日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

7月10日って、何の日?

2008-07-10 15:19:44 | Weblog
7月10日って、何の日?
(以下、フリー百科事典より)
 中国山地山間の農村・敷信村生まれ。14歳の時、国民学校での朝礼中、130キロ離れた広島市に投下された原爆の閃光を見る。まもなく大やけどを負った被爆者が、田中の村にもたくさん運び込まれ「アメリカは人殺しの国だ」と憎悪を募らせた。学校までの4キロの砂利道を走って通ったことがランナーの原点。広島県比婆西高等学校(現・広島県立庄原実業高等学校)在学中、高校20キロマラソンで優勝するなどで注目され1951年、海外派遣選手壮行マラソンで2時間28分16秒の戦後世界最高記録をマーク、19歳で日本が初参加したボストンマラソン代表の一人となった。マラソンチーム監督の岡部平太は「民族の誇りを復活させるには、アメリカで国民的行事であるボストンマラソンを制するのが1番」と考えた。田中もアメリカはまだ敵国のイメージを持っていた。
 ボストン到着後、国防総省の関係者から連行され尋問を受ける。多くの被爆写真を見せられ「これは本当なのか」と質問された。翌日のアメリカの新聞は田中を「アトムボーイ」、全滅したと思われた広島から選手が出場する、と大きく書きたてた。当時の多くのアメリカ人の日本に対する認識はこの程度だった。4月19日レース当日、田中は「原爆で負けたと言われたくない」と奮起し2時間27分45秒で見事優勝を飾った。また他の日本人選手も3人が入賞した。その夜田中は黒人達にバーに連れ出され「お前は凄い。俺達は白人には勝てない」祝福された。また田中の優勝は、日本人戦後の国際舞台での初めての優勝でもあり、敗戦に打ちひしがれていた日本国民を大いに勇気づけ国民的英雄ともなった。帰国後広島駅で見つかり、無理やり木炭トラックに乗せられ故郷の敷信村まで凱旋パレードとなった。沿道は小旗を振る人達で溢れた。連日の歓迎会は地獄だったという。
 日本の戦後オリンピック復帰となるヘルシンキオリンピックが翌年に迫り、オリンピックも勝てる、と言う周囲の重圧が田中を苦しめた。のちに「円谷幸吉の気持が痛いほど分かるよ」と語った。日本大学に進んだが膝に軟骨が出る故障を起こし、回復が遅れ練習不足のまま1952年、代表選考レースとなった毎日マラソン(現・びわこ毎日マラソン)に出場したが惨敗。オリンピック出場は成らず。故障の悪化で大学時代に競技生活を終え、ボストンマラソン優勝を唯一の勲章に現役を退いた。
 その後は西武百貨店などに勤務し、日本陸上競技連盟理事などを務め、1999年地域ランナーを育てる陸上クラブ「東京ハリアーズ」を旗揚げした。
 ボストンマラソンの大会本部が出している公式歴代優勝者名簿の欄には「Hioroshima Japan」と田中一人だけが国名以外に出身地まで記載されている。

 そのボストンマラソン優勝の金メダルが、1998年5月6日に、宇都宮市の自宅で盗難にあってしまう。田中個人の金メダルでなく、皆のメダル、それをなくすとはと非難が集中する。田中は落ち込むが、それを知った主催側のボストン体育協会が、1998年7月10日の今日、全く同じではないが、新しい金メダルを再び田中に授与する。その後、盗難にあった金メダルが幸いなことに発見され、現在、2つの金メダルが公の記念館に飾られている。
 又、今日は、イタリアの壁画に落書きした日本の女子大学生が、再び大学の学長とフィレンツェのその場所に行き、10万持参して涙を流して詫びていたが、逆に、イタリア側からは、日本人のその礼儀正しさが絶賛され、友好が生まれたと言われている。
 暗い話が多い中、いい話と思います。

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これでいいのか、日本の教育!

2008-07-10 07:19:29 | Weblog
 九州のとある県の附属小学校に通わせてる父親の話から(7月9日に)聞いた内容です。今、1年生と2年生の子どもさんを附属小学校に通わせているとのことでしたが、・・・「附属小学校の定員は、1学年3クラスで120人、附属幼稚園60人と外部からの60人。付属小学校に入学する時の外部からの60人は、塾に通ってないとまず合格できない。で、その競争率が自分の子どもの時は3倍の難関。附属中学校の定員は、1学年180人。附属小学校からは90人しか上がれず、30人が無慈悲にも落ちる。で、附属出身の小学生であっても、3年生から塾に通って受験勉強をしていないと附属中学校に合格できない。もちろん、附属小学校出身だと附属中学校に入り易いが・・・。外部からの附属中学入学時の受験生の質はそれはもう、(国立医学部並みに)メチャクチャ高いです・・・。」と。
 ムーッ、それで、将来どんな大人になるのかなあ?小さい時から熟熟、競争競争で、それを我が子も乗り遅れまいとして頑張らせている親達、いいのかなあ(いい訳ない!)。入れる枠が決まっているので、皆入ろうと努力しても、それは土台無理と言うモノ。将来、就職して晴れて社会人となった時、どんな価値観を持っているのだろうか(少なくとも、学歴や成績で人間性まで見ない人になってもらいたいですネ?!)。
 親にお金がないと附属に入れない。首尾良く入学出来た附属の子どもの親の結束は非常に堅く、PTAの総会では、100%近い出席率とか。東大の入学式でも、入学者の数よりも付き添いの数の方が多くて、誰の入学式か分からない感じだとか。しかも、入学式での東大生の多くが、「これでやっとゆっくり出来る・・・」何て言っているとか(入学してからが真剣に勉強する所が大学じゃないんですか?!)
 こんな状況、全国どこでも同じなのかなあ。東大に合格しても、エリートコースの1種の試験に合格できない人の方が多い。晴れて官僚になっても、安月給で自分のしたいことが出来ない(で、居酒屋タクシーみたいになるのかなあ?!)。東大を卒業しても、又、医学部に入り直している人もいる。難しい医師国家試験に合格して医師免許証を取得しても、その後の2年間のスーパーローテートでは、年収360万円しかなく、多くの私立ではそれ以下。で、それを過ぎてもまだ一人前でなく、大学にいても、大学からはそれ以下の給与しかもらねない。で、きついバイトに夜行って、体を売り物にしての仕事となる。
 試験管を振ることよりも人間相手が好きでしょうがない人が、医師や教師に、倫理観のしっかりしたアイデアマンで行動力のある人が官僚の役人になって欲しいと私は思っています。しかし、実際は、どうかなあ・・・。
 どこからどう治療して行けばいいのか、問題が複雑に絡み過ぎて、これは正に極めて重篤な多臓器不全症候群の状態ではないでしょうか。

*公の機関が先頭に立って、公の附属の学校に入学する時点での受験の為の勉強を半強制的にさせていること自体、日本の教育の大問題だと思いますが。それに、その入試での公平性、特に附属出身者が優遇されている点などは、どんなものでしょうか。ある県の教育委員長が、かって、県下から有名大学への入学者を今以上に沢山出して、地元出身の官僚が多くなってもらいたい。そして、地元に還元してもらいたいなんて発言していましたが、何でこんな視野の狭い見方しかできないのでしょうか。残念でなりません。

 (長女のお点前、高校2年の夏休みに1カ月アメリカに行き、そこで日本の文化の素晴らしさに気が付き、帰ってからお茶を教えてと言われて約1年間教えましたが、モノになりませんでした。お茶の基礎は3年、1年ぐらいでは、モノになりませんので。アメリカに行って、日本人としての証が出来なくて、悩んでいた様でした。)

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