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喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・白虎隊ゆかりの地、塩川宿散策。

2010-11-23 17:43:31 | Weblog



蔵のまち、喜多方から、

11月23日、勤労感謝の日 寒い寒い一日でした。

本日は予告したように、白虎隊士飯沼貞吉の孫、飯沼一元氏の講演会と塩川宿ゆかりの地散策です。
ごらんの様に寒さにも負けず大勢の参加者です。

本日の街歩き案内、講師は喜多方文化協会塩川支部長 佐藤一男氏です。

飯沼貞吉ゆかりの地と塩川宿の散策をして、午後から塩川ふるさと会館で飯沼一元氏の講演会が開催されました、こちらも会場いっぱいの参加者で満席でした。

(主催)は喜多方市塩川公民館・白虎隊の会  (主管)喜多方文化協会塩川支部
塩川町観光協会の後援です。

白虎隊士が飯盛山で自刃したが飯沼貞吉はただ一人蘇生し荷車に乗せられて塩川宿の中島屋で医師三ツ本住庵の治療をうけます。さらに当時御本陣に居た医師の治療を受けて快方に向い、後に喜多方の沼尻、観音堂において療養をするそうです。

後に貞吉は長州藩の司令の一人である、楢崎頼三に連れられて萩に向かいます。

飯沼少年が生き残ったのを恥じて悶々の情を抱いている事を知り、心情を哀れみ熱心に進むべき道を説得し、小杉の家に伴い、一室を提供し生活の面倒と勉強の協力をします。

この話は楢崎家で奉公をしていた高見フサが口伝で代々に伝えるようにと言い残したそうです。それは高見家の誇りであるからです。飯沼少年の面倒を見たことは確かに楢崎家の誇りであり、高見フサの誇りです、そこには会津も長州も無く、「義」は会津に長州にもあります。 と言う話は午後の講演で飯沼一元氏の話の一説です。

今でも会津人の多くはそんな事はあり得ないと否定するそうです。
飯沼貞吉は後逓信官吏としての道へ進みます。
大変有意義な講演会でした、塩川町も歴史ある街です。会津地方の中心に在り舟運で栄えた町です。再度紹介します、ご期待下さい。

最初の画像は阿弥陀寺です。
塩川にも沢山の蔵が並びます。


塩川町の御清水です、今は水は出ていません。すぐ側の2~3m下に広い道路が出来てから水は枯れたそうです。