訪問日 令和4年5月24日
極楽山 浄土寺
高野山真言宗
鎌倉時代のはじめ、重源上人が建立した寺院
建久8年(1197年)建立
浄土堂<阿弥陀堂>(国宝)
加古川東岸の一部は、本来大部郷と呼ばれる国衛領であったが、久安3年(1147年)頃、東大寺領大部荘として立荘された
平氏の兵火によって焼失した東大寺を再建するため大勧進職となったのが「俊乗房重源」
この大部荘を再開発して東大寺再建の経済的拠点とし、ここに播磨別所を開き一寺を建立した
これが浄土寺である
浩宮徳仁親王殿下(今上天皇)参拝記念樹
板碑
堂内に入る
快慶作の「阿弥陀三尊像(国宝)」が安置されている
阿弥陀如来 530cm
脇侍 観音菩薩 370cm 勢至菩薩 370cm
この寺院を訪れた目的は阿弥陀三尊像の拝観
蔀戸から入る西陽に浮かび上がる来迎の姿が美しいとか(観たことがない)
鐘楼堂(兵庫県指定文化財)
不動堂
薬師堂<本堂>(重要文化財)
もとは建久8年(1197年)創建
現在のものは明応7年(1498年)に焼失後の永正14年(1517年)の再建
開山堂(兵庫県指定文化財)
現在のものは明応7年(1498年)に焼失後の永正17年(1520年)の再建
八幡神社
鳥居
八幡神社拝殿(重要文化財)
鎌倉時代後期に再建された大きな割拝殿
構造的には五間の身舎の三方に庇をつけたものと考えられる
狛犬
八幡神社本殿(重要文化財)
浄土寺境内の中央正面にある
本地垂迹説の八幡神の本地を阿弥陀とする説によって、本堂の置かれる位置に八幡神社を配したと考えられる
これは重源上人が八幡信仰を重要視した表れ
広島県尾道市の浄土寺の帰り、兵庫県に入り近くの道路を走っていたところ同じ浄土寺の案内が目に入った
それから今回が3度目の訪問になる
撮影日 令和4年5月24日
極楽山 浄土寺
高野山真言宗
鎌倉時代のはじめ、重源上人が建立した寺院
建久8年(1197年)建立
浄土堂<阿弥陀堂>(国宝)
加古川東岸の一部は、本来大部郷と呼ばれる国衛領であったが、久安3年(1147年)頃、東大寺領大部荘として立荘された
平氏の兵火によって焼失した東大寺を再建するため大勧進職となったのが「俊乗房重源」
この大部荘を再開発して東大寺再建の経済的拠点とし、ここに播磨別所を開き一寺を建立した
これが浄土寺である
浩宮徳仁親王殿下(今上天皇)参拝記念樹
板碑
堂内に入る
快慶作の「阿弥陀三尊像(国宝)」が安置されている
阿弥陀如来 530cm
脇侍 観音菩薩 370cm 勢至菩薩 370cm
この寺院を訪れた目的は阿弥陀三尊像の拝観
蔀戸から入る西陽に浮かび上がる来迎の姿が美しいとか(観たことがない)
鐘楼堂(兵庫県指定文化財)
不動堂
薬師堂<本堂>(重要文化財)
もとは建久8年(1197年)創建
現在のものは明応7年(1498年)に焼失後の永正14年(1517年)の再建
開山堂(兵庫県指定文化財)
現在のものは明応7年(1498年)に焼失後の永正17年(1520年)の再建
八幡神社
鳥居
八幡神社拝殿(重要文化財)
鎌倉時代後期に再建された大きな割拝殿
構造的には五間の身舎の三方に庇をつけたものと考えられる
狛犬
八幡神社本殿(重要文化財)
浄土寺境内の中央正面にある
本地垂迹説の八幡神の本地を阿弥陀とする説によって、本堂の置かれる位置に八幡神社を配したと考えられる
これは重源上人が八幡信仰を重要視した表れ
広島県尾道市の浄土寺の帰り、兵庫県に入り近くの道路を走っていたところ同じ浄土寺の案内が目に入った
それから今回が3度目の訪問になる
撮影日 令和4年5月24日
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