7月21(月)の朝、家内が「ギックリ腰」になった感じで、腰をかがめて歩く感じになった。やっと歩ける感じで、これは困ったことになったなあと思っていて、旅先のホテルから出て横断歩道を通った後に、どうかした途端に、少し歩ける感じになった。 で、無事にバスとタクシーで、宿舎に帰れた。これで良くなるかなあと思ったら、甘くなく、今日の朝も、なかなかどうして痛がって、始めに痛くなった時と同じ感じになっている。明日、同じ感じであれば、病院に行かないといけないかなあ。取り敢えず、湿布と漢方薬を飲んでいるが、少し心配。
いざと言う時には、宿舎の前に病院があるし、整形の先生もいるので、何かの時は安心。田舎で(ここも、ど田舎だが)病院がない所、医者のいない所だと、さぞかし不安だろうなあ。同じ医療保険料を毎月払わされていても、必要な時に時に、周りに医療機関がなくてそれなりの医療が受けられないなんて、矛盾している。 思うに、いざと言う時に掛かれるけど、何とか間に合っているので掛からないのと、いざと言う時に全く医療機関に掛かれないのでは、不安の度合いは、雲泥の差だ。ドクターが一人診療所のへき地に行った時、ドクター自身の体の調子がおかしい時には、とても不安になるとのこと(充分に納得)。
「魔法の杖」の話を思い出した。以下は、その内容。
魔法が使えるとしたら、人はどんな欲望を満たそうとするでしょうか?ある人はお金を、ある人や地位や名誉を、ある人は健康を、又、ある人は自分の子どもの為に、又、ある人は貧しい人や病んだ人を救う為に・・・。
ある静かな山村に、正造という木こりの一家が住んでいました。正造の家は貧しいながらも、みんなが健康で明るい家庭でした。
今日も一日山仕事を終えて、楠の切り株に腰掛けて、一服していました。山の端にかかる太陽も沈みかけ、辺りはほの暗くなりかけていました。
そろそろ家に帰ろうかなと、起き上がりかけた時、誰かが正造の名を呼ぶ声がしました。そら耳かなといぶかりながら、後ろを振り向くと、そこに白髪長髯の老人が立っているではありませんか。正造は瞬間、背筋がぞおっとして身震いと腰の抜けるような恐怖に襲われました。しばらくして正造はようやく落ち着きを取り戻しました。それは、その老人の何と優しい眼差しと、苦悩も歓喜も全てを超越した顔のしわ。これはまさしく噂に聞く仙人なのかも知れないと正造が思ったからです。
「おじいさん、オラに何か用ですかい?」 立ち上がりながら、おそるおそる正造は尋ねました。すると老人は懐から何やら小さな棒きれのようなものを取り出して、
「これ正造、これをお前に進ぜよう。この杖は、お前の願いごとを、生涯にたった一度だけ叶えてくれる魔法の杖じゃ。願いごとをする時、この杖を天にかざし、大きく三回回しながらその間にお前の願いごとを言うがよい」
しかし、欲のない正造は、
「おらあ、今のまままで充分だから、これ以上の願いごとはない」 と断りましたが、老人は、
「いやいや、人間は何時どのような病気になるかも知れぬ、またどのような災難に襲われぬとも限らぬ。この杖はそんな時、きっとお前の力になってくれるはずだ」
と言うと、老人はその小さな杖を正造の前に置いたまま、煙のようにすうっと消えるようにその場から立ち去ってしまいました。
さて、正造はこの魔法の杖で何時、使ったのでしょうか?子どもが重荷を患った時に使ったのでしょうか。いや、その時は使わずに治すことができました。妻が倒れて病床にある時も、この魔法の杖を手にしかけましたが、待て待て、自分の真心で治してみせると頑張って、その杖に頼ることをしませんでした。 そして、それから幾十年が過ぎ去りました。
正造は95歳という高齢の誕生日を迎えました。お祝いに駆け付けた子どもや孫や曾孫達と炉を囲んで楽しい一時を過ごしていました。
正造は、ふと忘れかけていた魔法の杖のことを思い出して、みんなにこの話をしてやりました。 「これがその杖だよ」 と、大切にしまっていた杖を取り出して見せると、一人の子どもが言いました。
「おじいさん、その杖に、おじいさんが100歳以上も生きられるようにお願いしたらいいのに」
正造は、優しい子どもの言葉にうれし涙を見せながら、
「ありがとうよ、お前のその気持ちだけで充分だ。私は、これ以上の欲は言うまい。これまでで充分幸せであったからね」 正造は、人間の天命までもかえてしまうようなことは良くないことだと、子ども達に話すのでした。
そして、この魔法の杖は、生涯使うことなく、正造の家の宝として大切にしまわれていました。
でも、正造は、この魔法の杖があることによって、使おう使おうと思いながら、生涯一度しか叶えてくれない大切な魔法の杖だからと、いろいろな苦境や困難を自分の真心と精神力で乗り越えてきました。
実は、それが何回となく魔法の杖をつかったことになるかも知れませんね。
いざと言う時には、宿舎の前に病院があるし、整形の先生もいるので、何かの時は安心。田舎で(ここも、ど田舎だが)病院がない所、医者のいない所だと、さぞかし不安だろうなあ。同じ医療保険料を毎月払わされていても、必要な時に時に、周りに医療機関がなくてそれなりの医療が受けられないなんて、矛盾している。 思うに、いざと言う時に掛かれるけど、何とか間に合っているので掛からないのと、いざと言う時に全く医療機関に掛かれないのでは、不安の度合いは、雲泥の差だ。ドクターが一人診療所のへき地に行った時、ドクター自身の体の調子がおかしい時には、とても不安になるとのこと(充分に納得)。
「魔法の杖」の話を思い出した。以下は、その内容。
魔法が使えるとしたら、人はどんな欲望を満たそうとするでしょうか?ある人はお金を、ある人や地位や名誉を、ある人は健康を、又、ある人は自分の子どもの為に、又、ある人は貧しい人や病んだ人を救う為に・・・。
ある静かな山村に、正造という木こりの一家が住んでいました。正造の家は貧しいながらも、みんなが健康で明るい家庭でした。
今日も一日山仕事を終えて、楠の切り株に腰掛けて、一服していました。山の端にかかる太陽も沈みかけ、辺りはほの暗くなりかけていました。
そろそろ家に帰ろうかなと、起き上がりかけた時、誰かが正造の名を呼ぶ声がしました。そら耳かなといぶかりながら、後ろを振り向くと、そこに白髪長髯の老人が立っているではありませんか。正造は瞬間、背筋がぞおっとして身震いと腰の抜けるような恐怖に襲われました。しばらくして正造はようやく落ち着きを取り戻しました。それは、その老人の何と優しい眼差しと、苦悩も歓喜も全てを超越した顔のしわ。これはまさしく噂に聞く仙人なのかも知れないと正造が思ったからです。
「おじいさん、オラに何か用ですかい?」 立ち上がりながら、おそるおそる正造は尋ねました。すると老人は懐から何やら小さな棒きれのようなものを取り出して、
「これ正造、これをお前に進ぜよう。この杖は、お前の願いごとを、生涯にたった一度だけ叶えてくれる魔法の杖じゃ。願いごとをする時、この杖を天にかざし、大きく三回回しながらその間にお前の願いごとを言うがよい」
しかし、欲のない正造は、
「おらあ、今のまままで充分だから、これ以上の願いごとはない」 と断りましたが、老人は、
「いやいや、人間は何時どのような病気になるかも知れぬ、またどのような災難に襲われぬとも限らぬ。この杖はそんな時、きっとお前の力になってくれるはずだ」
と言うと、老人はその小さな杖を正造の前に置いたまま、煙のようにすうっと消えるようにその場から立ち去ってしまいました。
さて、正造はこの魔法の杖で何時、使ったのでしょうか?子どもが重荷を患った時に使ったのでしょうか。いや、その時は使わずに治すことができました。妻が倒れて病床にある時も、この魔法の杖を手にしかけましたが、待て待て、自分の真心で治してみせると頑張って、その杖に頼ることをしませんでした。 そして、それから幾十年が過ぎ去りました。
正造は95歳という高齢の誕生日を迎えました。お祝いに駆け付けた子どもや孫や曾孫達と炉を囲んで楽しい一時を過ごしていました。
正造は、ふと忘れかけていた魔法の杖のことを思い出して、みんなにこの話をしてやりました。 「これがその杖だよ」 と、大切にしまっていた杖を取り出して見せると、一人の子どもが言いました。
「おじいさん、その杖に、おじいさんが100歳以上も生きられるようにお願いしたらいいのに」
正造は、優しい子どもの言葉にうれし涙を見せながら、
「ありがとうよ、お前のその気持ちだけで充分だ。私は、これ以上の欲は言うまい。これまでで充分幸せであったからね」 正造は、人間の天命までもかえてしまうようなことは良くないことだと、子ども達に話すのでした。
そして、この魔法の杖は、生涯使うことなく、正造の家の宝として大切にしまわれていました。
でも、正造は、この魔法の杖があることによって、使おう使おうと思いながら、生涯一度しか叶えてくれない大切な魔法の杖だからと、いろいろな苦境や困難を自分の真心と精神力で乗り越えてきました。
実は、それが何回となく魔法の杖をつかったことになるかも知れませんね。