TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

今年やりたかったこと… その4

2020-11-20 07:13:00 | やりたかったこと
去年の3月、初めて酒蔵巡りを経験しました。

お酒の試飲をするので、わざわざ自宅から歩いてバス停へ、そこからJRの駅までバスで移動し、JRでイベントが開催されている町へ向かいました。

電車のお客さんはほとんどが「○○酒蔵ツーリズム」の参加者です。

皆さん、美味しいお酒を思う存分楽しもうとウキウキワクワクされているのが伝わってきました。

そう言う私も、そんな雰囲気をプンプンさせていたことでしょう。

イベント会場のある駅で降りてチケットを購入し、酒蔵を目指します。

足元は、歩きやすいトレッキングシューズを履き、準備万端です!




近辺に9つの酒蔵があります。

歩いて移動できる酒蔵もありますが、離れた場所へは巡回バスも出ています。

できるだけ多くの酒蔵を回ろうと決めていたので、ルートを考えながら巡る酒蔵の順番を考えました。

佐賀県と長崎県の県境をなす多良岳・経ヶ岳の山塊は豊富な伏流水を蓄え、山麓に清純な湧水をもたらします。

有明海に面した肥前鹿島や肥前浜宿、旧塩田町、温泉とお茶の町である嬉野には昔から沢山の酒蔵がありました。

第二次世界大戦直後、有田焼で有名な酒井田柿右衛門が手土産として持って行った酒をマッカーサーが気に入り、特別に酒造りための米を手配したという酒蔵もあります。




また、フランスで行われた世界ワインコンテストでヨーロッパのワインを抑えて世界1になった酒蔵もあります。




そんな事を思いながら酒蔵を巡りました。
















酒蔵ごとに試飲ができ、チケットを使って日頃は手の届かないお高いお酒もいただけます。

いろんな種類の日本酒を飲むうちにとてもいい気持ちになってきます。

気が付けば、私も、周りに居る人も皆 “酔っ払い” です。

これはとても “危ない” ことかもしれませんが、みんな少し顔を赤らめて幸せそうな表情をしているのです。

そんな “仲間” たちを見ていると、こっちまで幸せな気分になり、

「日本って平和だな〜」

と、思いながら9つの酒蔵を全て制覇しました。


典型的な『3密』のため、今年は中止になったけど、

「今年も行きたかった、○○酒蔵ツーリズム!」














プチトマトの実と侘助(椿)のTANE

2020-11-19 10:24:00 | 家庭菜園

白菜と水菜の苗をプランターに植えた際に、芽が出ていたプチトマトを植木鉢に移し替えていました。

気温が下がり始めた頃にその植木鉢を家の中に入れ、陽の当たる窓際に置いていました。


最近、ビーズ玉ほどの緑色の小さな実が着いているのを見つけたのです。

その実は、今では真珠の球くらいまで大きくなり、周りに小さな子分たちを従えるまでに成長しています。



「赤く熟したら鑑賞用として楽しめるかも… 」
と、期待しています。

「もしかすると、食べてしまうかも… 」



プチトマトの隣に椿のTANEを水に浸したボウルを置いています。



火曜日に1時間半ほど車を走らせて、孫の顔を見に行ってきました。

家の庭に侘助(わびすけ=茶花としてよく使われる椿の一種)が植えてあります。

花はまだ咲いておらずまだ小さな蕾が沢山着いていました。

注意深く見るとツヤツヤした葉の陰に、去年育った実が割れ、中から焦げ茶色の種が現れているのを幾つか見つけました。




我が家にも椿の木は1本あるのですが、花は小ぶりで白地に赤い模様が筋状に走り、華やかさにやや欠けます。


何年先になるか分からないけど、芽を出してくれたらいいなと思い、侘助の種を何個か貰って帰りました。

そして、我が家に帰り着いたらすぐに種を水に浸し… 、

昨朝、見てみると種は水を吸って少し膨らんだように思うのは気のせいでしょうか…?


芽🌱が出てくるのを楽しみに待ちたいと思います。










スプーンを彫る

2020-11-18 08:36:00 | 木のカトラリー

木のカトラリーをつくり始めた、今から5年くらい前の作品です。




ブログを始めて2回目にupしている写真に、フォークやナイフ等と一緒にこのスプーンも写り込んでいます。





このスプーンは、木のカトラリーづくりの最初の一歩に当たる作品で、わたしにとっての入門書である『手づくりする木のカトラリー』を横に置いてつくったことを懐かしく思い出します。

あの頃、家にあった彫刻刀ぐらいしか道具を持っておらず、1日1ヵ所は指に怪我をしながらつくっていました。

1kg、1000円でケヤキやウォルナットの端材を購入し、四角い木の塊からスプーンやフォーク、皿、バターケースなど彫ることに夢中でした。





私もまだ働いており、日常の仕事とは全く違う領域で没頭できる趣味を見つけた事で、いい気分転換=リフレッシュができたのかなと思います。




今、こうして見ていると、拙さばかりが目についてしまいますが、その時は夜遅くまで時間を忘れて彫ったカトラリーです。


ある意味、私を初心に戻してくれる作品です。









ついに南側垣根づくりに取り掛かりました!<おまけ>

2020-11-17 08:55:00 | 日記
南側の垣根が完成し、
「我ながらよく頑張ったなぁー」
と、自画自賛しながら “おnew になった垣根を満足気に眺めています。

予算は少しオーバーしてしまいましたが、業者さんにお願いすることを考えれば安いものです。

毎晩飲んでいるお酒を少し控えたら、予算オーバーした分なんかすぐに取り返せますから…

と、いいつつ垣根の完成を祝して “しぼりたて(生酒)” を買いに行きました。




お酒を買って家に帰ると、程なく南側の家の奥さんが訪ねてこられたのです。

実は、垣根を作り始めた初日、ご主人と奥さんのお二人で1度お見えになっていました。

その時は、私が南側の家の方に何も言わずにいきなり垣根作りを始めていたので、きっと苦情でも言いに来られたのだと思い、「しまったなぁー」と思ったのが正直な気持ちでした。

でも、実際はそうではなく、
「自分の家の垣根が壊れた後、そのままにしてしまい、結果的に御宅に垣根を作らせてしまうことになって申し訳ない」
と、いうものでした。

私も、相談も無しに作業を始めた事を詫び、我が家の垣根もヨシズで急場を凌いできたので私が暇になったこともあり、好きで始めたことなのでそこはどうか気にされないようにと伝えていました。

また、1週間程は迷惑をかけることも伝えていました。

再度、南側の家の奥さんが来られたのが、丁度、1週間後でした。

奥さんは一抱えもある箱を両腕で持ち、申し訳なさそうに、

「本当にありがとうございました」
「助かりました」
「コレは私たちのほんの気持ちです」

と、言って重そうな箱をうちの玄関の上がり框に降ろされました。

私も連れ合いも、それは受け取れないと何度も言ったのですが、とうとうこちらが根負けしてしまいました。

それが、コレです。



今現在、仏壇に上げています。



余談になりますが… 、

父がまだ健在だった頃、バス停でバスを待っていた父を見かけ、車で通りかかった南側の家の奥さんが声を掛けて我が家まで乗せてきてくれたんだそうです。

父は、そのお礼にとじぶんが描いた「富士山」とピンクの花が咲いた「ジャコバサボテン」の絵を差し上げたんだそうです。

私はそんな事があったてたことを全然知りませんでした。

1ヵ月くらい前に、南側の家の奥さんと家の前で顔を合わせた時にその話を聞き、奥さんはわざわざ家に戻り20年近く前に父からもらったという2枚の絵を見せてくれたのでした。

「この絵が大好きなんですよー」と話しをされる奥さんは優しい人だなぁーと思いましたし、父の絵が私の知らないところで20年近くも大事にされていることも嬉しく思いました。


いただきものは、まず父に見てもらったのでした。







父の思い出<習字の練習>

2020-11-16 10:08:00 | 父の想い出
父が習字の塾をやっていたことは、以前ブログで書きました。

塾と言いましたが、「寺子屋」と言った方が正解かもしれません。

半ばボランティアのような安いお稽古代をいただきお習字を教え、子どもが喜ぶ “ぜんざい会” なども開いていました。

まるで、近所の子どもたちの面倒を見ているような感じでした。

始めた頃は、狭い借家の2階で近所の子を集めてやっていたのですが、高度経済成長期でもあり習いに来る子どもが増えて、日曜日の午前中だけ公民館を借りて教えるようになりました。




今は、学校は土日がお休みですが昔はそうではありませんでした。

子どもにとって、日曜日は1週間に1日しかない貴重なお休みの日なのです。

そのお休みの日の半分を、金を払って習いにきた子たちと一緒にじっと正座して習字の練習をすることは、子どもだった私にとって “拷問" 以外の何物でもなかったのです。




遊びに行きたくてソワソワしながら字を書いても、気持ちの入らない “ソワソワした字” にしかなりません。

子どもの私は、
「あと何枚書いたら終わってよかと?」
を、何度も繰り返し尋ねます。

父は私の心の中まで見透かしたように、
「枚数じゃなか、集中して書かんば!」
と、たしなめます。

子どもだった私は泣き出さんばかりの表情で “解放” を求めますが、その要求が叶えられるわけもありません。


そこで、子どもながらに知恵をはたらかせたのです。

習字が始まる前から釣りに出かけ、習字が終わった後に家に帰るのです。

嫌な習字の練習はしなくていいし、好きな釣りを朝早くから昼過ぎまで楽しめるのですから!

もちろん、釣りをしている時は幸せなのですが、子どもながらにうしろめたさはあり帰り道は憂鬱になってしまいます。

それも家が近くなればなるほど…


こんなことを何度か繰り返しましたが、そんな私の楽しみはそう長くは続きしませんでした。

そんな日曜日が数回続いた頃でした。

家に帰り着いた子どもの私は、父からシコタマ怒られ、夜遅くまで父の横で提出するためのお習字の清書をさせられることになったのでした。