四方の風をいまだに引き止めておられる唯一の理由は、神の民がまだ印されていないからです。イエス・キリストとの分厚い関係を、今こそ築くべきときです。イエス様は、間もなくお出でになりますから。

お祈りいたします。
天のお父様、私たちに預言の光を与えてくださってありがとうございます。私たちの前に、あなたは、わかりやすくご計画を示してくださいました。印される経験ができますように、助けてください。私たちの心に、イエス様が持っておられた信仰を持つことができるように助けてください。私たちは、あなたをこよなく愛します。でも、私たちの愛は、弱くもろいものであります。どうぞ、あなたの聖霊をもって私たちの品性を清めてください。あなたの知恵を与えてください。
イエス様の御名によってお祈りいたします。アァメン。





日曜休業令の切迫28

2013年03月04日 | 日記


    ひまわりさんより(3月4日)

今日は久しぶりに、夫と息子の意見が食い違っていました。普段我が家は、ほとんどのことは意見が一致しているのですが、珍しいことでした。実は昨日、夫は息子の通っている大学の卒業式に、保護者会の会長として出席しました。式そのものは、すごく感動的で良かったと言っていたのですが、式の後、卒業生たちが、着用していたガウンの帽子を高く投げ上げて祝っていたというのです。あとでその写真を見せられた夫は、「学校から借りている帽子であり、今後も使うものを投げ上げるのは、物を大切にしない心だし、このようなことは、米国の陸軍士官学校や、防衛大学で行われている風習で、人の心に寄り添う生き方をするべき看護学校や神学校で真似をすることではない」と言いました。息子は、「みんなが楽しんでいるんだし、そんなによごれるものでもない、そんな小さなことで目くじらをたてる必要はない」といつになく反対しました。しばらく議論していましたが、最後には夫の方が、「若い現役の人の意見を大事にしよう」ということで、決着がつきましたが、若い人の気持ちと、お年寄り(?)の意見と、一致させるのはなかなか難しいと思いました。 

    日曜休業令の切迫 28 偽りの教会合同が進んでいる

      ローマ法王のイギリス訪問

この世界は経済破綻を経験しているわけです。ドルの価値がどんどん暴落しています。最後に申し上げたいのですが、なぜ世界経済はどんどん落ちていっているのでしょう?経済危機が起こらなければ、「獣の刻印を受けなければ売り買いができない」という状況が起きえないからです。
数か月前のことでした。ローマ法王がイギリスを訪問して、英国国教会のホールに立ちました。そして、とても象徴的な光景だったのですけれども、ウエストミンスターという、英国国教会の中心寺院で、カンタベリー大司教と抱き合ったのです。かつては、何百年と断絶状態にあったのです。そして、大勢の政治家、実業家、指導者たちが集まっている場所で、彼はスピーチをしました。そのスピーチの中で、彼は、現在の経済問題を解決するためには、ローマ教会の規則にのっとって、世界的な権威を打ち立てなければならない、と言ったのです。その時に、トーマス・モアという人をほめたたえました。トーマス・モアって誰ですか。彼は、ローマ・カトリック教会の中で、殉教者として有名な人です。彼は、ローマ法王は、いかなる国の王や、大統領や、皇帝、そういう人たちよりも卓越していると言ったのですね。その時に、当時のイギリス政府は、彼を死刑にしました。
数か月前、ローマ法王がトーマス・モアをほめたたえた時、異議を唱える人は一人もいませんでした。そのスピーチのあとで、ブラウン首相が、このように言いました。「我々は、425年にわたってプロテスタント諸国のリーダーとなってきたけれども、その時代は終わった」と宣言したのです。そして、英国国教会と、ローマ・カトリック教会は、同盟を結んだとニュースは報じました。