日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

自然が救ってくれた!

2006-09-02 17:42:09 | Weblog
 平成18年9月1日の「金スマ」の番組で、高木美保なる女優さんが紹介されていた。彼女は、昔、昼のメロドラマのヒロインであり、かって佐伯に来た時に、勤めていた病院で、ロケがあり、その時、彼女の存在を知った。その後、テレビのドラマで、余り見なくなった。

彼女は、今、田舎暮らしをし、バラエティ番組によく出演している。しかし、そうなるまでに、パニック障害、過呼吸症候群、予期不安、うつ障害、自殺未遂など、いろんな事を経験している。それ等を乗り越えて、今の明るい姿(現在、44歳、独身)になっている。

「パニック障害の時、も一人の自分がいて、一人は、頑張る自分、もう一人は、どうでもいいやっ、生きることさえも放棄していいやって感じの自分が。皆、頑張れ頑張れと言ってくれる。しかし、頑張っているのに、もう、それ以上頑張れないから、こうなっている。誰一人として、もういいんじゃない、そんなに頑張らなくてもと言ってくれなかった。で、私を救ってくれたのは、人でなく、自然だった。で、8年前から、田舎暮らしをすることになった。・・・病気で一番苦しんでいる時、もう、有名にならなくてもいい、お金持ちにならなくてもいい、仕事もなくてもいい、無一文になってもいい。兎に角、今は、休んで、自分を取り戻して、それから、又、1から出直そうと思った。そして、2年間、女優辞め、仕事を全くしませんでした。・・・」と言われた。

そして、「不思議なことに、どうなっても、救ってくれる人、いるんですヨ。それで、今の私のいい生活があります。良かったら、田舎へどうぞ・・・」と言われた。  

 彼女は、現在、あちこちから講演依頼が多く、それを受けて、講演をしている。又、自分を救ってくれた自然に恩返しする意味でも、自然保護の為に、一生を捧げるつもりでいると言う。

「自然の素晴らしさを考えると、それに比べ、結婚は、小さいことの様に思えて、・・・」と言われた。

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災害に備えて

2006-09-02 11:56:16 | Weblog
 9月1日は、防災の日であった。
 NHKの教育テレビで、被災時に欲しかった物(以下の10)を述べていた。

・ 懐中電灯

・ ラジオ

・ 非常食

・ 飲料水

・ 衣類

・ 雨合羽

・ ナイフ

・ ライター

・ 水を運ぶタンク

・ 発電機・電池


それに、医療的な見地から(以下の10)、

・ うがい薬(ヨウ素消毒剤)(殺菌力が強いので、コップに4~5滴入れて、飲む)

・ 定規(添木の代わり)

・ ラップ(包帯の代わり)

・ 毛抜き(トゲ抜き)

・ めがね(老眼鏡なども)

・ (活性炭入りの)マスク

・ ゴーグル・ 底の厚い(ガラスの破片を防ぐ)スリッパ

・ チョコレートや飴玉

・ いつも薬1~2日分


* 備えあれば、憂いなしだが・・・


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遊びの哲学

2006-09-02 07:41:45 | Weblog
 遊んでばかりいると言うよりも、趣味に凝っていると言うと、聞こえはいいが、実際は、遊びと趣味も同じ様なものだと思う。

 人間は、遊ぶ為に生きているのか、仕事をする為に生きているのか、そんな難しい話は、私には、分からない。
 世の中には、仕事人がいて、自分は仕事をする為に生きていると言う人がいるが、その人に少しでも遊び心があるならば、又は、仕事をある所で半ば遊びみたいにしてしまえば、今以上に、能率良く仕事が出来るだろう。

 本当の遊びには、厳しい束縛があってはいけない。いつ辞めてもいい状態にあり、それでいて、したくてしたくて仕方がないと言った、楽しいものでなければならない。

 明日、どうしても、付き合い上、ゴルフ(マ-ジャン・飲み)をしないといけないとなると、もう、遊びとは言えない。遊びには、苦しさがあってはいけない。常に、ゆとりがないといけない。変更がいつでも出来るのが(更には、先にも述べた様に、永久に止めることさえも簡単に出来るのが)本当の遊びと言えよう。


 遊ぶ為には、まず、金力がいる。しかし、考え方によっては、必ずしも、大金の必要はない。家族で自転車に乗って、弁当を持って、女島(めじま)の川縁に添って行くのも、立派な遊びだし、大入島を自転車で一周するのも、立派な遊びだと思う。城山に登るのも、汲心亭(茶室、きゅうしんてい)に行って、一人300円のお金を出して、お茶を飲むのも、立派な遊びだと思う。
 遠くに行かないから、お金を掛けてないからと言って、いい遊びが出来ないことは絶対にない。
 父親だけが、ゴルフやマ-ジャン狂いをしても、奥さんと子どもにとっては、ちっとも面白くない。

 
 遊ぶ為には、時間力がないといけない。忙し過ぎて遊ぶ暇がないと言う人がいるが、そんな余裕のないことでは、人間関係もギスギスして、本当のいい仕事は、出来てないのかも知れない。

 遊べる時間が、沢山あったらどんなにいいだろかと思う人がいるかも知れない。本当にそうだろうか?。

 あるスナックに行った時(かなり昔の話だが)、些細な事で仕事を辞めて、1年近くパチンコばかりしている人と知り合いになった。40歳前後の男性で、働き盛りであるのに、奥さんも子どもさんもいるのに、ちゃんとした仕事に就いていない。奥さんは、真剣に働いている。本人は、パチンコばかり、している。その人が、私に、次の様に言ってくれた。

 ・・・初めの3カ月だけは、良かった。ああ、これで、しばらくは、解放される。今からは、あのいやな奴の顔を見なくていいし、誰にも気を使わなくていいし、好きなパチンコも、いつでも出来る。万歳!。
 そう思って、毎日、パチンコに行った。初めの1カ月は、本当に楽しかった。3カ月を過ぎても、思った様に職がなく、遊んでばかりいた。
 あんなにパチンコが好きだったのに、いつでも出来るとなると、行く気が全然しなくなる。むしろ、朝になると、嗚呼、パチンコに今日も行かないといけないのかって感じになって、だんだんと苦痛になってきた。
 家にいても、何もすることがなくて、しかたなく、パチンコに行っていた。
 それから、だんだんむなしくなり、このままでは、自分は馬鹿になるのではないだろかと、思う様になってきた。
 そうこうしている内に、1年も経ち、今は、兎に角、仕事がしたい。何でもいい。
あれば、明日からでも。選ぶ段階ではないもんな(現在は、ちゃんとした仕事に就いておられて、妻子の為に頑張っておられる)。
 
 つまり、遊びと言うのは、楽しいのであるが、その楽しさは、苦しい時を背中合わせにしているからこそ、楽しいのであって、いつも時間を持て余している人にとっては、本当の遊びの楽しさは、享受出来ないのではと、思われる。
 
 トルストイの小説の中にもある。乞食が何でも美味しそうに食べるのを見て、王様は、何故、そんなに美味しく食べれるのかと、不思議がる場面がある。いつも、ごちそうばかり食べている王様にとっては、その理由が分からないのである。

 忙しければ、忙しい程、遊べます。暇な人は、何もしません。これが終わってからしようと思う人も、同じです。する人は、もう、始めています。

 忙し過ぎて(24時間、365日、拘束されて、全く遊べないと言う人は、いないはず)、遊ぶ暇がないと言う人が多いが、そんなに忙しいのなら、他人のせいにしなくて、忙しくない様に、自分なりに工夫すればいいのである。
 
 忙しくても、好きなゴルフの為ならば、朝、3時過ぎに、起きている人もいる。仕事で徹夜すると、ひどく疲れるのに、好きな徹夜マ-ジャンだと(勝った時は、特に)、疲れていない。
 
 毎日、寝る前に、15分間でも、自分の好きなことをしていれば、1年間経ち、2年間経ち、3年間も経てば、継続は力也で、何かが出来ているはず。出来ると、又、面白くなってくる。何もしなければ、いつまで経っても、0である(0にどんなに大きな数字を掛けても、0である)。
 忙しくて、いろいろ手を付けている人は、仕事も遊びも、集中的にせざるを得ない。そうしないと、遊べないものだから、仕事以外も、何もかもが、一生懸命って感じになって来らざるを得なくなる。
 同じ時間を与えられながら、10年経った時には、忙しかった人の方が、遙かに物事を達成していることだって、あり得る。

 賢人の教えに、”どうしてもしてもらいたい事を頼む時は、暇な人でなく、忙しい人に頼め”、との言い方がある。


 遊ぶ為には、体力がいる。旅行や山登りやサイクリングやマリンスポ-ツは、もちろん、囲碁、将棋、マ-ジャン、パチンコに至るまで、ある程度の体力がいる。
 遊んだ後の後遺症が仕事に差し支える様では、いい遊びをしていることにならない。
 本当のいい遊びをしている人間には、遊びでの疲れはないし、仕事にも、それがプラスされているはず。昔から、よく遊べ、よく学べ、と言われ来ている。

 
 そして、最後に、最も大切な事は、それを楽しいと感じ取れる感性力だと思う。

 海外旅行に行っても、スケジュ-ルに追われて、充分にその楽しみが味わえなかったとしたら、反省すべきである。実際、自分の職場の看護師さんが、新婚旅行で、外国から帰って来ての初めの言葉が、「ああ、疲れて、気を使って、英語が出来ないもんだから、怖くて、神経をすり減らして、ゆっくり、楽しむどころでなかった。最後に別府の白菊に泊まったけど、ここが一番良かった」であった。

 目的を持って、自分なりの、納得する楽しみ方をするべきである。外国に行くのなら、歴史や地理を前もって勉強しておいて、現地の言葉でも、ちょっとだけ話せるぐらいの楽しみ方があっていいと思う。外国のいい景色を見ても、その素晴らしさを理解出来る度合いは、人によって、かなりの差があると思う。地学や考古学や天文学を勉強している人であれば、それ相応の楽しみ方があると思う。
 要は、その人個人の感性のキャパスィティ-の問題であり、それを小さい時から常に磨いておくべきだと思う。




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恋の力が、奇跡を生んだ

2006-09-01 18:55:49 | Weblog
(平成18年8月31日、たけしの番組より) 東アフリカに、ルワンダと言う国がある。

 ケニアやタンザニアは、日本人には、馴染みが深いが、ルワンダの名前を知る人は少ない。ルワンダは、ケニアとタンザニアに隣接し、アフリカ中央よりにある。

 そこでは、全体の85%を占めるツチ族が、15%しかないフツ族を支配するゆがんが構造であった為に、ルワンダ内戦を起こした。80万人もが亡くなり(10人に1人が亡くなり)、3人に1人が国外難民となった。

 アフリカの多くの国々では、今でも、貧困の問題以外に、多くの問題を抱えている。永い間、イギリスやフランスなどのヨーロッパの支配下にあり、ヨーロッパ指導の政策が行われてきた。言葉の壁の問題もあり、東アフリカでは、そこでの民族語以外に、英語やスワヒリ語が共通語として使用されている。

 

 吉田真美さん、今や、ルワンダで、日本人として、最も称えられるべき人ではないだろうか。

 彼女の恋の力が、多くの人を動かし、この10年間で、4.000人のルワンダの人が、無償で、義足や義肢や杖を与えられている。何よりも、ルワンダの多くの人々に、自信を取り戻させている。そして、今や、そこでの義肢職人が多くなり、いろんな障害者のスポーツ団体が出来、しかも、12月4日が、ルワンダの「障害の日」とまで、国により制定された。


 彼女は、普通のOLだった。遊び心で、ルワンダに行き、そこで、足の不自由なガデラと言う人と偶然出会った。その後、日本に帰るも、ガデラのことが気になり、自分の気持ちを確かめる為に、再び、ルワンダに行って、ガデラに対する自分の気持ちを確認した。

 その後、今度は、ガデラが日本に来た。その時、偶然に、今まで身に付けていたガデラの義足が、壊れてしまった。そこで、ある職人に頼み込んで、新しい義足を作ってもらった。その時の愛するガデラの今までに見たことのない様な嬉しそうな顔を見て、義足をルワンダの人に作ることを思い立ったのだ。

 その職人に、弟子になることを彼女は嘆願し、いい義師職人になる為に、そこで腕を磨いた。

 その後、ルワンダは、激しい内戦状態となり、ガデラとの連絡が絶たれたが、ガデラは、その内戦で、幸いに、ルワンダに入ることが出来ず、無事であった。

 全国から、使われなくなった義足や義肢を60本以上集め、それらを修復して、その戦争で足や手を失った人の為に、義足や義肢を無償で与えた。

 しかし、せっかく義足や義肢をを与えても、それ等をはずして、物乞いする人が多くなり、しかも、作ることを手伝ってくれたルワンダの人も、いなくなってしまった。

 ここで、彼女は、挫折することなく、ルワンダの選手を、初めて、パラリンピックに参加せることを思い付き、50mの自由型にカザールなる選手を参加させた。

 それが、マスコミで大きく取り上げられ、ルワンダの人も、それで、意識を変えることが出来、作ることを手伝ってくれた人も、戻ってきて、再び、明るさを取り戻すことが出来た。

 

 このことは、彼女の恋の力(2000年にガデラと結婚する)と、それに賛同する周りの協力で、奇跡的に成し得たことだろう。

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やる気の試験

2006-09-01 07:26:24 | Weblog
(実話であるが、・・・少し、内容を変えているが・・・)、サウジアラビアの首都リヤドにあるリヤド大学での話(ある日本人)、
 大学の掲示板に、アラビア語を習得したい人の為にアラビア語講座(15回)の誘いが張り出された。無料とある。手続きも特に難しいことはないので、さっそく行って受けることにした。
 初日、わずか30名前後しか入らない様な教室に、既に、数百人程の人が、ひしめき合う感じでいて、教室内に入ることも出来ず、廊下から窓越しに、声だけ聞く感じになった。アラビア語の先生が来て、いきなり、アラビア語で講義が始まり、最初から最後まで、全てアラビア語で、何のことか全く内容が理解できないまま、90分が過ぎて、講義が終わった。その先生が教室を出た後に、別の人が来て、英語で、又、明日もこんな感じが行われますので、良かったら、又、聴きに来て下さいとのことを言われた。
 2日目、どうしようかと迷ったが、まあ、せっかくだから行ってみることにした。さすがに、受講生の数が、70~80人ぐらいになっていて、何とか、教室内で受けることが出来た。アラビア語の先生は、前回と同じで、全く前回と同じ感じで、英語全くなしのアラビア語だけの講義が90分間あって、何も理解できずに終わった。又、最後に、前回同様の別の人が来て、「又、次回も同じ感じでします。次回、出席しない人は、次回から、受ける意思がないものとみなします!」とのきつい言い方をされて出て行った。
 3日目、憂鬱な感じで、どうするか迷った。もう、やめようかとも思ったが、しかし、せっかくしようと決めたことだし、やめるのはいつでも出来ることだからとも思い直して、もう1回参加して、それで、その後のことを決めようと思った。
 で、行くと、ちょうど、30名前後で、席が皆に座れるだけになっていた。先生の入ってくるのを待った。先生は、初めて見る先生で、英語でいきなり話し出した。
「ちょうどいい数になりました。ここにおられる方は、やる気の試験に合格された方だと認定します。今までのは、やる気を試すための試験でした。今からは、英語で、出来るだけ分かり易く話したいと思います。質問は、随時受け付けます・・・」と言って、基本的なことから、丁寧な講義がその後、15回行われ、15回の講義が終わり頃には、簡単なアラビア語での会話が出来る様になった。



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