新年度,教務主任として仕事を始め3週目に入りました。
「教務主任」という仕事について思うところは,当然多々出てくるわけですが,それと同時に多々出てくるのは
「担任を外れる」
ということがどういうことなのか
ということです。
初めて担任を外れてみての3週間。
各学級はもう新しいスタートもきって,担任の先生たちも新しい学級づくりに奔走しているところですが,自分はその仕事をしていません。
思ったままに,「担任を外れる」とどうなるのか,当然のことばかりですが,挙げてみたいと思います。
担任を外れると…
「日報を書かなくなる」
まず私が最初に思ったのはこれです。
初任以来,10年ほどに渡って,毎日書いてきました。
私が書く日報は,私の学級づくりの柱の一つにもなっていましたし,子どもたちや保護者にとっても大きな存在意義のあるものでした。
毎年約200号の日報を書いてきたわけですから,トータルにすれば約2000号の日報。
毎年のファイルして保管していましたが,ついに今年とぎれるわけです。
あの労力を使わずに済むと思えば,楽になるような気もしますが,あの労力を使う先がなくなるということに,やはり大きなさびしさを感じます。
担任を外れると…
「体育の授業をしなくなる」
次に思ったのはこれでした。
ちょっと信じられない感覚です。
自分が体育の授業をしないなんて。
これもやはり私が学級づくりをする上では,大きな要素をもつものでした。
そして何より,体育の授業が大好きです。
子どもと一緒に体を動かし,子どもに「すっげー先生!」という目で見てもらえる数少ない自分のステージでした。
体育を離れて,私が子どもをどうやって引きつけることができるのだろうかと,心配しています。
担任を外れると…
「保護者とのつながりがなくなる」
これも感じました。
担任をしている間,保護者へうれしい連絡をすることも,辛い連絡をすることもありました。
保護者からうれしい連絡が来ることも,辛い連絡が来ることもありました。
それらは,担任をする上でとても神経をすり減らす仕事で,そこには常に細心の注意を払う必要がありました。
やっぱり,保護者の理解あっての学級経営ですから。
本校ではもうすぐ家庭訪問も始まりますが,それにも行かないんですねぇ。
新学期始業式後,さっそく電話ごしにいろんな件で保護者対応している担任の先生たちを横目に見ながら,正直
(これに関しては,楽になったかな)
と思いました。
もちろん,そんな教務ではいけないのですが。
担任を外れると…
「給食を職員室で食べることになる」
これに気付いたときは,結構ゾッとしました。
いわゆる「七年部」の先生たちで,給食を食べるわけです。
う~
苦手です。
どんな話題で盛り上がるんだろう…
自分はどんなポジションなんだろう…
おかわりとか,どうなるんだろう…
私の嫌いな納豆が出たときは…
にぎやかな教室で子どもたちと一緒に給食を食べる。
それって学校の先生の特権ですよね。
去年まであまりにそれが当たり前になっていましたが,それを奪われたとき,どれだけ貴重な時間だったかが分かりました。
一般の社会人と同じように,今度から同僚と飯を食うわけですね。。。
「担任を外れると」
まだまだいーっぱいあるのですが,とりあえずこれくらいにしておきます。
今回は自分のグチみたいになってしまいましたが,でも,改めて,
担任を外れて初めて,担任の喜びに気付く!
痛感する毎日です。