訪問日 令和5年5月21日
屏風山 鎮国寺
宗派は真言宗御室派で別格本山
創建は大同元年(806年) 開山は空海(弘法大師)
昔は宗像大社の神宮寺であった
仁王像
九州に入ると(感覚的に)仁王像は石造りで野ざらしが多い
境内
このような可愛い置物もある
手水舎
文殊堂
堂内の仏像
ぼけ封じ いきいき観音
地蔵堂内部
大師堂
木食上人座像
木喰(もくじき)とは、米殻を断ち、木の実などを食べて修行することをいい、そのような僧を木喰上人と呼ぶ
享
鎮国寺の子院「華蔵院」の清算法師
貞享元年(1684年)に入定
弘法大師
空海が遣唐使船で唐に渡航中に大暴風雨に遭遇した際に、海の守護神・宗像三神などに祈誓を込めたところ、波間に不動明王が現れた
右手に持っていた利剣で波を左右に振り払い、暴風雨を静め、空海は無事に入唐することが出来たという
その後、長安(現在の西安)に於いて青龍寺の恵果和尚より真言の秘法を授かる
大同元年(806年)に博多に到着し帰国すると、まず宗像大社に礼参した
奥の院岩窟において修法を始めたところ、「この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げがあった
一宇を建立し、「屏風山鎮國寺」と号した
薬師如来像
鎮国寺の子院「華蔵院」の本尊
本堂<五仏堂>(宗像市指定文化財)
慶安3年(1650年)藩主 黒田忠之により再建
五仏(福岡県指定文化財)
中央の三仏(左から薬師如来・大日如来・釈迦如来)は空海作と伝わる
おみくじ掛け
境内には多様な花木が植えられており「花の寺」とも呼ばれている
その花に蝶が蜜を吸いにやって来る
護摩堂
護摩堂内部
中央の厨子に4月28日のみ開帳される、秘仏「身代り不動明王立像(重要文化財)」
シャボン玉が境内を舞う
武丸正助像
勤勉実直の人で両親をいたわり、上を敬い、近隣と親しみ、生類にまであわれみをかける
その篤行は広く余に知られた
下駄と草履は雨を予想する父と晴れると思う母の言い分を聞き、片方ずつはいた姿
撮影 令和5年5月21日
屏風山 鎮国寺
宗派は真言宗御室派で別格本山
創建は大同元年(806年) 開山は空海(弘法大師)
昔は宗像大社の神宮寺であった
仁王像
九州に入ると(感覚的に)仁王像は石造りで野ざらしが多い
境内
このような可愛い置物もある
手水舎
文殊堂
堂内の仏像
ぼけ封じ いきいき観音
地蔵堂内部
大師堂
木食上人座像
木喰(もくじき)とは、米殻を断ち、木の実などを食べて修行することをいい、そのような僧を木喰上人と呼ぶ
享
鎮国寺の子院「華蔵院」の清算法師
貞享元年(1684年)に入定
弘法大師
空海が遣唐使船で唐に渡航中に大暴風雨に遭遇した際に、海の守護神・宗像三神などに祈誓を込めたところ、波間に不動明王が現れた
右手に持っていた利剣で波を左右に振り払い、暴風雨を静め、空海は無事に入唐することが出来たという
その後、長安(現在の西安)に於いて青龍寺の恵果和尚より真言の秘法を授かる
大同元年(806年)に博多に到着し帰国すると、まず宗像大社に礼参した
奥の院岩窟において修法を始めたところ、「この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げがあった
一宇を建立し、「屏風山鎮國寺」と号した
薬師如来像
鎮国寺の子院「華蔵院」の本尊
本堂<五仏堂>(宗像市指定文化財)
慶安3年(1650年)藩主 黒田忠之により再建
五仏(福岡県指定文化財)
中央の三仏(左から薬師如来・大日如来・釈迦如来)は空海作と伝わる
おみくじ掛け
境内には多様な花木が植えられており「花の寺」とも呼ばれている
その花に蝶が蜜を吸いにやって来る
護摩堂
護摩堂内部
中央の厨子に4月28日のみ開帳される、秘仏「身代り不動明王立像(重要文化財)」
シャボン玉が境内を舞う
武丸正助像
勤勉実直の人で両親をいたわり、上を敬い、近隣と親しみ、生類にまであわれみをかける
その篤行は広く余に知られた
下駄と草履は雨を予想する父と晴れると思う母の言い分を聞き、片方ずつはいた姿
撮影 令和5年5月21日
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