今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

真宗大谷派井波別院瑞泉寺(富山県南砺市井波3050)

2024年08月30日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年6月3日

真宗大谷派井波別院瑞泉寺
浄土真宗の宗派の1つで、阿弥陀如来一佛を本尊とし、親鸞を宗祖とする
山号は「杉谷山(さんこくさん)」
大谷派の根本道場である東本願寺を本山とする

寺号標
寺号標には「井波御坊 瑞泉寺」
その奥の石柱には「井波別院 高岡門」と彫られている



15世紀末には、「井波城」と称した
戦国時代には、越中一向一揆の拠点とされ、伽藍は堅牢な石垣に囲まれている



花が咲いている石垣というのは珍しい



山門(富山県指定文化財)
明徳元年(1390年)本願寺第5代 綽如により建立された堂宇であるが
天正9年(1581年)織田信長の北陸方面軍佐々成政の軍勢と戦うが焼き討ちに遭い焼失した



天明5年(1785年)東本願寺の大工の棟梁であった柴田新八郎貞英により釿始(起工式)が執り行われたが、同8年本山の火災復興のため帰京
副棟梁の地元井波の大工、松井角平恒徳が引継ぎ、文化6年(1806年)に上棟式を行い見事に山門を完成させた



額には山号の「杉谷山」
楼上に釈迦三尊の木像を安置している



山門正面の「波に龍」の彫刻
京都彫刻師の前川三四郎に依頼し、京都から運ばれてきた




式台門(南砺市指定文化財)
寛政4年(1792)に柴田清右衛門が再建した



井波彫刻の元祖番匠屋七左衛門作の「獅子の子落し」の彫刻



門扉に菊の紋章があり、「勅使門」「菊の門」ともいわれている



蟇股には、人の悪夢を食べるという「莫」の彫刻



山門に戻り中に入る(拝観料:500円)



明治12年(1879年)本堂から出火、火の手が山門に燃え移るのを防いだのが、門中央の唐狭間の「雲水一匹龍」



傍らの松に絡みつき、井戸から水を吹き上げて消火したと伝えられる



親鸞聖人像



本堂
瑞泉寺は、明徳元年(1390年)、本願寺5代綽如上人によって開かれた
多数念仏信者の浄財により瑞泉寺が建立された
北陸の浄土真宗信仰の中心として多くの信者を集め、越中の一向一揆の重要拠点ともなった寺院となっていく
本尊:阿弥陀如来






本堂から太子堂へ向かう廊下



梵鐘



太子堂
大正7年(1918年)に井波彫刻の粋を集めて再建された
毎年7月21日から29日まで行われる恒例の「太子伝会」は、八幅の絵伝に描かれた聖徳太子の一生を絵解きされる、全国でも稀な仏事
20年程前に初めて訪れた時に絵解きを聞いたことがある

蟇股の彫刻(一部)












手挟(たばさみ)彫刻
桐に「鳳凰」と「雲水龍」をあしらった「龍風」という一対(2組)をなしている



中心を空洞にして彫る「竜彫り」という高度な技法が用いられている



堂内の彫刻(一部)












宝物殿



渡り廊下からの眺め



遊び心で



本堂から外に出る
瑞泉会館



手水舎



太子堂を外から






本堂は国内木造建築で4番目の大きさ
(1 東本願寺 2 東大寺 3 西本願寺の順)



鐘楼堂
昭和8年(1933年)の再建
梵鐘は口径124cm、重さ3.4tで北陸随一



井波大工の代表的建造物として名高く、北陸随一の大きさを誇る



後小松天皇廟
大正15年・昭和元年(1926年)に砺波の相撲講の募財で建立された
碑文題字は彰如上人の筆






撮影 令和6年6月3日

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